複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.273 )
日時: 2018/02/05 18:07
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: FSosQk4t)




†第二章†──新王都の創立
第五話『創立』



 立ち込める暗雲の隙間から、時折西日が覗いて、ゆらゆらと寝台を照らす。

 寝台に横たわり、浅く呼吸しているエルディオの顔には、もう、ほとんど生気が感じられない。
こけた頬の、骨に張り付いた皮膚を撫でながら、シルヴィアは尋ねた。

「……エルディオ様、遷都するようにバジレット様に遺言状を出したって、どういうこと?」

 静かな室内に、シルヴィアの声が響く。
エルディオは、吐息のような微かな声で、弱々しく答えた。

「……王に、相応しい者は……今の、シュベルテには、おらぬ……。シルヴィア、そなたを……王にはしない……」

 シルヴィアは、微笑みを浮かべたまま、エルディオの顔を覗きこんだ。

「……どうして? 私を選んでくれるって、仰っていたじゃない。私なら、エルディオ様のことを支えていけるわ。だって、貴方のことを、心の底から愛しているもの。貴方のためなら、どんなことだって、私は……」

 シルヴィアの言葉を聞きながら、エルディオは、乾いた呼気を漏らした。
それは、呼吸の音ではなく、明らかな嘲りであった。

「……何を、ほざくか。そなたが……我が妻、ユリアンを葬ったこと……分かって、おるのだぞ……」

「…………」

 瞬間、シルヴィアが、ぴたりと動きを止める。
エルディオは、光のない目を、シルヴィアに向けた。

「……そなたは、終わりだ。余の、遺言は……じき、我が母、バジレットを通じ……王宮内に、広まる……。召喚師として……役目を終えた、お前など……もう、必要ない」

「…………」

 シルヴィアは、顔を綻ばせた。
そして、エルディオの身体に手を沿わせると、以前の強堅さを失った薄い胸板に、そっと顔を埋めた。

「ひどいわ……バジレット様が、言ったのよ。次期国王の件は、私に任せるって。だから、私……ずっと待っていたのに。エルディオ様が、私のことを示してくれるまで、ずっと……。貴方だけは、信じて、待っていたのに……」

 すがるように言って、エルディオの首に腕を回す。
エルディオは、無感情な瞳で、淡々と告げた。

「……余は、そなたを……愛してなど、いない……」
 
 シルヴィアの銀の瞳が、夢から覚めたように閃く。
顔を上げ、色の薄いエルディオの唇を啄むと、シルヴィアは言った。

「私は、愛していたわ。本当に、愛していたの……」

 射し込んできた黄昏の光が、エルディオの輪郭をなぞる。
シルヴィアは、ふと目を細めると、エルディオの額に手を置いた。

「おやすみなさい、エルディオ様……。さようなら」

「…………」



 その夜、サーフェリア国王、エルディオ・カーライルは、深い眠りに落ちた。
国王崩御の知らせは、翌朝には、彼の遺言状と共に王宮中に広まった。

 五百年間、王都として発展したシュベルテは、この日、先王エルディオの意向に従い、遷都することが決まったのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.274 )
日時: 2018/02/06 01:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



  *  *  *


 降り続いた雨は、やがて細かな結晶となり、雪が降り始めた。
遷都が決定し、一層慌ただしく往来する王宮の人々の足音を聞きながら、ルーフェンは、自室の椅子に座って、ぼんやりと緋色の耳飾りを眺めていた。

 新たな召喚師としてルーフェンが立ち、そして、王位は他の街に譲渡する。
これが、亡き先代国王の意思であり、王太妃バジレットが発表した、王都シュベルテの行く先だ。

 この知らせが王宮中に出回った頃、ルーフェンはシルヴィアの元に行き、王位継承者たちの死の真相を聞き出す。
そうバジレットと約束をしていたが、ルーフェンは、なかなか自室から出られずにいた。

 召喚師の地位と力が、ルーフェンの手の中にある。
あんなに恐ろしいと思っていたシルヴィアのことも、今は、脅威だとは思えない。

 シルヴィアの策略を打破し、彼女を陥れること。
それこそがルーフェンの望みであり、それはもう、達成されたというのに──。
心は、まるで重石が乗ったかのように、深く胸の奥底に沈んでいた。

 ふと、扉を叩く音が聞こえて、部屋の外から、侍従の声が聞こえてきた。
ルーフェンは、しばらく何も言わなかったが、やがて、短く返事をすると、侍従が入ってきてひざまずいた。

「……召喚師様、シルヴィア様が、お呼びですが……」

 少し驚いたように目を見開いて、ルーフェンが侍従を見る。
侍従は、目線だけあげて、言った。

「シルヴィア様を、こちらにお呼びしますか?」

「…………」

 ルーフェンは、黙ったまま、再び耳飾りの方を見た。

 召喚師になった今、地位は、シルヴィアよりルーフェンが上である。
つまり、ルーフェンが腰を上げるのではなく、シルヴィアがこちらに出向くのが順当、というわけだ。

 しかし、ルーフェンは立ち上がると、椅子の背もたれにかかっていた上着を羽織った。

「……いや、いい。俺が行く」

 侍従が畏まって、頭を下げる。

 ルーフェンは、緋色の耳飾りを左耳につけると、部屋を出たのだった。
 

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.275 )
日時: 2018/02/06 18:02
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



 ルーフェンが、離宮の最上階にあるシルヴィアの自室に入っても、シルヴィアは、顔を上げなかった。
床に座り込み、寝台に顔を埋めたまま、微動だにしない。

 だが、扉を閉めたルーフェンが、一言声をかけると、シルヴィアは、はっと顔を上げた。

「まあ、来てくれたのね」

 ふわりと微笑んで、シルヴィアが近づいてくる。
シルヴィアは、ルーフェンに手を伸ばすと、その感触を確かめるように、するりと頬を撫でた。

「少し見ない内に、立派になったのね。聞いたわ、召喚師になったのでしょう? おめでとう、ルーフェン」

 左耳の耳飾りに触れて、シルヴィアが言う。
ルーフェンは、険しい表情になった。

「……心にもないことを。どういうつもりですか」

 華奢な手首を掴み上げて、シルヴィアを睨む。
これまでの冷ややかなものとは一変した、不自然な彼女の態度には、嫌悪感しか湧かなかった。

 これまで向けられたことのない、シルヴィアの笑顔や優しげな声。
そのどれもが、偽物にしか見えない。

 ルーフェンに睨まれても、シルヴィアは、笑みを崩さなかった。

「そんな風に怒らないで。私、寂しかったのよ。ルイスもリュートもアレイドも、エルディオ様まで、皆いなくなってしまって……。貴方は、葬儀の時以外、全く顔を出してくれないし……」

