複雑・ファジー小説

Re: コンプレックスヒーロー ( No.20 )
日時: 2015/11/01 13:50
名前: 瑚雲 ◆6leuycUnLw (ID: kkPVc8iM)

 第13話

 確かに僕は死んでもいいと思っていた。盲目のマジシャン、というと長いから省略すると。
 花園詩鶴に。夢で最初会った時。口にも出してた。どっちでもいいって。なのに。
 息をしたいと。生きたいと。
 言いたいこともあって。好きなんだって。
 図書館の前で、長かった黒髪を短くして、失った視力で僕を見つめた風に佇んで。

 そういえば今まで一度も聞いたことがないと思ったから。
 幼馴染のくせに。好みのタイプも知らなかったんだから。



 詩鶴本人に聞いてみたところ。僕が跳ねられたのと同時に跳んだ血痕とガラスで、やむを得ず髪の毛を切ってしまったのだという。
 目が見えないから、後ろ髪がどうなっているかも分からず。知らず知らずのうちに切られていたのだとか。ちなみにもしもの世界にいた詩鶴の髪が長いままだったのは、最初に手術をして、目が見えるようになったから。
 髪は女のアクセサリーというほどもあって、詩鶴自身大事に大事に伸ばしていたらしいから、間違いはないと思うけれど。

 夏休みの間はとにかくずっと病室にいた。部分骨折全身打撲、聞いていると何で生きていたのか不思議なくらい重症だったらしい。
 もしもの世界に至らず、生き続けることができたのは。
 僕自身の“生きたい”という思いも大事だったのだと聞いた。生きる気力に左右される患者は少なくないだとも。しかし脳に問題がなくて救われた。母のこともあるし、現状でもかなり不便だけど、時間をかければまた元通りになれる。
 電灯が明るく、よく人の出入りするこの病室は。確かに薬臭いし色々面倒だけれど。
 暗くて独りぼっちだった自分の部屋を、ああ懐かしいなあと思えるくらいにはここに上手く慣れ親しめていた。



 半ばないがしろにしてきた制服に腕を通して、2ヶ月ぶりに学校の校舎を見上げる。はてこんなに大きかっただろうか。校門の端に聳える二本の大木から、はらはら紅葉が落ちる。風情のあるものは好きだ。
 不思議がる詩鶴を隣に、ぼうっと校門で突っ立っていると、ドンと背中をぶつけられた。
 うっ、この感触は。夢を思い出して、さっと振り返る。

 「あぁ? んだよてめェ」

 血のような濃い髪色。がっしりした体躯と鋭い目つき。哲だ。お古だと言っていた黒の無地Tシャツを着ているところを見て、思わず口元が緩みそうになる。何に対しても大事にする奴だな、全く。

 「突っ立ってんじゃねェよ、邪魔だろうが」
 「それは君の? それとも皆の邪魔ってこと?」
 「はあ?」
 「あ、そうだ。ちょうど良かった」

 そもそも僕が学校に来た理由は、まあ普通に登校するためもあるけど、もう一つ。
 彼に会うためでもあった。約束もしたしね。
 あの時と同じ服を着ているとは好都合だ。すかさず僕はバッグから炭酸飲料を取り出して、上下に素早く振る。振って振って、振りまくる。

 「? おい何して」
 「えいっ」
 「!? うぉって、てめェ!!」

 ぷしゅっ、という空気の抜ける音に次いで、ぶしゃあと勢いよく放たれる炭酸。褪せた黒さに水が滲んで、見事なまでの円を描く。

 「こ、こここ光ちゃん! い、今のって!?」
 「うん、このくらいかな」
 「……て、てめェ……こりゃ一体何のマネだ、あァッ!?」
 「あー大変だー汚れちゃったみたい。風邪ひくから脱ぎなよ、ほら」
 「はっ!? てめ何勝手に……っ、おい正気か!?」
 「先輩に対する心遣い、あれほど気をつけろって言ったのに……」
 「何のことだよ! 喧嘩売ってんだろ!!」
 「君は確か僕に対して喧嘩をする気が失せたんじゃなかったっけ?」
 「……は……?」
 「約束したんだ。君と。この服は、必ず洗って返すって」
 「お、お前……一体」
 「ハーフのお袋さんにも伝えといて。お言葉に甘えて、もう一度伺いますって」

