複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.102 )
日時: 2016/05/03 16:26
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: AdHCgzqg)

†第二章†──新王都の創立
第一話『奈落』


 ずっと後になって、ルーフェンは何度も思ったのだ。
リオット族と関係を持ち、アーベリトを救おうとしたことは、果たして正しいことだったのだろうか、と。

 まだ十四だったあの頃は、己の成すことなど全てが些細で、この選択肢の少ない人生における足掻きだとしか、思っていなかった。
だが、当時の自分は、自らの置かれている立場とその責任というものを、まるで分かっていなかったのだ。
そう、どこまでも無知だったのである。

 しかし、ルーフェンは思う。
己の立場と責任、そしてのし掛かる重圧や後悔を知った今でも、きっと、自分が十四の時、どうすれば良かったのかなんて分からなかっただろう。

 自身の行動で救えた命と、失われた命。
それらを天秤にかけることなど、出来はしない。
だからこそ、未だに分からない。
自分は本当に、正しい道を歩んできたのだろうか。
それとも、悲惨な結果を招く道を開いて進んでしまったのか。

 自分を怨恨の目で見つめる人々と、温かく手を差し伸べてくれる人。
その双方に囲まれながらも、ルーフェンは、未だに己の行くべき道が、見えずにいる。

 それでも、ただ一つ、確かなのは、リオット病の謎を解き明かしてしまったあの時こそが、ルーフェンにとっての、始まりだったということである。

 

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.103 )
日時: 2017/08/24 14:25
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

  *  *  *

 
 ルーフェンが図書室にこもっていた間に、世間はすっかり初夏らしくなっていた。
盛夏に比べれば、まだまだ涼しい時期ではあるのだろうが、それでも、少し外に出ているだけで、全身がじっとりと汗ばんでくる。
その嫌らしい暑さに、森の方から聞こえてくる喧(やかま)しい蝉の鳴き声が、更に拍車をかけていた。

 未だ実証してはいないものの、リオット病とガドリアに関係があることを明かしたルーフェンは、ようやく人間らしい生活を取り戻しつつあった。
決まった時間に寝食し、日中はアレイドと共に稽古や講義に出る。
サンレードの騒擾が収まってからは、召喚師としての業務を国王から申し付けられることもなかったし、ルーフェン自身、戸惑ってしまうほど穏やかな日々が続いていた。

 庭草の上に座り直し、胡座をかいた状態でぼんやりと池の水面を眺めていると、すぐ横から、ひょっこりとアレイドが顔を出した。

「ねえ、兄さんってば、聞いてる?」

「……聞いてなかった」

「もう、やっぱり……」

 ルーフェンが素直に上の空であったことを告げると、アレイドは、困ったように苦笑した。

 近頃、アレイドとは、こうして一緒にいることが多くなっていた。
といっても、基本的にはアレイドが一方的に話しかけてくるばかりで、ルーフェンから近寄ることは滅多にない。
だが不思議なことに、以前まで感じていたアレイドに対する煩わしさを、教本の貸し借りをするようになってから、ルーフェンはあまり感じなくなっていたのだった。

 また、一方のアレイドも、最近ルーフェンの雰囲気が多少柔らかくなっていることに、気がついていた。
一体何がルーフェンをそうしたのかはわからなかったが、アレイドにとって、これはかなり嬉しい変化である。

「だからさ、先生に、明後日までに杯(はい)いっぱいの水を氷に変えられるようにならなきゃ、課題増やすって言われたんだ。でもほら、物質の生成魔術って魔力使うし……僕、杯に水を満たすところまでしか出来なくて……」

 片手に魔術の教本、もう片方の手に硝子の杯を持って、アレイドが言う。
ルーフェンは、手近にあった小石を池に投げると、興味がなさそうに返事をした。

「いいんじゃない、課題頑張って」

「もう……そんなこと言わないで、教えてよ」

 再び石を投げ込もうとしたルーフェンの腕を掴んで、アレイドがぶんぶんと振り回す。
ルーフェンは、面倒くさそうにため息をつくと、仕方なくアレイドの方を向いた。

「……杯に水を生成するところまでは、できるんだね?」

 アレイドは、こくりと頷いて、ルーフェンの目の前に硝子の杯を出した。
すると、ふるっと一瞬、杯が震えて、底の方から水が湧く。
水は、あっという間に杯を満たし、少量溢れてアレイドの手を伝ったところで、止まった。

「杯を水で満たすか、水を氷に変えるか、そのどっちかなら出来るんだよ。でも、両方ってなると出来ないんだ」

 ルーフェンは、一度杯を見つめると、再び池の方に視線をやった。

「……じゃあ、先に熱魔法で水を温めて、それから一気に冷やして氷に変えた方がいいよ」

「え? お湯にするの?」

 アレイドが、不思議そうにぱちぱちと瞬きをする。
しかし、ルーフェンが真顔で首肯してきたので、アレイドは意味が理解できないまま、杯の水を熱した。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.104 )
日時: 2016/05/16 15:30
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: uJGVqhgC)


 元々そこに存在する水の温度を変化させるということ自体は、そう大変な魔術ではない。
ただ、水の生成という魔術を使った直後に、温度操作を行うというのは、それなりの重労働なのだ。

 氷にしなければならない水を一度湯にするなんて、余計に温度操作が大変になるじゃないかと疑問に思ったが、ひとまず、ルーフェンの指示に従って、今度は、湯になった杯の液体を冷やしていく。

 すると、そう魔力を使わない内に、杯の湯の表面が凍結した。

「えっ、なんで? できた……」

 驚きの声をあげて、目を丸くする。
そうしてアレイドが杯から目線をあげると、ルーフェンが、少し呆れたように言った。

「水は、高温の方が凍りやすいんだよ。水を氷にするのは、初級魔法といっても凝固反応を起こさないといけない。でも、水を湯に変えるのは、初級中の初級だし、簡単な魔法ならいくつ複合させても魔力の消費量なんてそう変わらないから、結果的に、一度熱魔法を添加して湯を氷に変える方が、水を氷にするより魔力の消費が少なくて済むんだ。つまり、本来足りないはずの、君の残りの魔力でも出来るってこと」

「へえ……!」

 アレイドは、感動した様子で、ルーフェンと凍結した杯の水を交互に見やった。

「すごいよ、こんな方法があるなんて、全然思い付かなかった……! これ、練習すれば完全に氷にすることもできるよね?」

「もちろん。ただ、そもそもが複合魔術なんて使うほどのことじゃないんだ。水を氷に変えるくらい、普通に出来るようになりなよ」

「わ、わかってるよ……」

 アレイドは、痛いところを突かれて項垂(うなだ)れた。
──その時。

 突然、目の前の池の水が跳ね上がったかと思うと、そのまま蛇のようにうねって、ルーフェンに降りかかった。
驚いて目を閉じたアレイドが、再び目を開けたときには、ルーフェンは、頭の先から爪先まで、全身ずぶ濡れになっていた。

「お前たち、こんなところで水遊びとは、随分と暇だな」

 したり顔で、二人の背後から近づいてきたのは、シェイルハート家の次男、リュートであった。
リュートは、掌に魔力を収束させると、座っていたルーフェンとアレイドの前に立った。

「あ、兄上……」

 アレイドが呟いて、萎縮したように縮こまる。
ルーフェンは、ぽたぽたと水が滴る前髪をかきあげて、無表情のままリュートを見上げた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.105 )
日時: 2016/06/30 13:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: q6B8cvef)

 リュートは、ルーフェンを見下ろして、小さく鼻で笑った。

「なんだ、その顔は。ルーフェン、お前が暑そうだったから、水をかけてやっただけだろう。感謝してもらいたいくらいだな」

「……それはそれは、どうもありがとうございます、兄上」

 明らかな棒読みで礼を述べたルーフェンに、リュートがわずかに顔をひきつらせる。
そんな二人の緊迫した雰囲気に、アレイドはどうして良いか分からず、ひたすら視線を泳がせていた。