 ルーフェンは、顔を強張らせると、乱暴にシルヴィアの手首を離した。

「ふざけるのも大概にしろ! お前がアレイドたちを……王位継承者たちを殺したんじゃないのか!」

 シルヴィアが、一瞬、微笑んだまま硬直する。
ルーフェンは、声を荒らげた。

「お前は、陛下に執着するあまり、国王の正妃たちを殺した。挙げ句、俺が召喚師として即位することを恐れ、次は国王の座を狙い、王位継承者たちを悉(ことごと)く亡き者にした。そして、その秘密を知ったオーラントさんにまで、呪詛をかけたんだ」

 ぐっと拳を握って、続ける。

「……それだけじゃない。俺の父親を……アーベリトの前領主、アラン・レーシアスを殺したのも、お前じゃないのか。全部、知ってるんだぞ。お前は、俺という存在を隠し通すために、アランを事故と見せかけて殺害した。そして、世間に次期召喚師の誕生を知られないように、十四年前、俺をヘンリ村に捨てた。今朝お隠れになった陛下のことだって、お前がやったんだろう。……違うか? ……違うなら、そう言ってみろ!」

 声が掠れるほどの大声で叫んで、シルヴィアに詰め寄る。
違うと言ってくれたら、いっそ良かったのに。
そんな思いが、心のどこかにあった。

 しかしシルヴィアは、この状況下で尚、狼狽えるどころか、にっこりと笑みを深めた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.276 )
日時: 2018/02/06 18:03
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



「何故、ルーフェンが怒るの……?」

 純粋な子供のように、シルヴィアが瞬く。
瞬間、目を見開いたルーフェンに、シルヴィアは、おかしそうに首を傾げた。

「だって、アランや正妃たちのことなんて、ルーフェンは、顔も知らないでしょう……? バーンズ卿は、亡くなったわけではないのだし、貴方が怒る理由が分からないわ。ルイスやリュート、アレイドのことだって、貴方、散々煙たがっていたじゃない。そうでしょう……?」

 罪から逃れたくて、言っているわけじゃない。
本当に、心から不思議そうに、シルヴィアは言った。

「別に、どうだって良いじゃない。私達に人殺しの宿命を押し付けてくる奴等なんて……。あんな人達、私に殺されて当然なのよ。ねえ、分かるでしょう? 息子たちのことだって、私は、なんとも思っていなかったわ。ルイスも、リュートも、アレイドも……私はきっと、愛してなんていなかった……」

 ルーフェンは、息を詰めると、苦しそうに目元を歪めた。

「……アレイドたちは、お前のことを……慕ってたんだぞ。母親として……」

 微かに、語尾が震える。
爪が食い込むほど強く握られているルーフェンの拳に、シルヴィアは、そっと手を添えた。

「そんなこと、もうどうでもいいの……。だって私には、ルーフェンがいるから……」

 甘く媚びるような、シルヴィアの高い声。

 召喚師を退任し、国王即位の道も絶たれた今、もう彼女は、ルーフェンの地位にすがるしかないのだろう。
ルーフェンの傘下に入ることで、シルヴィアは、まだ自分の居場所を保とうとしている。

 そんな彼女の貪欲さ、必死さを思うと、深い哀れみのようなものが、込み上げてきた。
今更、分かりやすい偽りの優しさを向けられたって、心が動くわけもないのに。

 シルヴィアは、ルーフェンの頭を抱き寄せると、優しく銀髪を撫でた。

「ああ、ルーフェン。おまえは本当に綺麗な銀髪ねえ……。私と、おんなじよ」

 どこか恍惚としたような口調で言いながら、シルヴィアは、ルーフェンの耳元で囁いた。

「昔みたいに、また私と一緒に、離宮で暮らさない? 今日は、そのために貴方を呼んだのよ。皆、皆、いなくなってしまったから、もう、私にはルーフェンしかいないの。お願い、お母さんを、見捨てないで……?」

「…………」

 ふわっと花の香りが鼻孔を擽って、シルヴィアの長い銀髪が、さらりと揺れる。
ルーフェンは、耳にかかっていたシルヴィアの銀髪が、するすると肩に流れていくのを見ながら、じっと黙っていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.277 )
日時: 2018/02/07 18:14
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



「これまで、冷たくしてごめんなさいね。でも、おまえを愛していなかったわけじゃないの。私とルーフェンは、この国にたった二人しかいない、召喚師の血を引く者……。その証拠に、他の子達はみぃんな弱くて醜いのに、おまえだけは、私にそっくりよ。力まで私にそっくりなんですもの。ねえ、戻ってきてくれるでしょう……?」

「…………」

 声が、出なかった。
溢れてくる様々な感情に、頭の中が支配されて、動くこともできない。
だから、シルヴィアが密かに取り出した短刀が、ゆっくりと背中に迫っていることに、ルーフェンは気づくことができなかった。

「────っ!」

 刃先が、背中の皮膚を擦る。
咄嗟にシルヴィアを突き飛ばし、その細腕から短刀を奪うと、ルーフェンは素早く後ずさった。

 寸前に回避したお陰で、背中の傷は深くない。
だが、微かに走ったその痛みは、ルーフェンの迷いを消し去るのには、十分すぎるくらいの痛みだった。

「……馬鹿みたいにご機嫌取りを始めたかと思えば……。次の狙いは、俺だったんですね……」

 床にうずくまっているシルヴィアを見下ろして、ルーフェンが、短刀を向ける。
恐怖のあまり、いつも目を反らしていた母の姿は、こうして見てみると、思いの外小さく、力も弱々しかった。

「……こんな分かりやすい方法じゃなくて、いっそ、俺にも呪詛をかければ良かったのに……。そんなことも思い付かないほど、貴女は壊れてしまったんですか」

 自分の声が、どこか遠くに聞こえる。
胸の奥は熱くて、ぐらぐらと煮えたぎっているのに、声だけは、ひどく冷たかった。

「……まあ、それ、なあに。やめて、ルーフェン。短刀なんて向けられたら、私、怖いわ」

 シルヴィアが、瞳孔の開ききった目で、ルーフェンを見つめてくる。
立ち上がると、シルヴィアは、まるで短刀など見えていないかのように、微笑んだ。

「ルーフェン……私の、可愛いルーフェン……。お願いよ、私のところに、戻ってきて……?」

 手を広げて、シルヴィアが、徐々に距離を詰めてくる。
だが、ルーフェンが容赦なく短刀を胸元に突きつけると、シルヴィアは、ぴたりと動きを止めた。

「ルーフェン……?」

「…………」

 それでもシルヴィアは、美麗に笑っている。
そんな彼女の銀の瞳を見ている内に、ルーフェンの短刀を持つ手が、微かに震えてきた。

「……貴女、は……」

 呟いてから、ルーフェンは、にじんできた視界に、数回瞬いた。

「……どうしていつも、笑っているんですか……?」

 きつく歯を食い縛って、言葉を紡ぐ。

「どうして……今更、そんな風に俺を見て、俺の名前を、呼ぶんですか……」

 何も映らない、硝子玉のようなシルヴィアの瞳を、見つめ返す。
その動かぬ瞳は、やはり人形のように無機質で、どこか狂気的にも見える。

 シルヴィアは、刃を突きつけられたまま、顔を綻ばせると、ゆっくりと唇を動かした。

「あら、だっておまえは、私の息子でしょう……?」

「──……」

 ぷつりと、何かが切れた音がした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.278 )
日時: 2018/02/13 23:23
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 力任せに振った短刀を、思いきり、壁に叩きつける。
きん、と鋭い音がして、折れた刃先が、壁から跳ね返った。

