複雑・ファジー小説

Re: 【5/13更新】縁結びの神様の破局相談 ( No.7 )
日時: 2014/06/02 10:09
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EP9rvI.Z)


「もう一度言います」

 知るべき事は全て見届けた彼女は、半透明の鈴を袂に入れる。それに同調して、目の前に広がっていた懐かしい光景も全て消えていく。泡沫が、弾けるようにあまりに一瞬の儚い終わり方だった。
 光輝く桜の花弁の舞い散る境内の風景が戻ってくる。時間が止まったかのような世界は、まだまだ幻想的なままだ。だが、神様の表情は険しいもので、申し訳なさそうに頭を下げる。
 やはり自分にはできないと、彼女は言う。

「私の神威は縁を繋ぐことです。切ることではないんです」

 神威とは、神が自分の神通力を用いて願いを叶える行いとその力の効果だと補足する。人々の欲求、希望……時には欲望を糧としてその神威は効力を発揮する。神頼みが天に通ずる際には、その神が欲するような強い想いを献上することによって、願いが叶う。
 そして、神によってどのような神威を持つかは異なっており、自分にできる以上のことはできない。この場合だと、彼女誰かと誰かを両想いにはできるけれど、その二人を別れさせるのはできないという訳だ。
 ただし、方法が全く無い訳ではない。心苦しそうに、俺の顔を見つめながら彼女はそう呟いた。本当にあなたが願うのならば、一つだけ方法があるのだと彼女は提案する。なんだ、できるんじゃないかと、陰陽の感情を織り混ぜた複雑な声音を彼女にぶつけた。

「簡単な話です。お見合いする相手と恵子さんの縁を結べば解決です」

 今ある縁を切ることはできない。だが、新しい縁を繋ぐことができる。本当に相手が素晴らしい人物ならば恵子さんとの仲を取り持ち、赤い糸を強制的に結びつけるのは不可能ではないと。
 ただし、今ある好意をねじ曲げて、新たな関係に繋げる以上、普通よりも遥かに難しいのだと縁結びの神様は言う。

「私は何度かこれをした事があります」

 しかし、成功率はある事情からとても低くなるのです。厳しい口調で彼女は俺と目を合わせた。本当に覚悟があるのかと、問いかけてくるような視線だ。時おり見せる気弱な様子や、幼い女の子のような見た目から忘れがちだが、彼女も立派に神様なのだとその視線から感じられた。人を試すような力強い目線。
 元から俺は藁にもすがるような想いでここにやってきたのだ。どの程度困難なのかは分からないが、少しでも可能性があるならそれに賭けるしかない。二つ返事で頷いて彼女の目を見返す。退く様子がないと察してくれたのだろうか、彼女は頷いた。
 それならば仕方がないと、彼女は胸元から新しい鈴を取り出した。今度の鈴は、目が覚めるような鮮烈な赤色をしていた。赤くて細い糸が何本も伸びている。

「今から鈴の音が響きます。響いているうちに、願いを口にしてください」

 そう告げてから、彼女は手をゆっくりとふった。鈴の音が閉鎖した時の中で反響し、重なりあって響き渡る。リーンリーンと広がる鈴の音に、一瞬俺は意識を奪われていた。しかし、それどころではないのだとすぐに我に帰る。
 両手を合わせて願い事を唱える。

「恵子さんが、お見合いの相手と結ばれますように」

 相手の人のよさと、グループの影響力は既に知っている。これ以上なく良い条件であるし、結んだ後の心配はない。問題は結ばれるかどうかなのだ。二人が仲良さそうに手を繋いでいるような所を、想像しようと必死になる。
 お世話になった人達に、自分の我が儘で迷惑はかけられない。だから、恵子さんの中にある迷いは断ち切らなければならない。
 反響していた鈴の奏でる音色は、俺が願いを口にすると共にその場に染み入るように小さくなっていった。いや、正確には俺の中に入ってきた。なぜだかは分からないが、そんな感覚は確かにあった。耳からじゃなくてからだ全体から、暖かいけれど形のない何かが、じんわりと浸入してくるのを。お風呂に使っていたら、その温度が体内に伝播していくように。

「これで、一段落です」

 もしも、後日私に訪ねたいことがあれば、この神社に再びいらしてくださいとの事だ。明日のお見合いに秘書として付き添うのだからもう今日はさっさと帰った方が良いと。
 ここをまた訪れる際には、私の名前を呼んでください。そう言って、彼女は初めてその名を名乗った。

「縁結び、から一文字を取りだし、えにしと呼ばれております」

 それではまたの日にお会いしましょう。俺の返事を待たずに、彼女は白衣を翻した。はらはらと、真っ白な衣がくるりと舞い上がる。赤い袴も風にはためき、揺れている。舞い散る花弁が、一斉に天に向かって跳ねあがった。強い風が花びらを天高く飛ばし、辺りを覆い尽くす。そして、その光が消えた頃にはもう既に縁の姿はそこになかった。
 まるで、夢のような出来事だった。もしかしたら、本当に気持ちの良い夢を見ていたのかもしれない。それぐらいに現実離れした不思議な体験だった。もしも今のが本当に起こったことじゃなかったらどうしよう。そう考えたけれど、そんな事はないと俺は勝手に確信する。
 この胸の中の温もりは、さっきの赤い鈴の音色の名残に間違いない。それに、あれほど喋っていたのに時計の針は一分と進んでいなかったのだから。