 元々、ルーフェンのことをあからさまに嫌っていたリュートだが、最近は特に、ルーフェンに突っかかってくることが多くなった。
おそらく、前にシルヴィアが体調を崩した際、離宮で言い争いになったことが原因なのだろうが、それにしても、幼稚で露骨な嫌がらせばかりしてくる。
ルーフェンはルーフェンで、演技でもいいから多少下手に出ておけば良いものを、絶対に譲ろうとしないため、毎度こういった諍(いさか)いに発展してしまうのである。

「……ふん、まあいい。私は忙しいのだ。今日も午後から、南方の砦の視察が入っている。サンレードのイシュカル教徒を相手に、尻込みするようなお前とは違う」

 リュートは、ルーフェンが一度、勅命を拒絶したことを知っていたようで、勝ち誇ったようにそう言った。

 リュートは、シルヴィアとエルディオの子であり、王位継承権を持つ王族である。
エルディオ本人から聞いたのかは分からないが、何かしらの王族間のやり取りで、ルーフェンがイシュカル教徒の討伐を拒んだという情報を仕入れたのだろう。

 ルーフェンは、微かに眉をしかめたが、すぐに冷ややかな表情になると、皮肉を述べた。

「そうですか、頼もしいことで何よりです。私も、真っ昼間から弟いびりをして優越感に浸るような兄上が持てて、大変面白いですよ」

「なっ……」

 ばちばちと音をたてて、リュートとルーフェンの間に、激しく火花が散る。
リュートは、怒りを顕(あらわ)すまいと息を吸って、口許を強張らせながら言った。

「言ってろ、この腑抜けが。弱い犬ほど、よく吠えるというものだ」

「……その言葉、そっくりそのまま返します」

 ルーフェンは、それだけ言うと、相手をするのが馬鹿馬鹿しくなったのか、さっさと本殿の廊下のほうに歩いていく。

 アレイドは、慌ててその後を追おうとしたが、その場でリュートに襟首を掴まれ、仕方なく足を止めた。

「……おい、アレイド。お前、最近あいつとよく一緒にいるようだな。どういうつもりだ」

「……そ、それは……」

 リュートからきつい視線を浴びて、アレイドは、口ごもることしかできなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.106 )
日時: 2017/06/06 11:52
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 全身びしょ濡れのまま、自室に向かって廊下を歩いていると、ちょうど曲がり角のところで、ルーフェンはアンナと出くわした。
アンナは、ルーフェンの姿を見るや否や、大慌てでタオルを持って駆け戻ってくると、それをルーフェンに被せた。

「なにがあったんです、次期召喚師様! こんな、全身濡れて……」

「……別に。なんでもないよ」

「ど、どこがですの!?」

 珍しく声を荒げて、ルーフェンの銀髪の水気を拭き取る。
そんなアンナの必死な様子がおかしくて、ルーフェンは微かに笑った。

「大袈裟だよ、濡れたくらいで」

 アンナは、ふるふると首を振った。

「そんな、何を仰ってるんですか! もし次期召喚師様が体調でも崩されたら、十分大事ですわ」

 怒っている、というよりは、本当に心配しているといった表情で、アンナは再び、ルーフェンの髪を拭き始める。
ルーフェンは、そんな彼女の様子をしばらく見つめていたが、今は大人しくしている方が得策だろうと悟ると、黙ったまま、濡れた袖を絞ることにした。

 ルーフェンより二つ歳上のアンナは、今年で十六歳である。
出会った頃は、彼女の方が背が高かったのだが、今、こうして並んでみると、ルーフェンの方が少し高いくらいの身長差になっていた。

 アンナだけではない。
ルーフェンは、特別背が高いわけではないが、それでも、昔は見上げてばかりいたガラドやエルディオ、そしてシルヴィアとも、今なら簡単に目線を合わせることができる。
今更、そんなことに気がついて、どこか不思議な気分になりながら、ルーフェンは、そっと背を屈めた。

 やがて、髪を拭き終わったアンナは、今度はルーフェンの服に視線をやった。

「次期召喚師様、新しい御召し物を持って参りますから、着替えてしまいましょう。暑くなってきたとはいえ、今は風邪も流行っていますし、濡れたままではいけませんわ」

 ルーフェンは、屈んでいた姿勢を元に戻すと、数回瞬いた。

「風邪なんて、流行ってたっけ?」

「ええ、召喚師様もまだ臥せっておりますし……最近は、陛下も体調が優れないとお聞きしています」

「へえ……」

 そうして、話している最中に、廊下の向かいから、見覚えのある男が歩いてきた。
ルーフェンが、それに気がついたのと同時に、男もはっと顔をあげると、軽く手を上げる。

「おお、こんなところにいた。お久しぶりですね、じっきー」

「オーラントさん。お久しぶりです」

「いや、じっきー呼びに関して突っ込んでくれないと、俺すごく残念な人なんですが……」

 複雑な面持ちで、オーラントがぼやく。
ルーフェンは、そんな彼を無視し、一歩下がって畏まったアンナに視線をやると、口を開いた。

「悪いけど、はずしてくれる?」

「あ、はい。で、ですが……」

 アンナが、ちらりとルーフェンを一瞥する。
彼女の意図を理解したルーフェンは、柔らかく笑うと、小さく頷いた。

「大丈夫、ちゃんとあとで着替えるよ。ありがとう」

 アンナは、ルーフェンの顔を見ると、一瞬嬉しそうに顔を上げた。
そして、タオルを抱えたまま深く一礼すると、そのまま足早に去っていった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.108 )
日時: 2018/07/13 00:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: ktklDelg)

「……なんか、邪魔しましたかね?」

 彼女の後ろ姿を見ながら、にやっと笑って、オーラントが言う。
ルーフェンは、冷やかす気満々といった彼の顔を見ると、小さく肩をすくめた。

「まさか。そんなんじゃありませんよ。髪を拭いてもらってただけです」

「へーえ……」

 冷静に返したルーフェンに対し、オーラントは、未だにだらしない笑みを浮かべている。
ルーフェンは、呆れたように半目になると、オーラントを見た。

「……なに生き生きしてるんですか。気持ち悪いですよ」

「いやぁ、ねえ……若いっていいなぁと思いまして」

 ルーフェンの悪態すら耳に入らない様子で、オーラントは、よく分からない頷きを繰り返す。

「可愛らしい侍女に想われて、身分差の恋。なかなかロマンがあるじゃないですか。貴族の令嬢とか、気が強くてお高い感じの綺麗どころも捨てがたいですが、やっぱり献身的で愛らしさのある女の子ってのは、いいですよねえ……」

「…………」

「若い内は、男女の駆け引きなんて楽しんでなんぼです。次期召喚師ともなれば、引く手数多でしょうに。誰かいないんですか? 気に入ってる女の子とか。そういえば、フィオーナ姫やマルカン候の娘と、あんた噂になってたような……って、おい!」

「…………」

 冷たい視線を向けながら、無言で距離をとり始めたルーフェンを、慌てて呼び止める。
オーラントは、ルーフェンの肩をがしっと掴むと、そのまま強引に引き戻した。

「ちょっと、逃げないでくださいよ。折角次期召喚師様のために、お年頃っぽい会話を選んで差し上げたっていうのに」

「オーラントさんが、勝手に感傷に浸っていただけでしょう。はぁ、これだからおっさんは……」

「なに? おっさん馬鹿にしちゃいけませんよ。おっさんは経験豊富なんですからね! 王宮暮らしの長い世間知らずなあんたに、わざわざこうして男女の機微ってもんを──」

「余計なお世話です。そんな心配されなくても、言われた通り、引く手数多なので」

「それ普通、自分で言うかぁ?」

 ルーフェンとオーラントは、しばらく言い争いながら、互いに睨み合っていた。
しかし、やがて同時にぷっと吹き出すと、くすくすと笑った。

「……なに、元気そうで何よりですよ。また何かろくでもないこと思い付いて、図書室に棲息してたらどうしようかと思ってました」

「棲息って、俺は人間なんですけど……」

 からかい半分に、オーラントが言う。

 それに対し、苦笑して返すと、ルーフェンは軽く溜め息をついた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.109 )
日時: 2016/06/07 07:49
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: SUkZz.Kh)