 突き上げてきた怒りに身を任せ、魔力を増幅させると、ルーフェンの足元から迸った雷光が、部屋中を駆け巡る。

 文机と寝台は焼け焦げ、崩れるようにして倒れた本棚からは、無数の本が雪崩落ちてきた。
衝撃で割れた窓や花瓶は、壁に当たっては砕け、その破片が、シルヴィアの頬をかする。

 呆然と立っていたシルヴィアは、自分の頬から血が垂れても、抵抗することなく、ただルーフェンを見つめていた。

 そうして、焼いて、焼いて、焼き尽くして。
もう部屋中の物という物が、炭になって燻る頃には、身を蝕む憤怒は、雷光と共にどこかへ抜け出ていってしまった。

 もう、手加減などせずに、壁や床も吹き飛ばして、離宮ごと──シルヴィアごと、破壊してしまおうか。
そんな考えがよぎれば、もはや怒りというより、投げ槍になっている自分に気づいて、虚しさが胸の中に広がった。

「…………」

 怒りも、哀しみも憎しみも、全てを通り越して、ふと、笑みがこぼれた。
目元を手で覆って、乾いた声で、ははっと笑う。
ひとしきり笑ってから、シルヴィアに向き直ると、ルーフェンは言った。

「──ねえ、人には心があるって、知ってますか?」

 シルヴィアの瞳が、わずかに動く。
一度目を閉じて、そして、やはり笑顔になると、シルヴィアは答えた。

「……どうしてそんなことを問うの?」

 ルーフェンは、悲しげに眉を寄せると、薄く笑った。

「……それが分からないなら、多分、お前は人じゃないんだろうな、と思って」

 声の震えを自覚しながら、ルーフェンは、言い募った。

「人じゃないなら、そんなお前の気持ちを考えて、悩んだって……無駄なんだろうなって」

「…………」

 一呼吸すると、ルーフェンは、はっきりと言った。

「お前は、俺の母親じゃない。ただ、血が繋がってるだけだ。同じ人殺しの、召喚師一族……ただ、それだけのこと。……俺は、アリアさんのように、貴女を理解したいとは思えない」

「…………」

 そう言って、黙りこんだシルヴィアの前に、アリアの手紙を置く。
シルヴィアは、少し驚いた様子で口を閉じていたが、やがて、手紙を手にしてその場にうずくまると、突然、声を上げて笑い出した。

「……あはっ、はは、ふふふ……っ」

 いつも浮かべているような、綺麗な微笑ではない。
壊れたように笑いながら、シルヴィアは、静かに言った。

「……そうよ、それだけなのよ……。ただ、血が繋がってるだけ。たったそれだけのことに、私達は一生縛られて、振り回されて、苦しめられる……。どんなに足掻いても、足掻いても、結局私は、逃げられなかった……。おまえも、召喚師の血からは、絶対に逃げられない……」

 浅く呼吸しながら、シルヴィアは、すがりつくようにルーフェンの腕を掴んだ。

「ねえ、今の私、どう見える? 哀れ? 滑稽? 人じゃないというなら、化け物にでも見えるのかしら。私のこと、憎くて、殺したくて、仕方ないでしょう……?」

 シルヴィアの目から、ぽつっと一筋の雫が落ちる。
一瞬、びくりと身体を震わせたルーフェンは、怯えたように腕を引いたが、シルヴィアの手は離れなかった。

「憎いって、そう言いなさい……。私、おまえのことが大嫌いよ。生んだことを、ずっと後悔してきたの。邪魔で邪魔で、心の底から、殺したかった……。だから、おまえもそう言いなさい……。私のことが憎くて、殺意すらあったんだって、お願いだから、そう言って……」

「…………」

 涙を流しながら、譫言(うわごと)のように呟く。
しかし、その紅色の唇で、にんまりと弧を描くと、シルヴィアは泣き嗤いした。

「召喚師として生まれてしまった以上、今更、もう何をしようったって無駄よ! 前にも言ったでしょう、おまえは、無知で無力だ。だから、今の私の姿を、よく覚えておくといいわ。おまえも、いずれこうなるのだから……!」

 シルヴィアの腕を振り払って、ルーフェンは、部屋を飛び出した。
螺旋階段を降り、本殿の廊下を走り抜け、驚いた様子で声をかけてくる家臣たちにも構わず──。
とにかく、そうしていなければ、頭がおかしくなりそうだった。

 行き先も決めず、移動陣に飛び込んで、ルーフェンは、気がつけば、アーベリトに隣接するリラの森に来ていた。

 深く積もる雪の上を走って、走って。
リラの森を抜け、ふと、雪に足をとられて転ぶと、ルーフェンは、どしゃりと倒れこんだ。

 冷たい雪の水気が染み込んできて、だんだん、指先の感覚が無くなってくる。
同時に、幾分か冷静になってきて、ルーフェンは、日光を反射してきらきらと光る雪原を、ぼんやりと見つめていた。

 こんな風に王宮を飛び出したって、何かが変わるわけじゃない。
召喚師として生きていくことは、もう随分前に覚悟を決めたし、今更、抵抗しようという気も起きない。

──ただ、シルヴィアを見て、その残酷さを改めて実感しただけだ。
どんなに嘆いても、もがいても、もうどうにもならない運命。
召喚師であることを強いられ、その苦痛を飲み込み、耐えて、耐えて、やがて、感情を出すのも嫌になって。
そうしていつか、自分もシルヴィアのような、人形になるのだろうか。

 分かっていた。
最近になって、もう抗うのはやめようと言い聞かせて、何度も納得した。

 自分は、シルヴィア・シェイルハートの血を引く、召喚師一族だ。
たったそれだけのことが、己の全てだ。
その血の繋がりからは、もう逃れられはしない。
そういうものなのだ。
──きっと、そういうものなのだろう。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.279 )
日時: 2018/02/08 18:45
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)




 どれくらい、雪の上にそうして寝転んでいたのか。
虚ろな意識のまま、冷えきって動かなくなった指先を見つめていると、ふいに、ざくざくと雪を掻き分ける足音が聞こえてきた。

