複雑・ファジー小説

Re: コンプレックスヒーロー ( No.12 )
日時: 2015/10/23 00:11
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第06話

 僕は何かと否定的な言葉が好きだった。
 嫌い、否定、諦め、逃げ、なんて。上げてたらキリがないけれど。
 否定の言葉はいわゆる逃避だ。自分という現実からの、逃避。

 彼は言う。不良の口から吐き出される台詞にしては随分、何というか。意外な質問だった。

 「……髪の毛?」
 「……よくわかったな」
 「いや、それ、染めてないでしょ。遺伝か何かかなって」
 「……この髪を見ただけで、皆怖がって避けるしな」

 彼の髪は、短い髪の赤茶色で、黒い髪か、もしくは焦げ茶色の髪色が主な日本人とは遠くかけ離れた色をしている。
 国名までは覚えてないけれど、どこか遠くの血を持った祖父がいると。つまりはクォーターだと彼は続ける。
 地毛だと言い張っても誰も信じてはくれない。教師も同級生も当然近所に住む人も。
 何かと目をつけられ、何かあれば髪のことについて触れ、理不尽に殴られたり殴り返したりの毎日を過ごしていくこと14年。
 見た目から察するに、彼も強くなることを決心したようだった。
 誰にも自分を傷つけさせないように。
 自分を護れるのは、世界でたった一人、自分だけだからと。

 「これは爺ちゃん譲りなんだよ。俺のせいじゃねェ……なのに、なのに皆寄って集って……!」
 「偏見、ってこと」
 「そうだ!! 結局何言ったって、信じる奴が誰もいなきゃ意味がねェんだよ……!」

 世間の目はとても厳しい。見た目に至っては実にそうだろう。学生でいるうちは特に、皆同じ服を着て同じ場所で勉強をするわけだから、髪の色や肌、生まれ持った性質は顕著に外へ映し出される。
 ざざっと揺れる海面を、ただじっと見つめる僕は考えていた。
 自分についても。確かに誰も、認めてはくれないことを。

 「じゃあ君は、生んだ親を嫌う?」
 「はァ? 親父は病死しちまったし……お袋は何も言わねェからな……」
 「でも、優しくされなかった?」
 「まあお袋がハーフだしな……ごめんなさいとは、言ってた気もするけどよ」
 「そっか」
 「……何が言いてェんだよ」
 「いいや、別に」

 彼と僕はよく似ている。他人から否定されるところも。
 どれだけ頑張っても、認めてもらえないところも。
 偏見の眼差しで、どれだけ他人と線を引かれ続けてきたことか。
 その一歩先に、踏み込んだことももちろんない。
 その一歩先に、踏み込めるほど勇気だってない。

 「僕にも、あるよ」

 意外だった。
 割と素直に、自分の口から、ぽろりと漏れた。

 「はァ? あんた普通に日本人っぽいじゃん」
 「髪の毛とか、顔立ちとかじゃないよ」
 「じゃあ何だってんだ」
 「……」
 「ケッ。結局言わねェんじゃねェか」

 足元にぎりぎり辿り着かない白波。あともう少しなのに届かなくて、いいところまではいっても、すぐざーっと元の居場所に戻るのを繰り返す。
 長ズボンにおさまった脚を、長袖で覆われた腕で抱えた。潮風のあまりの気持ち良さに、思わず水平線の先をぼうっと見つめてしまっていた。

 「そういやあんた、夏なのに随分厚着みてェだけど……」
 「……」
 「それに意味でもあんのか?」

 やっぱり彼は鋭い。確かに半袖は好んで着用しない。聞いてから、バツの悪そうに自分の赤茶色の髪をくしゃくしゃ掻き回していた。
 他人から気味悪がられるのに慣れている僕は、そんな彼の反応に少し違和感を感じてしまった。
 慣れるとは、あんまりいいことでもないらしい。

 「……! おい!!」
 「……どうしたの?」
 「見つかった!! お前はどっかに隠れてろ!!」
 「あ……っ」

 彼はどうして教えてくれたんだろう。
 一番言いたくないことだっただろうに。
 僕は、いつもそうだ。
 こうやって、誰かが隣にいてくれて、話をしてくれたとしても。
 自分の話をしたことは一度もなかった。


