複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.172 )
日時: 2017/12/17 03:51
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

†第二章†──新王都の創立
第三話『覚醒』



「伝令! 伝令!」

 その叫び声と共に、馬を駆けてきた十数名の騎士たちを見て、イグナーツは眉をひそめた。
身に付けている鎧からして、ノーラデュース常駐の者ではない。
とすれば、シュベルテから派遣された騎士たちであろうが、本来王都の守護に勤めているはずの騎士団が、南の土地に出向くというのは不自然であった。

「貴殿、魔導師団ノーラデュース部隊隊長、イグナーツ・ルンベルト殿とお見受けする」

 騎士たちは、砦の門の前で馬を止めると、そろってイグナーツの前にひざまずいた。
イグナーツは、険しい表情のまま、その面々を眺めると、強い口調で尋ねた。

「いかにも。私がイグナーツ・ルンベルトである。貴公ら、この南の地まで何用か」

 先頭に立っていた騎士の一人が、すぐさま懐から書簡を取り出し、イグナーツに手渡す。
その書簡には、次期召喚師であるルーフェン・シェイルハートが、リオット族の手よって奈落の底に囚われているため、至急救い出し、リオット族を討て、といったような内容が記されていた。
しかし、その書簡に、王家の印などは捺されていない。

 イグナーツは、更に顔つきを険しくすると、騎士たちを睨み付けた。

「……リオット族の討伐は、王宮からの勅命(ちょくめい)が下らねば行えぬ。貴様ら、真に騎士団の者か?」

 その言葉に、イグナーツの周囲に控えていた他の魔導師たちも、ざわりと戸惑いの声をあげる。
騎士は、ひざまずいた状態で顔をあげると、口早に返事をした。

「我々は、次期召喚師様が、リオット族の元に囚われているとの情報を入手致しました。故に、ルンベルト隊長の戦列に加わり、共にリオット族を討伐せよとのご命令を受けております」

「…………」

 持っていた書簡を別の魔導師に渡して、イグナーツは訝しげに目を細めた。

 確かに、本当に次期召喚師がリオット族に誘拐されたと言うなら、勅命が下る前であろうと、救助しに向かうべきなのだろう。
だが、この騎士たちは、一体誰の命令で動いているのか、明かそうとはしない。
そもそも、どのようにして、次期召喚師が囚われているなどという情報を掴んだのだろうか。
普段リオット族を監視している、ノーラデュース常駐の魔導師達より先に、情報を手に入れることなど有り得ない。

 イグナーツの傍らにいた若い魔導師が、そっと、小声で耳打ちをした。

「ルンベルト隊長、我々には、次期召喚師様がノーラデュースにいらっしゃったという情報すら知らされておりません。この者達の言い分が真実かどうかは、信憑性に欠けるかと。ここは、宮廷魔導師のバーンズ殿にも、ご相談してからのほうが……」

 オーラント・バーンズ──。
その名前を聞いて、ふと、イグナーツの脳裏に、数日前王都から戻ってきた、オーラントの姿がよぎった。

(彼奴(あやつ)、確か子供を連れていたな……)

 目を伏せて、オーラントとのやり取りを思い出す。

 オーラントは、連れていた子供を、奴隷の子か何かだろうと言っていたが、思えばあの時の彼は、どこか様子がおかしかった。
子供の奴隷印を確認できた訳ではないし、そういえば、王都に住む次期召喚師は、あの子供くらいの年齢ではないだろうか。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.173 )
日時: 2017/09/25 17:39
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: O/vit.nk)




 イグナーツは、ひとまず部下の言葉を制すると、再び騎士たちに目を向けた。

「次期召喚師がリオット族の元にいるというのは、真実なんだろうな?」

「……はい、そのように伺っております」

 騎士たちのはっきりとした肯定に、次いで、イグナーツはすっと目を細めた。

「……ほう。では仮に、貴様らの話が真実だったとして、今、ノーラデュースに攻め込むのは得策と言えないだろう。奈落の底に攻めこんだところで、リオット族は、次期召喚師を人質にとる可能性がある。返って次期召喚師を危険に巻き込むことになるぞ」

 探るような目付きで言って、騎士たちの反応を伺う。
騎士たちは、つかの間沈黙してから、先程と同じことを繰り返した。

「……我々は、リオット族討伐の戦列に加わるようにとの、ご命令を受けております」

「…………」

 次期召喚師の救助を理由にしながら、彼の安否を無視し、そして、真の目的を決して明かそうとはしない──。
そんな騎士たちの姿勢に、あることを確信すると、イグナーツは、はっと鼻で笑った。

「……なるほど、我らルンベルト隊を利用しようとは。イシュカル教会も、随分と厚かましくなったものだな」

 魔導師たちが驚いた様子で、騎士──否、武装したイシュカル教徒たちを見る。
イグナーツは、目元を歪めて、言い募った。

「貴様らの目的は、次期召喚師か。我々にリオット族を討伐する大義名分を与える代わりに、次期召喚師を殺害する口実を寄越せと、そう言うわけか?」

「…………」

 イシュカル教徒たちは、何も言わず、ただひざまずいている。
しかしその沈黙こそが、真実を雄弁に物語っているようだった。

 全知全能の女神、イシュカル神を崇め、国の守護者たる召喚師一族を、否定し続けているイシュカル教徒たち。
つまり彼らは、リオット族討伐の争いに乗じて、次期召喚師ルーフェン・シェイルハートの殺害を目論んでいるのだろう。
リオット族を殲滅させるきっかけを、長年欲しがっていたイグナーツたちを、わざわざ駆り立ててまで──。

 囚われた次期召喚師を救うために、リオット族討伐に乗り出したとなれば、王宮側から非難されることはない。
また、その混乱に巻き込まれ、次期召喚師が死んでしまったという偽の筋書きを唱えれば、悪は、リオット族のみということになるわけだ。

 イグナーツは、しばらく不愉快そうに眉をしかめていたが、やがて、すっと息を吸うと、イシュカル教徒たちを見下ろした。

「……いいだろう、利用されてやる。ただし、我々は貴様らの都合など知らん。次期召喚師をどうするかに関しては、一切手を貸す気はない。良いな?」

「……はい」

 イシュカル教徒たちが、短く返事をして、畏まる。
イグナーツは、振り返ると、部下である魔導師たちを見渡し、言った。

「至急、ノーラデュースの底に向かうぞ。リオット族は、全員皆殺しだ──……」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.174 )
日時: 2017/09/28 17:38
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: jFPmKbnp)


  *  *  *


 岩壁に等間隔で設置されたシシムの磨石は、柔らかい光を放って、広間に集まった大勢のリオット族たちの顔を、ぼんやりと照らしていた。

 広間の中心には、ルーフェンが立っており、そのすぐ横にオーラント、ラッセル、ノイの三人が控えている。
注がれるリオット族たちの視線は、決して穏やかなものではなかったが、それでもルーフェンは、堂々とした態度で周囲を見据え、口を開いた。

「皆、度々呼び出して、ごめん。だけど、もう一度だけ、俺の話を聞いてほしい」

 しん、と静まり返る谷底に、ルーフェンの声が響く。

「俺は昨日、貴方たちをシュベルテに連れていきたいと言った。俺たち王都の人間の過ちを許し、再び、シュベルテを支えてほしいと……。もちろん、奴隷としてではなく、同じ人間として」

 ルーフェンは、再びその場にいる全員の顔を見回して、続けた。

「……そうしたら貴方たちは、『王都の人間とリオット族は違う。だから、共に暮らせるはずがない』、そう言った。……でもやっぱり、俺はそうは思わないよ。この二日間、貴方たちの暮らしや生き方を見て、改めてそう感じた。俺たちと……少なくとも、俺とリオット族は、同じ人間で、違うところなんてない──」

 言い終えた瞬間、途端に、リオット族たちの表情が激しく歪んだ。
静かな空気は一変し、次々とルーフェンに向かって罵声が飛ぶ。

「王都の人間、リオット族を嫌い、蔑み、こんなところに閉じ込めた!」

「お前たち、敵だ!」

「ここから出ていけ!」

「同じ? そんなわけ、ない!」

 まるで石を投げつけられているような、圧倒的な怒りと憎しみの声をぶつけられる。
だが、ルーフェンは小さく笑みを浮かべると、はっきりと言った。

「違わないよ。何も、違わない」

「黙れ!」

 リオット族たちの中からゾゾが飛び出してきて、ルーフェンの胸ぐらをつかみあげた。

「嘘、言うな! お前、恵まれた召喚師の一族、俺たちの何が分かる! 地を這いずって生きる俺たちを、軽蔑しているくせに、俺たちとお前、何が同じというのか! リオット族、いつも飢えて、渇いて、腐った血肉でも、必死に食べて、死物狂いで生きている! お前、そんなことできるのか。この気持ち、理解できるのか!」

 激昂した様子でルーフェンに詰め寄るゾゾを、オーラントが止めに入ろうと動いた。
しかし、ルーフェンはそれを目配せして制すると、ゾゾの醜い顔を見つめ返した。

「……全部は、分からないよ。俺は、リオット族が受けた苦しみ全てを理解できるほど、まだ貴方たちのことを知らない。……だけど……」

 ルーフェンは、わずかに緩んだゾゾの岩のような太い腕を、そっと外した。
そして、地面の土砂を掬いとると、あろうことか、それを口に詰め込んだ。

「なっ……なにしてる、お前!」

 突然のルーフェンの行動に、リオット族たちがざわめく。
オーラントも、慌てた様子でルーフェンに駆け寄った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.175 )
日時: 2017/10/01 22:50
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ルーフェンは、久々の喉を抉るような異物感に一瞬顔をしかめたが、無理矢理土塊を喉の奥に押し込めると、一拍おいて、もう一度ゾゾのほうを見た。

「……だけど、俺は、気が狂いそうなほどの飢えや渇きを、知ってるよ」

「え……」

 ゾゾが、吐息を溢すように呟く。

「俺は、貴方たちが思っているほど、まともな生き方はしてこなかったし、腐肉だろうが土だろうが、やろうと思えば何だって口にできる。俺も、ヘンリ村という貧村で育ったから」

「村……?」

 ゾゾの目に、驚きの色が浮かぶ。
召喚師一族は、本来王宮で生まれ、先代の元で育てられるのだ。
村育ちと聞いて、驚くのは仕方がないことだった。

 ルーフェンは、小さく息を吸った。

「俺のいた村は、特に貧しい農奴や、役に立たないからと貴族に捨てられた奴隷が集まったような、まるでごみ溜めみたいな村だった。当時、俺の髪や瞳の色を見て、村人たちがどう思ったのかは知らないけど……とにかく、俺は生まれてすぐ、そのごみ溜めに捨てられていた子供だったんだ」

 存外落ち着いた表情で、ルーフェンは話した。

「俺を拾ってくれたのは、農業を営んでいた若い夫婦だった。彼らには息子が二人、娘が三人いて、俺はその中で、一番年下だった。元々貧しい生活が続いていたけど、ある時、村の耕地が完全に朽ちてからは、役人に税も払えなくなって、粟(あわ)も黍(きび)も、家から一粒残らず消え失せた。空腹のあまり、さっきみたいに虫や土を食べることも日常的にあった。最初は受け付けられず、吐いてばかりいたけど、骨と皮だけになって餓死していく人達を見ていたら、いつしか、どんなものでも、無理矢理腹に納められるようになった」

 気づけば、広間に再び静寂が訪れていた。
リオット族たちも、オーラントも、放心したような顔つきで、ルーフェンの話を聞いていた。

「……俺が八歳になった、冬。食べるために残していた家畜を、全て役人に持っていかれて、その翌月には、一番目と二番目の姉が連れていかれた。二番目の兄と三番目の姉は、ある朝起きたら冷たくなっていて、一番目の兄は、虚ろな目をしたままどこかに行って、二度と帰ってこなかった。母親は、痩せた土の上で転び、そのまま動かなくなって。唯一血の繋がりを持たない俺は、父親に喰い殺されそうになった」

「…………」

「飢えて癇癪(かんしゃく)を起こした父親が、俺を狙っていたのは気づいていたよ。でも、その時俺は、別に殺されてもいいと思ってた。本気で、そう思ってたんだ……。それなのに、いざ鉈(なた)を向けられたら、急に、死ぬのが怖くなった」

 ルーフェンは微かに目を伏せると、つかの間、息をつまらせた。

「……俺が、初めて召喚術を使ったのは、その時だ。父を、生まれ育った村を、俺は跡形もなく消滅させた」

 一度目を閉じ、開くと、ルーフェンは、呆然としているゾゾにすっと目を向けた。

「貴方はさっき、リオット族を軽蔑しているくせに、と言ったけれど、俺は貴方たちを軽蔑してはいないよ。軽蔑、できるはずがないんだ。地を這いずりながら、貪欲に、生にしがみついて生きてきたのは、俺も同じなんだから」

 言葉を失った様子で沈黙しているリオット族たちに、ルーフェンは言い募る。

「俺は今、王宮で暮らすようになったけど、八歳のあの時からずっと、どうして同じ国の人間なのに、ヘンリ村とシュベルテの暮らしはこうも違うんだろうと、不思議に思ってた。だけど本当は、王族も貴族も、平民も貧民も、そしてリオット族も、皆、根底は同じ人間なんだ。だから誰にだって、自由に、幸せに、好きな場所で生きる権利はあるはずなんだよ」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.176 )
日時: 2017/10/05 22:36
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



 その時、ふいに、ゾゾが口を開いた。

「で、でも……」

 口ごもりながら、ルーフェンを見つめ、ゾゾは、かすれた声で言った。

「俺たち、呪われている。皆、生まれつき、醜い姿、している。病で、すぐ死ぬ。だから、お前たち王都の人間、俺たちのこと、受け入れたがらない……」

 ぽつん、と呟かれたゾゾの言葉に、他のリオット族たちも同調したように、ルーフェンに視線を向けた。
ルーフェンは、瞳に柔らかい光を灯すと、首を横に振った。

「リオット病によって硬化した皮膚は、貴方たちを、ガドリアの感染源である刺し蝿から守ってきたんだ。だから、ガドリアのない地域で治療すれば、貴方たちの病はちゃんと治る。リオット族は、呪われてなんかいないよ。まして、醜いだなんて思わなくていい。だって、生き抜くために強くなっていった結果こそが、リオット病なんだから」

 ルーフェンは、微笑んだ。

「特殊な力や形質を持っているという理由で、軽蔑してくる人間は確かにいる。でももし、それが正しいことなら、人々がまず軽蔑するべきは、召喚師一族だ。自分達だけが醜く呪われた存在だなんて、思う必要はない。地を操る力も、リオット族が持っているものは全て、一族が誇ってよい力なんだと思う」