 小さな影が落ちて、近づいてきた足音は、ルーフェンの目の前で止まる。
仕方なく起き上がると、四、五歳ほどの男の子が、不思議そうにルーフェンのことを見ていた。

「……召喚師、さま……?」

 こてん、と首を傾げて、男の子が尋ねてくる。
少しだけ迷った後、ルーフェンが頷くと、男の子は、ぱっと目を輝かせた。

「すごーい! ほんものだ! ほんものの召喚師さまだー!」

 唐突に興奮し出して、男の子が大声をあげる。
ルーフェンが呆気にとられていると、別の方向から少年がやって来て、男の子を叱り飛ばした。

「モリン! あんまり遠くに行くなって言ったじゃないか!」

 頬を紅潮させ、白い息を吐きながら、十歳前後の少年が駆けてくる。
モリン、と呼ばれた男の子は、はしゃいだ様子で少年に飛び付くと、ルーフェンを指差した。

「みてよ、ユタ兄ちゃん! 召喚師さま、ほんものだよ!」

「はあ?」

 訝しげに眉をしかめたユタだったが、しかし、ルーフェンの方を見た瞬間、目を見開いて硬直する。
モリンは、雪まみれで突っ立っているルーフェンに突撃すると、その手を掴んで、ぐいぐいと引っ張り出した。

「わあ、召喚師さま、手つめたーい! 風邪ひいちゃうよ、いっしょに帰ろー!」

 楽しげに笑いながら、モリンがルーフェンの手を振り回す。
返答に困っていると、顔を真っ青にしたユタが、モリンをルーフェンから引き剥がした。

「馬鹿っ、モリン、失礼だろっ! 申し訳ありません、召喚師様! こいつ、まだ子供で……!」

 慌てて頭を下げて、ユタが謝罪してくる。
ルーフェンは、苦笑すると、ゆるゆると首を振った。

「……いや、大丈夫だよ。気にしてないから」

 穏やかな口調で言うと、ユタが、安心したように息を吐く。
叱られたのだと分かって、どこか不満げにしているモリンを横目に、ユタは、緊張した面持ちで言った。

「あの、もしかして、アーベリトに何か御用ですか? サミル先生なら、さっき孤児院を見回ってたと思うんですが……」

 ユタに言われて、ルーフェンは初めて、ここはアーベリトの近くだ、ということに気がついた。
シルヴィアの元から飛び出して、無意識に、こんなところまで来てしまっていたらしい。
なんとなく、サミルやオーラントに、会いたくなったのかもしれない。

 シルヴィアから逃げてきた自分に呆れつつ、かぶりを振ろうとしたルーフェンだったが、ふと、自分の父アランのことを思い出すと、動きを止めた。
アランを殺したのがシルヴィアである、ということが、先程の離宮でのやり取りで、明らかになった。
この事実は、アランの弟であるサミルにとっても、重要なことに違いない。

 以前話したときのサミルの口ぶりからして、サミルは、ルーフェンの出自を知っているようだった。
だから、アランがルーフェンの父親であることも、口封じのためにシルヴィアがアランの殺害を謀ったことも、もしかしたら知っているかもしれない。
だが、オーラントの容態も気になるし、折角アーベリトまで来たのだから、一度サミルに会って、話しておくべきだろう。
王太妃バジレットへの報告は、それからでも遅くはない。

 ひとまず、沈んだ気持ちを押しやって、ルーフェンは、微笑んだ。

「……うん、そうなんだ。サミルさんに話があるから、良かったら、案内してくれるかな」

「は、はい! もちろんです!」

 ユタが、ぎこちない動きで頷く。
一方のモリンは、嬉しそうに声をあげると、再びルーフェンの手をとった。

「いこう、いこう! こっちだよ!」

 失礼だと怒るユタを振り切って、モリンが、ルーフェンの手を引いていく。
小さくて柔らかい、子供らしいその手は、とても温かかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.280 )
日時: 2018/02/08 18:46
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: Fm9yu0yh)



 ルーフェンが連れてこられたのは、アーベリトの街並みを抜けた東端にある、孤児院だった。
なんとなく予想はしていたが、ユタもモリンも、この孤児院の子供らしい。
ユタたちは、上着についた雪を払いつつ、扉を開けて、ルーフェンを中に引き入れたのだった。

 孤児院の中は、思いの外広く、天井から下がったシャンデリアの蝋燭が数本、淡い光を放っていた。
夜になれば、あの全ての蝋燭に、明かりが灯るのだろう。

 室内では、十数人ほどの子供たちが、思い思いに絵を描いたり、玩具で遊んだりしていた。
積雪が多い今日は、大半の子供たちは、職員と一緒に外に出てはしゃぎ回っているらしい。
室内にいるのは、ごく少ない人数のようだが、それでも、ルーフェンにとっては、こんなに沢山の子供を前にするのは、初めてのことであった。

 ユタは、上着を脱ぎながら、近くにいた少女に話しかけた。

「なあ、サミル先生、まだいる?」

「ううん。さっき施療院の方に戻っちゃったけど……」

 ユタと同い年くらいの少女が、ルーフェンの方を気にしながら、首を振る。
ユタは、困ったように息をつくと、ルーフェンの方に振り返った。

「すみません、召喚師様。サミル先生、ここにはいないみたいで……。呼び戻してくるので、少し待っていてもらえますか?」

 そう言って、申し訳なさそうに頭を下げる。
ルーフェンは、表情を緩めると、小さく首を振った。

「……急に押し掛けたのは、俺の方だから。わざわざ呼び戻してもらうのも悪いし、俺が直接、施療院に行くよ」

 ルーフェンが答えると、ユタはぶんぶんと手を振った。

「いやっ、そんなわけには! 外は寒いですし、召喚師様は中で寛いでいて下さい!」

 食い気味に言われて、思わず黙りこむ。
すると、先程の少女が、いそいそと上着を着込みだした。

「それなら、私が行ってくるよ。ちょうど今月分の薬を、施療院に取りに行かなきゃいけなかったし。ついでに、サミル先生を呼んでくる!」

 何やら嬉しそうにルーフェンを一瞥して、少女が走っていく。
その後ろ姿を、ルーフェンが見送っていると、周りをちょろちょろと動き回っていたモリンが、ふと声を上げた。

「ねえ、召喚師さま。せなか、けがしてるよ?」

 はっと目を見開いて、背中に触れる。
今朝、シルヴィアにつけられた傷だ。
大した傷ではなかったから、気にしていなかったが、そういえば、何の手当てもしていなかった。

 ルーフェンは、慌てて微笑んで見せると、背中が見えないように、モリンの方を向いた。

「……大丈夫だよ。ちょっと、引っ掻いただけだから」

 心配そうに、こちらを見つめてくるユタの方も見ながら、誤魔化す。
しかしモリンは、不満そうに唇を尖らせると、ルーフェンを暖炉の前まで連れていって、座らせた。

「お医者さんは、こうするんだよ」

そう言って、玩具箱を漁ると、モリンが聴診器を取り出す。
使わなくなったものを、アーベリトの医師にもらったのだろうか。

 モリンは、ルーフェンの胸に、服越しに聴診器を当てると、ふんふん、と何度か頷いて見せた。

「あまり、よくありませんね。今日は一日、あんせいにしていないとだめですよ」

 医師の真似事でもしているのか、はきはきと敬語を使って、モリンが言う。
当然、聴診器で傷が治るはずもないのだが、その得意気な様子がおかしくて、ルーフェンは、微かに破顔した。

