複雑・ファジー小説
- Re: 奇譚、有ります。 ( No.10 )
- 日時: 2014/06/05 01:18
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: 7hsLkTT7)
- 参照: 陸 (語り部:蓮如 美奈)
『天使の音楽会』
渋滞かぁ……あたしの家の傍にもよく渋滞する道がありましたけど、そんな声聞いたことないです。父や母はよく犬の声を聞くって言うんですけど。やっぱりあたしに霊感がないだけかなぁ。
あっ、でも今からする話はちゃんとした体験談ですよ。あんまり怖くないですけど、聞いて下さい。
時期は……うーん、大体十二年かそのくらい前かなぁ。あたしがまだ小学生の頃です。
あたし、その頃図書委員に入ってて、小学生なのに七時とか八時まで普通に居残りしてました。
いや、別に真面目不真面目ってわけじゃなくって。あたしの家は両親が共働きで、夜九時過ぎとかにならないと帰ってこなかったから、司書の先生が図書館をずっと開けてくださっていたんです。
その日もそんな感じで、八時過ぎまで居残っていました。
「そろそろ閉めるよ」と言って、司書の先生が電気を消して帰り支度を始めたので、あたしも読みかけの本を借りて、先生と一緒に図書館を出ました。
小学校の図書館は校舎の三階にあったんですけど、その頃にはもう廊下の灯りも消えて、辺りは十メートル先もちょっと覚束ないくらい。でも、あたしも先生もそんなの慣れっこでしたから、図書館の戸締りをした後は、普通に職員室まで鍵を返しに行こうとしていました。
もうすっかり暗いね、とか、そんなこと先生と話しながら階段を降りた、その時のことです。
——校舎の向こう側から、何か音がしたんです。
なんて言うのかな……ホラ、ちょっと古い椅子に座ったときみたいな、ギシギシって音。あれが三階の廊下のずうっと向こうから聞こえてきて。
でも、あんまり怖くなかったですね。音の聞こえてきた方向って実は音楽室のある所で、その日もずっとブラスバンド部が来月の演奏会に向けて練習してましたから、あたしも先生も熱心が人がまだ居残りしてるんだろうって思ってて。
それで、あんまり遅くまでいると親御さんも心配するし、何より危ないだろうって、あたし達様子を見に行ったんです。
真っ暗な廊下を懐中電灯で照らしながら、先生の横に並んで歩いていると、さっき音のした方からは、ピアノの鍵盤を叩く音がし始めました。
最初は何かを確かめるみたいに一音ずつ、次は二音ずつ、その次は和音。それから主旋律、副旋律。
段々音の数とかメロディの数を増やしながら、その人は「ラ・カンパネラ」を弾いてました。今でもそのメロディははっきり覚えてます。
それから、一分くらい歩いたかな。音楽室は図書室のある廊下の突き当たりから右折したところの、更に突き当たりみたいな所にあるんですけど、確かに音楽室からは灯りが漏れていて、ラ・カンパネラはそこから聞こえていました。そこから先は先生が先に立って、あたしは後からついていったんですけど……
先生、音楽室の入り口から十メートルくらい離れた所で、急に立ち止まってしまって。
何だろうって思って前に回ったら、先生泣いてるんです。びっくりして、どうしたんですかって聞いたら、泣きじゃくりながら、たった一言だけ言いました。
「佐野先生が、弾いてる」
って。
……佐野先生って言うのは、あたしが通ってた小学校の、音楽の先生だったんですけど。
本当にピアノが上手で、「先生の演奏は天使の賛美歌だ」なんて、ちょっとキザな風に言われるくらいの人でした。でも、佐野先生はこの日の二ヶ月前——事故で左腕が動かなくなって、リハビリしてもピアノは弾けないだろうって知らされた後、失意の内に自殺されていた方なんです。
そして、司書の先生と佐野先生はとても仲良しで、事故の前には「リクエストしてくれてたラ・カンパネラを聴かせてやれそうだ」って意気込んでいたとか。
あ、ちょっと話逸れましたね。戻します。……って言っても、もう話すことあんまりないんですけど。
先生は結局音楽室に入れないまま、持っていた懐中電灯を取り落として、その場に座り込んでおいおい泣き始めちゃって。それで、頑張って慰めようとしたけど泣き止まないから、あたしまで泣き出しちゃって。
廊下には、先生とあたしの泣き声と、ラ・カンパネラがずぅっと、いつまでも響いていて——
窓には、左腕をだらっとぶら下げて、でも楽しそうに右手だけでピアノを弾く人影が、確かに映っていました。
それからも時々聞こえてましたよ、佐野先生のピアノ。
司書の先生が病気で亡くなられるまで、ずっと。