複雑・ファジー小説
- Re: 汝等、彼誰時に何を見るや。 ( No.3 )
- 日時: 2014/05/07 01:46
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: c3/sZffZ)
- 参照: 壱(語り部:榎本 敬一)
『足音』
言いだしっぺの法則と言うから、まずは私から。
何、最初も最初だからな。軽い話から行こうじゃないか。
語り口は拙いが、聞いてほしい。
……此処が私の実家、ということは、もう皆知っているだろう。そう、今でこそあんな便利のいい所に住んでいるが、十年ほど前までは此処で父や母と一緒に暮らしていたんだ。今はほとんど廃屋だがね。
今夜一発目の話は、この家で私が体験したことだ。
もう二十年以上も前の話になるだろうか。当時、私は六歳だった。
私の家は、とても両親が厳しくてね。門限に一分遅刻しただけでも説教、裏手の竹やぶに一歩片足を突っ込んだだけで説教、そこの畑に張られたシメ縄に手をちょっと掛けただけで説教、とにかく説教説教の説教漬けで幼い頃を過ごしたものだ。
今でこそ意味があることと分かっちゃいるが、その時は眼を三角にして怒鳴る父や母が嫌で嫌で。しかも子供の頃だ、「やるな」と言われたらやりたくなるだろう?
……そうだ。当時、私の家では禁忌として言い渡されていたことがいくつかあってね。その一つがこれだった。
「ヤブの中を枝でつつくな」
と。何だかやっても害のなさそうなことだったんだが、父も母もこれにはひどく警戒していた。
何せ、私や姉がシイの小枝に手を触れようとしただけで叩かれたくらいだ。シイの実を取るだけだって何度言っても拾うたびその有様だし、どうしてと聞いても「お前には関係ない」の一点張り。一言弁明があれば溜飲も少しは下げられたかもしれないのに、あの有様じゃ子供心にフラストレーションが溜まる一方で。
そしてある日、私はついにやった。
蝉の良く鳴く、夏の暑い昼下がりだった。ちょうど、今日の昼のような。
嗚呼。姉と二人で結託して、野菜用に買いためてあった支柱を拝借してね。今まで半歩も入れなかった竹やぶにズカズカ踏み込んで、思いっきり竹やぶをつついて回った。
鳥が鳴きながら逃げていくのを姉と二人でゲラゲラ笑いあったり、細い竹を揺すって枯葉が落ちてくるのを頭から浴びたり……つつく、というより、最早踏み荒らすといった方が適切かもしれない。
そうして散々遊びまわった後、証拠を隠滅して家に戻ってきたら、電話が掛かってきた。もうバレたのかって、姉と一緒にがっかりしたものさ。そして、私が受話器を取った。姉は電話が嫌いだから。
——嗚呼、私や姉がやってはいけないことをすると、父は何処にいても私達に電話をかけてきて、電話口で説教するんだ。どうやら父は私達がイタズラをするとそれを感じ取れるようでね。いつものことだったから、不満でこそあれ、驚きはしなかった。父はあまり強く説教をするタイプじゃなかったから、怖くもなかった。
だが、電話口で叫んだのは、いつもの穏やかな父ではなかった。
「ヤブをつついたな!?」
開口一番これだ。
電話口から離れていた姉にすら聞こえるほどの大声で、父は私を怒鳴りつけた。
私はと言えば、初めて聞いた父の怒声に腰を抜かし、おまけに受話器を取り落とす始末だ。驚いたのと怖いのとで声も出ない私の代わりに、姉が電話を代わった。その時姉が「敬一は使いものにならないから」って言ったのはよく覚えているよ。いやあ、おもらししなかったのは不幸中の幸いさ。
嗚呼、姉はこういうことに慣れているらしかった。まあそうだろう、私より六歳も年上なんだからな。
その姉は、受話器を両手で抱えて、何事か父と話をしていた。
——いつのまにか蝉の声は止んでいた。鳥の声や風も消えてしまって、うん、うん、と、相槌を打つ姉の声だけが、静かな家の中に響いていた。
エアコンは切ってあって、じっとしていたら汗が止まらないほどの暑さだったのに、そのとき私は一筋の汗も流れてはいなかった。むしろ寒ささえ感じて、ガタガタガタガタ歯を鳴らしていたほどだ。
父の怒鳴り声は、そのくらい怖かった。電話越しだったのに、頬を張られた後のような衝撃がいつまでも全身を駆け回っていて、私は床にへたり込んだまま動けなかった。
それから——姉がどれくらい話をしていたか、それはよく覚えていない。
受話器を乱暴に置く音がして、私は顔を上げる間もなく姉に引っ張り上げられた。
何処行くんだと聞いても姉は何も言わない。ただ、私の腕を痛いくらいに掴み、十円ハゲにでもなるんじゃないかってくらいの強さで髪の毛を引っ張って、嫌がる私を無理矢理ある場所に連れて行った。
——そこは、何時も母が「閉じ込め部屋」と言っていた部屋。
要は、この家の三階にある屋根裏部屋だ。元々からそういう用途の部屋らしくて、あるものと言えば臭い布団一式と何やら面妖な神棚だけ。それと、窓に札が張ってあったな。それも、べたべたと何十枚も。
