複雑・ファジー小説
- Re: クリスティアン ( No.2 )
- 日時: 2014/05/05 09:11
- 名前: 根緒 (ID: LuHX0g2z)
- 参照: 1話 -朝-
太陽の日が差し込む木漏れ日の中を歩む。
ふらり、ふらふら。クリスティアンの足は自由気まま。軽快なステップで踊るように歩んで行く。まるで足自身が制されることのない喜びに満ち足りているかのように、自分の好きな道を選んでいる。クリスティアンも酔っぱらったように上機嫌。森の中には彼の鼻歌と足音だけが響き、そして空気に溶けて消えていく。
はたり、道が分岐したところで、彼の足は歩くことを止めた。
「分かれ道、か」
今まで一本道だったのが、西と東に道が分かれている。その道のちょうど真ん中に建てられた看板には、黒いペンキの文字が滲んでいる。どちらへ行っても町へ出ることは同じのようで、其々にその地域の名前が書かれていた。
クリスティアンはそれらの名前を見比べるように見て、どちらへ進もうか鼻歌を歌いながら考えた。
太陽の日が差し込む木漏れ日の日の中を歩む。
「……どちらを選んでもどうせ、結果が変わらないっていうのなら、選ぶ意味などあるのだろうか」
悟ったようなことを履いたくせに、その声色は穏やかで、何処か悟ったような顔をしていた。
この森の中には、クリスティアン以外は誰も居ない。誰かに聞かせているわけでも無いただの独り言を呟いた。まるで舞台俳優のように取って付けた様な台詞回しを。
彼が選んだ町の名は「アランドルの町」。西へ進めばその場所へたどりつけるらしかった。
さくり、さくり。一歩ずつ青年は歩き始める。目指す場所には期待も何もないけれどきっと、西で間違いないはずだ。
青年の足は、次第に先程の温度差を取り戻し、陽気にアランドルの町を目指し始めた。
*
太陽の光が降り注ぎ、爽やかな風が吹く。耳を澄ませば小鳥のさえずりが聞こえてくる。そんないつも通りの朝がやってきた。
何の変哲もない朝。何の事件も冒険も無い穏やかで優しい朝。それは時に物足りなく、つまらなく感じる事もあるけれど、そうして平和に生きていることが自分の幸せなのだと少女は思っている。
素敵で非現実的なドラマなら、家や本屋さんにあるたくさんの本が魅せてくれる分だけで充分だ。そんな本が読めるだけで、現実は楽しいのだから。
『嗚呼、私のラファエッロ』
その世界に浸り過ぎると、少女はいつも気付かないうちに。
「誰より愛しているわ。貴方の目が、唇が、頬が、眉が、手が、足が、声が、名前が、何よりも愛しいの。周りの何倍も劣っていたとしても、そのどうしようもなく駄目で不甲斐無いところも愛しく、私は焦がれるのだわ。ずっとずっと、傍にいたいと思ってしまうのです……」
強かで大胆なベレニーチェ。どうしてこんなに大胆になれるものだろうか。こんなに率直な言葉を相手にぶつけることは、少女には決してできない。そしてその率直なところが、少女の中で誰かと重なった。こんなに情緒的で情熱的な女性ではない、むしろ真逆の性格をしているとは思うけれども、二人の女性はその部分だけは似通っていて、少女にはそんなところがただただ羨ましい。
「……へえ、気弱なアンタにもそういうことを思ったりすることがあるんだね」
前方から唐突に聞き知った声が聞こえ、思わず肩が跳ねた。その声の主の顔を見ようと反射的に顔を上げると、そこではやはり自分のよく知っている顔が、笑いを堪えて立っていたのだ。
「あ、お、おはようジーナ。あの……何を言ってるの?」
お早うの挨拶も無く、いきなりそんなことを言われても話が見えない。おまけにどうして彼女は口元を抑え、くすくすと笑い声をあげているのだろうか。
「いや、普段は無口で大人しいリデラからあんな情熱的な愛の告白を頂けるとは今日はついてるなあって思ってさ。あんなのもう誰かが聞くとは思えんからな」
まだ冷やかすようにジーナはそう言いつつ、リデラの隣にどっかりと座る。其処まで聞いてリデラはすべてを悟った。自分で無意識に何をしていたか今更認識すると、その途端頬が内側からかぁっと熱くなるのを感じた。
「や、やだ! 私ったら!」
「なんだい、今更」
ケラケラとからかうに笑って、ジーナは機嫌が良い。
