複雑・ファジー小説

Re: コンプレックスヒーロー ( No.10 )
日時: 2015/10/25 12:04
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)
参照: ※内容を一部変更致しました。

 第04話

 冷たくて気持ちの良い何かが、頭からすっと足の先まで伝わってきた。
 瞼も不思議と熱くない。夏なのに、夏のはずなのに。
 なぜか草と土の匂いはしなかった。乾いた風の匂いもしない。
 その代わりと言ったら変かもしれないけれど、そう、この匂いを僕は知っている。
 鼻に差す嫌な、嫌な臭いだ。慣れた今ではどうってことのない、科学薬品の臭い。

 「……目、覚めた?」

 細い視界に、黒くて艶のある、長い髪が映えた。部屋も同じように喰らいのに、くっきり映るのはよほど綺麗だからだろう。覗く大きな瞳も、この声も、知っている。
 白くて冷たい掌が、そっと僕の目の横を撫でる。

 「うん……元気そうっ」

 詩鶴は、そう言って笑った。

 「……ここは?」
 「さっき言った……知り合いの家です。今ではもう、知り合いの母しか住んでいないけど」
 「……そう」
 「あたしもよく、ここへ来てたんですけど……いっつも追い払われちゃって」

 幸いにも、僕は助かったらしい。
 詩鶴が連れてきたのか? 相変わらず力持ちな奴。そこも詩鶴が変である要因の一つなんだけども。
 でも、もし僕があのままあの場所で、誰にも見つからず寝そべったままだったとしたら。
 今度こそ重度の熱中症で、そのまま逝ってしまっていたかもしれない。
 でも生きてる。もう少ししたら失うはずの心音が今は響いてる。どう足掻いても、この世界で自殺とかはできないらしい。

 体中に感じていた冷気の正体は、この冷えるシートの奴か。
 にしても数時間ぶりの我が家が、妙に懐かしい。いてもいいはずの場所が、居心地が悪くて仕方がないのが不思議だ。
 しかも、詩鶴はまだ気づいていないみたいだ。
 マスクはしているけれど、眼鏡はさっきの場所に落としてきたようだし。
 とは言っても、フードもしていない今、近づくのは非常に危険だ。この距離で心臓がうるさいくらいに音を立てているし、何とか対策を練らないと。

 「ふふっ……おかしいですよね。……嫌われ、てたのに」

 静寂に満ちた僕の部屋の中で、詩鶴の凛とした声色は本当によく響く。流石に葬式後だからか、普段より声は掠れているみたいだけど。
 腹部が痛いというのもあって、ベッドから這い上がるのに力が入らない。
 目を逸らして自嘲気味に笑う彼女の目が決して笑っていないのを、横目に僕は腹筋を使おうとする。

 「嫌われてたのに、よく来てたんだ」
 「はい……あたしの片思いです。好きなんです……彼のこと」
 「だった、じゃなくて?」
 「ええ。だって好きですから、死んだ今でも——光ちゃんのこと」

 詩鶴のような奴が、何で僕なんかにそんなことを言うのか、何年も経った今でも甚だ疑問に思うことがある。
 時間がもったいない上に、周りは皆否定するだろう。
 僕と詩鶴が億に一つでも結ばれたって、祝福なんかされないとみた。まず僕が祝わない。

 「嫌われてるなら諦めればいいのに」
 「……そうですね」
 「素直じゃないっすか」
 「いえ……諦め、られなくて、それに……彼に言わなきゃいけないことが、まだ……」

 じわりとまた涙が滲んできた。伏し目にぽろりと一つ零す彼女は、まだ現実を呑み込めないでいるらしい。

 「もし……もしも、だけど」
 「……?」
 「その、男が生きてたとしたら君は……やっぱり、諦めないの?」

 いちいち喉に痞えた言葉は、ぽろっと簡単に口から零れた。
 僕は一体何を聞いているんだろうと、我に返ってから、人が漏らした言葉が消えないことに後悔した。

 「……はい。諦めないです。どんなに嫌われたって」
 「時間がもったいなくない? その男、本当に君に見合う男?」
 「もったいなくないですっ。好きだから……あたしこそ、光ちゃんに見合うかどうか」
 「どうせかっこよくもないでしょ。君みたいな子に好かれて動じないなんて。絶対変人だよそれ」
 「そ、そんな酷いこと言わないで下さい! 光ちゃんは、あたしにとって、とってもかっこいい————ヒーローなんです!!」

 ヒーロー。
 和訳すると、英雄。

 詩鶴の手が震えていて、もう一つ涙を流しそうだった。
 呆気になってその様子を見ていると、僕の喉も同じように震えた。久しぶりに、声が掠れた。

 「……ヒーロー、なんかじゃない」
 「……?」
 「ヒーローじゃないよ……絶対。勘違いじゃないかな」
 「絶対、ヒーローなんです。そっくりさんでもそれ以上言うと、許しませんから」
 「……そう」

