複雑・ファジー小説

Re: 汝等、彼誰時に何を見るや。 ( No.2 )
日時: 2014/05/06 02:48
名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: c3/sZffZ)
参照: 零 (語り部:榎本 敬一)

『前説』


 少々粋な言い方をするならば、黄昏時と言う頃だろうか。
 蒸し暑い真夏の夕暮れ、ブタの蚊遣りから上る白い煙を横目に、私は縁側で人を待っていた。
 そう、此処はさる山中の旧家。正確には私の実家だ。
 とは言っても、今は定期的に家人が風を通しに来るだけで、誰も定住してはいない。五年前までは私の一家が此処を預かっていたが、祖父は心臓をやられて鬼籍に入ってしまったし、母はまだ幼かった私と姉を連れて山を降りた。そして、最後まで辛抱強く腰を据えていた父は、崖から足を滑らせて死んだと聞いている。
 人の足が遠のき、廃屋の臭いを漂わせ始めた、帰るべき我が家に——私は人を招こうとしていた。

 煙にやられ、蚊が落ちる。それとほぼ時を同じくして、にわかに入り口の辺りが騒がしくなった。
 どうやら、待ち人が来たようだ。縁側を上がり、蚊遣りと共に背後の部屋へと上がりこむ。
 畳敷きの部屋は元々仏間で、仏壇も置いてあったのだが、事情があって今は別の部屋だ。父が置いていた模造刀や壁掛け時計も撤去し、今部屋には車座に敷かれた九枚の座布団と一脚の椅子、四つ一組になった行灯、そして塩を盛った皿が四つあるばかり。私一人しかいないことも相俟って、空気は冷たい。
 そんな中、私は動く。蚊遣りは蚊帳の傍に置き、半分ほどまで灰に変わった線香は新しい物と取り替え、ライターで火を点す。白い陶器のブタが、また元気に煙を吐き出し始めたのを確認して、私は部屋の中心に置いた四つの行灯全てにも灯を入れた。入れたのはいわゆる百匁ロウソクだから、長持ちするだろう。
 それにしても、薄青色の紙を張った行灯の光は、中々におどろおどろしいものを感じさせる。思わず背に寒気すら感じ、私は部屋の四隅に置いた盛り塩をちらと見てみた。

 異常なし。普通の塩。……に見えるが。
 ——どうにも寒気が抜けない。
 思わず肩を抱きすくめかけた私の耳に、勢い良くふすまを開ける音が届いた。

 おお、とか、雰囲気あるなぁ、とか、好き勝手に感想を述べながら部屋に立ち入ってきたのは——恐らくは示し合わせたのだろう、一様に藍染の浴衣を羽織った、九名の男女だった。

 私こと、榎本。
 私が懇意にしている本屋の店主、菊間と、細君の桔梗。
 同僚の桐峰、萩原、藤堂、桜庭。
 近所の高校に通い、本屋の常連となっている、椎木と蓮如。
 そして、菊間の友人で、何やら素性のよく分からない男——杉下。

 性別は勿論、歳も職もあべこべな十人だ。そして、そのそれぞれが座布団の上に好き勝手座り、あるいは何やら面妖なものを詰め込んだ鞄を置き、あるいは歩行の支えにしていた杖を置いて椅子に腰掛け、あるいは麓の自販機で調達したと思しきペットボトルのキャップをひねっている。

 ちらと、タイムキープ用に付けた腕時計を参照する。
 時刻は午後六時半。日は沈みきっておらず、空はまだ薄ら明るい。しかし、このくらいが丁度いいだろう。
 行灯の中で火がちらちらと揺れる中、私は始まりを告げることにした。

 「じゃ、始めよう。——百物語を」