 思いがけず、目頭が熱くなったのを感じて、ゾゾは慌てて瞬きをした。
全身、ひび割れて乾いた自分の体からも、まだ涙は出るのかと、不思議に思った。

 ルーフェンは、ゾゾを一瞥し、それから顔をあげた。

「かつて、リオット族を否定し追い詰めて、このノーラデュースに押し込めたのは、俺たちの過ちだ。本当に、ごめん……。でも、だからこそ、貴方たちをここから救い出すのもまた、俺たちの役目であるべきだと思う。もし、リオット族の子供たちに、生まれたことを後悔させたくないと思うなら……俺に、託してください。この奈落の底から出て、王都の人々とリオット族が一緒に暮らせるように。貴方たちがこれから好きに生きられるように、きっと、してみせます。ここで朽ちるべきだなんて、諦める必要はないし、自分達の気持ちを押し殺す必要もない。俺にも、貴方たちの存在が必要だから……だから、一緒に、シュベルテに来てほしい……。ここから出て、生きたいと思う自分達の願いを、どうか否定しないで。俺に、賭けてほしいんだ」

 ルーフェンが言い終えたとき、しばらくの間は、その場にいた全員が口を閉ざしていた。
しかし、ややあって、リオット族の中から、か細い声が上がった。

「……本当に、出してくれる……?」

 声を出したのは、昨日ルーフェンが見た、赤子を抱えた女であった。
ルーフェンは、女の方をじっと見て、力強く頷いた。

「はい。約束します」

 すると、女が微かな声で言った。

「……出たい……」

 ぽろぽろっと涙を溢して踞(うずくま)り、赤子を抱き締める。

「ここから、出たい……。まだ、死にたくない……」

 その女の言葉を皮切りに、他のリオット族たちからも、ぽつりぽつりと声が零れ始めた。

「俺も、出たい……!」

「こんなところで死にたくない……」

「出たい……召喚師、様……!」

「召喚師様……!」

 リオット族達は、懇願するような表情になると、口々にルーフェンの名を呼び始めた。
そんな彼らを見回しながら、ルーフェンは、何かを噛み締めるように拳を握った。

 ようやく、成し遂げられた。
ノーラデュースに来て、リオット族達と話し、その本音に触れて──。
彼らのルーフェンに対する思いも、少しずつではあるが、変わってきたように感じる。

 深い絶望の中で、それでもまだ生きていたいと切に願い、涙を流すリオット族たちを見て、ルーフェンは確かにそう思った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.177 )
日時: 2017/10/08 18:25
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Btri0/Fl)


 しかし、その時だった。
突然、法螺(ほら)を吹きならす音が、頭上から降ってきた。
同時に、地を揺らす馬蹄の音が響いてきて、一同はびくりと顔をあげる。

 天から降り注ぐ日光を手で遮りながら、ノーラデュースの亀裂を見上げる。
するとそこには、太陽を背に奈落を見下ろす、数百の黒い点のような影が、ずらりと並んでいた。

「聞け! 愚かなるリオット族たちよ! 我は、サーフェリアの正当なる忠義者、魔導師団、ノーラデュース部隊隊長、イグナーツ・ルンベルトである! 次期召喚師、ルーフェン・シェイルハート様はご無事か!」

 影の一人が、鋭い声を放つ。
魔術を使っているのか、不自然なほど大きく反響してくるその声に、リオット族達は、何が起きているのか分からないと言った様子で、呆然と亀裂を見上げていた。

 思いがけず名を出されたルーフェンは、はっと身を強ばらせると、オーラントを見た。

「ルンベルト……? ここの魔導師団の、隊長ですよね……?」

 オーラントは頷くと、額に手を当てた。

「まずいな……あんたがノーラデュースに来てること、早速嗅ぎ付けられたか」

 小さく舌打ちして、オーラントは耳に手を当てると、地上のイグナーツに向けて、魔力を練り上げた。
イグナーツ同様、風に声を乗せ、遠くに響かせるのである。

「ちょっと待て! 俺だ、オーラント・バーンズだ! 次期召喚師様はご無事だ! 地上に戻ってから、事情は話す! だから、ひとまず退いてくれ!」

 亀裂を囲む、魔導師の数を目測しながら、オーラントは叫んだ。
距離がある上に、逆光で魔導師たちの表情など伺えなかったが、イグナーツの言葉通りなら、彼らはルーフェンを救出しに来たのだろう。
だが、このノーラデュースの魔導師たちは元々、リオット族に強い恨みを持っている者達だ。
この奈落の底を前に、いつ攻撃をしかけてくるか分からない。

 そんなオーラントの言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか。
イグナーツは、手に持った長杖を掲げると、続いて口を開いた。

「貴様らリオット族は、二十年前の王都での騒擾(そうじょう)より現在まで、多くの人命を奪い去っただけでなく、次期召喚師様を、この穢れた土地に連れ去り、御身を危険に陥れた! その狼藉の数々は、到底許し難いものである! よって我々魔導師団は、貴様らリオット族に、厳正なる罰を与える──!」

 リオット族たちの顔が、一瞬にして真っ青になる。
地上の魔導師達とは、長年殺し合いを続けてきたが、こうして直接攻め込まれるのは、初めてのことであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.178 )
日時: 2017/10/11 15:53
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Fm9yu0yh)


「お前、騙したのか……!?」

 リオット族の一人が、ルーフェンに言った。
ルーフェンは、リオット族のほうに振り向くと、慌てて返した。

「違う! 魔導師たちの勘違いだ! 今から俺が行って、彼らに事情を話すから──」

 しかし、言い終わる前に顔面を殴られて、ルーフェンはその場に倒れ込んだ。
先程までの、すがるような目から一転。
殺気立った色を瞳に浮かべて、リオット族たちがルーフェンを睨んでいる。

「最初から、リオット族、殺させるために来たのか!」

「俺達、救いたいというのは、嘘だったのか……!」

 詰め寄ってくるリオット族たちの、深い悲しみの目を見つめ返して、ルーフェンは唇を噛んだ。
ようやくリオット族たちに、思いが伝わったというのに、まさかこのタイミングで、イグナーツたちが攻めてくるとは思わなかった。
この状況では、リオット族たちが、ルーフェンのことを魔導師団からの刺客だと疑ってしまっても仕方がない。

(……だけど──)

 殴られて、血の滲んだ額を押さえて、ルーフェンは立ち上がった。
普通の人間より、遥かに腕力のあるリオット族が、本気でルーフェンを殴ったのなら、きっと流血するだけでは済まなかったはずだ。
だからきっと、彼らはまだ、ルーフェンのことを完全には疑っていない。

 ルーフェンは、まっすぐにリオット族たちを見つめた。

「嘘じゃない。俺は、貴方達リオット族を、この奈落から救い出したい。信じて」

「…………」

 リオット族たちの瞳が、頼りなく揺れる。
ルーフェンは、再び亀裂を見上げると、オーラントの真似をして、風に声を乗せた。

「ルンベルト隊長、私が次期召喚師のルーフェン・シェイルハートです。私は、リオット族に危害を加えられてはいないし、王宮にも、自らの意思でこのノーラデュースに来たことを書き残して来ました。今すぐ魔導師を退いて、砦に戻って下さい。全て貴方達の誤解だ」

 頭に血が昇っているであろう、イグナーツに対し、なるべく冷静な声で告げる。
すると、程なくして、点々と並んでいた魔導師達の影が、見えなくなった。

 緊迫した雰囲気の中、リオット族たちが、詰めていた息を、ほっと吐き出す。
その、次の瞬間──。
凄まじい爆音と共に、上方の岩壁が、一気に弾け飛んだ。

「────っ!」

 砕けて飛び散った岩石が、奈落の底に降り注ぐ。
ルーフェンたちは、大きく目を見開いて、落下してくる巨石を見つめた。

 魔導師たちは、退いたのではない。
岩壁を爆発させて、リオット族たちをこの奈落に生き埋めにしようとしているのだ。

 オーラントが、咄嗟にルーフェンをかばって、前に出る。
同時にラッセルは空に手を翳すと、上擦った声をあげた。

「わしが食い止める! 女子供は、洞窟の奥に下がれ……!」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.179 )
日時: 2017/10/13 19:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Rn9Xbmu5)


 落下していく岩石が、刹那、空中でぴたりと静止した。
ラッセルによる、リオット族の地の魔術だ。

 イグナーツは、手綱を握る手に力を込めると、後ろに控える部下たちを見据えて、口を開いた。

「作戦通りだ。この岩を伝って、奈落の底に下るぞ!」

「──は!」

 魔導師たちが、強い決意を宿した目で、返事をする。
それに対し頷くと、イグナーツは、馬の腹を蹴って、勢いよく亀裂の中に飛び込んだ。

 元より、爆発を起こすくらいで、リオット族たちを皆殺しにできるなどとは思っていない。
リオット族は、その名の通り地の魔術に長けた民なのだ。
落盤など起こしたところで、今のように岩石を止められるだろうというのは、想定の範囲内であった。

「隊長に続け──!」

 だから、イグナーツたちの目的は、生き埋めにすることなどではない。
リオット族に、落下した岩を空中で静止させること──それこそが真の目的である。
そして、その浮遊した岩を足場に、リオット族たちの元に馬で降りていくというのが、今回の作戦なのだ。

 目論み通りいくかどうかは、賭けに近かった。
だが、リオット族たちからすれば、岩を静止させるか、そのまま岩の下敷きになるしかない。
確率としては、作戦通りに進む方が、高いと考えていた。

 また、卓越した乗馬技術が要される作戦であり、不安定な岩場を踏み外せば、魔導師側にも大きな被害が出るだろう。
それでも、深い奈落の底まで、断崖絶壁を下ることはできないし、何より今は、次期召喚師の救出を理由に、リオット族に復讐をできる好機なのだ。

 リオット族を殲滅できるならば、犠牲は厭(いと)わない。
復讐を成し遂げる、この時のために、ルンベルト隊は存在してきた。

 底光りする目で、イグナーツは叫んだ。

「総員、進め──!」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.180 )
日時: 2021/02/24 02:56
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)

 ラッセルが静止させた岩を足場に、奈落へと駆け下ってくる魔導師たちを見て、リオット族たちは目を剥いた。
オーラントは、降ってくる土砂をルマニールで払いながら、舌打ちした。

「くそっ、あいつらなに考えてる……!? こっちにはまだルーフェンがいるんだぞ!」

 このまま攻撃を開始すれば、ルーフェンが巻き込まれることなど、容易に想像できるはずなのに。
そんなことには構わず、攻めてきた魔導師に、ルーフェンは、吐き捨てるように言った。

「……多分、俺の生死なんて、気にしちゃいないんでしょう。俺を出しにして、リオット族の殺戮を正当化させたに過ぎない」

 次いで、リオット族の女子供たちが洞窟の奥へと下がったのを確認すると、ルーフェンは、ラッセルに駆け寄った。

「ラッセル老、浮遊の魔術を解いて。あとは俺とオーラントさんがどうにかするから!」

 ラッセルは、苦しげに呻くと、翳していた手を引いた。
これだけ大量の巨石の落下を、魔術で制御していたのだ。
相当な負荷を受けていたに違いない。
ラッセルは、ひどく疲弊した様子で、よろよろと後ろに下がった。

 頭上が暗くなり、無数の岩石が、自分達目掛けて落ちてくる。
ルーフェンは、掌を向けて、詠唱した。

「──集え、光輪よ……貫け!」

 宙に出現した光の刃が、鋭く残光を引いて、落下してくる岩々を破壊する。
同時に、オーラントも素早く詠唱すると、四散した岩石を強風で吹き飛ばした。

 足場が崩壊し、飄風(ひょうふう)に巻き込まれた魔導師たちが、地面に落下して、土煙に飲まれる。
しかし、各々魔術で身を守った魔導師たちは、すぐさま体制を立て直すと、雄叫びをあげながら攻め入ってきた。

 馬を失った者も、まだ騎乗している者も、積年の恨みを晴らさんと、一斉に押し寄せてくる。
その足音が大地を揺らし、迫ってきて、間断なく、血塗れの虐殺が始まった。

 空中に複数の魔法陣が展開し、燃え盛る炎の矢が、リオット族たちの頭上に降り注いでくる。
オーラントは、咄嗟に炎の矢をルマニールで弾くと、攻撃体制に入った魔導師たちを睨んだ。
一体どんな経緯で、奈落の底に攻め込んできたのかは分からないが、この無差別な攻撃方法を見る限りでは、ルーフェンの言う通り、次期召喚師の救出というのは建前に過ぎないようだ。

 悲鳴があちらこちらで上がり、炎の矢に貫かれたリオット族たちが、次々と倒れていく。
肉体が頑丈なリオット族も、魔術で攻撃されては、ひとたまりもない。

 絶え間なく炎の矢を出現させてくる魔導師に対し、仕返しとばかりに突進していくリオット族の男たちを見ながら、ルーフェンも、どうすれば良いのか分からなかった。
リオット族の味方をすれば、被害を減らすことができるかもしれないが、それでは、根本的な解決はできない。

 リオット族を地上へと連れ出すには、この魔導師たちとの間に出来てしまった、深い憎しみの連鎖を断ち切る必要がある。
ルーフェンはあくまで、中立の立場にいなければならないのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.181 )
日時: 2017/10/19 17:27
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: z6zuk1Ot)


「ルーフェン! 伏せろ!」

 突然、オーラントの鋭い声が飛んできて、反射的に屈みこむ。
すると、頭上を剣先が掠めていって、ルーフェンは素早くその場から飛びずさった。

 前に出たオーラントが、ルーフェンを狙った男の顎を、ルマニールの石突で打ち上げる。
仰け反った男の腹を、槍先で突くと、オーラントは、ルーフェンのほうに振り返った。

「無事か!」

 戸惑った様子で、ルーフェンが頷く。
リオット族ではなく、確実にルーフェンを狙ってきたその男を見下ろして、ルーフェンは眉をしかめた。
格好を見るだけでは、素性を特定することはできない。
しかし、ルーフェンの命を狙う者の素性など、すぐに見当がついた。

「こいつ、イシュカル教徒か……」

 ルーフェンの呟きに、オーラントが瞠目する。

「イシュカル教徒って……なんでルンベルト隊と一緒に行動してるんだよ」

「……分かりません。でも、俺の命を狙うのは、イシュカル教徒くらいしかいない」

 言ってから、身を翻すと、ルーフェンは、まるで地獄のような戦場を見た。

 魔導師たちの炎の矢は、リオット族たちを貫き、その身を焦がす。
炎に蝕まれたリオット族は、じたばたともがき苦しみながら、やがて息耐えた。
侵入経路は亀裂だけではなかったのか、洞窟の奥に逃げ込んだ女子供たちも、いつのまにか、魔導師たちに乱暴に引きずり出されている。
泣き叫び、嗚咽を漏らす彼女達の声は、聞くに耐えなかった。

 リオット族に飛び付かれた魔導師たちは、容赦なく殴られ、踏み潰され、即死した。
怒り狂い、凶暴な獣と化したリオット族に襲われれば、魔導師たちも成す術はなく、血と土埃の中に身を埋めていった。

 目の前で、宙を掻きむしりながら灰になったリオット族を見て、ルーフェンは唇を噛んだ。
百近くいる魔導師たちに対し、リオット族は、五十にも満たない。
数だけで言えば、リオット族のほうが圧倒的に不利だ。
このままでは、本当に死に絶えてしまう。

(でも、一体どうすれば……!)

