複雑・ファジー小説
- Re: コンプレックスヒーロー ( No.13 )
- 日時: 2015/10/24 00:26
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)
第07話
「……ん……っ」
うまく働かない頭は重い。顔を顰めて僕は上体を起こした。
随分と長い間、寝込んでいたような気がする。僕は一体、何をしていたんだっけ。
眼鏡をかけていないにも関わらず、視界はぼやけている。寝起きだからか?
何もない。クリーム色の世界だけが無限に広がっているみたいだ。
ああ。もしかしてここは死後の世界なんだろうか。
そういえば僕は未来に来ていたんだった。
死んだ僕を目の前で見たんだった。
気味悪くなって逃げ出して、でも苦しくて逃げられなくて。
あれ。そうだ。溺れてた。そうだ、痛くて、死にそうなほど。
もっさりとした頭を掻き回す。眠い。
まさか未来の世界で死ぬなんて。
こりゃ墓の下に倍の数骨が埋まる、なんて奇怪なことに……。
「あ、起きました? もう驚きましたよ。心配したんですから」
なんだろう。無性に腹の立つ声が僕の体中を駆け巡った気がした。
「……君が現れたということは」
「はい。貴方が2つ目の“イベント”を通過しましたので、その通達です」
2つ目のイベントを? ということは……。
「死を体験することがイベントクリアになるの? 物騒だね」
「はい?」
「え? 違うの?」
「……質問は、それでいいのですか?」
「……」
イベントをクリアすると何でも一つ質問できるシステムだったんだっけ。
それならその質問はなんだかもったいないな。
「それよりここどこなの? ふわふわしてるし、天国?」
「質問はそれですか?」
「……1回目と違ってずいぶん冷たいね」
「私、言いましたよ。初回はサービスです」
「けち」
「なんとでも」
でも死んだら普通はゲームオーバーになるんじゃないのか?
夢の中かな。起きた時眠かったし、実際今もそれほど眠気は飛んでない。
死んだら死んだで別にいいけど。死のイベントが用意されてるなんてむごすぎる。
「えっと……じゃあ、“鍵”っていうのはどんな形をしてるの?」
まずは、そこからだ。“鍵”を探せと言われても、形状が分からなければ探そうにも探せない。
目を閉じていて見えないくせに、どうしていつも僕の目の前にちゃんと現れることができるのか。それも知りたいけど、今は鍵探しだ。
暇つぶしなんて言っておいて、結構はまってしまってる自分が、こわい。
「答えは……“そもそも形はありません”です。世間に広まっているあの鍵ではなく————」
もったいぶって、瞬きほどの間があいたと思う。
見える瞼で僕を捉えた。口元が優しく、優しく笑みをつくると。
「————“自覚”という名の、鍵なのですよ」
しばらく、考えることを放棄していたのが悔やまれる。ぴんと伸びた脳みそにぶっかけられた、何かを暗示する、水のように形のない彼女の言葉はいちいち僕の胸につっかえる。
——心地が悪くて、一瞬だけ言葉を失っていた。
「……は? え、ちょ、待ってよ!」
用が済んだらすぐに消える。その手際はまるでどこかの魔法使いみたい。
いや、でも、現実的に言うのなら。
————マジシャン、みたいな……。
「——!」
では。またお会いできることを願いまして。
脳の内側から、薄ぼんやりと。彼女の声と思しきもの寂しげな声色が、フェードアウトする。
安堵をする間もなくて、ぐらり。世界は傾いた。
頭から落ちるような気持ち悪さが、そうやって巡ってきた。
熱い。じわり、溶ける肌に浮かんだ汗は頬を伝って音もなく沈んだ。
柔らかい何かに身を包んでいるのは確か。それも知らない匂いだ。
リンリンと聞こえるこれは、風鈴? 風情のあるものは嫌いじゃない。そういえば詩鶴もいつか、風鈴を作ってみたいだとかぼやいていたな。
突拍子もなく無理なことばかり口にするから、呆れていた夏を思い出した。
もう、何年も経ってしまったかのような静寂だった。
「お! 起きたのかっ!?」
ざらりと捲った……あ、あれ。何て言うんだっけなあの竹みたいなの。竹のカーテンみたいな。
すっかりと頭も働かなくなってしまったようで。情けない。
臙脂色の髪とがっしりとした体格が目の前の景色を覆う。
「おはよう」
「おはようじゃねえ!! ったく危ないマネしやがってバカかおめェは!!」
「先輩に対する態度くらい改めた方がいいよ。来年受験でしょ」
最近の若者は、と商店街を歩く奥様方が、買い物袋を提げて歩みを止めて口々にそう零すのはこれが原因だろう。
とは言っても最近の若者も、そんな女性も、引きこもりライフを送っていると出会う機会はないのだけれど。
「ねえ、ここってもしかして君のい————」
何で今まで気づかなかったのか。
明らかに違う、肌寒さに。
引いた痛みが、ぶり返す。
「は? 何——」
「————うわああっ!?」
僕の中では今世紀最大の。機能が低下しつつあった口の奥からとんでもない声が溢れだした。
いや、そんなことを、気にしている場合じゃない!
