複雑・ファジー小説

Re: コンプレックスヒーロー ( No.17 )
日時: 2015/11/01 18:15
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)

 第10話

 花園詩鶴という幼馴染の女の子が僕にはいる。黒く艶やかな長髪に清楚な顔立ち、ほそっこい手足、その割に力持ちで明るく飄々とした、変なやつだと認識してもらえればそれでいい。
 彼女は割と乙女チックだ。少女漫画や恋愛小説を好む。新しい占いごとが学校で流行れば、迷わず僕のところへそれを持ってきて、相性だのなんだのって熱く語りかけてくる。その辺は普通の女の子だ。

 いつも僕の隣のいる詩鶴だが、別に女友達がいないわけじゃない。むしろ容姿性格成績、彼女を形容するステータスと、持ち前のコミュケーション能力の高さが、彼女に友人が多いことの理由となっている。
 ただ学校の行き帰り、休日、学校行事。何かにつけて僕の傍にいるのを、周りの人は不思議に、あるいは不審に思っただろう。
 実は付き合っているんじゃないかとか。片方がもう片方の弱みを握っているんじゃないかとか。あるいは生き別れの兄妹だ何だって。あることないこと噂されるのにはもう慣れてきた頃。

 僕らは付き合っていない。
 弱みを握り合ってもない。
 正真正銘赤の他人だけど。

 詩鶴から僕へ向けられる目があまりにも真っ直ぐだから。
 僕は詩鶴のその目をいつも見ることができなかった。
 僕らは決して見つめ合わない。横に並んで歩くだけの、幼馴染で。


 だから余計に覚えていたのかもしれない。
 詩鶴が僕の顔を見なかった時のこと。


 (あれは確か、僕が下校しようとして、進路相談室から出てくる詩鶴に声をかけた時……だったっけ)

 普段は詩鶴に声をかけたりしないのに。自分でもびっくりするくらい自然に声が出ていた。
 ——『詩鶴』って。振り返った詩鶴の目がみずみずしく輝いて、あの時は。
 確か、久々に目が合ったんだった。

 『! ……珍しいね。光ちゃんがあたしの名前、呼んでくれるなんて。今夜は世界滅亡かな?』
 『大袈裟すぎ。別に意味なんてないし』
 『意味がないのに呼んでくれるってところに意味があるんだよ〜』
 『何それ』

 ずずっと鼻を啜った。ほんのり赤くなった、高い鼻先が震える。
 詩鶴にしては珍しく。伏し目がちに、一体どこを見ていたのだろう。
 きっとどこをも捉えていなかった淀んだ眼差しがその時、目に焼きついた。

 『一緒の高校行こうね、光ちゃん。それでおんなじとこの制服を着るの。絶対だよっ』

 普段詩鶴の顔を見ない僕がそこまで鮮明に覚えているのには、詩鶴が僕の顔を見ていなかったという理由がある。
 彼女は、本当は言いたいことがあるくせに、全部喉の奥へ押し戻す。そういう時に、ああいう目をする。



 あの時手に提げていたのには間違いなくこの学校の校舎が映っていた。私立の女学校でも名門中の名門“聖鶯学園”。
 僕に『一緒の高校行こうね』と言った割りに、持っていたパンフレットが女子高のものだと知ってやっぱりこいつおかしいと思ったんだった。
 ただ冷静になって考えてみると、やっぱりあの日の詩鶴はどこかおかしかった気がする。いつものおかしさじゃなくて、別の。

 「……——そう、いえば」

 事故に遭った時、僕と詩鶴は一緒にいたってことだろ? 僕が詩鶴を庇って死んだということは。
 どこかへ行こうとした? それとも帰り道だった? それがあの学園? 一体、何をしに?
 詩鶴が僕の私情についてくることは多々あった。でも僕が詩鶴の用事に付き合ったことが今まであっただろうか。
 いや、待てよ——確か。


 『お願い光ちゃん。一緒にいて。それだけいいの……それだけで、いいから——』


 ——8月上旬。その日、学園の説明会が催された。
 両親と待ち合わせをしていた詩鶴。ついてきてほしいと頼まれた僕。

 ——図書館に行くついでならと応じると、学園へ向かう途中で詩鶴が言った。
 『お父さんとお母さんが、この学校に行けって言うの』

 ——学園の正門が見えるところで。それらしき両親が目に入った時に。
 トラックのブレーキ音が、耳を突き抜けた。



 花園詩鶴という幼馴染の女の子が僕にはいる。彼女の両親については触れてこなかったと思う。
 俗に言う“いいとこのお嬢様”だと思ってくれればいい。たった一人の社長令嬢である彼女はその容姿、性格、成績、どれも大変優れているためか、両親、祖父母にいたく執着されてきた。

