複雑・ファジー小説
- Re: コンプレックスヒーロー ( No.18 )
- 日時: 2015/10/29 23:17
- 名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: TRpDG/gC)
第11話
事故現場の辺りをうろうろしながら、わかっている事実とそこから考察できる情報をもとに、今の状況を整理してみる。
近くに聳える時計台は立派に17時半を示す。残り30分。ずっと向こうに見える赤い夕日が、高い建物と建物の間をじっくり沈んでいくのが見える。僕の心はなんて正直に焦り始めるのだろうか。脆弱な心音がうるさく聴こえるなんて。
今いる世界が未来の世界だと仮定しよう。実際この世界で僕は死んでいるわけだし。現在の世界では生きているらしいのだから、まあ間違いではないだろう。
そしてこの未来に飛ばされる前は、現在の世界よりも少し前、つまりは過去の世界にいたという。
ただあの不思議系のおめめ閉じセミロング少女は確かに『長い夢を見ている』と僕に言った。
あの言葉が忘れられない。
(そもそも何で過去の世界にいたんだ? 現在僕は何をしてる? ——いや、むしろ)
現在の僕は、何もできない状態にいるのか? それにしたってこんな夢はひどすぎる。
夢? 夢を見ているのか? 過去の世界にいたことも、へんてこな未来の世界にいる今も。
現在の僕が夢を見てる? 午後6時になったら覚める魔法?
————夢なら、どうして僕の“命”が関わってる?
「ああ、くそっ!」
わかんない。わかんないわかんない——全然わからない!
肩から提げていたバッグを放り投げた。自棄になって道路へ叩きつけた。
この場で唯一正しい時計塔の秒針が、残酷に回ってる。
「……違う。これじゃ何も、変わらない」
『やり直せるのかな』『ええ。やり直せますよ』——今まで世間から、自分から、目を背けたまま歩き続けて辿り着いた先は、誰もいない世界だった。誰も見えない、見ようとしない世界だった。
振り返れば確かにいたはずなのに。父親も母親も友達も医者も。
向き合えば確かに変われてたのに。詩鶴がくれた機会を真摯に。
受け止めていれば、俗に言う優しさを、与えて与えられて。少しずつでも僕は。変わっていけると、教えてもらったばかりだというのに。
「……あ」
顔を横に振るって、落ちた鞄から顔を出した、一冊の本が目に入った。今朝図書館で借りたままのミステリー小説の新刊だった。
タイムリミットまであと30分を切ったところ。どうやら僕は死ぬらしく、鍵を見つけなければ生きることができないと聞いた。
残りの時間を使って、気になっていた本の続きを読もうか。鍵探しに時間を割いて、だめだったらきっと僕は天国で、続きが読みたくなって後悔する。と、同時に。
残りの時間を使って、元の世界へ、この夢の中から僕が生きている世界へ戻るために。
鍵を探して、生きて、そうして本を読む道もある。
諦めても本は読める。
諦めなければ、もしかしたら生きられる。もしかしたら本も読める。
欲張りになるかならないか。今まで捨てるばかりだった僕が、零すばかりだった僕の手が。
何かを掴んでも、抱いても、許されるというのなら。
「……ばっかみたい」
僕は本を拾い上げる。その拍子にどこのページからか、はらり。薄くて名刺くらいのカードが音も立てずに足元へ落ちた。
貸し出しカードだ。図書館専用のカードをレジで読み込んで、貸し出しカードに名前と日付を入力する。レジにも記録が残るし、自分もいつ借りたか、いつまで返さねばならないかを確認できるシステムになっているもののはず。
借りた本人は、自分の目では、めったに確認しないものだ。
今の僕みたいに、今朝借りたばかりであれば——尚更。
「——!」
貸し出しカードに入力されていた、単純な名前と日付は。
僕に更なる驚愕を齎した。
『貸出日時 08月03日 永崎光介』
『返却日時 08月05日 花園詩鶴』
『貸出日時 08月10日 永崎光介』
心の臓は、どくん、どくん、と矢継ぎ早に音を繰り出す。
借りた本を返す際には、借りた本人がこの貸し出しカードに、その日の日付と直筆でサインを、返却欄に記入する。