「それで? 王宮までどうしたんですか? わざわざ俺の様子を見に来たってわけじゃないでしょう」

 オーラントは、ああ、と声を溢すと、ぱさついた頭をぽりぽりと掻いた。

「いえ、あながち間違えでもないんですけどね。一応、挨拶してから行こうかと思ったもんで」

「挨拶?」

「ええ。俺、明日からノーラデュースに戻るんですよ」

 その瞬間、ルーフェンが目に驚愕の色を滲ませた。

「……は? 明日?」

「ええ、そうです」

 ルーフェンが絶句した理由がわからず、オーラントは首を傾げる。
すると、ルーフェンは、途端に不機嫌そうな顔になった。

「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか。流石に半日じゃ、外出準備なんてできませんよ。こっちはガラドさんの説得もしなきゃなんないってのに……」

「え? 外出準備?」

 自分が任務地に戻るだけなのに、どうしてルーフェンまで外出準備をする必要があるのだろう。
そこまで考え、ある結論に達すると、今度はオーラントが驚愕の色を浮かべた。

「……って、ええ!? あんたまさか、ついてくる気ですか!?」

「当たり前でしょう! 今までなに聞いてたんですか、全くもう……散々、リオット族を王都に連れ戻す話、してたじゃないですか」

「いや、俺はてっきり、その話を御前会議で通してから魔導師団を動かすもんかと……ていうか、普通そうしますよ」

 次期召喚師自ら、荒れたノーラデュースに赴くなんて誰も許すはずがないだろう。
そういった意味も込めて言い返すと、ルーフェンは呆れたように嘆息した。

「オーラントさん、馬鹿ですか……。こんな突拍子もない計画、御前会議で認められるわけないでしょう。やるなら、ガラドさんを騙して、外出のことだけを伝えたらあとは王宮から抜け出すんです。どうせ真っ向勝負したって無理なんですから、やったもん勝ちです」

「そ、そうか……って、ちがーうっ!」

 びしっ、と華麗に突っ込みを入れて、オーラントは叫んだ。

「馬鹿はそっちでしょうが! ノーラデュースに行って、あんたにもしものことがあったらどうするんです!? 国中大騒ぎですよ? 同行した俺の首だって飛んじゃいます、下手したら物理的に飛ぶんですよ!」

「うるさい、声がでかいです」

 人差し指を口許にやられて、オーラントは押し黙る。
今いるのが廊下で、誰でも通り得るのだということをすっかり忘れていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.110 )
日時: 2016/06/11 00:10
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 69bzu.rx)


 ルーフェンは腕を組むと、少し声を潜めて言った。

「別に、同行しろなんて言ってません。リオット族の牽制を任務とする貴方が、俺の計画に荷担するのはまずいですからね。だから、道を教えてくれるだけでいいです。ノーラデュースについたら、完全に別行動でいいですから──」

「そういう問題じゃないんですって!」

 ルーフェンの言葉を遮って、オーラントは顔をぐっと近づけた。

「いいですか? あんたはサーフェリアの次期召喚師なんです。あんたの命は、あんただけのものじゃないんですよ! そういう勝手なことをされたら、周りに迷惑がかかるんです。アシュリー卿の前に、まず俺が認めませんよ!」

 説教のつもりでそう言い放つと、ルーフェンは、みるみる冷めた表情になった。
そして、顔を歪めると、ぽつりと言った。

「……協力するって言ったくせに」

「ぐっ……」

 思わず言葉を失って、黙りこむ。

「少なくとも邪魔はしないとか、言ってたくせに」

「……そ、それは、あくまで計画を立てるまでだと思ってましたから……」

「今更掌(てのひら)返しですか、国の誇る宮廷魔導師ともあろう貴方が?」

「こーのクソガキ、よくも抜けしゃあしゃあと……」

「…………」

 本音が突いて出て、オーラントは慌てて口を閉じた。
しかし、ルーフェンはそれを気にした様子もなく、黙ったままオーラントのことを見つめている。
そして、しばらくすると、ルーフェンは口を開いた。

「……じゃあ、もういいです」

 はあっと息を吐いて、続ける。

「それなら、ちゃんと許可をとれば、文句ないんですね?」

「きょ、許可って……そう易々といくわけが……」

「それは、やってみないと分かりません」

 ルーフェンは、何か思案するような表情を浮かべてから、突然踵を返して、元来た廊下を走り始めた。
オーラントが、慌てて追いかけようとする様子が見えたが、王宮の構造に詳しいのは、ルーフェンのほうである。
すぐに本殿の廊下を外れて、中庭の死角に入った。

 そうして、少し時間を空けてから、先ほどアレイドと話していた池に戻り、リュートたちが既にいないことを確認すると、ルーフェンは、今度は離宮の方に足を向けた。
すると、本殿を抜け、離宮に続く庭園の砂利道に来たあたりで、前を歩くアレイドとリュートの後ろ姿を見つける。

ルーフェンは、大気の湿度を読むと、周囲の空気を冷やすことで水を発現させ、それをそのままリュート目掛けて放った。

「──うわぁっ!」

 頭上から水が降ってくるという思いがけない出来事に、リュートが悲鳴をあげる。
アレイドは、これでもかというほど瞠目して、恐る恐る、背後にいるルーフェンを見た。

「……な、なんで……」

 先程の仕返しにしても、流石にこれはまずいだろう、といった表情で、アレイドが視線を向けてくる。
しかしルーフェンは、怒りのあまり引きつった顔でゆっくりと振り返ったリュートを見遣ると、不敵に笑った。

「──兄上、勝負しましょう」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.112 )
日時: 2021/04/20 08:41
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: EVwkkRDF)

  *  *  *


「バーンズさん、バーンズさん。起きてくだせえ」

 ふと、自分を呼ぶ声がして、オーラントははっと目を覚ました。
同時に、乾燥しきった喉が張り付いて、げほげほと咳き込む。

 荷馬車の御者は、馬車の戸をがらりと開けると、オーラントに水筒を手渡して苦笑した。

「お疲れなのは分かりますが、そんな口を大きく開けて寝てたら、あっという間に干からびちまいますよ」

「すんません。寝るつもりじゃなかったんですが」

 オーラントは、水筒の水で喉を潤すと、申し訳なさそうに頭を掻いた。

「今、どの辺まで来ました?」

「そうですなぁ……」

 オーラントがそう問うと、御者は、荒涼とした岩だらけの景色を見渡した。

 熱した鉄板のような地面に、鋭く射してくる直射日光。
雑草一本生えることも許さない、この厳しい情景は、まさに地獄と称されてもおかしくない光景である。

「さっき、印岩を通りすぎましたから、あと二日もあればノーラデュースの砦に着くと思うんですがね。でも、今はもう進めねえですだ。大分日が高くなってきてる。日が沈んでから動かないと、俺たちも馬も、暑さでぶっ倒れちまいますよ」

 顔を照りつけてくる日差しを、嫌そうに手で遮りながら、御者は言った。
オーラントも同じように手をかざしながら、目を細めて空を見る。
南方の地では、気温が最も高くなる日中に動くなど、自殺行為なのだ。

 オーラントと御者は、荷の中から巨大な天幕を用意すると、その下に馬と荷物を移動させることにした。

 荷の大半は、水や保存食、薬類などで、これらは全て、リオット族の牽制を任務とする砦の魔導師たちに宛てたものだ。
ノーラデュースは資源に乏しいため、自給自足で生活することは厳しい。
故に、休暇や仕事で王都に戻る魔導師たちが、それぞれ任務に戻る際に、砦に貯蓄するための物資を調達してくる決まりなのである。

 本来、ノーラデュースまでの道のりは、船や馬車を乗り継いで一月ほどで到着する距離だ。
物資が増えている分、一月半近くかかってしまうだろうという算段であったが、シュベルテを発って三十日が経過した今、既にノーラデュース近くの印岩を通過したとのことであったから、もしかしたら明後日くらいには到着できるかもしれない。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.113 )
日時: 2017/12/17 02:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 オーラントは、荷馬車に積んであった木箱を天幕の下に移すと、額の汗を拭った。

(そういやあいつ、どうしてんだろうなぁ……)