 『絶対に逃げない』と彼が言った時もそうだ。
 僕と彼の間に唯一違いがあるのなら。

 それは、向き合う勇気が、あるかないかだ。


 「——哲!! 見つけたぞゴラァ!!」
 「くっそ……」
 「そんな見た目して、今更怖がってんのか? あァッ!?」
 「見た目は関係ねェだろ!!」
 「この間の落とし前……きっちりつけさせてもらうぜ!!」

 相手は2人、か。哲という彼の実力はあまりよく知らないけれど、彼は今負傷してるし、不利であるのは確かだ。
 大体まずいのは僕の方だ。こんなところでまた気を失うなんてシャレにならない。

 「おい哲、そこのチビはなんだァ?」
 「お仲間かよ! ハハハ!! そんなひよこ野郎連れて何しようってんだ!!」
 「こいつは関係ねェよ!」
 「へェ〜……珍しく、仲良く駄弁ってたみたいだけどなァ?」

 ダメだ、逃げたい。逃げたい、逃げたい。
 彼の後ろに匿ってもらっているとはいえ、この状況じゃ手を出されてもおかしくない。
 喧嘩なんて——向いてないのに。

 「それじゃあ歯ァ食いしばれよ!! オラァ!!」
 「ぐっ!?」
 「こっちもだ!!」
 「ガハッ!!」

 腹部に一発、深いものが入った彼は蹲る。
 口から洩れる赤いものが、黄色い砂の色を変えた。
 愉しんでる。明らかに、彼を痛めつけて笑っている。ただでさえ傷を負ってるのに、それじゃあまるで、虐待だ。
 ——あまり、気持ちのいい光景じゃない。

 「おい哲……痛いかァ?」
 「ぐ……こんなの、どうってこ、と……」
 「じゃあもっと遊んでも良いよなァ!?」
 「哲ゥ……跪いて、ごめんなさい、って言えよ?」

 赤い髪を掴み上げた。その瞬間心音が一つだけうるさく響いた。
 彼が祖父から受け継いだというその髪は。
 嗤う彼らの頭のように、決して染色加工のされていない、純粋な血筋のもので。大切なもののはずなのに。
 誰かが汚して、掴み上げていいものなんかじゃ、決してない。

 絶対、それは違う。

 「……やめて、あげなよ」
 「ああ? んだとこのチビ」
 「や、め……っ」
 「その髪は、君達の汚れたその手で、掴み上げていいものじゃない」

 何となく、ぼやっとだけれど、思い出してきた。
 誰とも関わろうとしなかったこの数年間。
 忘れかけていた記憶が、うっすらと脳裏に浮かび上がってくる。


 確かに、僕はこうやって。
 嫌いなものを、嫌いと言える人間だったはずなんだ。


 「は……? 調子乗んなよ、クズ」
 「離してあげなよ、痛そうだろ」
 「ふざけてんじゃねえぞ——!!」

 彼を掴んでいた手を離す。然しそれは止まらなかった。
 僕の顔を、広い手が鷲掴む。被っていたフードが揺れてぱさりと落ちた。
 僕の軽い体は持ち上げられて、そのまま。

 ————海に、放り投げられた。

 「が、はァ……! げほ! げほっ……」

 まずいまずい、痛い、痛い痛い痛いっ!
 こうなるとは思ってなかった。しまった、近くに海があることをすっかり忘れていた。
 一気に顔が焼けるように熱くなった。肌を突き刺すような痛みが、日光をも超えて顔面を襲う。
 指もそうだ。指と指の間に沁み込む塩水が、ものすごい速さで体全体へ痛みを繋げていく。
 水で息が詰まりそうになることにも、頭が回らない。

 「おらよ!!」

 顔を押さえつけられて、再び海水へ埋まる。
 ついに目を開くことさえ阻まれた。強い力に圧迫されて、顔も上げられない。
 息が、できない。
 辛い、苦しかった。痛くて、どうしようもなくて。


 ぼくは、無力だ。


 「この野郎——!!」


 一瞬、頭が軽くなった気がした。
 反動で浮き上がった頭が水を割る。
 ぶくぶくと浮き出る息と、泡と、潤んだ景色がごちゃごちゃになって。
 赤い彼の、怒号を聞いて、その時意識は消えた。





 日没まであと、4時間。