 焦りと混乱で、立ち尽くすルーフェンの横で、また別のリオット族の男が、炎の矢に射られた。
──ゾゾだ。

 ルーフェンは、慌ててゾゾに駆け寄ったが、ゾゾは、それには構わず、苦悶の声をあげながら、自力で立ち上がった。
その目からは、幾筋もの涙が溢れ出している。

 最期に、その瞳にルーフェンを映すと、魔導師たちの陣に目掛けて、ゾゾは走り出した。
炎を纏ったゾゾは、高く飛び上がると、数人の魔導師にしがみついて、もつれるようにして倒れこんだ。
捕まった魔導師たちは、ゾゾの身を焼く炎に巻き込まれて、大声で喚きながら、同じく息絶える。

 なんとか逃れようと暴れる魔導師たちを押さえ込んで、炎に飲まれていったゾゾの泣き顔が、ルーフェンの頭に、こびりついて離れなくなった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.182 )
日時: 2017/10/22 21:26
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: kEC/cLVA)




 ゾゾの戦い方を見ていたのか、防戦一方になりつつあったリオット族たちが、突如、勢いよく魔導師たち目掛けて突進し始める。

「やっ……」

 炎の矢が身体に刺さるのも構わず、自分の身を守ろうともせず。
ただただ憎むべき相手を見つめて、リオット族たちは前進していく。
ゾゾのように、自分達の命を引き換えにしてでも、魔導師たちを殺そうとしているようだった。

「やめろ……っ」

 ルーフェンは、うずくまっているラッセルの元に行くと、震える声で叫んだ。

「こ、こんなこと、もうやめさせて……! このままじゃ、本当にリオット族は……っ!」

 ルーフェンの必死の訴えに、しかし、ラッセルは耳を貸さなかった。
ルーフェンを見て、小さく微笑むと、ラッセルは言った。

「若君よ、生き残っている我らの子たちを連れて、逃げてくれ。土蛇の通り道を辿っていけば、地上に出られる……」

 天に手をかざして、ラッセルが、魔力を練り上げる。
同時に、このノーラデュースの岩壁全体が振動し始めたことを感じて、ルーフェンは息を飲んだ。
ラッセルは、この奈落全体を崩壊させて、魔導師共々生き埋めになるつもりなのだ。

「駄目だ! 地上に出たいって──こんな奈落の底で死にたくないって、皆、そう言ってたじゃないか……!」

 ルーフェンは、掠れた声でそう言ったが、それでもラッセルは、魔術の発動を止めなかった。

「おぬしには、召喚師一族としての立場があろう。地上の人間として、魔導師を殺すことも、この奈落の底で殺されることも、許されぬ……。行ってくれ……。おぬしがリオット族を救おうとした、その想い……確かに伝わった。我らは、それだけで十分じゃ」

「────!」

 何かを言い返す前に、誰かに羽交い締めにされて、ルーフェンはラッセルから引き離された。
抜け出そうと暴れるも、その腕は力強く、ぴくりともしない。
腕は、オーラントのものだった。

「くっ、離せ! 離せっ!」

「黙ってろ! このままじゃ、俺たちも生き埋めになって死んじまう! 地上に戻るぞ!」

 戦線離脱しようとするオーラントに、ずるずると引きずられながら、ルーフェンは、激しくぶつかりあう魔導師と、リオット族たちの波を見つめていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.183 )
日時: 2017/12/17 04:08
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


(──……)

 一体自分は、この奈落の底に、何をしにきたのだろうか。
ただリオット族たちを、再び太陽の下に連れ出したかった。
それだけなのに、結果的に、こんな争いを招いてしまった。

(やめてくれ……)

 皆、お前には、次期召喚師としての立場があるのだからと、そう言う。
次期召喚師だから、国を守らねばならない。
次期召喚師だから、強く、非情に、敵を散らさねばならない。
次期召喚師だから、死んではならない──。

 だが、本当に次期召喚師だと言うなら、どうして自分はこんなに無力なのだろう。
アーベリトを救い、リオット族たちを救い、そして、サミルの助けになること──。
初めて、自分の意思で成し遂げたいと思ったことですら、果たすことも出来ずに、何故自分は、国の守護者なのだと言えるのだろう。

(やめろ……見たくない……)

 リオット族や魔導師の断末魔を聞きながら、ルーフェンは、目を閉じた。

(嫌だ……もう、これ以上は……)

 悲しみと虚しさ、罪悪感がせめぎ合う心の奥に、冷たい刃が刺さった。

 閉じた目の、暗闇の先で、沢山の目がこちらを見ている。
いつか見た悪夢と同じように、まるで、ルーフェンを責め立てるかの如く。
悲しみを孕んだ目で、こちらを見つめている。

 ルーフェンに殺された、ヘンリ村の者達や、イシュカル教徒たちの目。
憎悪にまみれた、ノーラデュースの魔導師たちや、リオット族たちの目。
沢山の視線が、ただじっと、ルーフェンを貫いていた。

 同時に、自分の奥底から、いくつもの声が聞こえてきた。

──辛い、苦しい……見たくない……。

 ルーフェンの心情を、そのまま読み上げるかのように。
何層にも重なる声が、語りかけてきた。

──こんな窮屈な運命は、嫌だ、嫌だ……。

──望んで生まれたわけではないのに、何故……?

──ああ、もう見たくない……。それならいっそ、全て消してしまおうか……?

 最後の声は、バアルの声だった。
深く醜い、殺戮願望を促してくる声。

 それらの忌まわしい声を聞いているうちに、どんどん息が苦しくなってきて、ルーフェンは、喘ぎながら身をよじった。

「うるさい……っ!」

 口を閉ざしていたルーフェンが、突然、大声で叫んだ。
驚いたオーラントは、その姿を見て、ぎょっとした。
ルーフェンの手足の皮膚が、ぬらぬらと光る、黒い鱗のようなものに覆われていたからだ。

「お、おい! どうした……!?」

 ひとまず足を止め、抱えていたルーフェンを揺らすが、何の返事もない。
ルーフェンは、真っ青な顔で喘鳴しながら、焦点の合わない瞳をさまよわせている。

 予期せぬ事態に、オーラントは何度もルーフェンの名を呼んだが、その声は、ルーフェンには聞こえていなかった。

──悲しい、虚しい……皆、無くなってしまえばいいのに……。

──力が欲しい……全て思いのままにできる、強大な力が……!

 ルーフェンの中に響いているのは、無数の悪魔たちの声だけだ。
ルーフェンを、終わりのない闇の中に誘い、取り込もうとする甘言。
しかし、その声を聞いても、これまでのような、強い殺戮願望は現れなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.184 )
日時: 2017/12/17 04:10
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 全員、殺してしまえば──。
そんな思いが過(よぎ)る度に、それ以上の後悔が押し寄せてきて、もう、殺戮を楽しめるような凶暴な欲は、湧いてこなかったのだ。

(うるさい……! 俺はもう、殺したくない……!)

 まとわりついてくる悪魔の声を振り払うように、大きく手を振り回すと、瞬間、すぐ近くに、ふっと生ぬるい吐息を感じた。
びくりと目を開けると、鼻先が触れるほど近くに、自分の顔がある。
負の感情に満ちて、激しく表情を歪ませた、醜悪な自分の顔だ。

──殺したい──! 殺せ……! 血肉を欲せよ……!

 何度も闇に誘ってきた、聞き慣れた声。
ルーフェンの顔で、そう告げてきたのは、紛れもなくバアルだった。

 バアルだけではない。
ルーフェンを取り囲むように、五体の邪悪な悪魔たちが、その場でこちらを凝視していた。

──力を求めよ……! 殺せ、殺せ、殺せ……!

 バアルが、異様に光る目で、何度も何度も語りかけてくる。
そのあまりの恐怖に、一言も発することができなかったルーフェンだったが、バアルの伸ばした爪が、自分の胸を突いたとき、はっと身を凍らせた。

 このまま、バアルが自分の中に溶け込んでくれば、きっとまた闇に囚われる。
そうなれば、再び殺戮の快感に溺れ、リオット族や魔導師たちを、皆殺しにするかもしれない。
──あの日、サンレードを焼き尽くしたときのように。

 そう思った途端、恐ろしさで強ばっていた身体が、急に軽くなった。

(俺はもう、人殺しにはならない……!)

 バアルの目を睨み返して、歯を食い縛る。
恐怖を通り越して、ルーフェンの中で膨れ上がってきたのは、途方もない怒りだった。

(俺は、お前ら悪魔の道具じゃない──!)

 バアルを押し退けるようにして、ぐっと身を乗り出す。
途端、自分の顔をしていたバアルが、凶悪な異形の姿になって牙を剥いたが、ルーフェンは、それでも怯(ひる)まなかった。

(力が、欲しい……!)

 バアルの牙が、不気味に光って、ルーフェンを噛み裂こうと迫ってくる。

──恐ろしかった。
だが、それ以上の強い力に突き動かされて、ルーフェンは、その牙を掴むと、力一杯押し返した。

(だけどもう、お前たちに利用されたりはしない……!)

 悪魔たちは、未だ口々に、殺せ殺せと告げてくる。
だが、その声には耳を傾けず、ルーフェンは、腹に力を込めると、大声で怒鳴った。

「黙れって言ってるだろ! 勘違いするなよ! お前らの主は、一体誰だと思ってる──!」

 大きく見開いた目で、ルーフェンはバアルを見た。
刹那、脳内に反響していた悪魔たちの声がぴたりと止んで、辺りが静寂に包まれる。

 ルーフェンは、喉が張り裂けそうなほどの声で、身を絞るように絶叫した。

「お前たちの主は、俺だ! 黙って、俺に従え──!」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.185 )
日時: 2017/11/03 17:45
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: JIRis42C)



 暗雲の狭間から、日の光が射し込んだように。
ぱっと目の前の暗闇がかき消えて、悪魔たちの気配が、ルーフェンの中に滑り込んできた。

「────っ!?」

 一瞬、身を食われるような激痛が、全身に走る。
だが、もう悪魔たちの声が聞こえてくることはなく、以前のように、どす黒い闇の塊が、意識を支配するようなこともなかった。

 全身を覆っていた黒い皮膚が、すっと溶け込むようにして、消えていく。
瞠目したまま、ぐっと息を詰めると、ルーフェンは、入り込んできた悪魔の気配を、その身に飲み込んだ。

──瞬間、頭に浮かんだ呪文を、ルーフェンは唱えた。

「汝、獲得と地位を司る地獄の侯爵よ!
従順として求めに応じ、可視の姿となれ……!
フォルネウス──!」

 地面が、まるで液体のように波打ち、飛沫をあげたかと思うと、ルーフェンの足下から、人の五倍はあろうかというほど巨大な銀鮫が、勢いよく飛び上がった。

 亀裂から注いでくる日光を受け、淡く白銀の体表を光らせる銀鮫──悪魔、フォルネウス。
その透き通った胸鰭(むなびれ)を広げ、空中を遊泳する姿に、その場にいた誰もが、息をするのも忘れて見入った。

 ルーフェンは、放心するオーラントの手を振りほどき、立ち上がった。
そして、獲物を捉えた獣のような、煌々と光る目で、争う魔導師とリオット族たちを見つめた。

「……戦いを、やめろ」

 落ち着いた、けれど威圧感のある声で、ルーフェンが口を開く。
同時に、宙を滑ったフォルネウスが、抑揚の強い低音を発すると、それを聞いた途端、全員が、地面に縫い付けられたかのように動けなくなった。

 意識はあるのに、どれほど手足に集中しても、指一本動かすことができない。
ラッセルも、発動させようとしていた魔術を遮られて、立ったまま硬直した。

 リオット族たちは、興奮した様子で、ルーフェンに叫んだ。

「召喚師様! 俺達にかけた術、解け!」

「地上の魔導師、ぶっ殺してやる!」

 目線だけを動かして、戦線に出ていたリオット族たちが、魔導師を睨む。
ルーフェンは、悲しそうに眉をひそめると、首を横に振った。

「駄目だ……こんな殺し合いを続けたって、犠牲が増えるだけだ」

 ルーフェンの言葉に、リオット族たちが、顔を歪める。

「地上の魔導師、リオット族の敵だ! 俺達、同胞の仇、討つ!」

「お前、リオット族助ける、違うのか……!」

 身体さえ動けば、ルーフェンにも掴みかかろうとするような勢いで、リオット族たちが言う。
ルーフェンは、揺らがぬ瞳で彼らを見据え、はっきりと返した。

「助けるよ。俺は、君たちを助けたい。だからこそ、こんな復讐、止めなきゃいけない……」

 驚いた様子で、リオット族たちが言葉を止める。
ルーフェンは、その脇を抜けて、膝をつくイグナーツの元に歩いていった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.186 )
日時: 2017/11/06 18:32
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: e/CUjWVK)


「ルンベルト隊長、もう一度言います。今すぐに、魔導師たちを連れて、この奈落から去ると約束してください」

「…………」

 イグナーツは、ルーフェンを睨むと、つかの間沈黙してから、はっと鼻で笑った。

「恐れながら……貴方は一体、どういうおつもりでこのノーラデュースを訪れたのか。リオット族を助ける? 復讐を止める? お戯れを……。二十年前、この蛮族がどれほどの人間を殺したか、ご存知ないわけではないでしょう。俺の妻と娘も、この化物共に殺されたのだ」

 イグナーツが、憎悪に染まった目を、ルーフェンに向ける。
その目を見つめ返して、ルーフェンは、ぐっと拳に力を込めた。

「妻と娘を殺された、その絶望を知っているなら……。逃げ惑うリオット族の女性や子供たちが、魔導師たちに引きずり出されるところを見て、何も思わなかったのですか? 憎悪に駆られて、泣きながら命を捨てるリオット族たちを見て、何も感じませんか……?」

 イグナーツの眉が、ぴくりと動く。
ルーフェンは、静かに続けた。

「二十年前の騒擾で、リオット族は、沢山の王都の人間を殺した。でも貴方たちも、リオット族を奴隷として狩り、このノーラデュースに追い詰め、殺してきた。リオット族は、蛮族なんかじゃない。同胞を失い、憎しみに取り憑かれた、貴方たちと同じ人間だ」

 イグナーツは、強く歯を食い縛ると、一瞬だけ、ノイの方を見た。
ノイは、他のリオット族たちと同じように、悔しげに魔導師たちを睨みながら、硬直している。
そんなノイの、潰れた左目を見てから、イグナーツは、ルーフェンに目線を戻した。

「……だったら、なんだ。我らのリオット族に対する憎悪は、貴方のお綺麗な戯れ言で収まるほど、小さなものではない! この二十年間ずっと、リオット族を皆殺しにすることだけを考えて生きてきた私達に、一体どうしろと言うのだ……!」

「…………」

 ルーフェンは、微かに唇を震わせて、黙りこんだ。
しかし、すぐにイグナーツに向き直ると、答えた。

「分かりません……。だけど、この憎しみの連鎖は、どこかで断ち切らねばならない。募った憎しみを飲み込んで、相手を許すというのは、何より辛く、難しいことなのだと思います……。それでも、仇なんて討っても、亡くなった貴方の妻子は救われない。こんな争い、続けたところで、新たな憎しみを生むだけです。誰かが必ず、止めなきゃいけないんだ」