 次の荷物を運び出そうとしたところで、ふと、ルーフェンのことを思い出す。

 結局、シュベルテを発つ時、ルーフェンがオーラントの元にやって来ることはなかった。
外出の許可が取れなかったのか、はたまた別にノーラデュースに行く方法を思い付いたのか。
前者であることを願うが、あのルーフェンのことだ。
外出許可を取ると豪語したからには、やっぱり取れませんでした、と簡単に引き下がるとも思えない。
まして、ノーラデュースに行くことを諦めるなんて、まずないだろう。

(絶対、なんかあるよな……。でも流石に、もうノーラデュースに到着してた、なんてことは……)

 そんな、もやもやとした不安を胸に抱えながら、木箱を抱えると、天幕のほうに向く。
すると、既に天幕に置いてあった木箱の一つが微かに動いたような気がして、オーラントは動きを止めた。

 鼠でも入ったんだろうか、と眉を寄せる。
すると、その瞬間、木箱の蓋が独りでに開き、中から予備の外套と共に何かがむっくりと立ち上がった。

「あっつ……もう限界……」

「…………」

 全身汗まみれの状態で、木箱から飛び出したのは、一人の少年だった。
銀の髪と瞳をした彼は、ぱたぱたと胸元の衣を掴んで自分を扇いでいる。

 オーラントは、大きな音を立てて抱えていた木箱を落とすと、思考停止したまま立ち尽くした。

「……あ、あれ。おかしいな……疲れてんのかな。次期召喚師の幻が見える……」

 ルーフェンの幻は、オーラントのほうに振り向くと、涼しげな顔になって、言った。

「残念、本物ですよ。オーラントさん」

 今のオーラントにとっては、限りなく無情な一言。
オーラントは、何度も眼を擦りながら、しばらく薄ら笑いを浮かべていたが、やがて、ずんずんと天幕のほうに歩いていくと、ルーフェンの肩にそっと手を置いた。

「……はは、触れる幻があるなんてびっくりだー。まあ、いいや。とりあえず去れ、幻のじっきー」

「こんな荒地のど真ん中に、か弱い少年を放ろうなんてひどいですね。というか、そんな希少生物みたいな呼び方やめてくださいよ」

「…………」

 呆れたように言ったルーフェンに対し、オーラントは、変わらず笑みを浮かべていた。
しかし、だんだんその笑みを引きつらせていくと、最終的には絶望的な表情になって、がばっと地面にうずくまった。

「嘘だ……信じられない……。なんなんですか。あんた、一体いつから着いてきてたんですか……」

 オーラントの心中など、まるで無視したような淡々とした声音で、ルーフェンは答える。

「南端のライベルクからですよ。ライベルクまでは、移動陣で来ました。俺、ノーラデュースまでの道順知りませんしね。ああ、旅支度は自分でしてきましたし、食料とか荷物には手を出してないので安心してください」

「ライベルク……? じゃ、じゃあ、ここ三日くらい、ずっと木箱の中に棲息してたんですか……?」

 オーラントは、ひくっと口元を震わせると、今度はこわばった声でそう尋ねた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.114 )
日時: 2017/12/17 02:32
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

「んー、まあ、オーラントさんたちが荷物から目を離してるときは、結構出てましたけど、基本は木箱の中に入ってましたね。本当は見つかる予定じゃなかったんですが……もう箱の中は暑くて暑くて。死ぬと思ったんで出てきちゃいました」

「出てきちゃいました、じゃねえよ……。うーっわ、もう最悪だわ……信じらんねえ。王宮育ちの坊っちゃんの癖に、どんな生命力してるんですか。この猛暑の中、木箱で三日間だって? あんたはゴキブリか、ああそうかゴキブリか納得だ!」

 もはや正気を失った様子で、オーラントはしくしくと泣き出すと、続いて祈るような姿勢になった。

「……ああ、おしまいだ……。このことがばれたら、俺は次期召喚師の誘拐犯か、どっちにしろ首だな。すまないジークハルトよ。父ちゃんはもう駄目みたいだ……」

 ルーフェンは嘆息すると、呆れたようにオーラントを見た。

「そんなことにはなりませんよ。俺、ちゃんと上から許可とりましたし」

 その言葉に、オーラントがばっと顔をあげる。

「えっ、アシュリー卿にですか?」

「いいえ、王家に。王家から許可が下りたら、もう誰も文句言わないでしょう?」
 
 さらっとそう告げたルーフェンに、オーラントは瞠目すると、すごい勢いで立ち上がった。

「王家!? 王家って、一体どうやって……」

 困惑した様子のオーラントに、ルーフェンはちらっと笑って見せた。

「簡単なことですよ、シェイルハート家の次男は、れっきとした王族です。しかも運よく、最近南の領地を任されるようになったんだとか。だから彼に、勝負して俺が勝ったら、ノーラデュース視察の許可として王家の印を捺印して下さいって頼んだんです」

「シェイルハート家の次男って、ああ、リュート殿下か……」

 感心したような、呆れたような、けれどどこか不安げな面持ちで、オーラントは唸った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.115 )
日時: 2017/12/17 02:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「いやでも勝負って、それ大丈夫なんですか? 危険なことしてないでしょうね? 王族に手を出したなんて、いくら召喚師一族でも洒落になりませんよ」

「…………。……まさか。危険なことなんてしてませんよ」

「あの、沈黙がとても気になるのですが……」

 不安の色を一層深めたオーラントだったが、ルーフェンは、あっけらかんと告げた。

「平気です。リュート殿下は大変プライドの高ーいお方なので、勝負に負けたからなんて絶対に言いません。周囲に問い詰められたとしても、自分の意思で捺印したと答えて下さるはずです」

「この腹黒策士が。リュート殿下に心から同情しますよ……」

 オーラントが、がしがしと頭をかいて、脱力したように息を吐いたとき。
後ろの方から、御者の声がした。

「バーンズさん、どうしなすったんで?」

「どわぁーおっ!」

「ぐへっ」

 オーラントは、目にも止まらぬ早さでルーフェンの頭に手を置き、そのまま木箱に押し込むと、さっと蓋を閉じてその上に座った。

「大丈夫ですかい? なんか今、話し声が……」

「えっ、えっ、話し声ですか? あれ、おっかしいなー、ついに俺も暑さにやられちゃったかなぁ……ははは」

 全身から汗を噴き出しながら、早口で捲し立てるオーラントを見て、御者は心配そうに眉を下げた。

「そりゃあ、えらいことだ。後は私がやっておきますんで、バーンズさんは天幕で休んでた方がいいですだ」

「いやいや、大丈夫ですよ! 意識とかすごくはっきりしてますし、全然問題ないです! ほら、荷物は俺やっておきますんで、馬お願いします、馬! この暑さで、お馬さんも喉渇いてるんじゃないかなぁ、なんて!」

「そ、そうですかい……?」

 半ばオーラントの勢いに押された形で、御者は渋々馬を休ませている方に歩いていく。
その後ろ姿が見えなくなると、詰めていた息を吐き出して、オーラントはゆっくりと木箱からどいた。

「……ちょっとオーラントさん、危うく首が折れるところだったじゃないですか」

 先程、無理矢理押し込まれたルーフェンが、木箱から顔を出す。
オーラントは、そんな彼をぎろっと睨むと、御者が去っていった方を気にしながら、小声で言った。

「さっきの人は、荷物の運搬を手伝ってもらってるだけの一般人ですから、砦に着けば別れることになります。だから、砦に着くまでのあと二日くらいは、なんとか見つからないように隠れてて下さいよ。砦に到着したら……また、どうにかしてあげますから」

「協力してくれるんですか?」

「だってしょうがないでしょ! 今更引き返せないんだから!」

 もはや投槍になった様子で、オーラントが言う。
ルーフェンは、これ以上何かを言ってオーラントの機嫌を損ねるのは得策でないと、大人しく頷くことにしたのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.118 )
日時: 2017/12/17 02:36
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ノーラデュースの砦へは、オーラントの言った通り、印岩を過ぎてから二日目の夕方に到着した。