「……お医者さんの真似、上手だね」

 褒めたつもりであったが、モリンは、途端に物足りなさそうな顔になった。

「ちがうよ! こういうときは、ありがとうございます、先生! っていうんだよ!」

「……そっか。ありがとうございます、先生。今日は、大人しくしています」

 ルーフェンが頭を下げると、モリンは、満足そうに笑った。
その裏のない、爛漫な笑顔を見ている内に、ルーフェンも、自然と微笑んでいた。
普段相手しているのが、腹の底の知れない、分厚い仮面をかぶった大人たちばかりだから、こういう純粋な笑顔を向けられるのは、なんだか新鮮である。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.281 )
日時: 2018/02/09 18:27
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8nwOCftz)




 モリンとルーフェンの会話を聞いていたのか、ちらちらとこちらを伺っていた子供たちが、徐々にルーフェンの元に集まり始めた。

「え、召喚師さま?」

「しょーかんしさまだー!」

「本当に髪の毛が銀色だ!」

 一人が声を上げたのを皮切りに、子供たちが口々に騒ぎ出して、ルーフェンを取り囲む。
目を白黒させていると、ユタが焦った様子で、声を張り上げた。

「こら! お前たち、いい加減にしろ! 召喚師様は偉い人なんだから、そんな風に集るな!」

 だが、そんなユタの説教も空しく、子供たちは、実に楽しそうに笑っている。
見たところ、子供たちは大体五、六歳程度で、今いる中では、ユタが最年長のようだ。

「召喚師さま! しょーかんじゅつ、見せてよ!」

「王宮って、どんなところ?」

「これあげる! さっき、私が作ったんだよ!」

「私も! これあげる、折り紙のお魚さん!」

 思い思いに話しかけてくる子供たちに戸惑いながらも、その一つ一つに、なんとか返事をしていく。
ルーフェンは、女の子が差し出してきた折り紙を受け取ると、顔を綻ばせた。

「ありがとう、もらっていいの?」

 二人の女の子は、互いに顔を見合わせると、こくりと頷いた。

「いいよぉ、だってお父さんが、ルーフェンさまには感謝しなさいって、言ってたから!」

「アーベリトの恩人だって、言ってたもん。ねー!」

「…………」

 リオット病の治療法の需要をあげて、アーベリトの資金援助をしたことを言っているのだろうか。
前にサミルが、孤児院の修繕が出来たのだと語っていたことを思い出しながら、ルーフェンは、折り紙を見つめた。

 子供とはいえ、リオット族の一件以降に、アーベリトの町民たちの声を聞くのは、初めてだ。
シュベルテの人間たちはともかく、こうしてサミルやアーベリトの者達が喜んでくれるなら、多少無茶をしてでも、成し遂げられて良かったと心から思った。

 つかの間、黙りこんでいると、今度は男の子が、絵本を持って走り寄ってきた。

「ねえねえ、召喚師さまー! これよんでー!」

 差し出してきた絵本を受け取りつつも、どうするべきか迷って、ルーフェンが口ごもる。
すると、再びユタが割り込んできて、絵本を奪い取った。

「だから、召喚師さまを困らせちゃ駄目だってば! 召喚師さまは、お前たちの相手をしにアーベリトに来たんじゃないんだから!」

「えー、でも、ユタ兄ちゃんじゃよめないじゃんか!」

 不服そうな男の子に、ユタは厳しく言った。

「でも、じゃない! とにかく召喚師様は、こんなこと頼んで良いお方じゃないんだよ! 頼むなら、お父さんに頼め!」

 それだけ言って、男の子に絵本を返す。
まだ物言いたげな男の子を無視して、ユタは、群がっている子供達を追い払った。

「ほら、お前たちも、何かしてほしいならお父さんに頼むんだ! 召喚師様の前で、騒がしくするなよ!」

 渋々といった様子で、子供たちが離れていく。
先程までは好き勝手騒いでいたが、ユタに本気で怒られるのは怖いのだろう。
流石の子供達も、大人しくなった。

 ルーフェンは、微かに笑うと、ユタを見た。

「ユタくん、だっけ。君は偉いな、皆のお兄さんなんだ」

ユタは、少し照れ臭そうな表情になった。

「ここにいるのは、チビばっかりだから、俺がしっかりしないと。まあ大変なことも多いけど、賑やかなのは嫌いじゃないんです。まるで家族が出来たみたいに思えるから……」

「…………」

 十の子供とは思えない、しっかりとした口調で、ユタが言う。
その照れ笑いを、ルーフェンが見つめていると、膝にしがみついていたモリンが、今度はユタの方にすり寄った。

「ねえー、ぼくにも本よんでー」

「だから、お父さんが帰ってきたらな」

「おとーさん、いつ帰ってくるのー?」

 不機嫌そうに眉を曇らせて、モリンが項垂れる。
ユタが、やれやれといった様子で、ため息をついた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.282 )
日時: 2018/02/09 18:29
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8nwOCftz)



 そんな彼らを眺めながら、ルーフェンは、ふと尋ねた。

「ねえ。その、お父さん、って?」

 ユタや他の子供達が、度々口にする『お父さん』という言葉。
しかし、この孤児院にいる子供達には、親はいないはずである。

 お父さん、というのが誰を指す言葉なのか、気になって尋ねてみると、ユタは、ああ、と頷いて答えた。

「すみません、ご説明していなくて。お父さん、っていうのは、サミル先生のことです」

 ユタは、幼い子供達に聞こえないように、小声で言った。

「ここの子供達には、親がいません。捨てられたとか、戦や病で亡くしたとか、理由は色々ですが、中には、それがまだ理解できていない子もいるんです。特に、まだ小さい連中は……。モリンも一時期、夜になると、お父さん、お母さんって、ずっと泣いていたんですよ」

 ユタは、微かに目を伏せた。

「そうしたらある時、サミル先生が、言ったんです。『私のことを、お父さんだと思えばいい』」

「…………」

 ルーフェンは、黙って聞いていた。

「『血が繋がりなんて、関係ない。私は、君達を本当の子供のように思っている。だから君達も、私のことを、本当のお父さんだと思えばいい。これから、一緒に頑張っていこうね』って」