いつも朝早く、誰もいない時間から街の噴水の縁に腰を下ろし、読書をしているリデラ。それが日課と化しているのだが、夢中になり過ぎるといつの間にか知らない内に音読してしまうようになっていた。それを知らない人に聞かれたときは、まさに穴があったら入りたく、しばらく外に出るのが恥ずかしかった。実際出られなかった。
そしてそれが甦ったかのように、リデラはの心は羞恥で見る見る内に一杯になっていく。
「わ、忘れてちょうだい! あの、違うの。誰かに言ったわけじゃないし、本当に私、無意識で!」
恥ずかしさのあまりなんと言ったらいいのか出てこず、つっかえながらも絞り出した言葉。リデラの慌てた様子をジーナは微笑ましそうに見つめて、「よしよし」と髪を撫でて可愛がる。もう何も言うことが出来ずにリデラはがっくりと肩を落としてしばらくは無口だった。
「まあ、良かったじゃないか。他にはだあれも居ないんだし、聞いてたのが私だけで。もうそんな気にすんなよ」
すこぶる軽く他人事のようなジーナをちょっとだけ恨みがましく見て、ため息をついた。
確かにジーナの言うとおりだが、ちょっとした災難を迎えた朝だった。
- Re: クリスティアン ( No.3 )
- 日時: 2014/05/04 11:29
- 名前: 根緒 (ID: LuHX0g2z)
- 参照: 1話 -朝-
朝早くから街の噴水広場に出かけ、そこに腰かけて自分の好きな本を読むのはリデラの日課なのだ。そこまではいいが、困ったことにリデラは本を読むのに熱中しすぎると、ぼそぼそと台詞を口ずさむようになり、次第に普通の音量で朗読をし始めるという奇妙な癖があることがわかった。初めに教えてくれたのはやはり隣にいるジーナである。それ以降は気をつけているつもりだったが、こうして声が出てしまう事も少々あった。
「いやー、あんたの朗読劇も最近は大人しくなっていると思っていたんだけど、そうでも無かったみたいだね」
「それ、誰にも言わないで頂戴よ。恥ずかしいから」
「言わないさ」
だんだん太陽もはっきりと顔を見せるようになっていき、並ぶ店はちらほらと回転し始めた。そうなったらもう読書は中断してまっすぐ家に帰る。自分の帰路をついてくるジーナに念を押しておく。
自分の頬に触れてみると、まだ内側からかぁっと頬が熱くなっているのが分かる。きっと今、鏡を見れば自分の頬は赤くなっているに違いない。もうジーナはからかうのを止めて、いつも通り平然としている。照れているのは自分だけ。それは当たり前だけど、それを考えると余計に自分が情けなく思えてくる。
「しっかし、あんたもよくやるね。そんなおかしな癖があるなら家で読めばいいだろうに」
「おかしな癖があるからこそ家では無理よ。……それに、家にばかり引き籠っていると心配“されちゃう”から」
「……ふぅーん。ま、でも確かに見てるとそんな感じだね、あんたの保護者は」
何でもないことの様に、ジーナは特に何も気にしないで言ったに違いないその台詞。他人事だと思って呑気な言い方だと思った。けれども悪気のないジーナをそのことで責めるのは我が儘だ。
ため込んだもやもやを一息に込めて吐き出すと、ジーナがまた「ため息つくと幸せが逃げるよ」と突っ込んだ。
リデラ=ソウアーとジーナ=オルホフは古くからの友人、いわば幼なじみである。いつも大人しく内向的なリデラと、活発でやんちゃなジーナがどうして仲が良いのか周りの大人たちには疑問だったが、性根が違っている方が仲良くなれることもある。彼女はその一例ということでいつの間にか結論づいていた。
二人はいつも一緒で、他の友達と一緒にいるところを見たことが無いくらいだ。ふと見れば一緒にいる。それが普通。リデラはジーナの、ジーナはリデラの、お互いがお互いの居場所だったのだ。
リデラはそのことに何ひとつ疑問など抱かない。それでいいではないか。ずっと一緒に居られる友達はジーナ1人でも構わない。きっとお互いに死ぬまでこの街で暮らすことになるのだろうから、それにジーナも「友達はリデラ1人で充分だ」と言ってくれるから。
それでいい。それがいい。そう思っていた。
そんなリデラが面白い。
「……その光景は、今まで見た中で何よりも美しい。嗚呼、とっても奇麗だ。奇妙な奇妙なアランドルの町。花が咲き小鳥が囀り、病院では子供が生まれ、街角では靴磨きが陽気に靴を磨く。子供たちは楽しそうに駆け回り、女たちは井戸端会議。……そして、二人仲睦まじく並んで歩く男女」
「まるで、オルゴールの中みたいだ」