複雑・ファジー小説
- Re: 縁結びの神様の破局相談 ( No.1 )
- 日時: 2014/04/20 13:52
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: uPu37vxy)
縁結びの神様の破局相談
赤糸(あかし)神社という神社は、穏やかな街に居座っている。都市からほどよく離れた住宅街のすぐ近く、ほんの少し気が生い茂るような一角がある。その木々に囲まれている中に、南を向いて鳥居が立っているのがその入口だ。真っ赤な鳥居をくぐりぬけると、広葉樹によって作られた日影が快い参道となる。
ささやかな神社なので、それほど参道も長くない上に本堂も小さなものだ。小さな子どもたちは昼間に、涼しげな日陰や光の降り注ぐ本堂付近を行ったり来たりしてはしゃぎまわる。そんな様子を目にして、神主がそっと柔和な笑みを浮かべる。そういう、穏やかで平和な神社である。
だが、この神社にはとある伝承があった。運命によって恋人と結ばれるのは赤い糸、その名前を冠するこの神社には、縁結びの神様が眠っていると————。
街灯が立ち並ぶ静かな住宅街の道の中に、一本も街灯が立ち並んでいない道路が五十メートルほど続いている。その辺りには一件の住宅も建っておらず、小さな公園が道路の南側に場所をとっており、中で街灯が輝いている。そして北側はというと、天高くそびえる広葉樹が等間隔に並んでいるのにまぎれて、大きな真っ赤な鳥居が口を開いている。
この神社の鳥居は、他の神社のものよりも真紅に近い、独特な色をしていた。名前に赤糸とつく神社で、縁結びの神様が降りてくるという伝承があるのだから、赤い糸をモチーフに口紅みたいに真っ赤な鳥居になっているのだろうと俺は推察する。
この神社は昼間は子供たちの遊び場になっているようだが、その縁結びの神様の効力から、子供たちが帰宅し始める夕方以降は妙齢の女性の参拝客が多い。クリスマス前やバレンタインの前日は近隣の女性が立ち並んでいる。しかし、今日はとある真夏の一日なのでそういう事はない。
その暗い道に差し掛かると、月明かりと隣の公園の光だけが頼りになる。二十メートルほど進むと、鳥居の正面に立つことになる。うわさ通り、とても真っ赤な鳥居だった。意を決して俺はその神社の入り口をくぐった。真っ赤なそれは、まるで女性の唇かのようだった。潜り抜けたその瞬間に、ようこそという声が聞こえたように錯覚した。もしかしたら、本当に呼びかけられたのかもしれない。
鳥居をこえると、もう隣の公園からの光はまったく差し込まなくなる。そのため、月明かりだけが頼りになるかと思えば、そういう訳でもない。日の光を遮る広葉樹の葉っぱが月明かりをも遮っているので、地面に注ぐ光は木々のすきまからこぼれでるほどの、些細なものだった。
そのため、自分の足でしっかりと踏みしめて地面の様子を確認する。参道周りの木々の根に足を取られないか、参道を抜け出して木々の中に入り込まないか気をつける。さすがに、木すらも見えずに顔から激突するような事態にはならない。
ゆっくりと、足元に気をつけながら進んでいくと、その出口はすぐに見えてきた。うっすらとその場だけ地面が弱い光で照らされている。あそこに抜け出すと本堂だな。そう思った俺は歩みを速める。木々の花道を抜けると、月明かりが差し込む広場に出た。今宵は満月だからか光は強く降り注いでいる。
正面に、それほど大きくないが確かに境内はあった。階段を上り、賽銭箱の前に立つ。財布を取り出し、柔らかな満月の光だけを頼りに穴のあいた硬貨を取りだした。お賽銭は五円玉。昔から俺はそのように決めている。
石造りの階段を踏む音が静寂の闇の中に染み渡る。真っ暗闇の中にぽつりと佇む月明かりに照らされた境内は、海の中の島にも、砂漠の中のオアシスのようにも思える。今俺を取り囲んでいる闇は、今にも恐怖に飲み込もうとするものじゃなくて、何もかも優しく包み込もうとしてくれるようなものだった。