 煌びやかで広い籠の中が生き苦しいと啼いたのは。
 ため息一つ零したところで誰の耳にも届かないから。

 毎日毎日。逃げるように僕のもとへ来ていたのはそのせいだったのかもしれない。僕の隣では彼女は深く息ができていたのかもしれない。
 それだけでいいのと言った、彼女は両親と向き合って、違う高校へ行きたいとはっきり言うために、深く息を吸うために、僕にあんなことを頼んだのか。

 と、ここまで脱線して考えに耽ってしまったものの、明らかにおかしい点に気づいてしまった。
 詩鶴の事情を考えている場合ではなかった。荒々しく髪を掻き回して、ぴたと止まる。


 「——何で知ってるんだ……? オープンキャンパスのことも、詩鶴が両親と待ち合わせしていたことも————事故を起こした、“直前の景色”も」


 僕がここを未来の世界だと仮定した時、あのセミロングの少女は『そうとは限りませんよ』と返してきた。
 未来の世界でないならこの世界は一体何だ? 確かに僕の葬式に出くわした。でも何で、過去にいたはずの僕が未来で死んだ自分の葬儀を見て、そして事故にあったことも知らなかったはずなのに——今、思い出した?

 ……ん? ————“思い出した”って、何だ?

 「も、もしかして……——」
 「——はあい! ぱんぱかぱーん! お呼びですか? そうですねっ!?」
 「!」
 「これで4回目ですね。そろそろ時間も危うい頃となってきましたが——イベント通過の、お知らせにやってきましたよ」

 毎度のことながら突然現れ、耳にキンキン響くやかましさを連れてやってきたのは黒髪セミロングの少女。本当いつもどこでどうやってスタンバってるんだろうこいつ。

 「さあさあ、時間もないので4つ目の質問をどうぞ。聞きたいことが、あるんでしょ?」
 「……」
 「? どうしました? 早くしないと、日没までに間に合いませんよ〜?」
 「……僕が、その……この世界に来る前にいた……あの世界は————」

 変わり映えのしない夏のある日。僕が本を読んでいて、詩鶴が突然窓から入ってきて、読む本がないから図書館へ向かって、詩鶴に勧められた変な恋愛小説を読んだ。
 僕がここへ来る前の、あの日は。


 「————本当に、現在進行形の世界?」


 本体の僕は一体どこで息をしてる?
 この未来みたいな世界で死んでいた僕と、図書館へ向かった僕の間に。
 何かがある気がする。本体がどこかに隠れている気がする。
 どうして僕は、まだ知りもしない未来を知ってた? ここは本当に未来の世界か?


 ——知りたい。確かめたい。“僕”が今、どこにいるのか。


 「……いいえ。貴方がここへ来る前にいた世界は、現在進行形の世界じゃありません」
 「じゃ、じゃあ……!」
 「“鍵”を探せと言いましたよね。“この世界”と“元の世界”を繋ぐための。その“元の世界”こそ————現在、貴方が生きている世界です」
 「!」
 「貴方がこの世界へ来る前にいた、あの日は……——“過去の世界”の一片なのです」

 図書館で謎の恋愛小説を読んで、僕はこの奇妙な世界に飛ばされた。過去の世界から未来の世界へ、現在をすっ飛ばして今ここにいる。そういうことか?
 どうして現在へ帰ることができないのだろう。顔色の冷めた僕を見て、少女は続けた。
 長い長い夢を見ているだけだと。


 「夢……?」
 「イベントは残り1回です。質問ができるのも次でラスト。日もだいぶ傾いてきました。貴方が生きるべき世界へ戻りたければ、“鍵”を見つけること。このまま夢に溺れてしまう前にどうか————目を、覚まして下さい」


 次に会うのが最後です。どうか悔いの残りませんよう。
 諦めることをしないで下さい——今度こそ。


 長い長い夢を見ている。深い水を掻いては掻いて。繰り返しもがくのはこんなにも息苦しい。
 嗚呼、詩鶴が僕の隣で息をしていたように。


 僕も息がしたいと思った。