複雑・ファジー小説
- Re: コンプレックスヒーロー ( No.11 )
- 日時: 2015/10/23 00:17
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)
第05話
謎の少女と別れてから、またぽつぽつ歩くだけの時間を過ごしていた。
詩鶴に介抱してもらっただけあって、今はほんの少し気持ちが楽になった。あの冷えるシートのやつは万能だ。
暇つぶしとはいえ、勢いで鍵探しに参加することとなってまった。この世界に来てからなんとなく調子が悪い。
変に前向きだったり、いつもの千倍は口を動かしたとも思うし。
「あ……」
頬に張られたシップの内側が、じわじわと痛みをぶり返した。
目に映った彼の姿に、逃げろと痛みがものを言う。
間違いなく、さっき僕の腹に一発いれた奴だ。
「……!」
本能的にその場から動けず、立ち尽くしていた僕の姿に、彼は気づいた。
細い目を見開いてから、座っていたベンチから腰を持ち上げて、確実にこちらへ歩み寄ってくる。
シップの上に滴が垂れる。暑さ故のそれなのか、それとも。
なんて考えている間に、ついに彼は僕の前で大きく太陽の光を遮った。
「お前、さっきの」
「……どうも」
「あー……なんつうか、悪かったな。いきなり腹パンきめちまって」
「ま、まあ……痛かった、けど、なんか君さっき、追われてるっぽかっ——」
「よく喋るじゃねェか、お前」
「……っ」
しまった。
詩鶴のせいでしゃべるクセがまたついてしまったようだ。
水を含むことにしか機能しなかった自分の口が、自ら開いてしまったことに驚く。普段はわざとしゃべらないでいるのに。
やっぱり今日はなんだか、上手くいかないみたいだ。
「……? 傷……」
「あァ?」
「あ、いや……」
ぱっと逸らす視線。冷や汗はじっとりとシップの上を這った。
余計なことに口を挟むものじゃない。問題を起こさないうちにさっさと退散してしまおう。
フードを深く深く被って、去ろうとした、その時。
「あ! あいつあんなとこに——おいゴラァ!! 哲ッ!!」
「やっと見つけたぜ……——捕まえろ!!」
「!?」
哲、そう呼ばれてはっとする彼は、ぐるっと太くて大きい首を回した。
まるで統一性のない制服を身に纏った男達数人がこちらに向かって物凄いスピードで走ってくる。
って、これってまさか。
この哲っていう男まだ——追われてるの?
「くっそ……——いくぞ!!」
「え? は、はい————ってはあ!?」
こんな大声、自分の中で聞いたこともなかった。僕大声出せるのか。意外。じゃなくて!
あまりの事実に驚きを隠せない僕をひょいと持ち上げて、哲というらしい男は駆け出した。
今日起こる、奇想天外な出来事にはもう何も、言うまい。
「あ、あの……一体どこまで……」
「うるせェ!! どっか遠くにだよ!!」
「あの人達、他校の生徒、ですよね」
「そうだよ!! あいつらこの間負けたことをまだ根に持ちやがって……!」
喧嘩、か。まあ体格といい、体中に見られる傷や痣の数を考えてもこの考察は間違いではないらしい。
傷だらけの体。それでもしっかりとしていて、確かに喧嘩には強そうな外見をしている。
特別細いわけでもないけど、体格普通以下の軟弱な僕とは偉い違いだ。
「はあ……はっ……ここまで、来りゃ……」
「……海辺」
「ああ。……あーっ! つっかれたァ……」
浜辺でごろんと寝転がる彼。赤茶色がかった短い髪、耳に開けたピアス。
それに相当着崩している制服のこの擦り切れよう。
縒れ縒れのそれは、入学当初の黒い光沢を既に失っていた。
「見つかったらまずいな……おい、これ着てろ」
「!」
「ったく……面倒な事になったぜ」
「……あ、あの」
「あァ?」
「何で……連れてきたんですか」
僕の学校の制服は学ランだった。黒くて大きなそれを、彼は僕の体に豪快に被せた。
見た通りの失われた硬い質感。何十年も着続けた作業着かのような柔らかさだ。
なぜ知り合いでもない僕なんかを連れ出したのだろう。喧嘩をしようにも、僕じゃまるっきり足手まといだ。
「ちっと疑問に思ってよ……お前」
「?」
「新聞に載ってたろ、それも事故死した学生として」
今の僕は眼鏡をかけていない上に、制服を着ていなかった。