 砦は、分厚い白石で造られた立方体の建物で、見渡す限りの荒地に堂々と建つその佇まいは、簡素だが、異様なほどの存在感を放っている。
随所に見られる小窓は、全て高い位置に設置されており、この砦の全てが、リオット族の動向を見張るために造られたのだということが、容易に想像できた。

 オーラントが馬車から降り立つと、砦の入り口に建っていた二人の魔導師が、そろって敬礼した。

「バーンズ殿、お帰りなさいませ」

 オーラントは、その二人に軽く笑みを返すと、荷馬車のほうを示した。

「ああ、お疲れ。悪いけど、荷物が多いんだ。運び込むの手伝ってくれないか?」

「はっ」

 魔導師たちは、オーラントの指示を聞きながら、早速荷物を下ろしにかかる。
荷馬車の御者は、それを横目に見ながら、オーラントから謝礼金を受け取ると、ほくほく顔で帰り支度を始めた。

 荷物の移動に乗じて、オーラントは、ルーフェンが入っている木箱をこつこつと叩くと、小声で言った。

「……今から荷物を全部、砦の中に運びますから、しばらくはそのままで。頃合いを見計らって、もう一度合図するので、そうしたら木箱から出てください」

 ルーフェンは、了解の意味を込めて、内側から木箱を一回叩いた。
オーラントは、それを聞くと、何事もなかったような顔で、ゆっくりと木箱を抱えて砦に入った。

 持ち上げられ、そしてどこか固い場所に置かれたのを感じながら、ルーフェンはずっと、埃っぽい木箱の外套の中で、息を潜めていた。
しかし、やがて話し声がおさまり、砦の門が重々しい音を立てて閉まる音が聞こえると、再び木箱がとんとんと叩かれる。
続いて頭上から光が差してきたので、眩しさに目を細めると、オーラントが木箱の蓋を開け、じっとこちらを見ていた。

「出ていいですよ」

「……ありがとうございます」

 お礼を言って、箱の中から這い出る。
長時間座って身を縮めていたため、立ち上がって背筋を伸ばすと、全身がぴきぴきと音を立てた。

 ルーフェンがいるのは、先程の砦の入り口──門から入ってすぐの、ちょっとした広間だった。
二人の魔導師は、再び門の外で警備に戻ったようで、御者も既に帰ったらしい。
今ここにいるのは、運び込んだ荷物と、ルーフェンとオーラントだけであった。

 砦の中は、外観と同じく簡素な造りになっており、外みたく刺すような暑さはなかったが、生ぬるい大気が淀んでいた。
最低限の窓しかないため、妙に薄暗いし、武器の鉄臭さが充満しているのか、空気も悪い。
ノーラデュース常駐の魔導師たちは、皆この砦を拠点に動いているわけだが、到底長居しても良いと思える場所ではなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.119 )
日時: 2016/07/03 11:38
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: sFi8OMZI)


 汗で貼りついた前髪をかきあげ、ひとまず安堵の息を吐いたオーラントだったが、不意に、奥の廊下の方から足音が聞こえてくると、焦ったように木箱から外套を取り出し、ルーフェンに被せた。

「とりあえず今からは、何もしゃべらないで、俺の側にいてください。いいですね?」

 オーラントの言葉に、素早く頷く。
ルーフェンは、日除け用の薄い外套を深く被ると、顔を見られぬように微かに俯いた。

「……戻ったか。ご無事で何より」

「ええ、只今。ルンベルト隊長」

 廊下から現れたのは、三十半ばほどの赤髪の男と、若くて背の低い男の、二人の魔導師だった。 
オーラントに声をかけた方の赤髪の男は、どうやら位が高いようで、宮廷魔導師であるオーラントにも対等な口調で話している。

 彼は、眉間に深い皺が刻まれているが、しかしそれが真顔らしく、そのままの厳しい表情で、ルーフェンを一瞥した。

「……バーンズ殿、この子供は?」

 警戒心を隠そうともしていない、強い口調。
ルーフェンは、襟元の外套を掴んで引き寄せると、黙ったままオーラントの方に近づいた。

「ああ、この子ですか。実はここに来る途中で、倒れているところを見つけましてね。よほど怖い目に遭ったのか、素性を聞いても全く喋りゃあしない。多分、どっかの隊商の子供で、土蛇(つちへび)かリオット族かなんかに襲われて、はぐれたんじゃないかと思うんですが……」

 ルーフェンの頭にぽん、と手を置いて、オーラントが言う。
すると、赤髪の男の脇にいた魔導師が、ああ、と声を漏らして答えた。

「確かに数日前、カーノの奴隷商がノーラデュースを横断していましたね。傭兵を雇っているから護衛はいらないとのことだったのですが、やはり魔導師抜きでの横断は無謀だったのでしょう」

「……ほう。ではこの子供、奴隷か」

 赤髪の男は、すっと目を細めると、ルーフェンの腕を掴んで、力一杯ねじりあげた。

「────っ!」

 肩に強烈な痛みが走って、ルーフェンが呻く。
オーラントは、大慌ててその間に割って入ると、ルーフェンを後ろにかばった。

「ちょっ、ちょっと待った! 子供相手に、そんな乱暴せんでも良いでしょう」

「……本当に奴隷かどうか、奴隷印を確かめようとしただけだ」

 赤髪の男が、坦々と答える。
オーラントは、焦りを悟られないようにしながら、必死に次の言葉を探した。

 本当は、ルーフェンを近くの村の子供か、あるいはノーラデュースを横断しようとした隊商の子供かなんかだと説明して、適当に誤魔化そうとしたのだが、まさか奴隷の子だと結論付けられるとは思ってもいなかったのだ。
奴隷狩りに遭った人間は、必ず体のどこかに焼き印を捺される。
彼は、それを確かめようとしたのだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.120 )
日時: 2017/12/17 02:41
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 怪しまれないようにこの場を切り抜けるには、なんと言えばいいか。
なかなか良い案が思い付かず、オーラントが口ごもっていると、赤髪の男の表情がみるみる険しくなっていく。

 しかしその時、ふと、ルーフェンがオーラントに顔を押し付けるようにして、しがみついた。
ぎょっとしてオーラントが振り向くと、それにつられるようにして、赤髪の男と若い魔導師の視線も、ルーフェンに向く。

 ルーフェンの肩は、細かく震えていた。

「……ま、まあ、折角奴隷商から逃げられたんです。見逃してあげましょうよ。少し北にガルムの村がありますし、そこに送り届けてあげてはいかがでしょう?」

 子供を泣かせたということに、流石に罪悪感を感じたのか。
若い魔導師が口を開いた。

「そ、そうだな! 俺は見回るルートが決まってる訳じゃないし、仕事の自由度もきくんで、責任もって届けてきますよ」

 好機とばかりにオーラントが言って、赤髪の男の様子を伺う。
赤髪の男は、しばらく黙ってルーフェンを見つめていたが、やがて、面倒臭そうにため息をつくと、オーラントを見た。

「……どうぞお好きに。我々は巡回に行く」

 赤髪の男は、吐き捨てるようにそう言うと、さっさと門の方に歩いていく。
若い魔導師も、オーラントに一礼すると、急いでそれに着いていった。

 二人が広間から出ていくと、オーラントは、恐る恐るルーフェンのほうを見つめた。

「す、すみません……大丈夫ですか? まさかあんな暴挙に出るとは……。どこか、痛めたりとか……」

 本気で心配しているオーラントに、しかしルーフェンは、先程の様子が嘘だったかのように、けろっとした表情で顔をあげた。

「嫌だな、本気にしないで下さいよ。こんなんで泣くわけないじゃないですか。心に傷を負った、か弱い奴隷少年の演技です、演技」

「…………」

 オーラントが無表情になって、ルーフェンを見る。
ルーフェンは、自分は無罪だと言う風に、両手をあげてみせた。

「怒らないで下さいね。ああでもしなきゃ、乗り切れなかったんだから」

「へーへー、そうですねー。心配した俺が馬鹿でしたー」

 ふてくされたように、オーラントが唇を尖らせる。
ルーフェンは、それを見て苦笑すると、先程の赤髪の男に掴まれた手首を擦りながら、門の方を見やった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.121 )
日時: 2016/07/11 19:49
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: u5wP1acT)


