複雑・ファジー小説
- Re: 汝等、彼誰時に何を見るや。 ( No.5 )
- 日時: 2014/05/07 01:46
- 名前: SHAKUSYA ◆fnwGhcGHos (ID: c3/sZffZ)
- 参照: 弐 (語り部:椎木 翔)
『とん、ぴとん』
あの、拝み屋さん。
それ、『軽い』話なんスか? どう聞いても俺には後半に取っておく話だと思うんスけど。
は、はぁ。そんなもんですか。——俺がおかしいのかなぁ。
……ま、まあいいや。
時間ももったいないし、話しましょう。
俺も拝み屋さんと同、じ……? まあ『音』に関連する話なんスけどね。ホントにくっだらないというか、起こったこと自体はあんまり大したことないし、俺もすぐ逃げちゃったから、ちょっと二番目を飾る話にしてはショボいかもしれないです。ドラマチックに話す才能もないし。
でも、まあ、一応後から俺のとっておきは話す予定なので、今はカンベンしてください。
舞台は俺が通ってた中学校。起きたのは高校受験シーズンの真っ只中。その日は雪が積もるくらいに寒くて、普段は図書館にこもってる俺も、その時ばっかりは家に帰ろうと思ってました。そーなんスよ、中学校には暖房らしいものなんてなんにもなくて。手もかじかんでヤバかったから、もう家に帰ろうと。
でもまあ、毎日毎日通ってた俺がいきなり来なくなると、図書館の司書さんが不審がるだろうなぁと思って。顔は見せに行きました。で、そのついでに参考書なんか借りてったりして。
図書館を出てみると、もう誰もいなかった。
そう、そう。塾とかカテキョーとかで皆出払っちゃってました。そうなんスよ、塾とかカテキョーとか、そういうのには通ってませんでしたから。何か、そういうのイヤで。勉強くらい自分のペースでしたいし、とか、生意気なこと考えてます。——うへぇ、ごめんなさい。お世話になってます拝み屋さん。
ええっと……
そうそう。図書館で八時とかまで勉強してると、廊下に誰もいないなんてことは当たり前ッスからね。たいして気にすることもなかったし、ワーワー言ってる部活生の声なんか聞きながら、下駄箱に向かってました。
冷え切った廊下を歩いて——そうッス、手洗い場のあるところに来たときに。
とん、ぴとん、とん、ぴとん……
水がシンクに当たる、あの音がしたんです。
普段ならあんまり気にしないんスけどね。何だか妙に気になって、見てみました。そしたら、手洗い場の一つの蛇口が緩んでて、水が零れてた。それから、多分ソレ、ずーっとそうやって流れてたんだと思います。蛇口の下に水溜りが出来てて、水がハネ散らかってて。
それで。そうやって水モレしてるのを見たら、まあほっとくわけにもいかないじゃないスか。蛇口を硬く閉めなおして、もう水が零れないのを確認してから、一旦その場は離れました。
でも——
ちょっと行ったところで、また聞こえたんです。
とん、ぴとん、とん、ぴとん、とん、ぴとん……とん、ぴとん。
俺の背後から、また水の零れる音が。
あの手洗い場なことは明白でしょ。ちょっとゾッとしたけど、その時はあんまり深く考えずに、また戻って蛇口を閉めなおした。さっき閉めたときと同じくらい、蛇口は緩んでました。そうスよね、そこで疑えばよかったけど……随分ボロな校舎だったから、一人でに緩むこともあるだろうって考えてたんです。
で、今度はもっときつく閉めました。両手でこう、蛇口引っ掴んで。校舎の蛇口は力いっぱい回さないと閉まらなかったんスよ。特に、手洗い場の隣にあった雑巾洗い用のシンクとかはホントに硬かった。
で、それから、また離れたんスけど。
そうなんです。また、聞こえるんです。さっきと同じくらい歩いたとこで、また。
と、とん、と、と、と、とん……とん、とん、と、と……
しかも、さっきより水の勢いが増してるらしかった。
流石にゾーッとしましたね。何かおかしいって、やっとその時思えました。
で、さっきまで何ともなかったのに、急に怖くなって振り向けなくなった。カバンのベルトをギュッと握りしめたまま動けなくて、冷え切った廊下の真ん中で立ちすくんでました。
窓の外からは相変わらず、部活生の叫び声とか、雪混じりの北風の音とか、そんなのが聞こえてきてたけど……それ以上に、背後から聞こえる水の音は大きかった。ああいうのってマスキング効果なんスかね。一つのことに耳を澄ますと、他のものが聞こえなくなるって言うか。
それから——振り向く勇気出すのに、ずいぶん掛かったと思います。
恐る恐る、振り向くと、やっぱり蛇口から水が零れてた。水の勢いは、やっぱり増してました。
もう息が止まるんじゃないかと。蛇口に飛びついて、おもっくそ硬く閉めました。人の力で開けられるもんなら開けてみろって言えるくらい強く。
まあ……実際、人が閉めてるから人が開けられるのは当たり前かもしれないけど。でも、その時はもうそんなこと考える余裕もなかった。とにかく、もう出てくんなって、ムキになってました。爪が真っ白になるまで蛇口握りしめるなんて、後にも先にも多分あん時だけだろうなぁ。
——それで、走りました。
歩いてたら絶対またなるだろうって思って。厄介なことに首を突っ込んじゃいけないって、拝み屋さんからも口すっぱく言われてたし。あんまり足は速くないけど、全速力で走って走って……
聞こえたんです。
何とか廊下渡りきって、階段を降りようって時に。また、背後から。
た————————……
今度は、もっと水勢が増してました。
もうヤバい。頭、真っ白。
で、恐ろしくなって、慌てて階段を走った。足元あんまり確認しないで走ったから、階段を何度も転げ落ちてあちこち捻ったりぶつけたりしたけど、まあさっきの拝み屋さんみたくそんなの気にならない。駐輪場から自転車引きずり出して、カギ開けるのもそこそこに、家まで逃げ帰りました。
それからしばらく、ずっとあの水の流れる音が頭から抜けませんでした。夢にまで見そうになったけど、受験がカブってたから無理矢理そっちに頭向けて、何とか忘れたんスけど。
……いやあ、あれの正体、俺も分かりません。
あれ以来、ちっとも見なくなったし。