 彼が呆気に取られているうちに、さっさとTシャツを脱がせて回収した。半裸の上から学ランの上着を被せて退散。
 せっかく気兼ねなく話せる同年代に会えたのに。また彼と話せる機会があればいいな。いうなれば新感覚完全リアル乙女ゲームの主人公になった気分だ。ゲームのデータが吹っ飛んで、好感度は一から上げ直しってわけで。
 自然に校舎へ吸い込まれていった僕と詩鶴は、普通の学生みたいに、体育館で肩を小さく寄せ合って校長先生の長い話に耳を傾ける。寝ている生徒、俯いて携帯をいじる生徒、友達同士の内緒話とか、あれこれ混ざって繰り出されるこのざわめきが新鮮で、慣れなくて、心がくすぐったい。



 進路の話とか、放課後の街を二人で歩いてみたりとか。詩鶴の目の見えないうちは僕がエスコートするしかないんだけど、本人はあまり残念がる様子を見せない。
 なぜ、と問うと。砂を吐くような台詞を決まって返す。

 「光ちゃんが隣にいてくれるから」

 目が見えていた時より生き生きとしているのが至極不思議だ。詩鶴の腕を引いて、地元ではない遠くでこんな風に肩を並べているのだって。
 普通に幼馴染をしていた時より距離は近い。胸の辺りがかゆい、と素直に言うと薬を持ってきたかの確認を促されたのでそうじゃないとだけ返してやる。

 ふと腕時計に目をやると、6時少し前だった。とっくに地元へと帰ってきた脚から、伸びる影が長い。赤い夕焼けに目を奪われる。地平線に滲んだまま、少しずつ、少しずつ沈んでいく。

 「どうしたの? 光ちゃん」
 「詩鶴。左に向いてごらん」
 「? どうして?」
 「肩を並べて見上げたいって言ってたろ、夕焼け」
 「……どうして」
 「そりゃあ、僕も綺麗だなって——」
 「いつか大切な人と、肩を並べて見上げてみたいものですね」
 「!」
 「あたし言ったんだ。光ちゃんがいて、閉じ込められた世界で駆け回る、変な夢の中で。今は真っ暗で、その熱さしかわからないけど……いつか、目が見えるようになって、隣に光ちゃんがいて、午後6時前の、綺麗な夕日が見たいな」

 ハイライトのない瞳に差す赤があんまり綺麗で。図書館の前で足を止めた僕らは、ただじっと黙って夕日の方を、ずっと奥を見てた。また約束がどんどんかさばってく。

 詩鶴、そう呼びかけると。詩鶴がまたしっかり僕の顔の方へ向く。

 「なあに、光ちゃん」
 「目、閉じて」
 「!? え、ちょ、そ、それは……」
 「何もしないよ」
 「? そ、そう? じゃあ」

 肩までの黒髪が揺れる。風にさわさわ踊らされて。ぱっちり閉じた瞳で、はい、って言った。
 ああ、また会うことになるなんて。
 僕は一体、あとどのくらい、君と逢うんだろう。

 目を閉じた、セミロングの少女は。
 口元に穏やかな笑みを浮かべる。


 「ありがとう」


 君に言いたくて言えなかったことがある。
 それは好きでも、ごめんでも、ただいまでもなくて。
 この暖かい世界に連れ出してくれた。深い深い、凍えるような水に手を伸ばして、あがくだけの僕に息をさせてくれたのは。


 夢でしか会えなかった。僕より僕を諦めないでいてくれた人。


 「……こちらこそ」


 あの時と同じ顔をした。嬉しそうに、泣きそうに、僅かに開いて、伏し目がちに。
 本当は言いたいことがあるくせに。喉の奥へ押し込んだ言葉が知りたくてそう言ってみた。
 ——うん。あるよ。
 よくわかったねと添えてから。今度はいっぱいに瞼を持ち上げる。



 「好きだよ、光ちゃん」



 耳と胸と、心というより、心臓に。
 消えそうにないくらい。孕んだ強さを景色が照らしてその響きは。

 午後6時の鐘の音と滲み交わす。あかくあかく、高い空の上を駆けていった。