 どこか嬉しそうに笑って、ユタは言った。

「それ以来、皆、サミル先生のことを、お父さんって呼んでるんです。俺は別に、本当の両親のこととか理解できてますし、恥ずかしいので、先生、って呼んでますけど……」

 そこまで言って、ユタは、言葉を止めた。
慌ててルーフェンに駆け寄ると、ユタは、焦ったような表情になった。

「召喚師様、すみません! 俺、何かお気を悪くされるようなこと、言いましたか……?」

 おろおろと手をさまよわせて、ユタが顔を覗き込んでくる。
その時ルーフェンは、初めて、自分が泣いていることに気づいた。

「…………」

 大丈夫、と答えようとするも、途端、止める間もなく、涙がこぼれ落ちてくる。
意思に反して、どんどんと溢れ始めた涙は、拭っても拭っても、止まらなくなった。

「召喚師さま、せなか、いたいの?」

 心配そうな声で、モリンが話しかけてくる。
しかし、何か言おうにも、嗚咽しかこぼれない。
ルーフェンは、ただ俯いて、首を振ることしかできなかった。

 血の繋がりなんて、という言葉が、不思議なくらい心に響いた。
自分はきっと、召喚師一族の血から逃れられない。
そう無理矢理納得して、言い聞かせて作った強固な壁が、ぐらぐらと揺れているような気がした。

 本当の両親の愛情を受けられずとも、居場所を見つけ、優しく笑っているこの孤児院の子供たちが、ひどく、眩しく見えた。

「──……っ、ぅ」

 腕で顔を覆うと、ルーフェンは声を漏らして泣き始めた。
驚き、心配して寄ってきた子供たちに、何か答えなければ、と思うのだが、喉が震えるばかりだった。

 こんな風に激しく泣いたのは、八歳で王宮入りして以来、初めてのことであった。

 やがて、先程の少女が、サミルを連れ帰ってきても、ルーフェンは、何も言えなかった。

 サミルが、本当は自分の叔父であったこと。
孤児院を、改めてちゃんと見たこと。
シルヴィアや、アランのこと。
話したいこと、言いたいことは沢山あるのに、サミルの温かい手が背中に触れると、余計に涙が溢れてきた。

 サミルは、しばらくそうして、何も聞かず、ルーフェンの背中をさすっていてくれたのだった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.283 )
日時: 2018/02/10 17:56
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: DYDcOtQz)



 ようやく涙が収まり、サミルと共に孤児院を後にすると、ルーフェンは、オーラントとジークハルトがいる病室へ訪れた。
話をするなら、子供達の目につかない施療院の方が良いだろう、というサミルの計らいである。

 オーラントは、右腕のない生活に慣れず、まだ自由に動き回ることは出来ないようだったが、それでも、寝台から起き上がれるようにはなっていたし、以前見たときに比べれば、顔色もかなり良くなっていた。

「……そうか、バジレット様は、シルヴィア様の正体をご存知だったんだなぁ」

 ルーフェンが、バジレットとの会話や、やはりシルヴィアが王位継承者達を殺した犯人であったことなどを告げると、オーラントは、ため息混じりに言った。
立ったまま、壁に寄りかかっていたジークハルトも、同じように嘆息する。

「……なるほど、面倒なことになったな。遷都が決定した背景に、そんな血生臭い過去があったとは。混乱を避けるためにも、シルヴィアの愚行を言いふらす訳にはいかないが、何も知らん王宮の奴等は、意味も分からず遷都を決められて、納得するわけがないだろう。王太妃が、瀕死の息子を操って、陛下に遷都を命じさせたと思われるのが落ちだ。今後、必ず反対勢力が生まれるぞ」

「……うん」

 ぼんやりと返事をして、ルーフェンは頷いた。

 ジークハルトの言っていることは、尤(もっと)もなことであったし、ルーフェンも、王権を失ったシュベルテに、反発する勢力が出てくるだろうという懸念はしていた。
しかし、赤ん坊のシャルシスを政治の駒にしたくない、というバジレットの思いも理解できたし、シャルシスを国王にしたところで、代わりに政治を取り仕切ろうとする者によって、悪政を敷かれるのが目に見えている。

 苦肉の策ではあるが、遷都し、王権をシュベルテから遠ざけることが、今は一番良いように思えた。

 暗い表情で、サミルが口を開いた。

「確かに今朝、各街の領主に宛てて、新たに王都を決定するという連絡が、王宮から届きました。四日後、次の王都の選定を、王太妃様の元で行う、と……。恐らく、召集されるのは、ハーフェルンの領主、マルカン候と、セントランスの領主、アルヴァン候だと思いますが」

「やっぱり、ハーフェルンとセントランスか」

 悩ましげに眉を寄せて、オーラントが言う。
サミルは、心配そうな面持ちで、ルーフェンの方を見た。

「次期……あ、いえ、召喚師様も、王都選定の場には、ご出席なさるのでしょう?」

「……はい、そうなると思います。俺は召喚師ですから、遷都した暁には、シュベルテを出て、新しい王都に移ることになりますし」

 サミルに入れてもらった茶を一口飲んで、ルーフェンは続けた。

「今のところは、ハーフェルンを王都にしようとする動きが、強いように思います。バジレット王太妃も、口には出していませんが、そう考えているんじゃないかと。……セントランスは、軍事力があるというだけで、ろくな街じゃありません。かつてはセントランスが王都だったようですが、他の地を侵略して食い潰していく様は、とてもじゃないが、国の中心地に相応しいとは言えなかった、と聞いています。もう五百年も昔のことですし、今は表面上、シュベルテとセントランスの間に確執はありませんが、セントランスの内情に、あまり良い噂は聞きません。今回、王都に返り咲こうとしているのも、シュベルテとの内戦で度々敗北した大昔の屈辱を、晴らそうと考えているだけなのでしょう」

 ルーフェンの言葉に、オーラントが明るく頷く。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【多分毎日更新】 ( No.284 )
日時: 2018/02/10 18:01
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

「まあ、ハーフェルンなら、それこそシュベルテと長い間、親交が深いしな。召喚師一族にも、かなり好意的だろう」

 黙って聞いていたジークハルトが、呆れたように言った。

「俺は、ハーフェルンは好かん。あそこは、人の出入りや物流が盛んな分、怪しげな物も沢山入り込んでくる。発展してるのは、あくまで上辺だけ。貧富の差も深刻だ。一歩裏路地に踏み込めば、薬物中毒者やら、仕事のない酒浸りが、うようよ徘徊してる」

