複雑・ファジー小説

プロローグ ( No.1 )
日時: 2014/04/25 19:21
名前: マヒロ ◆eRcsbwzWZk (ID: g2Ez2oFh)

『菫っ!』
『——え』

 ドン、そんな鈍い音が聞こえて、私は硬い床の上に転がった。三回転くらいしたところで、仰向けになって止まる。左半身とお腹が痛い。額からは生温かいものが伝って、視界を赤く染めた。
 ——ああ、そっか。私はトラックに撥ねられたんだ。転がったのは床じゃなくてごつごつとした道路、額から流れる生温かいものは私の血だ。
 聞いたことのあるような女性の悲鳴が耳に入って、私は気を失った。



「っ……」

 重い瞼を開けば、そこには白い天井が広がっていた。知らないおじさんとおばさんがこちらを見ている。おばさんと目が合うとにっこりと笑顔を返され、少し戸惑った。
 そうしている間に白衣のお兄さんが来て、傍にあった機械を見て二人に頷いて見せた。おじさんはほっとした様子で、おばさんは顔を明るくさせていた。

「菫ちゃん、事故のことは覚えているかしら?」
「……トラックに、あたった。おばさん……だれ?」
「私たちはお前の両親だ。お前の名前は一之宮菫。私は一之宮浩樹だ」
「いち、す……? こ……?」
「あなた、まだ菫ちゃんは混乱していますから止めてくださいな」

 とりあえず、おじさんとおばさんは私のお父さんとお母さんらしい。でも、なんで私はお父さんとお母さんの名前も、自分の名前も知らないんだろう? おかしいなあ。
 相変わらず混乱していると、おばさん……じゃなくてお母さんが私の頭を撫でてくれた。温かくて、気持ちいい。

「あなたは記憶がなくなってしまったの。でも大丈夫、お母さんとお父さんが今までのことを全部教えてあげるわ。ゆっくりと、一緒に覚えていきましょう?」

 正直、知らないことばかりで戸惑っていた私。でもそんな私に穏やかな笑顔を浮かべてくれたお母さんと、不器用ながらも優しいお父さんのおかげで、私はすぐに警戒心を解いていった。

 ◇

「これより、愛敬大学附属高等学校の入学式を開会します」

 今日は私が小学校から通っているエスカレーター式の私立学校の高等部の入学式。中等部ものとは少し変わった新しい制服を身にまとい、理事長の退屈な話を聞いていた。
 私は十年前ほどに交通事故を経験したらしいが、あまり覚えていない上に後遺症もない。それを含めていっても挫折のない人生を過ごしていた私は、この恵まれた生活を退屈に感じていた。だから私の好奇心を煽ってくれる何かをずっと探していた。
 ——その小さな好奇心が、私の人生に大きな影響を及ぼすとも知らずに。