 ルーフェンがそう告げた、刹那。
不意に、空気が変わったかと思うと、地面から、鋭い岩の槍が突出してきて、ルーフェンの肩口に突き刺さった。
イグナーツの後ろにいた魔導師の一人が、詠唱して魔術を行使したのだ。

「────っ!」

 咄嗟に急所を避けるも、肩口に熱い衝撃が走って、ルーフェンがその場に倒れる。
同時に、頭上を遊泳していたフォルネウスがかき消えて、全員の金縛りが解けた。

「やめろ! ルンベルト──!」

 叫んでから、凄まじい勢いで走り出すと、オーラントは、ルーフェンにとどめを刺そうと立ち上がったイグナーツに、突進した。

 オーラントの投げつけたルマニールを、イグナーツが、反射的に長杖で弾く。
高い金属音を立てて、弾き飛ばされたルマニールは、しかし、そのまま宙を旋回すると、再びオーラントの手中に納まった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.187 )
日時: 2017/12/17 04:15
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 オーラントは、素早くルーフェンの前に飛び出すと、強くルマニールを突きこんだ。
それを長杖で受け、イグナーツは怒鳴った。

「邪魔をするな、バーンズ! 宮廷魔導師でありながら、リオット族の肩を持つとは、一体どういうつもりだ!」

 ルマニールと長杖を交わらせたまま、オーラントも、大声で返した。

「それはこっちの台詞だ! 分かってるのか! リオット族云々以前に、お前らは今、次期召喚師を殺そうとしたんだぞ!」

「黙れ!」

 イグナーツの長杖から炎が噴き出して、オーラントに襲いかかる。
その炎を風で巻き上げ、後方に跳びずさったオーラントは、ルーフェンの近くに着地した。
ルーフェンは、どくどくと血の流れ出る肩口をおさえて、うずくまっている。

 イグナーツは、ルーフェンとオーラントを睨みつけた。

「長年憎しみ合ってきた我々が、今更分かり合えるはずもない! 何を言われようと、ルンベルト隊は最期まで戦う! それでも止めたいと言うならば、我らを全員殺してみるが良い! そのご自慢の、召喚術を使ってな……!」

「──っ!」

 ルーフェンが、微かに表情を歪める。
オーラントは、舌打ちすると、すくい上げるようにルマニールを振って、イグナーツの脚を斬りつけた。

「く……っ!」

 バランスを崩したイグナーツに、詠唱させる暇も与えず、ルマニールの穂先が迫ってくる。
イグナーツは、咄嗟にその一撃を受け流したが、そのあまりにも重い突きに、思わず地面に手をついた。

 その隙を逃さず、オーラントのルマニールが、イグナーツの右腕を切り裂く。

 利き手を損傷し、呻いたイグナーツを見下ろして、オーラントは怒鳴った。

「いい加減に頭を冷やせ! あんたが復讐に命をかけるのは自由だが、ルンベルト隊はあんただけじゃないんだぞ! ちったぁ周りを見ろ!」

 オーラントに言われて、初めてイグナーツは、背後にいる部下たちの顔を見た。
リオット族を憎み、怒りに目をぎらつかせている者もいるが、中には、躊躇いの表情を見せている者もいる。

 復讐を果たすためとはいえ、自分の命を危険にさらすこと。
そして、リオット族討伐の大義を手に入れるため、次期召喚師まで手にかけたことに対し、戸惑っているのだ。
もし次期召喚師を意図的に傷つけたことが王宮に露見すれば、極刑は免れない。

 煮え立っていた興奮が徐々に冷めてきて、イグナーツは、周囲を見回した。

 どうすれば良いか分からずに、イグナーツの指示を待つ魔導師たち。
そんな魔導師たちを警戒しながらも、ルーフェンを見つめるリオット族たち。
肩口の痛みに耐えるルーフェンと、こちらを睨むオーラント。
そして、地面で踏み荒らされ、ぽっかりと口を開けたまま事切れる、沢山の死体。

「…………」

──二十年前に起きた、騒擾の現場のように。
血に染まった奈落を見渡して、イグナーツは、歯を食い縛る。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.188 )
日時: 2017/12/17 04:16
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 不意に、鋭い絶叫があがり、リオット族の中から、ノイが飛び出してきた。

 ノイは、魔導師の死体から抜き取った剣を振りかざし、イグナーツに向かって、一直線に走ってくる。
イグナーツは、立ち上がろうとしたが、脚と腕をオーラントに切り裂かれた状態では、すぐには立てなかった。

「駄目だ! 止まれっ!」

 ノイの意図を汲んだルーフェンが、掠れた声で叫ぶ。
しかし、そんな声に構わず、ノイは走った。

「止めるな! 今なら……今なら殺せるっ! 私の、母の仇──!」

 死を覚悟したように、瞠目するイグナーツを、確かに視界で捉える。
そうして、渾身の力を込めて、ノイが剣を降り下ろした瞬間。
肉を裂く音がして、辺りに、血しぶきが飛んだ。

「────!」

 だがそれは、イグナーツの血ではない。
イグナーツをかばい、ノイの剣を受けたのは、リオット族の長、ラッセルであった。

「……え……?」

 思わず剣を取り落とし、信じられないといった様子で、ノイが、ラッセルを見る。
予想外の光景に、その場にいた全員が、目を見開いたまま立ち尽くした。

 鮮血が溢れだす胸部に、ラッセルが息を詰まらせる。
ノイは、自分の全身に付着したラッセルの返り血を見て、がたがたと震え始めた。

「……ぁ……あ、なんで……」

 ラッセルは、ノイを見た。
そして、力ない腕で優しくノイを抱き寄せると、言った。

「もう、やめよう……」

 ノイの瞳から、涙がこぼれる。
ラッセルは、困惑するリオット族たちを見てから、次いで、ルーフェンに視線をやった。

「……憎しみの連鎖を……どこかで、誰かが、必ず断ち切らねばならない……。そうじゃな、若君よ……」

 ルーフェンが、瞠目する。
ラッセルは、ノイから離れると、今度はイグナーツの方へと近づいていった。

「わしらリオット族は、二十年よりも前からずっと、地上で虐げられ、利用されてきた……。お前たちのことが、憎くて憎くて、仕方がない……」

 身構えたイグナーツの前で、腰を下ろすと、ラッセルは弱々しく告げた。

「じゃがわしは、その憎しみ以上に、我が同胞たちが愛おしい……。だから、頼む。もう、リオット族を殺さんでくれ。わしは、仲間の死を見たくない……。こんな争い、続けても虚しいだけじゃ。殺しを繰り返したところで、犠牲になった同胞達は、浮かばれぬ」

 ラッセルは、ゆっくりとした動作で、イグナーツに土下座をした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.189 )
日時: 2017/11/14 22:17
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: z2eVRrJA)

「これまで、わしらも、沢山の人間を殺してきた。……本当に、すまなかった。リオット族を殺すことで、お前たちの無念が晴れるのなら……わしの命を差し出そう。じゃが、他の者達は、どうか許してやってくれ……」

 魔導師たちが、ラッセルを見たまま、絶句する。
リオット族たちは、はっと我に返ったようにラッセルに駆け寄ると、口々に言った。

「長! 人間に頭下げるなど、必要ない……!」

「地上の人間、ずっと我らを蔑み、貶めてきた!」

「殺されて当然だ……!」

 ラッセルは、顔をあげると、静かに首を振った。

「悪いのは、わしらも同じなのだ……。憎しみに駆られ、道を誤ってしまったのだから……」

 リオット族たちが、涙をこらえるように、唇を歪ませる。
ラッセルは、全員を見回して、言い募った。

「ずっと、この奈落で朽ちることが、我らリオット族にとって一番良いのだと、そう信じ込んでいた。じゃが、違ったのだな。長い間、わしの考えを押し付けて、お前たちには、本当に申し訳ないことをした。最も大切なのは、憎むべき仇を討つことでも、死んだ仲間を想うことでもない。今を生き、そして生きていく、お前たちの意思を尊重することじゃ。だから……まだお前たちが、希望を見出だせるなら。生きたいと、そう思うならば、若君に──召喚師様に、着いていくが良い。どこまでも強く、そして誇り高く、行け、我が同胞たちよ。それが、わしの願いであり、長としての最期の言葉じゃ」

「……っ」

 堪えきれず、涙を流すリオット族たちに、ラッセルはそう告げた。
そして、更に一歩、イグナーツに近づくと、再び土下座をした。

「憎しみを、捨てろとは言わぬ。じゃが、この気持ち、どうか分かっておくれ。もしおぬしら魔導師の中にも、家族を持つ者がいるならば、理解できるじゃろう。憎しみ、争って死んでも、おぬしらの身内とて、誰も喜ばぬ。ただただ、悲しみ、そしてまた、憎むだけじゃ。……わしの首を、くれてやる。じゃから、それでもう、終わりにしよう……」

 まるで、殺されるのを待っているかのように、ラッセルが頭を下げる。
その姿に、ノイは崩れ落ち、激しく息を詰まらせてむせび泣いた。
リオット族たちは、ラッセルの想いを汲んだのか、もう誰も、魔導師たちに攻撃しようとはしない。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.190 )
日時: 2017/11/16 17:56
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: .niDELNN)


 イグナーツは、そんなリオット族を見つめながら、胸の奥に、やるせない怒りが湧いてくるのを感じた。

 部下達も、もはや戦う気力を失っている者達が多い。
自分も、先程のオーラントとの戦いで、負傷している。
だから、これ以上抵抗するのは、得策でないと分かっているのに。

 目の前に、リオット族がいる。
それだけで、心の中に積もった憎悪と怒りが、爆発した。

(そうだ……こいつは、自分から命を差し出してるんだ! 殺しても構わないと、自分から……!)

 イグナーツは、腰にある短剣を左手で引き抜き、痛む脚に力を込めて、立ち上がった。
手を止めなければと、そう頭では分かっていたのだが、目の前にいるリオット族殺してやりたいと思う気持ちの方が、ずっと強かった。

 ラッセルの首めがけて、思いきり、短剣を振り上げる。
だが、それを降り下ろした瞬間、ラッセルの前に、ルーフェンが飛び出してきた。

「──……」

 同時に、イグナーツの首筋に、ひやりとしたものが当てられる。

 ルーフェンを貫く寸前に、イグナーツが短剣を止めたのと、オーラントが、イグナーツの首筋にルマニールを突きつけたのは、ほぼ同時だった。

「……ラッセル老」

 静かな声で、ルーフェンが呼び掛ける。
ラッセルは、おずおずと顔をあげると、自分をかばうように立ちはだかる、ルーフェンを見つめた。

「仲間の元に戻って。……早く、傷の手当てをしてください。俺が、地上に出るときは……貴方も一緒がいい」

「若君……おぬし……」

 涙声で返事をして、ラッセルは、身を起こした。
その身体を支えようと、リオット族たちが駆けてくる。

 ルーフェンは、ラッセルがリオット族たちの元に下がったのを見届けると、短剣を突きつけられたまま、イグナーツを見た。

「……まだ、戦いますか」

「…………」

 ルーフェンの、銀の瞳に射抜かれて、イグナーツが、はっと息を溢す。
それから、持っていた短剣を捨てると、イグナーツは、その場に崩れて、座り込んだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.191 )
日時: 2017/11/18 18:53
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 1lEcCkWN)


 オーラントは、未だルマニールを引くことはなく、イグナーツを睨んでいた。
しかしイグナーツは、そんなことは気にしていない様子で、虚ろな瞳をルーフェンに向けた。

「……一つ、教えてくれ。俺に斬りかかってきたあの少女……名は、なんと言う」

 ルーフェンは、微かに眉を寄せると、振り向いて、リオット族たちのほうを一瞥した。
先程イグナーツに斬りかかった少女といえば、ノイのことだろうが、今更どうしてそんなことを聞いてくるのか、分からなかった。

「……何故、名前なんて尋ねるんですか?」

 問うと、イグナーツは、俯いた。

「ずっと、探していたのだ……」

 ふと、昔の光景を思い出すように、目を閉じる。

「……私はこれまで、何人ものリオット族を殺してきた。リオット族は野蛮で、獣のような、理性も心もない害虫だと、そう思い込んで……。だが、あの少女の母親を殺した時のことは、はっきり覚えている。恐怖に震える少女を、母親は、殺される寸前に奈落へ突き落とし、逃したのだ。……あの時の、少女の泣き叫ぶ声が、ずっと私の頭から、離れなかった。私の妻と娘も、あのように殺されたのかと思うと、急に、恐ろしくなった。リオット族たちにも、私たちと同じように、心があるのではないか。私たちがやっていることは、正義でなく、虐殺なのでないか、と……」

「…………」

 ルーフェンは、少し意外そうに、目を見開いた。

「それを分かっていたなら、どうして……」

 イグナーツは、平坦な声で答えた。

「……認めたく、なかったのだ。私たちの仕事は、復讐であるのと同時に、サーフェリアの害虫を消す正義であると、ずっと信じていたかった。しかし、あの少女を見て、果たして本当にそうなのかと、怖くなった……。そして私は、目をそらした。復讐を正義だと考え、生きてきた私の二十年間を否定するより、リオット族を蛮族として憎み、殺し続ける方が、ずっと楽だったのだ……」

「…………」

「分かっていても、根付いてしまった憎しみは、リオット族を殺すことでしか晴らせなかった。私は、そうやって生きてきた……」

 まるで、突然魂が抜けてしまったかのように、イグナーツはぼんやりと語る。
ルーフェンは、しばらくしてもう一度、リオット族たちのほうを見ると、口を開いた。

「……あの子は、ノイという名前です」

「…………」

 イグナーツが、微かに顔をあげる。
ルーフェンは、その顔を見つめて、呟くように言った。

「一体、いつからこの憎しみが始まってしまったのか……。何が正しくて、貴方達がどうするべきだったのか、俺には、分かりません……」

 つかの間、言葉を止めて、ルーフェンは目を伏せた。

「それでも、やっぱり……こんな憎しみ合いは、間違ってるんだと思う」

「…………」

 イグナーツは、うっと息を詰めると、震え始めた。
そして、地面にうずくまると、背を丸めて、泣いた。

 胸の中にわき上がってきたのは、自分の生き方を否定された悲しさでも、妻子を殺された憎しみでもなかった。
イグナーツが感じていたのは、心が悶えるような、底知れぬ虚しさであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.192 )
日時: 2017/11/20 17:43
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 5TWPLANd)



 争いが鎮まった後でも、奈落の底は、騒然としていた。
動ける者は、負傷者の手当てを急ぎ、休む暇もなく走り回っている。

 手当てといっても、治療道具などないノーラデュースでは、止血を施すくらいしかできない。
だが先程、魔導師たちが数人、土蛇の通り道をたどって、地上に向かった。
砦にある治療道具を、取りに行くためである。