「それにしても、乱暴な人でしたね。誰ですか、あの赤い髪のおっさん」

 オーラントは、肩をすくめた。

「イグナーツ・ルンベルト。ここの隊の隊長ですよ。実質、ノーラデュース常駐の魔導師の中では、彼が指揮権を持っています。俺は陛下の命令で動く宮廷魔導師ですから、ちょいと別の括りになりますけど、基本他の奴等は全員、彼の元で働いてるんです」

「ふーん……」

 どこか腑に落ちない顔で返事をしたルーフェンに、オーラントは首をかしげた。

「なにか?」

「いえ……。……こちらとしては有り難いので良いんですが、隊長という立場の割には、あっさり引いたなと。普通、子供だろうが何だろうが、素性の知れない奴が入り込んだら、もっと徹底的に調べるでしょう」

 オーラントは、ああ、と声を出すと、言いづらそうに口を開いた。

「まあ、なんつーか、うちはこんなもんなんですよ。仲間とか敵とか関係なく、とにかく他人には興味関心がない連中ばっかりっていうか。ここには、リオット族の排除しか頭にないような、お堅い奴等しかいませんからね」

「排除? どういうことです?」

 ルーフェンは眉を寄せて、オーラントを見た。

 ノーラデュース常駐の魔導師の仕事は、あくまでリオット族の牽制だ。
もちろん、リオット族が旅人や商人を襲ったりして、やむを得ない場合は殺すこともあるだろうが、故意に排除するのは、いくらリオット族が相手でも認められていない。

 オーラントははぁっと息を吐いて、困ったように言った。

「……ですから、前々から言ってるじゃないですか。あんたが思ってるより、リオット族とのいざこざは、複雑で深刻なんですって。牽制なんてのは、当然表面上の理由です。王宮から認められていない以上、リオット族を全滅させる……なんてことは出来ませんが、ここにいる魔導師たちは、出会い頭にリオット族を殺すくらい、平然とやってのける奴等しかいません。第一、こーんな荒れた土地でこんな激務、どうして文句一つ言わずに彼らがやってるのか、考えてみてください」

「…………」

「……皆、深く深く、リオット族を憎んでるからですよ」

 黙りこんだルーフェンに、オーラントはゆっくりと告げた。

「二十年前のシュベルテの騒擾で、リオット族に子供を殺された奴、妻や恋人を殺された奴……ノーラデュース常駐の魔導師は、大半がそういう奴等です。要は、復讐しか頭にない魔導師ばっかりってことなんですよ」

 オーラントは、続けた。

「……どうしてもリオット族に会って、奴等をシュベルテに連れ戻したいって言うんなら、仕方ない。俺だって、あんたがどれくらい本気で頑張って、ここまで来たのか知ってますから、腹を括って最後まで付き合います。だけど、前にも言った通り、あんたがやろうとしてることは誰も望んじゃいないことだ。結果次第では、ここの魔導師たちの怨みとリオット族たちの怨み、その両方を、あんたは背負うことになるかもしれないんです。そのことを、よく覚えておいてくださいね」

「…………」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.122 )
日時: 2016/07/16 20:58
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 50PasCpc)



 オーラントが言い終えた後も、ルーフェンは何も言わなかった。
ただ黙って、何かをじっと考え込んでいるようだったが、しばらくすると、目を伏せたまま答えた。

「……別に。そんなのは、どうだっていいことです。俺の目的は、あくまでアーベリトの財政を立て直すことですから、リオット族や貴方たち魔導師がどう思うかなんて関係ない。俺は、正義の味方になりたいわけじゃないんです」

「…………」

 この時、ルーフェンがどんな気持ちでこんな発言をしたのか、オーラントには分からなかった。
目的のためなら、なんだって利用してやるのだと、本音を漏らしているようにも思えたし、その一方で、ただ悪ぶっているようにも感じられた。

 どちらにせよ、とにかくこれ以上なにを言っても、ルーフェンの意見は変わらないだろう。
そしてやはり、危険なリオット族の元に単身乗り込もうとする次期召喚師を、宮廷魔導師として放っておくわけにはいかない。

 オーラントは、やれやれといった様子で、盛大にため息をついた。

「わかりました、わかりました。じゃあもうそれなら、さっさと砦を出てリオット族を探しましょうか。俺は、ここの魔導師と違って、見張り場所を決められているわけじゃありませんし、諦めてあんたの護衛に勤めますよ」

「…………」

「さ、行きますよ」

 また誰か別の魔導師に出くわしては敵わないと、オーラントが足早に踵を返したとき。
石床を見つめていたルーフェンが、ふと呟いた。

「……オーラントさんも……」

「ん?」

 振り返ったオーラントに、ルーフェンが顔をあげる。

「……オーラントさんも、リオット族に身内を殺されたんですか」

 ルーフェンは、平然とした表情を浮かべていたが、その声音には、覇気がなかったような気がした。
オーラントは、少し驚いたように眉をあげたが、苦笑して、困ったように答えた。

「もし、そうだったら、流石にあんたの計画に荷担しようとは思わなかったでしょうね。大丈夫、俺はリオット族に個人的な怨みはありませんよ。ここへは陛下のご命令で来ているだけです」

「……そうですか」

 ルーフェンは、素っ気なく答えると、オーラントの隣に並んだ。
オーラントは、そんなルーフェンをしばらく不思議そうに見つめていたが、何かを問うことはしなかった。

 二人は、他の魔導師と出くわさないように注意しながら、警備のない裏口へと向かった。
 

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.123 )
日時: 2017/09/10 02:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 砦を出ると、辺りの夕闇は既に夜のものに変わりつつあった。
乾いた大気は、肌寒いとすら感じるほどに冷たく、日中の灼熱が嘘のようだ。

 オーラントとルーフェンは、ひとまず砦から離れるため、最低限の荷物を持つと、更に南の方に歩き始めた。
そうして、完全に夜が更けた頃に、天幕を広げて野宿をしたのだった。

 翌朝、まだ薄暗い内から出発した二人は、暑さが頂点に達する昼間を除いて、再び夕刻になるまでひたすら南へ進んだ。
人や建物が見当たらないことはもちろん、永遠と変わらない岩だらけの景色を見ていると、ずっと同じところを歩いているのではないかという錯覚に陥る。
暑さも手伝ってか、その錯覚はどんどんと悪化しているようで、頭がおかしくなりそうだった。

 しかし、地面から突き出した小高い岩場を登ったとき、初めて景色が変わった。
眼下の地に、見る限り地平線まで続く、巨大な亀裂が見え始めたのだ。

 亀裂は、底が見えぬほど深く、ルーフェンは思わず息を飲んで、その光景を見つめた。

「あの亀裂が、ノーラデュースへの本当の入り口。リオット族の棲む奈落の谷底ですよ」

 オーラントが、同じようにその亀裂を眺めて口を開く。

 まるで、空を走る稲妻のように。
大地を真っ二つに切り裂く、地面の割れ目。
深さは分からないが、底を覗こうとすれば、遠目でも、本当にその深い闇へと吸い込まれてしまいそうだった。

 ルーフェンが、もっと亀裂の近くに寄るために、岩場から降りようとすると、オーラントがそれを制止して、地面に伏せた。
それに従い、ルーフェンも地面に伏せると、それと同時に、どこからか爆発音のようなものが聞こえてきた。

 音のした方に振り向くと、亀裂の近くで、三人の男がもつれるようにして戦っている。
その内二人は、オーラントと似た魔導師団用のローブを纏っており、もう一人は、まるで人とは思えない動きで飛び上がる、猿のような大男だった。

 魔導師の男が、持っていた長杖を振り回すと、立て続けに大男の回りで爆発が起き、火の手が上がった。
しかし、その攻撃は通用していないようで、すぐさま収束した炎を掻き分けると、大男は勢いよく魔導師に殴りかかる。