 知らない訳じゃないだろう、という風に言うと、ジークハルトは、オーラントにじろりと睨まれた。
わざわざ気分が落ち込むようなことを言うな、という牽制だろう。

 ハーフェルンかセントランス、どちらか一方、新しい王都となった方に、ルーフェンは移ることになるのだ。
今のところは、ハーフェルンが優勢なのだから、なるべくハーフェルンの悪い面は言わないように、と気遣っていたのに、それらをジークハルトがぶち壊したので、オーラントは怒ったらしい。

 ジークハルトは、鼻を鳴らすと、今度はルーフェンの方を見た。

「選定は四日後、だったな。王太妃は、どうやって新しい王都を決定するつもりなんだ」

 ルーフェンは、目を伏せたまま答えた。

「……それは、まだ聞いてない。今日中にシルヴィアのことを、王太妃に報告しなきゃならないから、その時に聞いてみるよ。……でも多分、話し合いで決めるんじゃないかな。通例だと、戦って勝利した方が王都になるんだろうけど、今回は国王自らの意思で王権を譲渡するわけだし、わざわざ争う必要はない。バジレット様も、あまり争いは好まれないようだし、そもそも、ハーフェルンは軍事ではなく、商業で発展してる街だ。軍事に力を入れているセントランスと争わせるのは、公平じゃない」

 ジークハルトは、微かに目を細めた。

「……本当に、そうなるといいがな。公平かどうかなんて綺麗事が、通じるとも思えん。立場は王太妃が一番だが、バジレットにも、大した発言権はないだろう」

「…………」

 つかの間、室内に、重苦しい沈黙が落ちる。
ルーフェンは、コップを握る手に、力を込めた。

「……次の王都がどうなるにしても、内戦は避けたい。もし、争いに発展するなら、その時は、召喚師一族の権力を使って止める。戦が絡んだ話で、召喚師一族に喧嘩を売ろうなんて命知らずは、流石にいないでしょうから」

 凄むような目つきになったルーフェンに、サミルが、眉を下げた。

「……召喚師様、あまりそのように、全てを背負おうとはなさいますな。王都の選定が、国の在り方を左右する大事であることは確かですが、ご自分の立場をそんな……政治の道具のように使ってはなりません。矢面に立たれるような真似を続ければ、召喚師様の御身が危険です」

 諭すように言ってきたサミルに、ルーフェンは、表情を緩めた。

「……いざという時は、の話です。大丈夫、基本は口を出さずにいるつもりですから。俺だって、権力争いに巻き込まれるのは、御免です」

「…………」

 どこか不安げな様子で、サミルが押し黙る。
二人のやりとりを見ながら、オーラントは、がしがしと後頭部を掻いた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.285 )
日時: 2018/02/11 18:13
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: JIRis42C)




「俺がまだ宮廷魔導師を続けていれば、王都選定の場にも出席できたし、多少は発言も出来たんですがねえ。諸々の背景を知ってるのが、ルーフェンと王太妃様だけっていう状況は、どうにも心配です」

「え……」

 大きく目を見開いたルーフェンに、オーラントは苦笑した。

「え、ってなんですか。宮廷魔導師は、地位で言えば貴族と同等、領地だってもらえるご身分なんですよ? 言っちゃえば、領主みたいなもんです。今回は、有力候補がハーフェルンとセントランスだっていうだけで、他の領主が来ちゃいけないとは書いていない。俺は、面倒だから領地なんて貰ってないが、身分的には、明後日の選定会議とやらに、出席して問題ないはずです」

「いや、そうじゃなくて」

 どこか得意気に話し始めたオーラントを遮って、ルーフェンは言った。

「オーラントさん、宮廷魔導師、やめたんですか……?」

 瞠目して、オーラントが、目を瞬かせる。
それから、少し困ったように笑うと、オーラントは無くなった右腕を示した。

「そりゃあ、この有り様じゃ、続けられないですよ。宮廷魔導師団の方には、事情を省いて、説明しました。召喚師に即位したなら、近々あんたにも、連絡が行くんじゃないですか。俺は、晴れて無職です」

 あっけらかんと笑うオーラントに、ルーフェンは顔を歪めて、俯いた。

「……すみません、本当に。俺のせいで……」

 膝に置いた拳を握って、深々と頭を下げる。
オーラントは、首を振った。

「なに、あんたが気にすることじゃないですよ。元はといえば、俺が軽率に動きすぎたのが悪いんですから。幸い、金には困ってないし、早めに引退したと思って、のんびり隠居します」

「…………」

 何を返せば良いのかわからなくて、ルーフェンは唇を震わせた。

 オーラントが、わざと明るく振る舞っているのは、見てすぐに分かる。
オーラントだって、ちゃんと宮廷魔導師の仕事に誇りを持って、日々生活していたのだ。
その仕事を無くして、こんな風に笑っていられるわけがない。

 右腕を失い、誇りも失い、それでも変わらず接してくれるオーラントを思うと、再び目頭が熱くなった。

 溢れそうになった涙を拭うルーフェンを見て、オーラントは、肩をすくめた。

「なんだよ、今日は随分泣き虫だなぁ。さっきもわんわん泣いてたんでしょう。いつもの可愛いげの無さは、どこ行ったんですか?」

 茶化すような物言いに、ルーフェンは、涙声で返した。

「……本当に、ごめんなさい。俺が、召喚師になったら、オーラントさんの給料あげろって、頼まれてたのに……」

「ちょっ、今それ言ったら、色々台無しになるじゃないですか……」

 途端にばつが悪そうな顔になったオーラントに、サミルがくすりと笑う。
ジークハルトは、何も言わずに、呆れたように息を吐いた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.286 )
日時: 2018/02/11 18:14
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: JIRis42C)



 オーラントは、場の空気を一新させるべく、左手を、膝に叩きつけるように置いた。

「まあ、とにかく、これ以上俺たちに出来ることはない。……悔しいけどな。あとは、ハーフェルンとセントランス、そして、王太妃様のお心次第、ってことです。……良かったじゃないですか、その……王位継承者達の死の真相が、突き止められたんだから。ルーフェンにとっちゃ、そんな喜べるような真相ではないでしょうけど」

「…………」

 ルーフェンは、ゆるゆると首を振った。

「……いえ、結果的には、良かったです。今回の件で、色々と知ることができたのは、事実ですから」

 抑揚のない声で、ルーフェンは言い募った。

「おかげで、自分の出自についても、突き止めることができました。シルヴィアが、俺をヘンリ村に捨てた理由も、俺の父親が、アラン・レーシアス氏だったことも……。そして、アランさんの殺害を謀ったのが、シルヴィアであったことも……」

 瞬間、サミルが、瞳に驚愕の色を滲ませる。
ルーフェンは、サミルの方を向くと、穏やかに告げた。

「……すみません、勝手に調べてしまいました。……サミルさんは、俺の、叔父さんだったんですね」

「…………」

 どこか戸惑った様子で、サミルが口ごもる。
それから、申し訳なさそうに下を向いて、サミルは言った。

「……申し訳ありません。もう少し、早くに打ち明けるべきでした……。ただ、ずっと迷っていたのです。お伝えすることが、果たして、召喚師様にとって良いことなのだろうかと……」