 馬を飛ばしても、行って戻ってくるのに、一日はかかってしまう。
しかし、沢山の負傷者を抱えて、奈落から這い上がることは難しい。
この方法をとるしかなかったのだ。

 怪我人の手当てを終えると、リオット族たちは、死んだ同胞の遺体を埋葬した。
魔導師たちの遺体は、地上に出てから弔うということで、布にくるまれ、一ヶ所に集められていた。

 同胞の亡骸を囲み、リオット族たちが、声を押し殺して泣いている。
魔導師たちも、疲れきった表情で、粛々と遺体を運び続けていた。

 そんな彼らを、呆然と眺めているイグナーツに、不意に、ラッセルが話しかけた。

「……傷は、もう良いのか」

 ぎょっとした様子で、イグナーツが振り向く。
まさか話しかけられるとは思っていたなかったのか、少し躊躇ったように俯いてから、イグナーツは返事をした。

「……私より、貴方の方が重症だろう」

 ノイの一撃で引き裂かれた、ラッセルの胸部を一瞥する。
リオット族の強健さ故なのか、幸い、もう血は止まっているようだ。
それでも、止血に使っていた布切れには、どす黒い血が染み込んでいて、ひどく痛々しかった。

 ラッセルは、イグナーツの隣に腰を下ろすと、小さく嘆息した。

「……どうにも、わしは悪運が強いようじゃな。リオット族の長でありながら、一族に沢山の犠牲を出した……。その、贖罪になるならと、死ぬ覚悟はできておったんじゃが、結局、生き残ってしまったよ」

「…………」

 イグナーツと同じように、立ち働くリオット族や魔導師たちを見つめて、ラッセルは微かに笑った。

「わしらは共に、間違っていたのじゃな。醜い感情に支配されて、本当に大切にすべきは何なのか、完全に見失っておった。そんな我らでも……まだ生きよと、希望を持てと、若君がそう仰られるのならば……。わしはまだ、この世に留まっていようと思うよ」

「若君……? 次期召喚師のことか」

 イグナーツの問いに、ラッセルが頷く。
イグナーツは、傷ついた自らの右腕を見下ろして、口を開いた。

「バーンズ殿から、聞いた。あの次期召喚師、リオット族をこの奈落から出そうと、そのために自らノーラデュースに飛び込んだのだと。……リオット族は、次期召喚師に着いていくのか」

「そのつもりじゃ」

 答えたラッセルに、イグナーツは眉を寄せた。

「……私が言う台詞ではないが、次期召喚師について地上に出ても、お前たちの居場所などないぞ。確かにあの次期召喚師は、強い。あの年で、召喚術も使いこなしているように見えた。……だが、所詮はまだ子供だ。無知で、王宮という狭い檻の中しか知らぬ。そのような者が、あんな強大な力を持っていることが、私は恐ろしい……。イシュカル教徒のように、召喚師一族の存在に異を唱えるつもりはないが、あのような無垢な子供に、国が抱える醜悪に満ちた一面を、理解することはできまい」

 目を伏せて、イグナーツは言った。
長い顎髭を撫でながら、それを聞いていたラッセルは、やがて、ふっと苦笑を浮かべた。

「果たして、そうじゃろうか。若君は、我らが思っている以上に、多くのものを見て、考えているように思える」

 イグナーツが、訝しげにラッセルを見る。
ラッセルは、笑みを深めた。

「なに、我らは元々、この奈落で朽ちるはずだった一族じゃ。今更、何を恐れるというのか。若君は、我らに初めて、手を差し伸べてくれた人間。それに報いることが、我らリオット族の総意じゃ」

「…………」

「醜い我らを、それでも良いと認めて下さる限り、何があってもリオット族は、若君に忠義を尽くそう……」

 イグナーツは、魂が抜けてしまったような顔で、じっと黙りこんでいた。
しかし、ふと立ち上がると、ラッセルに背を向けた。

「……私には、もう何もない。もはや、復讐という生きる目的も無くしてしまった……。此度のリオット族襲撃の件を伝え、王宮に戻れば、私は次期召喚師を殺害しようとした大罪人として、処されることになるだろう」

 イグナーツは、自嘲気味に笑った。

「私はいつから、間違っていたのだろうな……」

「…………」

 それだけ言うと、イグナーツは、長杖で身体を支えながら、ゆっくりと歩き出した。
そして、作業をする魔導師たちの元に向かうと、集合をかけた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.193 )
日時: 2017/11/21 21:02
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「聞いてくれ……お前たち。私たちは、王宮の許可なくノーラデュースに攻め込み、挙げ句、次期召喚師様を危険にさらしてしまった。……ルンベルト隊は、解散することになるだろう」

 集まってきた部下たちは、不安が隠せぬ様子で、イグナーツを見つめている。
すっと息を吸って、イグナーツは言った。

「……今後、我らがどうなるのか、それは分からない。だが、お前たちはあくまでも、私の命令に従っただけだ。罪に問われることのないよう、私が計らう。……あとは、お前たちの自由にするが良い。リオット族への復讐を果たせなくなった今、魔導師を続ける気がないというならば、去れ。それを止める権利は、私にはない」

 一度、魔導師たちの顔を見回してから、イグナーツは続けた。

「だが、もしまだ魔導師として、陛下に仕える気があるならば、地上に出て、一度王都に戻れ。此度の出来事を王宮に報告したあと、召喚師一族の下で、再び戦いに身を投じることになるだろう」

「…………」

 魔導師たちは、沈んだ表情で、長い間、押し黙っていた。
だが、やがてぽつりぽつりと顔をあげると、口を開いた。

「……俺は、隊長に着いていきます」

「俺も。……まだ魔導師として、陛下に仕えます」

 口々に言いながら、魔導師たちが頷き合う。
その中で、とりわけ疲れきった顔をしていた魔導師の一人が、ずいと前に出た。

「なぜ、復讐が果たせないなどと言うのですか、隊長……」

 すがるように、イグナーツに詰め寄ってきたのは、ルーフェンに最初に攻撃をした、あの若い魔導師だった。

「俺は、リオット族が憎いです! 後々罪に問われようが、仇討ちで命を落とそうが、そんなことはどうでもいい! 私は、妹をリオット族に殺されたあの日から、復讐だけを考えて生きてきたんです! 隊長も、そういうお方なのだと思ったから、ついてきたのに……! 何故、今更そのようなことを言うのですか!」

 瞳孔の開ききった、狂気的とも言える魔導師の瞳を見て、イグナーツは、ぞっとした。
同時に、胸の奥に、鋭い悲しみが広がった。

 憎悪の念に取り込まれ、復讐だけを糧に生きてきた。
そんな自分達の哀れさ、異常さを、改めて目の当たりにしているようだった。

 イグナーツは、苦しそうに顔を歪めて、首を振った。

「すまない……。私ではもう、お前の憎しみを晴らしてやることは、できない……」

 細い声でそう言ったイグナーツに、若い魔導師は、眉をしかめた。
そして、イグナーツから一歩下がると、暗い声で言った。

「そうですか……。それなら俺は、王都には戻りません……」

「…………」

 さっと踵を返して、若い魔導師は、その場から去った。
つかの間、気まずい空気が流れて、何人かの魔導師たちが、その若い魔導師の後を追っていく。

 二十年間、共にいた魔導師たちの後ろ姿を、イグナーツはじっと見つめていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.194 )
日時: 2017/11/22 19:22
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 07aYTU12)


 意識を失っているリオット族の一人に、右腕と口だけで止血を施していると、突然、オーラントに声をかけられた。

「馬鹿、ルーフェン! お前もさっさと肩の治療をしろ!」

 魔術で抉られた、ルーフェンの左肩の傷を見て、オーラントが駆け寄ってくる。
しかし、出血しているリオット族の男を、放置するわけにはいかない。
そう思って、作業を続けていると、オーラントに軽く頭を叩かれた。

「いいから早く来い! そいつの止血は、他の奴に頼んだ!」

 その有無を言わせぬ口調に、ルーフェンは渋々立ち上がると、オーラントに着いていった。

 広場の隅に座り、魔術で照らすと、ルーフェンの左肩の傷は、幸い出血が止まっていた。
自分で、止血だけは施していたのだろう。
だが、きつく巻いてあるローブの切れ端をほどくと、傷口に砂や土が食い込んでいた。

 よく見れば、ルーフェンの顔も青白く、全身が脂汗でじっとりと濡れている。
このままでは、傷口が化膿するだろうし、もしかしたら、既に熱が出ているかもしれない。

 オーラントは、荷物から水筒を取り出して、その水で傷口を洗い始めた。
ルーフェンは、しばらく黙って、されるがままになっていたが、オーラントが軟膏を取り出すのを見ると、驚いたように目を見開いた。

「……オーラントさん、傷薬持ってたんですか?」

 オーラントは、ルーフェンの顔を一瞥すると、呆れたようにため息をついた。

「言っておきますけど、全員分はないですよ。あんたに使う分しかありません。他の奴に使えとか、ごちゃごちゃ言わないように」

「…………」

 言おうと思っていたことを先に言われて、ルーフェンは、暗い表情で口をつぐんだ。

 予想通りの反応に、オーラントが肩をすくめる。
ルーフェンは、この奈落に魔導師たちが攻め入ってきたことに、責任を感じているようだった。

 傷口に軟膏を塗りながら、オーラントは、ふと口を開いた。

「……そういえば、さっきルンベルトと話したんですがね。三日ほど前に、イシュカル教徒がノーラデュースの砦に来て、次期召喚師がリオット族に囚われているから、奈落に攻め込めと言ってきたそうですよ。今回のリオット族討伐のきっかけは、それみたいです。やっぱりイシュカル教徒は、混乱に乗じて、あんたを殺害するつもりだったのかもしれません」

「……そうですか」

 大して驚いた様子もなく、ルーフェンは、淡々と返した。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.195 )
日時: 2017/11/23 21:27
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「じゃあ、今回の争いの原因は、俺だったんですね」

 オーラントは、一瞬躊躇ったように言葉を止めて、ぽりぽりと後頭部を掻いた。

「……そうですね。……でも、リオット族は皆、あんたに感謝してましたよ。リオット族のあんたに対する態度が、明らかに変わった」

「…………」

 ルーフェンは、ぎゅっと唇を結んで、つかの間、何かを堪えるように俯いていた。
だが、すっと息を吸うと、顔をあげた。

「魔導師たちの中に紛れ込んでいた、イシュカル教徒は?」

 オーラントは、微かに表情を険しくした。

「もう逃げ帰ったんじゃないですか。俺もざっと見て回りましたが、魔導師の中には、見知った顔しかありませんでした。……イシュカル教徒は、何故あんたがノーラデュースに来てることを知っていたんでしょうね。まあ、後々調べさせましょう」

 ルーフェンは、少し考え込むように目を伏せてから、首を振った。

「……いえ、とりあえずイシュカル教徒のことは、放置しておきましょう。調べさせたって、きりがないし。地上に出たら、ひとまずリオット族のことに集中したいので」

 ルーフェンの言葉に、オーラントは眉を寄せた。

 リオット族に集中したいというのは、イシュカル教徒を追跡しない理由にはならない。
きりがない、というのも、方便に違いないだろう。

 おそらくルーフェンは、もう以前のように、イシュカル教徒の殲滅に出向きたくないのだ。
アーベリトを復興させる理由の中に、イシュカル教徒の子供たちの居場所を作りたいという理由も、入っているくらいだ。
自分の命を狙ってくる存在だというのに、ルーフェンは、イシュカル教徒に対して無頓着なように見えた。

 オーラントは、きつい口調で言った。

「んなこと言ったって、いずれまたイシュカル教徒は、あんたのことを狙ってきますよ。気乗りしないのかもしれませんが、やらなきゃやられるんです。それくらいは、諦めて受け入れてもらわないといけません。何度も言うように、あんたは──」

 次期召喚師なんだから、と言おうとして、オーラントは口をつぐんだ。
そして、どこかやりづらそうに言葉を探していると、ルーフェンが、微かに苦笑した。

「大丈夫ですよ。別に俺は、死ぬ気はありません。……ただどうしても、イシュカル教徒を消そうとは思えないんです。正直、国の守護を押し付けて、勝手に安心している奴等より、召喚師一族を疎むイシュカル教徒の考えの方が、よく分かる。……俺も、自分の力が嫌いです」

「…………」

 血に汚れ、荒れた奈落の景色を見ながら、ルーフェンは続けた。

「……でも今回、俺とイシュカル教徒の問題に巻き込んで、沢山のリオット族や、魔導師たちを死なせてしまった。全部、俺の行動が招いた結果です。今後二度と、こんなことは起こしちゃいけないし、もし、イシュカル教徒がまた、俺以外の人間も貶めようとするなら……俺は、彼らを殺さないといけないのでしょうね」

 一瞬、別人ではないかと疑うほど大人びた表情で、ルーフェンは言った。
そんなルーフェンの横顔を見ている内に、オーラントの頭に、あのおぞましい黒い皮膚のことがよみがえった。

 フォルネウスが、召喚される前。
まるでルーフェンを侵食しようとするかのように、皮膚に貼り付いていた、あの黒い鱗のようなもの。

 あれも、悪魔を操る召喚師の力が、原因なのだろうか。
あの黒い皮膚が、本当に全身を覆ってしまったら、ルーフェンはどうなっていたのだろうか。

 己の力を嫌いだと言うルーフェンに、それを問うことは憚(はばか)られる。
だが、問わずとも、あの黒い皮膚を見たとき、はっきりとルーフェンを巣食う闇を見たような気がした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.196 )
日時: 2017/11/24 20:00
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



 オーラントは、ルーフェンの傷口に包帯を巻きながら、ぼんやりと言った。

「……この前から一つ、ずっと言おうと思ってたことがあるんですけど」

 ルーフェンが、不思議そうにオーラントを見る。
その目を見つめ返して、オーラントは言った。

「……悪かったですね。前々から、次期召喚師なんだから、次期召喚師なんだからって連呼して」

「…………」

 ルーフェンが、驚いたように瞠目する。
オーラントは、再び包帯を巻く手に目をやりながら、言い募った。

「つっても、あんたはどうしたって次期召喚師で、無茶されるのはやっぱり困りますから、立場を弁えろとは言います。ただ、俺が思っていた以上に、あんたは次期召喚師として見られるのが嫌だったみたいだから……ろくに事情も知らずに、連呼してすんません」

「…………」

 ルーフェンは、何も言わず、オーラントを見つめていた。
返事がないので、同じく黙りこんでいたが、やがて、沈黙に耐えきれなくなって、オーラントは口を開いた。

「……召喚師になるのは、そんなに嫌ですか?」

「…………」

 尋ねてみても、相変わらず、ルーフェンから返事はなかった。
あまり触れるべき話ではなかっただろうかと、オーラントが話を変えようとしたとき。
ルーフェンから、答えが返ってきた。

