複雑・ファジー小説
- Re: 絶 ゆ る 言 の 葉 。 ( No.7 )
- 日時: 2014/09/17 12:43
- 名前: 歩く潔癖症 ◆4J0JiL0nYk (ID: rtyxk5/5)
-title【君と私をつなぐ流星群】-
私には、好きな人がいた。
放課後の夕日が照らす廊下。下校時刻をとっくに過ぎた学校には、昼までの活気は嘘のように薄れ、廊下を歩くのは私一人だけだった。他にも生徒がいるのだろうけど、四階の西側の廊下にはだれ一人見当たらない。影は一つだけで、足音も自分のだけで。それなのに、遠くで運動部の掛け声が聞こえるのが、とても不思議な感覚だった。
——静かだ。
先ほどまで教室で、図書室で借りた本を読んでいた。クラスメイトが挨拶と同時に笑いながら教室から出ていくのをなんとなく耳にしながら、目はずっと活字を追っていた。
朝少し読んでおいた本を読み終えて、そういえば先生の声が聞こえたなと顔を上げた時には、教室にはだれも居なかった。
この時間帯の校舎内は居心地がいい。読書してでも時間を潰す。それだけの価値が、この空間にはある。昼は生徒と先生で人があふれる学校も、放課後になれば胸を震わせるほどに静かになるのだ。私が学校に来る理由は、大半がそういう情緒的なものだ。
昔から、人との付き合いが苦手だった。
どうしても授業を受けることが出来ず、ずっと図書室登校をしていたものだ。あの頃の私には本だけが友達で、司書さんだけが先生だった。授業では学べない世界を独り占めできる時間が、私には何にも代えがたい宝物だった。司書さんも「いつでもおいで」と優しくて、先生も生徒もまともに話をしたのは卒業間近の数週間だけだ。
だけど、そうやって自由に登校場所や時間を選べたのは、小学生までだった。
中学は成績が席次と共にシビアに割り出される。そのためか、私以外の生徒は出席日数を気にし、勉強に嫌と言いながら挑んでいた。「課題」というものにも「テスト」というものにも、クラスメイトは目を変えて食らいついていた。
私には、それがとても怖く映ったものだ。
同じ人間でありながら、私とは何もかもが違っていた。まともに勉強なんてものを取りかかったことが無く、基礎の授業でさえ理解が追い付かずテストは散々。学校に行く理由や意義を見失うにはその現実と劣等感はあまりにも大きすぎた。
——あれから、もう四年か。
下から数えた方が早いレベルの高校に、私が入学を決意したのは半年前だ。周りの評価に敏感な私には今となっては後悔さえもあるが、それでも『高校受験を滑らなかった』そこに大きな意味があると思った。少し前の私なら、プレッシャーに押しつぶされ塞ぎこんでいたはずだ。
私一人では立ち直ることは出来なかっただろう。ここにくるまでには、とてもたくさんの人にお世話になった。
——……あの人には、とくに。
廊下に響く自分の足音が、無意識に途切れる。
鞄を持つ手が力無く下ろされ、迷子の子どものように視線を彷徨わせた。ついで、心臓の音が速くなる。
いないと知りながら、見つけられたらどれだけ幸せだろうという期待が拭えない。
忘れていたのか。「はっきりと思い出した」感覚が、私を責める。とても大事な人だ。私にとっては、大事な人。どこに置いてきたのか。閉じ込めておいた記憶を、私は必死に探した。
あれは、流星群が見れると騒がれた、夏の夜だ。
天文部に形だけ入部していた私に、部長である先輩が「流星群が見れるらしい、一緒に行かないか」と誘ってくれたのだ。最初はどう切り抜けようか死ぬ気で考えていたが、時間が経つにつれて断る理由を探すのも億劫になっていた。先輩に言われた通りの時間に、私はいやいやで学校の屋上に向かった。
「おっ、来たか。」
屋上の扉を開けると、先輩に笑顔で迎え入れられた。その声に緊張と不安が少し薄れ、少しだけ安心したものだ。
広い屋上に集まっていたのは、天文部の部員たち数名。先輩にこれで全員だと言われた人数は、片手で足りるほどだった。それなのに私のコミュニケーション不足は衰えるどころか加速していた。
みんなそれなりに交流を持って、流星群が現れるまでの時間を潰していた。私はというと、一人居心地の悪さを覚えながら扉に背凭れて時間が過ぎるのを待った。その間、私に話しかける人は誰もいなかった。それもそうか。初めて、顔を合わせたのだ。みんな、どう接すればいいか決めあぐねるだろう。私としては、とても有難い状況だったけど、居心地が最悪なのには変わりなかった。