 こうした魔導師二人と大男の攻防は、しばらく続くように思われた。
しかし、ふと大男は顔をあげると、魔導師たちから距離を取り、亀裂とは反対方向に走り出した。

 その隙に、魔導師の一人が、素早く魔力を練り上げる。
そうして放たれた鋭い風の刃は、大男の上半身と下半身を切り離し、最後に岩壁を切りつけて、大気に溶けていった。

 二人の魔導師は、何やら話し合った後、上下に別れて血まみれになった大男の死体をずるずると引きずっていき、亀裂の中に落とした。
死体は、吸い飲まれるように奈落の底へと落ちていくと、時間を置いて、ぐちゃりと地面に叩きつけられたようだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.124 )
日時: 2016/07/27 01:05
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: /dHAoPqW)



 ルーフェンは、それら一連の出来事を黙ってみていたが、魔導師たちがその場から去ったのを確認すると、静かに立ち上がった。

「……今のは……」

「今の、でっかい猿みたいなのが、リオット族ですよ。あいつらはあの亀裂から這い上がってきて、旅人や商人、あるいは魔導師を襲ったりして、略奪を繰り返しているんです。だから俺たちは、亀裂の周囲を重点的に見張って、ああしてリオット族を討伐してるんですよ」

 ルーフェンからの疑問を予測して、オーラントが先に答える。
ルーフェンは、リオット族が落とされた奈落への入り口を見ながら、呟くように言った。

「……あのリオット族は、最後、どこに行こうとしたんでしょう」

「どこって? 単に逃げようとしただけじゃないですか?」

 先程、戦いの途中で突如走り出したリオット族の姿を思い出しながら、オーラントが首をかしげる。
ルーフェンは、眉を潜めて首を振った。

「逃げて仲間の元に戻りたかったなら、亀裂の方に走っていくはずですよね。でもあのリオット族は、反対方向に走っていった」

「……まあ、そうですけど……」

 オーラントは、言葉を濁らせた。
ルーフェンは、今立っている高い岩場を降りると、魔導師とリオット族が争っていた辺りまで走っていった。

 そして、リオット族の血痕が残ったその先を見て、はっとした。
ちょうど岩場の陰になっている場所──先程リオット族が行こうとしていたところに、なにか巨大な肉塊のようなものが落ちていたからだ。

「……これ、なんですか?」

 近づいて見てみると、その肉塊は巨大なミミズのようで、干からびた部分から飛び出した肋骨とおぼしき骨は、ルーフェンの身長よりもはるかに高かった。

 オーラントは、ルーフェンに追い付くと、同じく肉塊を見上げて答えた。

「こりゃ、土蛇の死骸だな。この辺に棲む、まあ文字通りでっかい蛇みたいな生物で、普段は地中にいるんですが、餌を探しにくるときだけ、こうやって地上に出てくるんです」

「餌? 餌なんて、この荒地のどこにあるんです?」

 ルーフェンが怪訝そうに言うと、オーラントが肩をすくめた。

「こいつらの餌は、人間ですよ。元々この付近の村人を食い荒らしてたみたいですけど、最近ノーラデュースにも魔導師がうろつくようになりましたからね。俺たちを狙うようになった土蛇もいるみたいです。……つっても、俺たちだって戦えますし、基本土蛇は自分の巣から遠い場所にまでは来ないので、大した被害はありませんが」

「…………」

 オーラントの説明を聞きながら、ルーフェンは土蛇の体表を触って、その感触を確かめた。
死後硬直している影響もあるのか、分厚く固いその皮膚は、そこいらの刃物では切り裂けそうもない。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.125 )
日時: 2017/08/24 14:57
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ルーフェンは、オーラントの方に振り返った。

「オーラントさん、なにか刃物持ってませんか?」

 オーラントは、明らかに食料と水、そして日除けの天幕しか持っていない風だったが、小さく笑うと頷いた。

「ああ、ありますよ。ちょっと待ってくださいね」

 そう言って、オーラントが右手を出すと、そこに魔力が集結したのと同時に、どこからともなく一本の青光りする短槍が現れる。
その光景に、ルーフェンが思わず瞠目すると、オーラントは得意気に鼻を鳴らした。

「俺の愛槍『ルマニール』です。大事に使って下さいね」

 右手でルマニールを一回転させ、ひょいとルーフェンに渡す。
ルマニールは、ルーフェンでは片手で持てないくらいずっしりと重く、その刃先は、見ていると背筋が冷たくなるほど鋭利であった。

「へえ……『ルマニール』。“一陣の風”ですか。重金属の合成魔術を使えるなんて、オーラントさん、本当に宮廷魔導師だったんですね」

 ルマニールをまじまじと見つめながら、感心したようにルーフェンが言う。

 重金属の合成魔術とは、すなわち、大気中の素粒子の集合、そして鉄元素への置換を同時に行い、それらを合成させることで実際に金属を具現化するという高等魔術だ。
基本、魔術というのは、その時々の自然環境が大きく影響してくるものであるから、水場や湿度の高い場所では水魔法が使いやすくなるし、ノーラデュースのような鉄鉱の採掘など行える岩地では、鉄や地の魔術が通常より使いやすくなる。
しかし、その条件を抜きにしたとしても、合成魔術は熟練の魔導師ですらそう易々と使えるものではない。
その魔術を使用できること自体に、価値があるのだ。

 素直に感嘆すると、オーラントは更に得意気な顔になった。

「そうでしょう、そうでしょう。俺だって国に認められた上位の魔導師なんですから、なめてもらっちゃ困ります。飆風(ひょうふう)のオーラントと言えば、ちったぁ名も通って──」

「とりあえずこれ借りますね」

「最後まで聞けよ!」

 後ろで騒ぐオーラントを無視し、ルーフェンは、ガスが溜まって膨れた土蛇の腹にルマニールを突き立て、そのまま横に掻き斬った。
すると、切り裂かれた体表の隙間から、土蛇の体液が凄まじい腐敗臭と共に流れ出す。

 ルーフェンは、その内容物をルマニールで漁ると、その中に錆びた籠手(こて)のようなものを発見し、オーラントにそれを見せた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.126 )
日時: 2021/02/24 02:24
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)


「これ、魔導師団のものですか?」

「……ええ、多分」

 微かに読み取れる籠手の紋様を見ながら、オーラントが嫌そうな表情をする。
ルーフェンは、ルマニールに付着した土蛇の体液を振り払うと、オーラントにそれを返して、考え込むように俯いた。

「……生物資源の少ないノーラデュースでは、土蛇の主食は人間。けれど、この土蛇の胃の内容物からは、籠手しか出てこなかった。ということは、鉄の消化はやはり難しいでしょうから、土蛇が食べているのは武装していない人間が大半、ってことですね……」

 頭の中を整理するように、ルーフェンが呟く。

 シュベルテなど他の地の魔導師ならば、身軽さを重視して鎧などは着けない魔導師もいる。
しかし、騎士団がいないため、前衛と後衛双方をこなすノーラデュースの魔導師は、見る限りでは、多少なりとも武装をしているようだ。
すなわち、実際に被害は少ないと言うオーラントの証言も合わせて考えると、土蛇が食べているのは、その多くが魔導師以外の人間である可能性が高い。

 そして、ノーラデュースに存在する魔導師以外の人間と言えば──。

(──リオット族)

 ルーフェンは、一度ノーラデュースへの割れ目に視線をやると、続いてオーラントを見た。

「……亀裂に飛び込んで谷底に行くのは、まあ最終手段として」

「いや、それは最終手段ではなく、ただの飛び込み自殺です」

「──とすると、土蛇の巣とやらを探すのが、リオット族に接触する一番の近道になりそうですね。土蛇が地中でリオット族を食べているなら、土蛇の巣の近くに、必ずリオット族の生活圏があるはずです」

 ルーフェンがそう告げると、オーラントは苦笑して、諦めたように息をはいた。

「仰る通りですね。ここら辺の土蛇の巣穴の位置は、こっちで把握してます。案内しますよ」

「…………」

 ルーフェンは、そんなオーラントの態度に、わざとらしく眉をあげた。

「……オーラントさん、土蛇の巣穴が地底に繋がってること、分かってたでしょう」

「さあ?」

 珍しく優位に立てたことが嬉しかったのか、オーラントがにやりと笑う。

「なに、気づかなかったら気づかなかったで、土蛇の巣穴なんて行かなくて良くなるわけですから、めでたいと思ってたんですけどね。まあ、リオット病を解き明かしちゃった次期召喚師様ですから、これくらいは朝飯前かと思いまして。どうです、冒険らしくなってきたでしょう?」