「……嫌ですよ、とても」

 穏やかだが、弱々しいともとれる声だった。

「……もう、どうしようもないって散々思い知らされて、頭では分かってるけど……それでも嫌です」

 オーラントは、はっと顔をあげると、ルーフェンの顔を凝視した。
ルーフェンは、平坦な口調で語った。

「……俺は、サーフェリアが嫌いです。貧困を見て見ぬふりする政治も、人形みたいな母親も、上辺ばっかりの貴族も、他力本願に国を護れとか言ってくる連中も、全部、この国の何もかもが、大嫌い。召喚術を使うのも、殺した人たちが夢に出てくるのも……人ならざるものになってしまいそうで、怖い。皆、殺せ殺せと俺に求めるくせに、本当は心の奥底で悪魔の力を恐れ、俺を敬遠してる。こんな窮屈な運命ばかり強いてくるサーフェリアを、守りたいなんて思えない。……俺は、召喚師の立場なんかに、生まれたくなかった」

 ルーフェンの本音に、オーラントは、どう答えて良いのか分からず、逡巡の後、そうか、とだけ答えた。

 ルーフェンは、沈んだオーラントの表情を横目で見て、自嘲気味に言った。

「でもね、皮肉だなぁと、思うんですよ」

「……なにが?」

「だって、次期召喚師の地位と力がなかったら、こうやってリオット族の所に乗り込んで、アーベリトの財政を立て直そうだなんて大事、絶対出来なかったでしょ?」

 苦笑しながら言ったルーフェンに、オーラントも、つられたように笑む。
ルーフェンは、どこかすっきりしたような顔をしていた。

「いつか……」

 目を伏せてから、ルーフェンは、真上に君臨する月を見上げた。

「……いつか、召喚師で良かったと思う日が、来るんでしょうか」

「…………」

 二人の会話は、そこで途切れたが、ルーフェンは、特に返事を求めてはいないようだった。
オーラントも、そんなルーフェンの空気を感じ取ったのか、一瞬だけ口を開いたが、結局何も言わなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.197 )
日時: 2017/11/25 19:18
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 49hs5bxt)

 オーラントは、包帯を巻き終わると、ルーフェンの肩に、ぽんと手を置いた。

「よし、終わり。もうあんまり無茶せんで下さいよ。明日の昼くらいには、砦に行った魔導師たちが戻ってくると思いますから、そうしたら、地上に出ましょう」

「……はい」

 ルーフェンが、そう返事をしたとき。
不意に、目の前を光る何かが通りすぎて、ルーフェンは瞬いた。

(……蝶?)

 淡く輝く蝶が、ぱたぱたと羽ばたいて、ルーフェンの前を通過していく。
こんなところに、蝶などいるはずがないし、そもそも、光る蝶なんて聞いたことがない。

 夢でも見ているような思いで、その蝶を見つめていると、蝶は、やがて岩壁に吸い込まれるようにして、消えてしまった。

(……?)

 あの蝶は、一体なんだったのだろう。
なんだか妙な胸騒ぎがして、ルーフェンは立ち上がると、周囲を見回した。
辺りでは、リオット族や魔導師たちが、遺体を埋葬したり運んだりしている。

 突然険しい顔つきになったルーフェンに、オーラントも立ち上がった。

「どうしたんです? 何かありました?」

 ルーフェンは、オーラントの方を見た。

「……やっぱり、砦に行った魔導師たちを待たずに、もう地上に向かいませんか? 何だか、嫌な予感がします」

「嫌な予感?」

 オーラントは、訝しげに眉を寄せた。

「いや、怪我人が多くいるんですよ? あいつらを無理に動かすのは危険だし、せめてもう少し、回復を待ってからの方がいいでしょう」

「…………」

 ルーフェンは、戸惑った様子で黙りこんだ。
オーラントの言うことは正論だし、ルーフェンだって、先程までは今すぐ地上に向かおうなどとは思っていなかった。
ただ突然、何の根拠もないが、ここにいてはいけないような気がしてきたのだ。

 正体の分からない不安を抱えたまま、もう一度辺りを見回す。
すると、その瞬間──。
奈落の岩壁が、ぎしぎしと嫌な音を立てて、揺れ始めた。

「なっ、なんだ!?」

 さっと身構えて、オーラントがルマニールを具現化させる。
他のリオット族や魔導師たちも、動揺した様子で騒ぎ始めた。

「奈落が、崩れる……!」

 ルーフェンは、はっと岩壁を見上げた。
激しい争いで、このノーラデュースの地盤が緩んだのだ。

 地面が沈み、撓(たわ)みながら、崩れる岩壁を飲み込んでいく。
同時に、崩壊した岩石が、濁流のように押し寄せてきた。

「皆、地上へ……! 洞窟に逃げ込め……!!」

 ラッセルの大声が響いてきて、全員が、弾かれたように走り出す。
リオット族も、魔導師も関係なく、怪我人は馬に乗せ、懸命に迫り来る岩石を避けながら、洞窟を目指した。


Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.198 )
日時: 2017/11/26 18:32
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: .YMuudtY)



 ルーフェンは、落下してくる巨石の下に、もたついているリオット族たちを見つけると、駆けていって、咄嗟に手を翳した。

「────っ!」

 魔術で、巨石の動きを止めるも、瞬間、腕に刺すような痺れが走る。
その痺れに耐えながら、振り返ると、下でうずくまっていたリオット族の女は、脚が焼け爛れて、立てない様子だった。
その周りにいる他の女や子供たちも、どうやら上手く動けずにいるようだ。

「召喚師、様……」

 弱々しい声で呼ばれて、そちらを見ると、怯えた表情で、ハインツがこちらを見ていた。
以前、石に土蛇を彫っていた少年だ。

 ルーフェンは、舌打ちすると、近くを走っていく魔導師たちを呼び止めた。

「手を貸して! この人達を、連れていって」

 切迫した声でルーフェンが言うと、魔導師たちは、一瞬困惑した表情になった。
しかし、迷っている時間はないと思ったのだろう。
躊躇いながらも、リオット族の女子供たちを立たせて、その場から走っていった。

「若君! おぬしも早く逃げよ! あとはわしが抑える……!」

 背後から、ラッセルがよろよろと歩いてくる。
しかし、そのとき、地面が激しく揺れて、ルーフェンとラッセルは転倒した。

「……っ!」

 魔術で支えていた巨石が、すぐ近くに落下して、その破片が飛び散ってくる。
それらを防ぎながら、ラッセルの元に急ぐと、傷が痛むのか、ラッセルはうめいて倒れ込んでいた。

(このままじゃ、全員逃げ切れない……!)

 崩れた岩々がぶつかり合い、盛り上がって、逃げ惑う人々を飲み込もうと流れていく。
ルーフェンは、ラッセルを支え起こすと、早口に行った。

「俺が抑えます、貴方は逃げて」

 ラッセルが、目を見開いて、首を振った。

「無理じゃ! この崩壊を、抑えることなど……!」

「俺より貴方の方が傷が深い、早く行って──」

 言い終わる前に、新たに崩れてきた岩石が、降り注いでくる。
ルーフェンは、再び右手をかざすと、魔術でその動きを止めた。

「早く!」

 ルーフェンの鋭い口調に、ラッセルが顔を歪める。
そして、すまぬ、と一言告げると、リオット族の男と共に、その場を去った。

 次から次へと崩れ、襲いかかってくる岩石を、全て魔術で受け止めながら、ルーフェンは、歯を食い縛った。
ラッセルの魔術を、見よう見まねで使っただけだが、時間稼ぎくらいはできると思っていた。
しかし、想像以上に消費されていく魔力に、全身の震えが止まらない。

(あと、もう少し──!)

 全身が、燃えるように熱くなってきた。
同時に、肩口の傷が開いたのか、右手を血が伝い落ちていく。

 そうして、翳していた右手がびくっと痙攣した時。
張りつめた弦が切れたかのように、一気に、魔術が解けた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.199 )
日時: 2017/11/27 18:09
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 空気が唸って、頭上が暗くなる。
しかし、ルーフェンが押し潰される寸前に、鋭い風の刃が大気を突き破ってきて、迫る巨石を木端微塵にした。

「────っ!」

 飛んでくる岩の破片に、思わず身体を縮めて、その場に屈み込む。
必死の形相で駆け寄ってきたオーラントは、ルーフェンの左腕を掴むと、すぐさま走り出した。

「大方避難できた! 行くぞ!」

 激しく振動する地面を踏みしめ、土蛇の通り道へと繋がる洞窟を目指す。
だが、岩壁の崩壊で、洞窟への退路が断たれていることに気づくと、二人は立ち止まった。

「まずいな……絶体絶命ってか」

 焦った様子で、オーラントが言う。
同様に、ルーフェンも懸命に逃げ道を探したが、そうしている内にも、どんどんと視界が土砂で埋まっていく。

 その時ふと、目の端で何かが光った。
慌てて振り向くと、崩れた岩壁の残骸に、先程の輝く蝶が止まっている。
その内、蝶はまたすうっと消えてしまったが、その様は、ルーフェンに何かを伝えようとしているように見えた。

(そこに、何か……?)

 ルーフェンは、その蝶に導かれたように、岩壁に近づくと、手を出して、唱えた。

「──爆!」

 爆発音と共に、岩壁が吹き飛んで、その奥に開けた空洞が現れる。
奥へと続く空洞は、見る限り、洞窟や土蛇の通り道へと繋がっているように見えた。

 この空洞も、いつ崩壊するか分からないが、今は、この道を行くしかない。

「オーラントさん! こっちです!」

 オーラントが、弾かれたように振り返って、走り寄ってくる。
二人は、勢いよく空洞に飛び込むと、地上を目指して駆け出した。



 最後に一人、洞窟に子供を押し込むと、ノイは、自分も逃げようと洞窟に踏み入れた。
しかしその時、地面が陥没して、足を踏み外す。

「あっ……!」

 崩れる岩石と共に、落下したノイは、反射的に何かにしがみつこうとして、手を伸ばした。
その手を掴んだのは、イグナーツだった。

 一瞬、顔を強張らせたノイを引き上げ、イグナーツは言った。

「行け……まだ間に合う」

 その言葉に、ノイは踵を返して、再び洞窟へと走り出す。
だが、イグナーツが着いてきていないことに気づくと、立ち止まった。

「お前は!?」

 問いかけても、イグナーツは、洞窟に向かおうとはしなかった。
降りかかってきた岩石を避け、イグナーツは、再びノイを見た。

「……行け」

 ノイは、ぎゅっと唇を噛み締めると、潰れた己の左目に触れた。
母を殺されたとき、この男に潰された左目だ。

「…………」

 ノイは、洞窟の方に向くと、一心に走っていった。

 イグナーツは、ノイの後ろ姿が見えなくなると、その場に崩れるようにして座り込んだ。

 すぐ近くで、崩壊した岩同士ぶち当たっては弾け、地面に突き刺さる音がする。
その音を聞きながら、目を閉じると、瞼の裏に、死んだ妻と娘の顔が浮かんだような気がした。

 落下してきた岩石が、己の身体を押し潰す、鈍い音が響く。
その音が、耳の奥で空虚な響きとなって、イグナーツの中に広がっていった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.200 )
日時: 2017/11/28 18:33
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



 地上に出ると、地平線から覗く太陽の光が、全身を照らしてきた。
乾いた風が、岩肌を撫でて、ルーフェンたちを包み込む。
夜明けの空気を吸い込み、顔を上げれば、空は、暁の色に染まっていた。

「太陽……」

 二十年ぶりに間近で浴びた日光に、眩しそうに目を細めて、リオット族たちが天を仰ぐ。
ラッセルは、通ってきた土蛇の巣穴を見て、呟くように言った。

「助かったのは、これで全員か……」

「…………」

 つかの間、辺りが静寂に包まれる。
今、この場にいるのは、十数名のリオット族と、五十名ほどの魔導師たち。
他の者達は皆、先程の争いと落盤で、奈落に沈んだようだった。

 落ち着かなさそうな様子で、周囲を見回す魔導師たちに、ノイが言った。

「あいつは、死んだわ……」

 魔導師たちが、はっと目を見開く。
あいつ、と言うのが、イグナーツを指すのだということは、全員が理解しているようだった。

 ノイは、ルーフェンのほうに向くと、唇を震わせた。

「あいつ、私のこと、助けて死んだんだ……。ずっと、あいつのこと、殺したくて殺したくて、仕方がなかったのに、何でだろう……。今、すごく胸が苦しい……」

 消え入りそうな声で言って、ノイが俯く。
ルーフェンは、静かな声で返した。

「……ルンベルト隊長、言ってたよ。君のことが、ずっと忘れられなかったんだって」

 ノイが、涙を堪えた目で、ルーフェンを見上げる。
ルーフェンは、小さく頷いた。

「リオット族のことが、どうしようもないくらい憎いのに、君の母親を殺した時のことが、ずっと忘れられなかったんだって。自分の妻子も、あんな風に殺されたのだと思ったら、君の泣き叫ぶ声が、頭を離れなくなったんだって、そう言ってた」

 ノイが再び俯いて、嗚咽を漏らし始める。
リオット族たちは、苦しげな表情で、ノイのことを見守っていた。

「……次期召喚師様」

 魔導師の一人が、一歩前に出て、ルーフェンに声をかけた。

「我々は、王都に戻ります……。魔導師を続ける気があるならば、王都に戻り、召喚師一族の元で再び戦いに身を投じよと……。それが、ルンベルト隊長の最期のご命令でした故……」

 ルーフェンは、首肯した。

「……分かりました。俺もシュベルテに戻りますから、一緒に帰りましょう。今回のことをご報告するのに、多少は協力してもらいますが、あとは、現召喚師や魔導師団に判断を委ねます」

「……はい」

 魔導師たちは、神妙な面持ちで畏まると、ルーフェンに頭を下げた。

 次いで、ラッセルが口を開いた。

「若君、皆で話し合うたのじゃがな。……結果はどうあれ、おぬしは我らリオット族を、奈落の底から救ってくれた。わしらは、その恩に報いようと思う。もしおぬしが、我らを王都に連れていきたいと言うならば、その意思に従い、着いていくとしよう」

「ラッセル老……」

 ルーフェンが、微かに目を大きくして、リオット族たちの顔を見る。
リオット族たちは、ルーフェンの目を見て、一様に頷いた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.201 )
日時: 2017/11/29 18:04
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



 しかし、ふと言葉を濁らせて、ラッセルが言った。

「……じゃが、一つだけ頼みがある。わしだけは、このノーラデュースに残ることを、許してはくれまいか」

 ルーフェンは、眉をひそめた。

「いいんですか? もちろん俺だって、無理にシュベルテへ連れていこうとは思ってません。……ただ、ノーラデュースでの生活は、決して楽なものじゃないでしょう?」

 食料どころか、水もない。
長年暮らしていた奈落も、今は落盤で立ち入れなくなってしまったのだ。
もはや焦土のようなこのノーラデュースで生き延びていくのは、困難なことだろう。

 ルーフェンは、心配そうに問うたが、それでもラッセルは、迷わず頷いた。

「承知の上じゃ。ノーラデュースは、多くの同胞が命を落とし、そして眠っている地……。故にわしは、ここを離れたくない。なに、心配せずとも、大丈夫じゃ。もうここで、二十年も暮らしてきたのじゃから」