「な、なな……んで……僕、上、着て……ッ!!」
「はあ? 全身びしょ濡れだったろ、何だよ今更」
「うるさい!! 早く僕の服返してよ!!」
海に体を放り投げられた時の感覚が妙にリアルに浮かんできた。
あの時と一緒だ。
大嫌いなものを、一番嫌だと感じる瞬間。
体の中で沸騰する何かを抑えようにも抑えられなくて、自分を嫌いになる瞬間。
「な、何なんだよ……」
震える。心も体も、痛いくらい叫んでる。
見られた? いや、違う。違う。
絶対、そんな事ない————って。
考えてた、時だった。
「あら哲! お友達、目を覚ましたの?」
元気で張りのある、辺りによく通る声。
知らない声だ。誰だ。哲、というのが彼の名前だということは知ってる。
ということは、彼の、母親?
「お袋! 勝手に入ってくんなってばっ」
「あら、ごめんなさいね。でも良かった……もう体は大丈夫なの?」
優しい目つきだ。ぱっちりとした、優しい目元が彼とよく似ている。声の張りがいいところも。
綻んだエプロンを着て、ゆっくりしゃがんだ彼女は僕の顔を覗き込む。
何も、言えなくなった。
「……っ」
「哲、布取り替えてきて、うんと冷たいやつね」
「けっ。人を使うなっての」
「あら。息子はいいじゃないの」
「へいへい」
渋々といった表情で、彼は部屋から出ていった。残るのは、僕と、彼の母親である彼女だけ。
非常に気まずい状況だけど、今はそれどころではない。
今すぐにでも服を着たいのに、僕の服はきっとびしょびしょのぐちょぐちょなのだろうから。
「怖がらなくてもいいのよ」
「っ!」
「大丈夫、誰も何も言わないわ」
……?
この人……もし、かして……——。
「み、たんです……か?」
「え?」
「その、え、えと……だ、から……」
「……体の、事?」
「——!?」
僕の母意外は知らなかったものがある。事故のおかげで頭をおかしくしたせいか、今となっては母も知らない。知っても「そうねえ」とまたすぐ忘れてしまう。
もしかしたら、詩鶴は気づいてたかもしれないけれど。
それでも、他人から、世間から、ずっと隠してきたものがある。
僕が、死ぬほど嫌う。
普通の“それ”がほしいと、何度も流れ星に祈りかけるほど。
「哲は多分気づいてないわ……安心して」
「……」
「嫌われると、思ってるの?」
「違う!! そんなことは、どうだって……っ」
「……ずっと、そうやって、苦しんできたの?」
涙を浮かべた顔が、じっと僕の瞳に入り込んできた。
それ以上、口は開けなくて。
紡がれる言葉に、何も言えなくなった。
「————“皮膚炎”よね? それも、全身の」
人生が始まって15年目を迎えた。
僕は、物心ついた時から“それ”と、一緒だった。
気づいた時にはもう、既に、自分の体を嫌っていたんだ。
周りの人が、嫌うみたいに。