賽銭箱の前に立ち、姿勢を正す。握っていた五円玉を放り投げると、放物線を描いて箱の中に滑り込んだ。チャリン。賽銭箱の中で、小銭同士がぶつかって鳴き声が響く。静かな空間に響き渡るように、大きな音を立てて二回手を叩く。手がじーんとするけれど、そんなものは気にもならない。
目を閉じて、願い事を浮かべる。その事を願っていると、何だか目頭が熱くなってきた。瞳の奥から溢れてきそうな衝動を必死に噛み殺して、一心に、ひたすらに……がむしゃらに俺は願った。
目の前の綱を手に持ち左右に揺らすと大きな鈴がガラガラと叫んだ。その場を切り裂くような五月蠅さが、俺の心までも引き裂こうとするほどに、鋭く尖った五月蠅いものだった。
神様がいるというならばすがりたい。いないとは分かっているけれど、いてほしい、どうにかしてほしいという強い欲求が俺の中で燻ぶる。形のないその紙という姿にすがろうとしているうちに気付く。こんな願い、神様じゃないとどうにもできないだろうって。俺の力じゃあどうにもできないんだろうって。社長の言うとおりだ。
現実を思い出して、胸の内で沸き立っていた想いはちょっとずつ落ち着いてきていた。どうにもこうにも、自分には現状を打破する手立てはない。目を開けて、依然として暗闇のお堂を見つめた。今度俺が目にしたその光景は、イメージ通りのお先真っ暗な闇だった。
「頼むよ神様……」
本堂から踵を返して肩を落とす。いて欲しいとは願うけれど、神様なんていないのだからこんな事しても無駄ばかり。さっさと家に帰ろうとして、下りの石段に足がさしかかったその瞬間、静寂の中に不思議な音が聞こえた。
奇妙奇天烈な不思議ではなく、それはまさに神秘的と形容するに相応しいような、そんな不思議な音色だった。そして自分が音色だと表現して初めてそれが楽器によるものだと気づく。耳を澄ましてどういうものか考えている。そこかしこで七色の音の球が生まれては弾けるような、音のシャボン玉に包まれたかのような感覚。リーンリーンと複雑に響き渡る音。そうだ、これは鈴の音だ。
振り返ろうとしたその瞬間、視覚的にも異変が起こっていることに気付いた。まるで蛍が飛び交っているかのような淡い光、薄ぼんやりとした今にも消えてしまいそうな儚い光を宿した雪のようなものが、はらりはらりと散っていた。散っていた、またしても自分の表現したその言葉にこれが何なのか思い知らされる。これはきっと、舞い散る桜吹雪のようなものだ。
帰ろうとしていた足を止め、振り返った俺が目にしたものは、一人の妙齢の少女だった。今俺が体験している状況と同じぐらいに神秘的で、幻想的な少女だった。肩ぐらいまで届いているウェーブのかかった茶色い髪が風になびくのに合わせて、周囲の光の花弁が舞い上がる。ぱっちりとした大きな目を細めて笑顔を作り、小首を傾げたその様子はたいそう可愛らしかった。緋色の袴と白衣(びゃくえ)を着ており、長袴から覗いている足を見てみると、足袋と草鞋を履いていた。白衣から見える手首には、赤い糸のような紐が巻かれている。この世のものではないというあかしなのか、左前に着物を着用している。
出で立ちは中学生くらいの少女なのに、まるで神様みたいな神々しさと、落ち着いた居住まいからの風格が漂ってきた。ついつい、その姿に畏敬の念を払ってしまう自分がいる事に何の躊躇も驚きもなかった。
「あなたは今、私にすがりましたね?」
彼女はそう言うと、より一層目を細めてとびきりの笑顔を作った。あどけない少女の顔に、ちょっとずつ先ほどまでの緊張みたいなものが薄れていく。次の瞬間に彼女が自らの事を神と名乗っても、驚くどころか納得しかしなかった。
「私こそが縁結びの神様です。どうぞ、あなたの願いは何ですか?」
本物だ————。
気付いた俺は、言葉をなくす。この幻想的な光景に、不思議な鈴の音。そして突然この場に現れた不思議な巫女服の少女。この存在が本当に神様だと次第に呑み込み始める。先ほど自分が表現した言葉を思い出した。まるでこの境内は、闇という砂漠の中に浮かんだオアシスのようだと。まさにその通りだ。この神様は、四方を砂に囲まれてしまった俺の人生の中における、渇きをいやす救いのオアシスのようなものだ。