 そう言って、笑みを浮かべたラッセルにかぶせて、ノイが口を開いた。

「私も、ここに残りたい。長を一人、置いていくことはできない」

 涙を拭って、ノイがはっきりと告げる。
オーラントは、肩をすくめると、ぶっきらぼうに言った。

「まあ、いざとなりゃあ、魔導師団の砦を使っていいんじゃないか。あそこなら多少の暑さは凌げるし、水も引いてある。リオット族が召喚師一族の傘下に入ったなら、俺らがあの砦を使うことはもうないんだろうし。なあ?」

 オーラントが振り返ると、魔導師たちは、こくりと頷いた。
表情は浮かないが、彼らには、もう敵意の色は見えない。

 ルーフェンが口を開こうとすると、今度は、リオット族の中から、ハインツが飛び出してきた。

「召喚師、様……!」

 ハインツは、ルーフェンの前でひざまずき、頭を下げると、辿々しい口調で述べた。

「俺、ついていきたい、です……! 頑張る、ので……俺、召喚師様、の、手下に、してください……!」

 一瞬瞠目して、リオット族たちが、顔を見合わせる。
ルーフェンも、驚いたように目を丸くすると、ややあって、ぷっと吹き出した。

「手下になんかしないよ。……でも、ありがとう、ハインツくん。一緒に、王都に行こう」

 ハインツの正面に立って、手を差し出す。
ハインツは、つかの間戸惑った様子でルーフェンの顔を見ていたが、やがて、その手を取ると、立ち上がった。

 ルーフェンは微笑んで、リオット族たちを見回した。

「……皆も、ありがとう。ここに残るか、俺についてくるかは、また改めて返事をくれればいいよ。俺も、無計画に出てきてしまったから、一度王都に戻って、貴方たちを受け入れる準備をする。シュベルテでも、それ以外の場所でも……リオット族が、安心して暮らせるように。それまで、俺を信じて待っていてくれる?」

 リオット族たちが、深く頷く。
ラッセルも柔らかく笑って、首肯した。

「いつまでも、お待ちしておりますぞ。召喚師様」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.202 )
日時: 2017/11/30 18:42
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ルーフェンは、少し困ったように苦笑した。

「その、召喚師様っていうのは、やめてくれません? 俺、まだ召喚師ではないし……」

 ラッセルは、ふむ、と呟くと、嬉しそうに言った。

「では、親しみを込めてルーフェン、と。わしらは別に、召喚師一族だと言う理由で、そなたに忠義を尽くそうと思ったわけではないからの。我が友ルーフェン、改めて礼を言う。我らリオット族は、どこまでもおぬしに仕えていくことを誓おう」

「…………」

 ラッセルの言葉を噛み締めながら、ルーフェンは、胸の中に暖かいものが広がってくるのを感じた。

 滅びようとしていたリオット族たちの運命をねじ曲げ、沢山の犠牲を払い、ここまで来た。
決して、全員が幸せだと言えるような結末にはならなかったし、今後も、リオット族と関係を持ったことで、周囲の反感を買うことにはなるだろう。
それでも、こうして笑って、感謝してくれる者達がいるならば、自分は少しでも、何かを守れたのだろうと思った。

 ルーフェンは、ラッセルの左手を握った。

「……ありがとう」

 それ以外の言葉は、出てこなかった。
リオット族や魔導師たち、そしてオーラントの顔を見て、ルーフェンは微笑む。

 その笑みに、微笑みを返してくれる者達に囲まれて、ルーフェンは、ずっと心にわだかまっていたものが、溶け出していくのを感じていた。



 翌日、砦に戻り体勢を整えると、ルーフェンたちは、早速魔導師たちと共に王都に向けて出発した。

 日の高い時間帯は避け、ゆっくりと馬車を進めていたが、やはり、疲れが貯まっているのだろう。
明日、王都シュベルテに着くだろうという頃には、皆、終始無言になっていた。

 同じ馬車に乗っていたルーフェンとオーラントも、互いにうつらうつらとしている時間が多くなっていたが、ある時ふと、オーラントが口を開いた。

「……もうすぐ、王都に着きそうですね」

 その言葉に、窓の外を見て、ルーフェンはそうですね、と返事をした。

 橙の空に細い雲が滲む、静かな夕暮れ時。
もう、南大陸は抜けた。
外に出ても、ノーラデュースのような厳しい日差しはない。

 オーラントは、にやっと笑って、続けた。

「帰ったら、大目玉食らわされるんじゃないですか? 少なくとも一月は、アシュリー卿のお小言祭りでしょうね」

 ルーフェンは、うんざりした様子で顔をしかめた。

「嫌なこと言わないでくださいよ……。想像しないようにしてたのに」

「まあまあ、散々好き勝手したんだから、諦めるこった」

 ははっと笑うオーラントに、ルーフェンが嘆息する。
それから、一瞬押し黙ると、ルーフェンは言いづらそうに口を開いた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.203 )
日時: 2017/12/01 18:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

「……オーラントさんのことも、結局最後まで巻き込んじゃって、すみませんでした」

 オーラントは、更に笑みを深めると、座席の上でふんぞり返った。

「その件に関しちゃ、全く許す気ないんで、大いに感謝して下さいね! ああそうだ、いずれあんたが召喚師になって、宮廷魔導師団も取り仕切るようになったら、俺の給料上げて下さい」

「うわぁ……そういうこと言われると、感謝する気が失せるな」

 ルーフェンがわざと冷たい視線を送って、互いに軽口を叩き合う。
いずれ召喚師になるのだと、そう言われたときの嫌悪感が、不思議と心の中で薄れているような気がした。

 ルーフェンは、再び窓の外を見て、ぽつりと返事をした。

「召喚師になったら……そうですね。仕方ないから、考えておいてあげます」

 オーラントは、ルーフェンの返事を聞くと、どこか安心したように笑った。
そして、同じように窓の外に目をやると、不意に呟いた。

「……そういや、この前は返事できなかったんですけどね」

「この前?」

 問い返して、ルーフェンが首を傾げる。
オーラントは、ルーフェンと目を合わせないまま、続けた。

「奈落で、話した時のやつです。あんた、いつか召喚師になって、良かったと思う日が来るんだろうかって、そう言ってましたよね」

「ああ……はい」

 そんな会話、覚えていたのかと意外に思って、ルーフェンはオーラントの横顔を見た。
正直、返事を期待して言ったものでなかったし、ただの独り言みたいなものだったから、改めて話題に出されると、反応に困る。
本心から出た言葉だったということもあって、今更掘り返されるのは、なんだか気恥ずかしかった。

 しかし、そんなルーフェンの心情には関係なく、オーラントは、明るい声で告げた。

「あんたが、今後どう思うのか。それは分かりません。でも俺は、あんたで良かったと思いますよ」

「…………」

 意表を突いてきた言葉に、ルーフェンが瞠目する。
オーラントは、ルーフェンの方を見て、穏やかに言った。

「召喚師ってのは強い立場だが、あんたは、弱い立場も知ってる。ほの暗い面、汚い面、色んなものを見て生きてきた。だから、色んな立場の奴等の気持ちがわかるあんたが、召喚師でよかったと思うよ」

 まあ、自由すぎる問題児だけどな、と付け加えて、オーラントが笑う。
ルーフェンは、しばらく呆気に取られたように黙り込んでいたが、やがて、すっと息を吸うと、オーラントから顔を背けた。

「……やっぱり、オーラントさん、なんかむかつく」

 窓の方を向いて、素っ気なく答えたルーフェンを見つめながら、オーラントは、くくっと笑いを噛み殺した。

「褒めてやってんのに、ほんっと可愛くねぇークソガキだな」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.204 )
日時: 2017/12/02 18:06
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: l1OKFeFD)

  *  *  *


 王都シュベルテに帰還したルーフェンは、早速、リオット族たちを国民として迎え入れる準備を始めた。

 独断でノーラデュースに向かったことに関しては、王位継承権を持つ第一王子、リュートの許可を得て行ったことだということで、謹慎処分を受ける程度で済んだ。
しかし、リオット族の受け入れに対する非難は、王宮内に留まらず、今回のルーフェンの計画は、愚作としてあっという間に王都全体に広まった。
ルーフェンは、王都の町民達の反発を招くことになったのだ。

 だが、その一方で、一部の者達──かつて、リオット族を奴隷として雇っていた商人達は、ルーフェンの動きに注目していた。
騒擾を起こしたとはいえ、二十年前まで、リオット族が鉄鋼業に莫大な利益をもたらしていたことは、紛れもない事実である。
野蛮で愚かだと認識されてはいるが、『地の祝福を受ける民』の異名を持つだけあって、リオット族の魔術は、商人達の心を惑わせる魅力があったのだ。

 しかも今回は、商人間だけでリオット族を取引していた時代とは違う。
リオット族の後ろには、ルーフェンがいる。

 強靭な肉体を持つリオット族が騒擾を起こせば、騎士団や魔導師団でも、そう簡単には沈静化できない。
しかし、そのリオット族の手綱を、あの召喚師一族であるルーフェンが握っている。
そのことが、商人達の心に、いくらかの安心感をもたらしていたのだった。

 また、ルーフェンが周囲の反対を受けながらも、リオット族の件を進められたのは、現在、国王エルディオたちが、港町ハーフェルンに長期滞在していたことが大きかった。
最近、体調が優れないという理由から、国王エルディオと愛妾のシルヴィア、そしてシェイルハート家の子供であるルイス、リュート、アレイドは、揃ってハーフェルンに療養に出掛けていたのである。
このことは、以前から計画されていたことであったが、その滞在が、ちょうどルーフェンの帰還と重なった。
つまり、今の王宮には、ルーフェンに意見できるほどの権力を持つ者が、ほとんど存在しないのだ。

 国王が不在なのを良いことに、リオット族を受け入れる準備をするというのが、強引である自覚はあった。
それでもルーフェンは、これを好機として、話を進めていったのであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.205 )
日時: 2017/12/03 19:15
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 1lEcCkWN)

 ルーフェンがまず商談に向かったのは、土地の売買や輸出入品全般を扱うカーノ商会と、武具を取り扱うレドクイーン商会であった。

 リオット族を労働力として提供する代わりに、ルーフェンが商会に提示した条件には、以下のようなものがある。
一、リオット族には、働きに見合った報酬と適切な労働環境を与えること。
二、商会は、定期的にルーフェンと連絡を取り合い、リオット族があげた利潤とその仕事内容を、嘘偽りなく報告しなければならないこと。
三、リオット族の雇い主はあくまでルーフェンであり、商会はその雇用関係に口を出す権限は持たないということ。
四、リオット族があげた利潤の分配に関しては、商会側の意見を尊重するが、その最終決定権はルーフェンが持っていること。
五、リオット族を労働力として受け入れる場合は、必ず彼らにリオット病の治療を施すこと。
これらの契約違反を犯すことは、召喚師一族を敵に回す行為であると、ルーフェンはそう告げたのだった。

 アーノック商会と並び、サーフェリア有数の商会だと謳(うた)われるカーノ商会は、首を縦には振らなかった。
世間はまだ、リオット族を受け入れることに納得していない。
そんな中、労働力としてリオット族を招くことは、世間の反感を買う行為だと考えたのだろう。

 一方のレドクイーン商会は、小さな武具商家であった。
質の良い魔法武器の生産を主として行っているが、貴族の後ろ楯もなく、ただ職人階級の一族が集まっただけの商会であるため、知名度もない。

 何故こんな権力も財力もないような弱小商会に、声をかけたのか。
オーラントは不思議でならなかったが、商談の場で、レドクイーン商会が二つ返事でリオット族の受け入れに頷いたとき、ルーフェンの狙いが分かった。
単純に、レドクイーン商会には後がなく、儲け話に食いつく他なかったのだ。
彼らは、商会として成功するために、リオット族の力でもたらされるであろう利益に賭けたのである。

 その後のレドクイーン商会の躍進は、目覚ましかった。
ひとまずルーフェンは、ほとんど人手の入っていなかったノーラデュースの鉱床を利用して、高価だとされるシシムの磨石を中心とした鉱物資源を、レドクイーン商会に独占させた。
それも、大量に採掘して資源の価値を下げるような真似はせず、少しずつ市場に売り出すことによって、『他にはない、ノーラデュースの鉱物資源は、リオット族しか採掘できない貴重なものである』という認識を、世間に広めていったのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.206 )
日時: 2017/12/17 11:39
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 加えてルーフェンは、移動陣を利用した。
移動陣は本来、勅命が下った際にしか使用されないような魔術であり、また、膨大な魔力を消費するため、行使には複数の魔導師たちを動員しなければならない。
しかし、召喚師一族が関与すれば別であった。
サーフェリアの召喚師が呼び出せる悪魔に、バシンという悪魔がいるのだ。

 バシンは、移動陣と同じ原理で、人や物を陣から別の陣に、瞬間移動させる能力を持っている。
歴代の召喚師も、この能力を兵力の移送などに使っていたようだったが、ルーフェンはこの召喚術を、軍事ではなく商業に利用した。
すなわち、レドクイーン商会が、採掘場にも移動陣を敷き、そこから鉱物資源を移送させる時にのみ、ルーフェンがバシンの力を貸すことにしたのである。

 元々、知名度がなく大量生産に向かなかったというだけで、レドクイーン商会の魔法武器の加工技術は、卓越していた。
そこに、リオット族しか採掘できない貴重な鉱物資源が加わり、更には、ルーフェンの召喚術により、移送という問題が消え去った。
鉱物資源が、ルーフェン一人の力で瞬間移動できるならば、大幅な時間短縮になる上に、輸送業者等もいらなくなる。
もちろん、ルーフェンとて頻繁に召喚術を使うのは消耗が激しいため、いつでもバシンの力を貸すというわけにはいかない。
それでも、ごく少ない人数と時間で、莫大な利益を出せるというのは、商会にとって大きなことであった。

 短期間で、無名の商会から武具商会の代表格に名を連ねるようになったレドクイーン商会の存在は、他の商会のリオット族に対する認識を変えるのに、十分なものとなった。
愚策だと罵り、警戒の色に染まっていた商人達の目が、レドクイーン商会の快進撃を経て、羨望の眼差しに変わったのだ。
 
 レドクイーン商会の躍進が世間に広まった頃、ルーフェンは、再びカーノ商会を訪れた。
そして、「アーノック商会かカーノ商会、どちらか一方との契約を考えている」と告げた。
すると、一度目は断ったカーノ商会が、すぐに首を縦に振った。
既に、国内有数の商会として、確固たる地位を築くカーノ商会だが、その唯一の競合相手が、アーノック商会である。
競合相手にこの儲け話を取られては敵わないと、カーノ商会は頷いたのだった。

 カーノ商会にとっても、リオット族による鉱物資源の提供と、ルーフェンの召喚術を得られることは、大きかった。
そして、手広く市場を展開し、強い影響力を持つカーノ商会の成功は、輸入品を多く扱う故に、王都シュベルテの市場を潤した。
結果、ルーフェンは、「この市場の活性化は、リオット族を受け入れたことの恩恵である」という認識を、王都に広めることができたのである。