マスクもしている。フードはさっきの風圧で下ろされてしまったが、それでも可笑しい。
着眼点が鋭すぎる。ぎくっと心臓が嫌に踊った。
優れた洞察力だ。常人のそれじゃない。
殆ど他人の姿である僕に、確信を秘めた瞳を向ける。
「……人違いだよ」
「うちの学校の生徒っつうか……先輩、なんだろ?」
「へ? 君何年生なの?」
「2年だ。お前、3年生の永崎光介だろ?」
学校の影と化していた僕。受験期だというのにサボり癖まである僕のことを、どうやら知っているようだ。
僕と積極的に話をしていたのは、それこそ詩鶴だけだった。
表彰台に上がったことも、事故死するまで新聞に載ったこともなかった。
ましてや美術や音楽、体育といった実技教科に優れてるわけでもないし。
同じ学年、同じクラス、隣の席の奴まで僕を知らないくらいだ。
おかしな点が多すぎる。
「それ……何で知られてんだって、顔だな」
「……っ!」
「えーっと……なんつったっけ……し、シズカ? 違うな……シズ……シズク?」
「……もしかして、詩鶴?」
「そうだ! 確かそんなような名前だったな」
「詩鶴がどうかしたの」
「ああ……そいつがな」
茶髪の彼いわく、直接詩鶴と話をしたことはないが、関わったことならあるという。
詩鶴は誰にでも好かれ、誰もが憧れの的としていたから、知らないはずはないと。
彼もそう言ってちらっと僕を見た。
「その詩鶴って先輩、人気だったんだろ? 知らねェけどよ」
「はあ……まあ、一応」
「それで……頼まれたんだ——あんたをどうにか不登校にしてくれってな」
ドキン。また心臓はその鋭い言葉に反応を示した。
まあ、今に始まったことではないし、似たような台詞も何度か聞いてきた。
またか、と呆れるのも疲れてくる。
「多分その女を慕ってたグループの奴らだと思う。詩鶴がストーカーされてるってうるさくってよ」
「は? その文脈だと……」
「ああ。その女の先輩が——あんたにストーカーされてるから消してくれって」
一体どんなおめでたい目をしていたんだそのグループは。
逆だ。ありえないって。
でも僕と詩鶴がどれほど弁解したって、今までその連鎖がなくなることはなかった。
大体ストーキングされてたのは実質僕の方だったんだけど。
ありえないと思ったのか。まあ僕は見た目冴えないし、綺麗な詩鶴を追いかけても不思議じゃない。
それにしても至極解せない。
「んで、喧嘩に強そうな君に、頼んできたってわけ?」
「そういうこった……試しにどんな奴かと思って見に行ってみればあんただったってだけだ」
「断っちゃったんだね」
「たりめェーだろ。見るからに弱そうだし。実際ストーカーは女の方だったしな」
「分かってくれるんだ」
「ありゃあからさまだろ」
結局その依頼を断った彼は、久々に学校に通ったことを後悔したと言った。
似た者同士なのかな。彼も最近は学校をサボり気味だと高らかに語ってくれた。
最初見た時とは印象が随分違ったけど。僕も彼に対する恐怖は不思議となくなっていた。
「それで? 君はどうするの。それに僕が死人だって知って驚かないの?」
「まあな。さっきは気づかなかったし」
「……君、追われてるんだよね。早く逃げないと」
「ああ……でも、逃げてたら終わらねェよな」
何度目かの心臓の高鳴り。いちいち核心を突かれる。こんなにも心が穏やかじゃないのは、いったいいつぶりだろうか。
逃げてたら、終わらない。
意外すぎるその言葉に、息を呑んだ。
「その見た目で、そんなこと言うんだ」
「見た目は関係ねェだろ」
「それより逃げなきゃ。また傷増えるかもね」
「……気づいてたのか」
「なんとなく」
「でも次は逃げねェ。ここなら誰にも迷惑かかんねェしな」
彼は、そうして黙り込んだ。
今までペラペラと上手に回っていた舌が響かない。
土塗れの白いシャツ。締めていない指定のネクタイ。
引き千切れたような穴が目立つ、ズボン。
何よりその死んだような目つきが、僕とそっくりだ。
「一つ、聞いてもいいか」
「……何?」
「あんたはさ、生まれ持ったものを、他人に否定されたら、どう思う」
確かに、その言葉は固まったままの僕の胸にじわりと溶け込んだ。
不良の彼と肩を並べ……ても、いないけど。
隣に座っているのがとてつもなく非現実なこの状況下で。
僕は確かに、彼と自分を、一瞬重ねてしまったんだ。