複雑・ファジー小説
- Re: 「奇譚、やります。」 ——千刻堂百物語譚 ( No.15 )
- 日時: 2014/12/19 02:34
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: QOcWa.9/)
- 参照: 捌 (語り部:桐峰 千鶴)
『すずがらす』
ニンマリ顔のミケちゃんかー。いいなぁ、現物に会いたかった。最近の猫ちゃんって皆美猫ばっかなんだもん、たまにはそういうさ、古風って言うか、日本風のベトンってした猫をもふもふしたいな。
……でもさぁ賢ちゃん、それも十分因縁譚だと思うんだけど。だって、猫とは言え係わり合いの深いコなんでしょ? 二十年も一緒に居て、そんな子とまた会ったって言うんなら、何かご縁があるんじゃないかしら。
ま、わたしのはホントに因縁譚じゃないんだけどね。まだ一桁だし、軽い話よ。オバケですらないわ。
そう、千刻堂に来るよりちょっと前、大学受験の時だったかしら。
わたしは元々県外住まいで、高校の時からアパートの一階で一人暮らししてたんだけどね。
そう、受験中は皆カリカリして、酷い目にあった人も多いと思う。わたしも大変だったのよ。勉強しなきゃ勉強しなきゃ、でもバイトもしなきゃで、ご飯がまともに喉通る日が全然なくって。成績もなし崩しに落ちてくし、一夜漬けしてるうちに夜は気が立って眠れなくなって、トイレで便器抱えながら一晩過ごしたこともザラ。
で、どんどん合格圏内から成績が外れてくから、その内勉強するのも何するのも怖くなってきちゃってね。家に閉じこもって電話線全部切って、ベッドの上で枕抱えたまま動けなかった。
……ゴメンね、みぃちゃん。そういえば大学受験だったっけ。……あれ、もう決まってたの? 推薦?
へぇえ、良かったじゃん! おめっとー!
——って、祝福してたら夜が明けちゃう。話戻そ。
そう、で、ストレスで家から出られなくなってた頃かな。
窓もカーテンも締め切って、隙間から日の光が漏れてやっと昼か夜か分かるような、そんな暗い部屋で、わたしはその時も枕抱きかかえて丸くなってた。その時は水も何も採ってなかったから、もうからからのミイラみたいだったと思う。耳鳴りが凄くてほとんど何も聞こえてなかったわ。
でも、その時に聞いたの。不思議な声。
ころろろろっ——ころろろろっ——ころろろっ——
って。鳥の声だったわ。
何て言ったらいいのかしら。その時は一瞬、水笛みたいって思ったけど、でも全然違うの。他のどんな鳥でもない、不思議な、でもとても綺麗な鳴き声だった。
そう、わたしね、鳥大好きだから。声の主がすごく気になって、その時三日ぶりにベッドから降りたの。それで、もう一ヶ月も開けてなかったカーテンを開けた。
でも、わたしの前に鳥はスズメ一匹居なかった。サッシ窓の外から見えたのは、家のベランダと、その向こうで立ってた女の人だけ。鳥が飛んでった影もなし。でも女の人が持ってた鳥形の水笛ならよく見えたわ。
何で? ってなるでしょ。わたし、死に掛けのミイラさんになってたことも忘れて、ベランダに繋がるサッシ開け放して、ベランダまでよろよろ。寒風が身体に痛かった。
でもね、そんなこと気にしていられない。わたしはふらふらしながら、とにかくベランダの手すりに縋りついて、突っ立ってわたしを見てた女の人に声をかけた。さっき鳥を見ませんでしたかって。
女の人は黙ったまま。そうかと思うと、面白そうにちょっと笑ってね。ゆっくりガラスの笛を口に当てたの。
——ころろろっ——ころろっ——ころろろろっ——
はっとした。笛からあんな音が出るなんて、思いもしなかったから。
目がまん丸になるのがよく分かった。口もぽかーんってしちゃって、手すりに寄りかかってなかったら、きっと腰も抜けてたと思う。そのくらい、聞いた音と笛のギャップが凄かったの。その時のわたしは、あれの主が鳥だってばかり思い込んでだから、笛が犯人なんて予想もしなかったわ。そんな余裕もなかったし。
そう、でね。
ぽけーってしてるわたしをじろーっと見てたかと思うと、女の人がお腹抱えて笑い出して。真っ赤な口紅を引いた口が三日月みたいで、ちょっと不気味だった。絶句して、手すりによっかかって、わたしは笑い転げてるその人を見ることしかできなかったわ。
それから、どの位経ったかな。
何処からかスズメの鳴き声がしたと思ったら、女の人がぱたっと笑い止んでね。真っ白な地に真っ黒なカラスの刺繍が入った、寒々しい浴衣の裾をぱたぱたひるがえして、ベランダの傍まで来たの。それから、またニヤッて、変な風に笑って、笛を吹き始めるのよ。
——ころろっ——ころろろっ——ころろろろっ——
すぐ近くで鳴ってるはずなのに、すごく遠くから聞こえてた。音は何回も何回も、寂れた住宅街の中で反響して、山彦みたいに遠ざかる。不思議な響きで、またしばらくぽーっとしちゃって。
何かの振動……まあ、手すりを何かが叩いた衝撃で我に返ったら、その人は真っ赤な口で笑ったまま。吹き口の所にちょっと紅のついちゃった笛をキセルみたいに持って、鳶色の眼を足元に眇めてたわ。開けっぴろげの浴衣のあわせから、ちょっと谷間が見えちゃってたのが目の毒。
……賢ちゃん、次貧乳って言ったらぶちのめすよ。
あはは……何でもない何でもない。
それでね、そうやって少し寂しそうな感じで、彼女はぽつっと、何か言ったの。
「すずがらす」
——うん。言ってること、一瞬よく解んなかった。
聞いたことない単語って、何だか飲み込むのに時間掛かるでしょ。だから、最初に「へ?」って言ったきり、目ぱちくりしちゃったりとかして。その人はまたちょっところころ笛を鳴らしながら、もう一度、すずがらすって。
そう、それ何って話になるでしょ。わたしも聞いたわ。そしたら、もっとワケ分かんなくなっちゃった。
「すずがらすは悪い虫を食べるから、黒いの」
……間抜けな声って出るものよね。
「へ?」って。変な声上げて、とりあえず目ぱしぱししてたら、その人は心底面白そうにニヤニヤして、ちらちらって手を振った。それからわたしが正気に戻って、待ってって言う頃にはもう、何処かに走っていなくなってた。
まあね、もちろん。聞いたわ。
その人、ご近所さんでも有名な、所謂「頭のおかしい人」だったみたい。時々やってきて、ああやって笛を鳴らしては、変な言葉を呟いて、何もしないで何処かに消えていくんだって。
……でもね、わたしは今でも、その人がおかしな人だったなんて思えないの。