 当然、リオット族の存在に反発する者や、本来軍事に関わるべきルーフェンが、商業に介入していることに対して、疑問を持つ者はいた。
しかし、短期間でカーノ商会とレドクイーン商会を押し上げ、市場に革新的な変化をもたらしたルーフェンに対する非難の声は、王都に帰還して二月が経過する頃には、ほとんどなくなっていた。
ルーフェンは、リオット族を王都に受け入れることに、成功したのだ。

 ただし、ルーフェン自身、商業の世界に深く踏み入ろうとは考えていなかった。
移動陣を商売に使いすぎれば、輸送業者の失業にも繋がるし、もし魔術の素人が安易な気持ちで真似をして、瞬間移動に失敗して命を落とせば、世間に混乱を招くことにもなる。
だから、移動陣は危険な魔術なのだという認識をしっかりと残して、「この魔術はルーフェンと契約した二つの商会のみが使える特権である」とした。
これまでと同じように、勅命が下ったような場合を除いて、一般の使用は禁止のままにしたのだ。

 それに、多くの商会と手を組めば、リオット族もルーフェンも、手が回らなくなってしまう。
ルーフェンの目的は、あくまでアーベリトのサミルに資金援助を行うことであり、必要以上に金儲けをすることではなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.207 )
日時: 2020/02/23 23:42
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


 次期召喚師としての本来の業務に加えて、商談など慣れない仕事をこなして忙殺されている内に、季節は過ぎ、冬になった。

 最初は愚策だと非難されたものの、ルーフェンの行動が市場を大きく発展させることになり、世間がいよいよ、リオット族の存在を認めざるを得なくなった頃。
ルーフェンは、オーラントと共に、アーベリトを訪れた。
サミルに、リオット病の治療をしてほしいと依頼するためだ。

 サミルには、王宮で「サンレードの子供達の居場所がない」と打ち明けられて以来、ずっと会っていない。
久々にルーフェンと面会したサミルは、かつて、でたらめだと批判された遺伝病の治療法を求められて、少し混乱している様子だった。

「それで、その……私達アーベリトの医師が、リオット族の方々に、治療を施すと……」

 辿々しく言ったサミルに、ルーフェンは頷いた。

「はい。カーノ商会と、レドクイーン商会からの依頼です。今はまだ、リオット族はノーラデュースにいますが、近々、このアーベリトにも連れてきたいと思っています。
その時に、貴殿方にリオット病の治療をお願いしたいんです。かつて、サミルさんとその兄君であるアランさんが確立したという遺伝病の治療法は、医療の街と言われるこのアーベリトにしか、ない技術ですから」

「……しかし、あの治療法は……」

 口ごもりながら、サミルは尚も言葉を濁した。
アーベリトが世間から冷たくあしらわれるようになり、廃れ、ただのお人好しという烙印を捺されたのは、「遺伝病の治療法がでたらめだ」という噂が広まってからだ。
今更その技術を引っ張り出してくることに、サミルは弱気になっているようだった。

 ルーフェンは、サミルの顔を見つめた。

「……サミルさんは、あの遺伝病の治療法が、周囲の言うようにでたらめだと思うんですか?」

 サミルは、はっと顔をあげると、すぐさま首を横に振った。

「いいえ! あの治療法は、私と兄が大成して、自信を持って世に送り出したものです。決して、でたらめなどではありません!」

 口調を強めたサミルに、ルーフェンはにこりと笑った。

「それならそうだと、堂々と世間に知らしめてやりましょう。俺も医療魔術に関しては素人なので、断言はできませんが、先程もご説明した通り、ノーラデュースでリオット病が再発したのは、ガドリア原虫をもつ刺し蝿から身を守るための、進化の過程である可能性が高いです。まだ明確な根拠はないですが、なんならそのことも正式に調査して、発表すればいい。刺し蝿のいない地域で治療すれば、きっとリオット病は治ります。俺も、サミルさん達の治療法が、でたらめだとは思えません」

「次期召喚師様……」

 何と言ったら良いのか、言葉を探している様子で、サミルはルーフェンを見つめた。
その瞳を見つめ返すと、次いで、ルーフェンはオーラントから金貨の詰まった大袋を受け取り、サミルの前の机に置いた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.208 )
日時: 2017/12/17 11:42
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



「とりあえず、一億ゼル入ってます。使ってください」

「一億……!?」

 思わず席を立って、サミルは目の前の大袋を凝視した。

「一億だなんて、そんな大金、頂けません……! 私達アーベリトの医療魔術が、リオット族に必要だというなら、喜んでお引き受けしましょう。ですが、こんな額は……!」

 戸惑いが隠せないサミルに、オーラントが言った。

「安心してくださいよ、怪しい金じゃありません。カーノ商会とレドクイーン商会からのリオット病の治療の依頼料と、リオット族があげた利益の内の、ルーフェンの取り分を合わせた額です。リオット族の派遣に加えて、瞬間移動の召喚術まで使って出た利益ですから、これくらい当然です」

「でしたら、依頼料のみで十分です! 次期召喚師様の取り分まで頂くなんて、そんな……」

 大袋を突き返そうとしたサミルの手に、ルーフェンは、手を重ねた。

「俺は王宮にいれば、衣食住に困ることもありませんし、何より、リオット病の治療はアーベリトでしかできません。これくらい、払う価値があります。リオット病の治療をしたことで、リオット族たちの命を縛るものがなくなって、今後より活躍できるようになるなら、尚更」

 ルーフェンは、微笑んだ。

「使ってください、サミルさん。貴方と、このアーベリトに暮らす、皆のために」

「…………」

 サミルは、大袋をぎゅっと掴んで、目を閉じた。
その目から、じわじわと涙がにじみ出している。

「次期召喚師様……貴方は、以前お話しした、サンレードの子供達のことを、気になさっているのですか。私が、難民を受け入れるには資金が足りないなどと、そんな話をしてしまったから……」

「…………」

 一度、すっと息を吸うと、ルーフェンは穏やかな声で返した。

「それは違います。偶然が重なった結果、リオット病の治療が必要になっただけです」

 サミルの目を見つめて、ルーフェンは破顔した。

「……強いて言うなら」

 ぽつりと呟いて、サミルの手を握る。

「六年前、瀕死だった俺を貴方が助けてくれなければ、俺は、今ここに立ってはいなかった。優しくしてくれたのも、サミルさん、貴方が初めてだった。……だから、もしこのお金が、俺からの感謝に見えるなら、多分そうなんでしょう」

「…………」

 サミルの目から、一筋、涙が溢れ落ちた。
うつむいて、サミルはしばらく黙っていたが、やがてルーフェンの手を握り返すと、深々と頭を下げた。

「……ありがとう、ありがとうございます、次期召喚師様。貴方の大切なリオット族は、私達が必ず救います」

 ルーフェンは、強く頷いた。
返事をしようとしたが、込み上がってきた熱い感情を、上手く言葉にすることはできなかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.209 )
日時: 2017/12/17 11:45
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 アーベリトを出ると、ルーフェンたちは、ヘンリ村の跡地へと向かった。
カーノ商会の所有地になっていたこの跡地は、商会との契約後、ルーフェンが買い取った。
特に使い道を考えていた訳ではなかったが、仮にも自分が生まれ育ち、そして焼き尽くした土地である。
なんとなく、他人のものになっているのは嫌だったのだ。

 カーノ商会も、特に手放したくない土地ではなかったのだろう。
ルーフェンが話を持ちかけると、あっさりとヘンリ村の所有権を、譲ってくれた。

 ヘンリ村自体は、何もない焦土と化していたが、村近くの山中に、使われていない山荘があった。
この山荘は、カーノ商会から土地を買い取った後に見つけたのだが、それ以来、ルーフェンは度々ここに訪れるようになっていた。

 いつから無人なのか、そもそも誰が住んでいたのか。
寝台や家具が放置されている、だだっ広い不気味な屋敷であったが、この山荘にいると、まるで世間から隔離されたような静けさに浸ることができる。
それが、ルーフェンは好きだった。

 山荘にある寝台に、ルーフェンがどかりと倒れ込むと、途端に辺りに埃が舞った。
思わず咳き込んで、顔の前でぱたぱたと手を振る。
オーラントも、嫌そうな顔をして息を止めると、その場から一歩後退した。

「ちょっ、やめてくださいよ……そんなきったねえ寝台、使わない方がいいですって」

 何がおかしかったのか、咳き込みながら笑って、ルーフェンは答えた。

「そうですね、誰が使ってたのかも分からないし。流石に寝台と食卓くらいは、新しく持ち込もうかな」

「持ち込むって……あんた、本気でここに住む気ですか」

 所々石壁にひびが入っているような、古い室内を見回して、オーラントが眉をしかめる。
ルーフェンは、寝台に仰向けに寝転がったまま、返事をした。

「住むっていうか……そう、秘密基地みたいなものにしようかと。ヘンリ村も、折角取り戻せましたし、いずれ整備して、人がまた住めるようにして……。そうしたら、俺は時々この山荘にきて、新しいヘンリ村を眺めたりしたいな」

 珍しく、子供らしい屈託のない表情で、ルーフェンは語った。
今日、正式にサミルにリオット病の治療を依頼することができて、少し興奮しているのだろう。

 リオット族を、王都に連れ戻したいなどと言い始めてから、随分と危険で長い道のりを歩いてきた。

 召喚師と敵対する勢力──イシュカル教徒の生き残った子供達を、難民として受け入れようとするアーベリトに、ルーフェンが手を貸したことが明るみに出るのはまずい。
だから、直接資金援助をするわけでもなく、リオット族を再び地上に出し、リオット病の治療法の需要を上げるという、遠回しな方法をとったのだ。

 冷や冷やする場面が多すぎて、正直オーラントは、こんな無茶は二度と御免だと思っている。
だがルーフェンは、ようやくサミルの力になれて、長年の願いが成就したような達成感を感じているに違いない。
今のルーフェンは、夢が叶ってはしゃぐ、子供のようだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)【多分毎日更新】 ( No.210 )
日時: 2017/12/08 18:29
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

「そのまま、少し眠ったらどうです? あんた、ここのところ仕事に追われて、ろくに寝てないでしょう」

 オーラントが呆れたように言うと、ルーフェンは、数回瞬いてから、微かに笑みを浮かべた。

「大丈夫ですよ。まだまだやることがあるし、ちょっと休憩したら王宮に戻らないと。オーラントさんこそ、今日一日付き合ってもらったし、もう帰ってもいいですよ。忙しいんじゃないですか?」

 オーラントは、ああ、と声を漏らすと、苦笑いした。

「忙しいったって、今回のリオット族の件で、大量の報告書を催促されているだけですよ。あんたのせいで、ノーラデュース常駐の魔導師団は解体されましたから、今は失業してるようなもんです。次の任務地がシルヴィア様から言い渡されるまでは、そこそこ時間あります。つか、シルヴィア様は今、ハーフェルンにいるみたいだし」

「…………」

 ルーフェンは、つかの間オーラントの顔を見つめて、小さくため息をついた。

「……オーラントさんは、王都での勤務は希望しないんですか?」

「……ん? ああ、したことないな」

 あっさりと返して、オーラントは頭をぽりぽりと掻いた。

「なんていうか、都会にいるのは向いてないんですよ、俺。そりゃあ王都のほうが暮らしやすいし、何かと便利ですけど、なんだかんだ、俺はサーフェリア中を回って仕事してるほうが、色んなものが見られるから好きですね。ま、宮廷魔導師の仕事なんて、どこ行ったって物騒なもんばっかりですけど」

「……確かに、一ヶ所にじっとしてるオーラントさんは、なんか想像できないかも」

 納得したように言って、ルーフェンが肩をすくめる。
そんなルーフェンの顔を見て、オーラントがにやりと笑った。

「なんですか、急に。やだなぁー、もしかして次期召喚師様ったら、俺が王都からいなくなるのが寂しいんですか?」

「そうですね、寂しいです」

 即座に頷いたルーフェンに、思わず拍子抜けする。
他人をからかうのは好きだが、そういえば、ルーフェンをからかって成功した試しなどなかった。

「相変わらず冗談通じないですねぇ。たまには子供らしく慌てて、『そんなことありません! オーラントさんの馬鹿!』とか言ってみたらどうです?」

「オーラントさん、罵られたいんですか? 気持ち悪」

「…………」

 もう何も言うまいと、口を閉ざしてその場に座り込む。
わざとらしく拗ねているオーラントを見て、ルーフェンは上体を起こすと、ふっと笑った。

「……オーラントさんこそ、冗談通じないなぁ。俺は至って素直な良い子なのに」

「はぁ?」

 どこがだよ、と突っ込みを入れようとして、しかし、オーラントは言葉を止めた。
ルーフェンは、何かをじっと考えている様子で、窓の外を眺めている。
その顔は、一見無表情だったが、どこか不安げな面持ちにも見えた。

「……リオット族を解放して、商会と契約したこと。一部からは改革だと賞賛されていますが、俺は、今回のことを成功だとは思っていません。一歩間違えれば、悲惨な結末を迎えていた可能性もあるし、何より、ここに来るまでに、リオット族と魔導師に沢山の犠牲を出してしまった。……多くの犠牲の上に成り立った成功を、俺は手放しで喜ぶことはできません」

 淡々と告げたルーフェンを、オーラントはじっと見つめた。

「まさか、後悔してるんですか?」

 ルーフェンは、首を振った。

「いいえ、後悔はしていません。結果的にアーベリトの財政に良い影響をもたらせたし、これでサンレードの子供たちの居場所も作れるでしょう。王宮を飛び出して、貴方と旅をしたのも楽しかったし、リオット族とも出会えた。……ある意味、俺が一番望んでいた結果です」

「…………」

 ルーフェンの言葉の意味を図りかねた様子で、オーラントが眉を寄せる。
ルーフェンは、ふと目を伏せた。

「でも、何故でしょうね。……本当にこれで良かったのか、時々不安になるんです。サミルさんも喜んでくれたし、俺も嬉しいはずなのに、何かがまだ胸につっかえてる。このまま時が経てば、そんな不安、なくなるのかな……」

 ぽつりと呟いて、ルーフェンは胸に手を当てた。

 このまま時が経てば──。
もし、本当に何事もなく時が経っていれば、ルーフェンの歩む道も変わっていたことだろう。

 しかし、この数日後、ルーフェンの抱えていた不安は、別の形で的中することになる。
ハーフェルンに療養に出ていた、国王エルディオ達の乗っていた馬車が、帰路の途中で崖に転落したのだ。

 大勢の警護の中、何の問題もなく街道を進んでいたはずの馬車が、大橋を渡る際に突如暴走し、崖に身を投げたのだと言う。

 すぐさま王宮に運び込まれ、治療を受けたが、頭部を打ち付けたエルディオは、意識不明の重体。
唯一、召喚師シルヴィアは軽傷で済んだものの、その息子であるルイス、リュート、アレイドの三人は死亡。

 誰もが予想していなかった、突然の出来事であった。



To be continued....