 思わずついて出た、いつも通りぶっきらぼうな返事。
 憎まれ口を叩くようなことはしないけれど。目だけはちゃんと逸らした自分を褒めてやりたい。
 ヒーローだなんて、大袈裟すぎる。

 「ねえ、さっき言ってた『言わなきゃいけないこと』って、『好きだ』って、伝えること? だとしたら」
 「あっいいえ、違います」
 「え?」
 「謝らなきゃいけないことがあって、それと……もしもう一度会えるなら、ちゃんと言いたいの——『ありがとう』って、それと……『ごめんなさい』って」

 詩鶴が何について触れて言っているのか。
 この時の僕にはまるでわからなかった。

 詩鶴はそれから僕の部屋をあとにした。取り残された僕はその隙に、いつも詩鶴が現れる扉に手を掛け、その先へと潜っていった。
 木を伝って下へ降りる。本当に詩鶴の奴、器用だな。涼しい顔してこんな苦労してまで、僕に毎日会いに来てたのか。まあ飽きもせずよくやるよ。
 ふと腕時計に目をやると、ちょうど午後の1時を指していた。ゆっくりゆっくり、いつもよく遅く時間が流れてる気がする。
 今日という日は、やけに長い。

 「こんにちは。素敵なお兄さん?」
 「……」

 塀を超えたところで再び遭遇。セミロングの少女は妙にいらつく笑顔で僕を待っていたようだ。
 二回目なので驚きはしないが、神出鬼没はやめてくれ。どっかの誰かさんを彷彿とさせられる。

 「今度は何」
 「うっ……視線が冷たい。ええとですね、さっき申しました通り、貴方には“鍵”をお探しして頂くということで」
 「了承してないんだけど」
 「まあまあお気になさらず。実はですね、その“鍵”を見つけて頂ければ、貴方は元の世界へ帰れるという話ですが……それには、“イベント”の通過をして頂く必要もあるのです」
 「……? 何それ」
 「“鍵”に至るまでのながーいレースの、その途中地点にある“ヒント”だと思って下さい。貴方は各イベントをこなしつつ“クリア報酬”を受け取りながら、ゴールに辿り着くのです」
 「イベントクリアで報酬? ゲームか」
 「そうですね。命を賭けた、ゲームです」

 ドキリとする。こいつはたまに、こうして厭らしい言い回しで僕の心臓にナイフを突き立てる。

 「イベントをクリアして頂くごとに、私自らが貴方のもとへ出向きます。その際に貴方は、“何でも一つ質問できる権利”を与えられるのです」
 「何でも一つ質問できる権利?」
 「はい。答えられない質問はありません。然しイベントにも限りあります。その度に全く関係のない質問をされると、どんどん“鍵”への道を、見失ってしまうこととなります」
 「ふーん……まるで」
 「貴方のお好きな、ミステリー小説ですね」
 「……」
 「では早速お一つどうぞ! 今回私が貴方の前に姿を現したのも、貴方がたった今イベントをクリアしたからなのですよ」
 「へっ……そうなの?」

 いつの間にか、知らないうちにクリアしていたのか。一体どこの場面だ? 不良に殴られたあたりかな。かなり衝撃的だったし。

 「まあ僕別に、元の世界とかどうでもいいけど……って何回も言ってるんだけど」
 「命に関わると言っているでしょう。当然時間制限もありますよ。“鍵”を見つけられなければ、貴方はあの葬式を迎えるのをただ待つだけとなりますし」
 「じゃあ、君の言う通り……暇をつぶすよ。でも何て質問しよう」
 「何でもいいんですよ? せっかくなので、私の好みのタイプとか」
 「じゃあイベントは残りいくつあるの?」
 「……はあ。愛も情けもない」
 「有意義な質問をしろと言ったのは君でしょ」
 「はいはい、そうでしたね。イベントは残り“4つ”です。今回を含め全部で“5つ”なので」
 「あと4つで辿り着けるの? こんな高難易度な問題」
 「質問は1つまでですので」
 「さっきまでべらべらしゃべってたくせに」
 「サービスです」

 怪しげに微笑んだその顔が印象的で、思わず目なんか逸らしちゃって、汚い髪を無造作に掻き荒らした。

 「タイムリミットは日没——“午後6時”まで。それまでに見つけられなければ、貴方はそれでジ・エンドです」

 それではまた。風をざあっと連れてきた木葉に邪魔されて、視界が一瞬閉じられると、目を開けた時にはまたいなくなっていた。
 イベント通過。残り4回の質問。タイムリミットはあと、4時間。
 がんじがらめの意味不ルールにまんまと踊らされているだけのような気がする。

 でもなんとなく、あの嫌な笑顔だけは。
 信じてもいい、気がする。