しかし……そこに姉が入れられているのはしょっちゅう目にしていたが、私自身が入るのは初めてでね。しかも、その部屋は扉の前に立つだけでもまがまがしい空気で、私はそんな場所に行きたくもなかった。
だが、六歳と十二歳じゃあ、いくら私が男だからと言っても勝てやしない。ブチブチ何本も髪の毛を千切られながら、私は強引にその閉じ込め部屋に引っ張られ、中に放置された。対する姉は、敷きっ放しの布団に私が倒れたと見るや、すぐに扉を閉めて錠を下ろしてしまった。
もう半狂乱だよ。とにかく泣き喚いた。それから拳が真っ赤になるまで扉を叩いたが、姉の足音は遠ざかる一方。その内、トントントン、と階段を降りていく音がして、私は無駄だと悟ってその場に座り込んだ。
その時だ。
- Re: 汝等、彼誰時に何を見るや。 ( No.4 )
- 日時: 2014/05/06 16:59
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: c3/sZffZ)
- 参照: 壱(語り部:榎本 敬一)
……たたたっ、たたたたっ。
そんな軽い音が——ネズミの走るような音が、床の方から聞こえた。
それから、堰を切ったように、あちらこちらから足音が聞こえ始めた。
——或いは、ガサガサ、カサカサッ、と、ゴキブリが床を這うような。
——或いは、人がぎしり、ぎしりと忍び足で歩いているような。
——また或いは、熊のように重いものが、どしり、どしり、と通り過ぎていくような。
最初はほんの軽いものが通る足音が一つだけだった。それが時間を経るたびにどんどん増え、重いものが歩くようなものも混じっていった。覚えている限り、熊のようなものの足音が一番重たい足音だったか。
そして、それはどんなに耳を塞いでも指の間をすり抜け……いや、どちらかと言えば、頭の中に直接響いていたように思える。兎角、聞くまいと思えば思うほど、それは鮮明に聞こえた。
……そりゃ、怖いさ。
頼りにするはずだった人に見捨てられて、入りたくもなかった部屋にたった一人だ。それで、聞こえるはずのない場所から、聞こえるはずのない無数の足音が聞こえるんだぞ。
怖すぎて過呼吸寸前だった。息は上がりきって心臓はバクバク、酸欠で視界は段々狭くなってくる。それでも足音だけは妙にはっきり聞こえるんだ。蝉の声や鳥の鳴き声なんか聞こえない。私自身の吐息や、きっと発していただろう嗚咽も聞こえない。
頭の中はひたすら、足音、足音、足音。
ずっと、足音だけが、頭の中をぐるぐる回っていた。
やはり、どれほど時間が経ったかは分からない。だが、窓に貼られた札の隙間から、夕日が差していたことは覚えている。
泣き疲れ、疲れ果てて、耳を押さえたままうつらうつらとしていた私は、ようやく収まってきた足音の中で、錠前の外される音を聞いてはっとした。
……違う、と思ったんだ。
錠前を開けに来たのは、姉でも父でも、ましてや母でもないと思った。
でも、その時家を預かっていたのは私達だけだ。祖父は仕事で別の県に飛んでいたし、叔母や叔父が来るなんて話も聞いてない。その時の私は、錠前を開けに来たのが得体の知れない化物だと確信した。
——実際は父だったんだがな。もう何が何だか分からなかったんだ。だから、錠が開けられて扉が開いた瞬間、私は伸ばされた手を振り払って逃げた。その時、派手に階段を転げ落ちて手首をひどく捻ったが、その痛みも分からなかった。とにかく逃げよう、逃げなければ、それだけで頭が一杯だった。
逃げた。
とにかく逃げて逃げて、私は竹やぶに分け入った。あの場所だったらあの化物からも身を隠せると、そんな短絡的なことを思ってね。真竹の伸ばした枝の下を潜り抜けて、時々伸びかかったタケノコに足を取られて転んで足を挫いたり、熊笹の葉で頬を切ったりしながら、竹やシイの散らした葉の中を走った。
そしてそこで、私は聞いたんだ。
また、足音を。
遠く近く。
上から下から。
右から左から。
それは四方八方から、私に向かって走ってくる。
無数の足音が混ざりすぎて、ほとんど地鳴りのようだった。重低音は、まるで汽車が動けない私をひき潰そうとしているようにすら聞こえた。本当の汽車の音なんて聞いたことはない。だが、大体分かるだろう? 電車が目の前を通り過ぎるあの音が、頭の中で響いていた。
叫んだ。耳を押さえ、目を閉じ、喉が潰れるほどに叫んだ。
「来るな、こっちに来るな!」
とね。叫びすぎて後で喉が嗄れていた。
だがそれは来た。一層強く眼を閉じ、私は立ってもいられなくなって、その場に座り込んで泣き喚いていた。
……そこから先は、よく覚えていない。
気付けば、私は父に抱きすくめられていて、足音は消えていた。
竹やぶの中は平和そのもの。頭上の竹の枝では、その辺りをねぐらにしていたカラス達が、ガァガァと間抜けに鳴いていた。
そして、階段を転げたときに思いきり捻ってしまった手首と、転んだときに挫いた足と、竹やぶを逃げ惑う内に付いた傷が、いつまでもじくじくと痛かった。
——足音の正体?
いいや、知らない。とうとう父も母も、私達には何も話してくれなかった。