当然本を借りた本人が必ず返すという決まりはない。図書館側にしてみれば、本が戻って来さえすれば、誰が代理で返して来ようと構わない。
今この貸し出しカードには。この本を最初に借りた人物、永崎光介と、返した人物の花園詩鶴。そして次に借りた、永崎光介という名前が記載されている。
つまり僕は————以前に、この本を、借りていたんだ。
(間違いない……僕の名前だ。確か、この世界に飛ばされる前、過去の世界では、誰かに本を借りられていた……あの日は、8月3日以降の世界で、借りていたのは僕自身? 今朝僕が貸し出しカードを確認せずにこの本を借りた“今日”が、8月10日……——ってことは)
今朝。この世界に飛ばされた直後に見たものは、僕の葬儀だった。
昨日。8月9日。この本を返したのが僕でなく、詩鶴だということは。
昨日まで—————僕は。
「昨日……“まで”——————生き、てた……?」
嗚呼、なんて、なんて悪い夢を。長くて、長くて。
——決して永くない悪夢を。
僕は、見ているんだ。
人間としての機能を、半分以上失ってしまった脚で。人生でこれ以上ないほどひた走る。
傷だらけの両腕と両脚が順番に風を掻く。赤く滲んだ関節が折れ曲がって、伸びてを繰り返すのが痛い。
ひどい炎天下、夏真っ只中。汗を掻かない身体があるなら貸してほしい。皮膚に塩が浸るのを嫌がるくせに、それを忘れていた激痛と猛暑でおかしくなりそうだ。
走るのも、動くのさえ、何かのために一生懸命になるなんてのももうばかばかしい。
でも笑えないほど必死だったんだ。例えおかしくなってでも。
言いたいことがあるんだ。
僕は今未来の世界に来ている。昨日までは生きていたらしい。
そして過去に本を借りて、恐らく借りた本を返すついでにと詩鶴と行動を共にしていたその日。
僕は事故に遭った。詩鶴を庇って命を落とし、詩鶴が死んだ僕に代わって本を返却した。
でも引っかかるのはそこだ。8月3日に本を借りて、僕はきっとその日に小説を読み終えて、新刊だから早く返さなきゃいけないことも知ってた。それで聖鶯学園までわざわざついていったということは、学園の説明会は翌日の8月4日で間違いない、と思う。
つまり————。
「素敵な、夕景色ですね」
「ああ、ほんとに——すごく綺麗だよ」
僕は戻ってきた。ここ数日で何度ここへ足を運べばいいのやら。
誰もいない図書館の前で、その窓がキラキラ夕焼けに照らされて真っ赤になっているのが見えた。
誰もいない殺風景の中で僕と、一人。
セミロングの、僕のことを知っているらしい不思議な少女が。何度目かの逢世を果たす。
「貴方もそう思いますか? いやあ、いつか大切な人と、肩を並べて見上げてみたいものですね」
「見えないのに? やっぱりおかしいよね、君」
「……そうですか?」
「ああ、おかしい」
「ふふっ……ああ、そうそう————“鍵”は、見つかりましたか?」
図書館の外壁にある時計が差す。6時まであと10分足らずか。
少しだけ時間があるな。にしても珍しく走ったりしたから、どっと疲れが沸き上がってくる。
余裕の顔色でしゃんと立つこいつは本当に、最後の最後まで気にくわない。
だからだと思う。返答もいつも通りつれなく返してやった。
「知らないよそんなもの」
「あら。あと10分もしないうちにタイムリミットですよ?」
「そうだね。君が僕の、最後の質問に答えてくれたらわかる気がする」
「そういえばそうでした。ささ、最後の質問ですね、何でもどうぞ!」
この質問に関しては、自慢じゃないけど迷わなかった。
それよりもわくわく顔で待つ彼女の顔を早くも見飽きてしまって困ってる。
ああそうだ。むかつく笑顔で、さんざん僕を振り回して、僕について回ってきたこいつに。
一発仕返ししてやらないと、僕の気が収まらない。
だからここまで来たんだ。
「じゃあ聞くよ? 何でもいいんだよね」
「ええ。どうぞどうぞ。あ、スリーサイズは勘弁して下さいね?」
「ばかじゃないの」
「うっ、冗談半分で言ったのに」
「半分は本気かよ」
たわいない会話が僕らを繋ぐ。容赦ない秒針だけが、僕らのずうっと上の方で響くけど、聞こえるはずがないから、とくとく胸の内を叩く。
この心音だけが。
今はただ、心地がいい。
「君の好みのタイプは?」
この心地よさがずっとずっと。続けばいい。
それだけでいい。