——はやく、終われ。
そんな風に、私の心の中は黒く塗りつぶされていた。
その瞬間、中学初めて挫折をしたときの感覚が、よみがえった。
どうして自分はここに居るのかと。必要とされていないのに、呼ばれるがまま来たのだろうかと。星なんて期待していないから、はやく皆の好奇心と期待を吹き飛ばして、解散しないだろうか。もう、留まることすら苦痛になっていた。
そんなときだった。
「ねぇ、初めまして、だよね?」
そうやって、明るく私に話しかける人がいた。
顔を上げると、愛嬌のある笑顔を浮かべた男子が私に缶ジュースを差し出していた。声が出せず、無言で缶ジュースを受け取る。話しかける人なんていないとあきらめていた分、すごく驚いたものだ。
「あ、名前分かる?」
質問しながら、男子は私の隣に普通に背凭れた。顔をのぞかれ、思わず目を背ける。なんだろうか、この人は。恥ずかしさと共にそう疑問に思ったことは、まるで昨日のことのようだ。
「俺さ、木江 柊也(きのえ しゅうや)。2年のB組なんだけど、君は?」
訊かれて、心臓が跳ねた。
何か言わないといけないのは分かっていても、それを口にするまでに数分の時間を要した。
「あ、……あの、私、なの、
——上條 菜乃(かみじょう なの)って言います……C組です」
語尾は消え入りそうになりながらも、なんとか言葉を紡ぐ。羞恥で顔が茹で上がりそうだった。
私が質問に答えたのがそんなに嬉しかったのか、木江くんは満面の笑顔を見せて「よろしくな」と握手を求めてきた。本当になんだろうか、この人は。それでも私はおずおずと握手にも応えた。
それが、あの人——木江くんとの出会い。
彼の第一印象は、皆一致であの笑顔だろう。覚えている、暖かい太陽みたいな笑顔だった。
流星群が現れて、部員全員が望遠鏡に気を取られてる中。
私と一緒に扉側に背凭れていた木江くんが、空にかかる流星群に目をやりながら口を開いた。
「流星群ってさ、まるで熱帯魚の尾ひれみたいだよな」
え、と私は彼を見た。
流星群は綺麗だけど、それを熱帯魚に例えるなど初めて聞いた。
観賞魚としてその小ささと煌びやかさに定評がある熱帯魚だが、尾ひれはオスだけにある。メスはとても小柄だ。彼らの寿命も約15年と長命。そんな魚を、彼は流星群としてたとえていた。
疑問が顔に出ていたのか、木江くんは薄暗闇の中、少し笑った。
「見えないかな。俺は好きだよ、群れを成さないけど、集まったらきっとあんな感じで輝いてるんだろうなぁ」
そう言う彼の瞳は、ただ一点、空にかかる流星群に向けられたままだった。
あれからどう帰ったのかは覚えてないが、木江くんとの交流はその日を境に頻度を増した。
給食は学食だったため、席も一緒だった。私が先に食べていても、彼は当たり前のように私の目の前に腰かけた。後れを取っていた勉強も、彼が教えてくれたのだ。親身になって、そうあるからという理屈を押し付けるのではなく、どうしてそうなのかを一緒に考えてくれた。
それも甲斐あってか、私の成績は前期と比べて急上昇したものだ。担任も大層喜んでくれた。受験できる高校も範囲が広まり、私が今の高校を選ぶことをとても渋られたくらいだ。
木江くんは、同じ高校ではない。
彼の志望する高校は、私の成績では到底手が届かない場所にあった。
木江くんが笑顔で自分の目指す夢を語ってくれたことがある。天文学者になりたい。色んな星を見てみたい。宇宙の可能性を見てみたい。
私はその夢を応援すると言った。だから、諦めたのだ。
——彼は今、どうしているだろうか。
夕焼けに染まる空を見上げながら、想いを馳せる。
元気でいるだろうか。高校生活は楽しんでいるだろうか。部活は天文部なのだろうか。
私は今でもこうして、高校を満喫している。まだ一人の時間がとても居心地がいいと思えてしまうが、それでも授業は楽しいし、行事も、それらを分かち合う友人もたくさんできた。
——それもこれも全て、木江くんのおかげなんだよ。
お互いに高校生だ。好きな人がいてもおかしくないだろう。
そう思うと少しさびしさもある。
そういえば、今日は流星群が見れると、テレビでやっていたな。
彼も、同じように見るだろうか。
それを期待しながら、私ははやる気持ちを抑え、家に帰るために廊下を歩きだした。
fin.