 ほくそ笑んだオーラントに、ルーフェンも挑発的な笑みを返した。

「……へえ。底意地の悪いおっさんは、嫌われちゃいますよ」

「あんたには言われたくないですね」

 肩をすくめて、ルマニールを再び翻す。
ルマニールは、オーラントの手中で光の粒子となって霧散し、大気中に戻った。

 オーラントは、一度荷物を背負い直すと、ルーフェンを見つめて言った。

「ノーラデュースで確認されている土蛇の巣穴は、全部で三ヶ所。ここから一番の近いところは、本当にすぐそこです。行きましょうか」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.127 )
日時: 2017/12/17 02:50
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 空が、夕暮れ特有の薄い橙に染まり始めた頃。
二人は、土蛇の巣穴の前にたどり着いた。

 巣穴といっても、あの巨体が出入りするわけだから、ルーフェンやオーラントにとっては洞窟と言った方が近いだろう。
切り立った岩壁にぽっかりと空いたその穴には、外の光が射し込むこともなく、奥には深い闇が続いていた。

 オーラントは、巣穴を一度覗きこむと、ルーフェンに言った。

「ここに入ったら、松明はもちろん、魔術で灯りをつけたり、大きな音をたてたり……とにかく土蛇を刺激するようなことは絶対しちゃいけません。道も正直分かりませんが、リオット族がいるのは奈落の奥底です。会話も最小限に、ひたすら下りの道を行きましょう」

 ルーフェンはそれに頷いてから、怪訝そうに尋ねた。

「でも、これだけ真っ暗だと、道も何も分かりませんよね。灯りが使えないなら、どうするんですか?」

 その問いに対し、オーラントは、ごそごそと懐から銀白色の石を取り出すと、それをルーフェンに渡した。

「灯りには、このシシムの磨石を使います。こいつは暗闇に持ち出すと、微かに光る性質を持ってるんです。本当にぼんやりとしか光らないので、灯りと言うには役不足ですが、まあ、ないよりはましでしょう。ノーラデュースの岩中にはシシムの磨石が山程埋まってますし、こいつの光なら、土蛇にも気づかれにくいはずです」

「分かりました」

 ルーフェンは、磨石をオーラントと同じように紐でくくると、腰に下げた。

「さて、それじゃあ心して行きますかね。はい」

 続いて、そう言って手を差し出してきたオーラントに、ルーフェンは顔をしかめた。

「…………はい?」

「いや、はい? じゃないです。手、握ってください。はぐれるとまずいですから」

 当然だとでも言いたげに、オーラントが言う。
その瞬間、ルーフェンは、みるみる微妙な表情になった。

「いや……おっさんとお手々つないで歩くのは、ちょっと……」

 オーラントのこめかみに、ぴきっと青筋が出る。

「ほーお……じゃあそのご自慢の銀髪でも、掴んで引っ張っていって差し上げましょうか?」

 ひきつった笑みを浮かべて、頭をわしっと掴んできたオーラントに、ルーフェンはくすくすと笑った。

「冗談です、冗談です。でもお手々繋ぐのは嫌なので、肩にします」

「へいへい、綺麗なお姉さんじゃなくて悪かったですね」

 ルーフェンがオーラントの肩に手を置いたのを確認すると、二人は、巣穴の闇の中に、足を踏み入れていった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.128 )
日時: 2016/08/07 16:34
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Jolbfk2/)



 シシムの磨石は、オーラントの言う通り、本当にわずかな光しか放たず、二人は行く道を探り探りしながら歩くしかなかった。
だが、目前と足場を確かに照らしてくれるその光は、目が暗闇に慣れてくる頃には、思いの外心強いものになっていた。

 何度か枝道も通過しながら、先導するオーラントについて進む。
会話も控えた方が良いと言われていたため、しばらくは黙々と歩いていたルーフェンだったが、一向に地底に到着する気配がないので、耐えきれず小声で言った。

「……これ、道あってるんですか?」

 オーラントが身動いで、答える。

「さあ? 下りっぽい方を選んで、進んでるんですがねえ……」

「下りっぽいって……」

「しょうがないじゃないですか。俺だって、リオット族に会いにこんなところに来るなんて、はじめてなんですから」

 時折ぽろぽろと崩れてくる土くれを手で払いながら、オーラントが言う。

 彼も、完全に勘で進んでいるのだろう。
しかし、同じく道のわからない自分が先導したところで、同様の結果になることは目に見えているので、ルーフェンは再び黙りこんだ。

 更に歩いていくと、やがて、遠くに二つの光が見えてきた。
もしかしたら、外に繋がる道に出てしまったのかもしれない。
そう思い、ルーフェンが進路を変更するべきだと伝えようとしたとき。
オーラントが、急に立ち止まった。

「……どうしたんです?」

 囁くように、オーラントに問いかける。
だが、オーラントは黙ったまま、前を見て硬直していた。

「…………?」

 不思議に思って、オーラントの視線の先を見つめる。
すると、その瞬間、ルーフェンも目を見開いて、身を凍らせた。
オーラントの持つ磨石の光に照らされて、巨大な鱗が、微かな呼吸音と共に目の前で上下していたからだ。

 遠くにあると思っていた二つの光が、土蛇の二つの目であったことに気づくのに、時間は要さなかった。

 じりじりと、慎重に後退りを始めたルーフェンとオーラントであったが、しかし、ふぅっと生ぬるい土蛇の鼻息が頬を撫で、不気味に光る目がぎょろりと二人を映したとき。
オーラントがルーフェンに向かって、叫んだ。

「走れ──!」

 瞬間、耳をつんざくような咆哮があがって、土蛇の鋭い牙が迫ってきた。
二人は、死物狂いで走り出すと、咄嗟に脇道にすべりこむ。
そして、勢い余って直進していった土蛇を見送って、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返した。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.129 )
日時: 2016/08/09 21:25
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: DYDcOtQz)


「はっ、ま、まさか、あんなド真ん前にいるなんて、気配もくそもなかったぞ!」

 焦ったように言って、オーラントが舌打ちをする。
しかし、ルーフェンがそれに返事をする間もなく、直進していったはずの土蛇が、今度は二人の背後から現れた。

「く──っ!」

 迷いなく突っ込んでくる土蛇に、ルーフェンは反射的に魔力を集結させ、手のひらを地面に押し当てた。
すると、土壁から次々と尖った岩が、土蛇の行く手を塞がんと突き出す。

 だが、土蛇はその岩の刃を、鋭い歯が並んだ巨大な口で受け止めると、ばりばりと噛み砕いて飲み込んでしまった。

「そんなの効くわけあるか!」

 オーラントが切迫した声をあげて、ルーフェンの腕を引く。
そうして、素早く別の脇道に飛び出した二人であったが、臭いでルーフェンたちの居場所は筒抜けらしく、土蛇はすぐさま身をくねらせて、こちらに向かってきた。

 相手が、嗅覚にも頼っているなら、隠れようとするだけ無駄だろう。
ならば、今更見つかるとか見つからないとか、そんなことはどうでもいい。
そう判断すると、オーラントは、空を切るように手を動かした。

 刹那、オーラントの手の動きに合わせて、頭上に光の筋が走る。
一気に視界が明るくなったところで、ルーフェンとオーラントは、再び走り出した。

「あいつ、半端な魔術じゃくたばりませんよ!」

 全力疾走しながら、オーラントが言った。

「そんなこといっても、こんなところでぶっ放したら、落盤して俺たちも生き埋め──に、ぅわ!?」

 言い終える前に、ルーフェン目掛けて、土蛇が牙を剥く。
それを、瞬時に跳躍して避けたルーフェンだったが、この狭い穴の中では、距離をとることなどできない。

 狙いを外し、代わりに地面に食らいついた土蛇は、そのまま地面を抉りとりながら、再びルーフェンを飲み込もうと迫ってくる。