複雑・ファジー小説

ボーナストラック「末っ子の憂鬱」2 ( No.91 )
日時: 2015/01/16 22:31
名前: いずいず ◆91vP.mNE7s (ID: 95QHzsmg)

(あああ、逃げ損ねた……)
 ビリーは、六歳のときから婚約者がいるせいか、婚約者以外の女のひとに対して態度がすごく雑だ。だから、わたしが避けたくて避けたくてたまらないあの人垣をものともせず、わたしを連れてパパたちのところへむかうことが容易に想像できる。それで、わたしひとりだけ、あの嫌ぁな視線にさらされるのだ。正直、泣きたい。

 でもビリーは、そこまで気が回らない。不思議そうにわたしのことを見下ろして訊いてくる。
「? なに泣きそーな顔してんの?」
 泣きそうな顔をしていることには気づいてくれるけど、なんで泣きそうなのかは考えてくれない。ほんとうに雑。これでも昔は「エイミーを守るのが俺の仕事!」といってた人物なのだろうか。
「なんでもない」
 わたしは首を振った。たぶん、説明してもビリーにはわからないだろうから。だからビリーも、「ふうん」でわたしを心配することをやめる。
「で? 親父と兄貴は?」
「……」
 わたしは黙って人垣のむこうを指さした。頭上で「あー」という声が聞こえる。
「まだ中でなんか見てるようだな。——行くぞ」
「……ひゃい」
 足が長いうえに大股なビリーに手を引かれ、半分走りながら、彼のあとをついていく。
「親父! 兄貴!」
 士官学校で鍛えているビリーの声量はすごい。人垣を抜けて届いたそれに、店内のパパたちも気づいたみたい。中から、人垣より頭ひとつ分以上背の高いビリーの姿を見つけて、手を振り返すなりなんなりをしたのだと思う。女のひとたちが、ざっとわかれて、ビリーとわたしのために道をあけたから。ああ、視線とひそひそ話が……。

「外、鈴なりじゃねーか。こいつが店の前で入りづらそうに待ってたぞ」
 お店に入るなりスラング全開のビリーの言葉に、宝石店の店員さんたちが眉をひそめる。
 でも、パパもお兄ちゃんも気にしたようすはなく、背後から「はぁん」とためいきが一斉に漏れ聞こえるような笑顔を浮かべて見せた。
「ああ、エイミーもいっしょだったのか。ごめん、ごめん」
「中に入ってくればよかったのに、わたしのお姫さま。外は寒かっただろう?」
 パパがわたしの手を取るなり、自分の手でさすさすと温めてくれようとする。あああ、視線が痛い。

「おふくろの誕生日プレゼント、まだ決めてなかったの?」
「それはもう用意済み。結婚十周年の記念に、揃いの指輪を用意しようかと考えて見せてもらっていたんだ」
「でもおふくろ、すぐなくすだろ?」
「だから、なかなか踏み切れなくてね」
 パパがそう苦笑する。ママはアクセサリを失くす天才なのだ。イヤリングの片方とかネックレスとかだけじゃなくて、結婚指輪まで失くしてるから手に負えないとパパは嘆く。
 と、お兄ちゃんがふと気がついたように、わたしの制服の胸元を指さす。
「エイミー。綺麗なブローチだね」
「〜〜っっ!」
(たいへん! 外し忘れた!)
 わたしは慌ててブローチを隠したかったけれど、まだわたしの手をさすっていたパパがニコニコと笑って手を放してくれない。ああ、パパにはばれたくなかったのに!