 ルーフェンは、微かに破顔した。

「俺は、知ることができて、良かったです。サミルさんが、俺の叔父だと分かって、嬉しかった」

 サミルは、少し目を大きくしてから、優しく目元を和ませた。

「……私も、嬉しかったのですよ。ヘンリ村で見つかった貴方様が、アーベリトに来たとき、まるで、兄の生きた証を見ているようで、本当に嬉しかった。兄もね、シルヴィア様がご懐妊なさったと聞いて、とても喜んでいたんです」

「…………」

 ルーフェンは、何かをこらえるように唇を引き結んで、俯いた。
そして、座っていた椅子を引いて、ゆっくりと立ち上がった。

「……そのお話が聞けただけで、もう十分です。ありがとうございます。……叔父さん」

 小さな声で言って、上着を羽織る。
ジークハルトは、顔をあげると、寄りかかっていた壁から離れた。

「……おい、王宮に戻るのか」

「うん。いい加減、バジレット様に、シルヴィアのことを報告しに行かないと」

「移動陣を使うんだろう。なら、俺も連れていけ。馬車を待つより早い」

 簡潔に用件を言って、ジークハルトも身支度を始める。
シルヴィアの一件が片付いたので、もう魔導師団に戻りたいのだろう。

 ルーフェンは、サミルとオーラントを、交互に見やった。

「それでは、お邪魔しました。孤児院の子達にも、よろしくと。……オーラントさんは、早く回復してくださいね」

 ああ、と頷いて、オーラントが笑う。
サミルは、朗らかに首肯すると、ルーフェンに尋ねた。

「召喚師様……アーベリトのことは、お好きですか?」

 振り返って、少し不思議そうに瞬く。
ルーフェンが、はい、と返事をすると、サミルは、どこか寂しそうに微笑んだ。

「……では、またいらしてくださいね」

「…………」

 曖昧に笑みを返して、ルーフェンが頷く。

 遷都の状況次第で、別の街に移り住むことになれば、再び、アーベリトに来られるか分からない。
それに、召喚師になった今、これまでと同じように、身軽に王宮を飛び出すことも出来ない。
声に出して約束するのは、躊躇われた。

 ルーフェンとジークハルトは、それぞれ帰る準備を整えると、部屋を出たのであった。



 二人が病室から出ていくと、大きくため息をついて、オーラントは寝台に横たわった。
ぼんやりと、何か物思いしながら、天井の一点を見つめている。

 だが、ふと口を開くと、独り言のように呟いた。

「サーフェリアは、これからどうなっていくんでしょうね……」

 静かな部屋の中に、どんよりとした空気が漂う。

 未だに、ルーフェンたちが出ていった扉を見つめていたサミルは、ふっと、息を吸った。
そして、オーラントに向き直ると、ゆっくりと口を開いた。

「バーンズさん、少しご相談があるのですが……よろしいですか?」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.287 )
日時: 2021/02/24 12:16
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)


  *  *  *


 港湾都市、ハーフェルンの領主であるクラーク・マルカンと、軍事都市、セントランスの領主であるバスカ・アルヴァンの馬車が、王宮に到着したのは、ちょうど昼を過ぎた頃であった。

 二人が謁見の間に通された時、王太妃バジレットは、既に王座についていた。
その下手には、新たな召喚師ルーフェンと、前召喚師シルヴィア、他にも、政を取り仕切る重役たちが揃っている。
バジレットの近くや、謁見の間の周辺には、宮廷魔導師や騎士たちが配置されており、どんな事態にも対応できるよう、目を光らせていた。

 クラークとバスカは、謁見の間に入ると、その場でひざまずき、深く頭を下げた。

「この度は、お招き頂き、ありがとうございます。エルディオ様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます」

 バスカは、そこで言葉を止めたが、クラークは、ルーフェンの方にも身体を向けると、再度お辞儀をした。

「ルーフェン様におかれましては、召喚師へのご就任、誠におめでとうございます」

 一瞬、バスカが、気に食わないといった表情で、クラークを睨む。

 クラークが治めるハーフェルンは、交易が盛んな港湾都市である一方、軍事力に関しては、王都シュベルテに依存している節がある。
そのため、シュベルテの軍事を統率する召喚師一族への“ご機嫌とり”は、クラークにとって最優先事項と言えるのだ。

 国王が崩御したばかりの今、召喚師への祝いの言葉を述べるのは、不謹慎だ。
そう踏んで、故意にルーフェンには何も言わなかったセントランスの領主、バスカは、顰蹙(ひんしゅく)を買う覚悟で抜け駆けしたクラークの言動が、心底不愉快だったのだろう。

 早々に、緊張感のある空気が流れ始めた中、バジレットは、平坦な声で言った。

「マルカン侯、アルヴァン侯、よく来てくれた。面を上げ、席につくがよい」

 は、と短く返事をして、クラークとバスカが立ち上がる。
二人は、広間の両端に用意してある椅子まで歩いていくと、それぞれ向かい合うようにして、着席した。

「……さて、王都シュベルテの現状は、そなたらも知っての通りだ。国王が不在の今、いつその地位を狙って、愚劣な輩がシュベルテに攻めこんで来るとも限らぬ。そうなる前に、余は、サーフェリアを導く力を持つであろう、ハーフェルンかセントランス、このどちらかを王都とし、その領主を勤める者に、王位を譲ろうと思う」

 バジレットの言葉に対し、問答の口火を切ったのは、バスカであった。

「王太妃様、そのお申し出、是非私めがお受けしとうございます! 我がセントランスは、優秀な魔導師と屈強な騎士を備えた、シュベルテに次ぐ軍事都市! かつて、王都として国を治めていたのも、セントランスです。どのような脅威がサーフェリアに降りかかろうとも、必ずや打ち破ってみせましょう! 新たに王都を選定なさるのであれば、相応しきは我がセントランスの他にありません!」

 鍛え上げられた太い腕で、身ぶり手振りをつけながら、バスカが捲し立てる。
一方のクラークは、どこか小馬鹿にしたような顔で、ぼそりと呟いた。

「真にセントランスが王都に相応しかったのなら、何故、現在の王都はシュベルテなのでしょうな?」

 バスカの顔が、怒りで赤くなる。
クラークは、鷹揚に笑って見せた。

「おやおや、これは失敬。つい本音が出てしまいました」

 クラークは、バスカには目もくれず、バジレットの方に向いた。

「私達ハーフェルンは、見苦しく、王位に執着しようとは思っておりません。ただ、私は心配なのです。王太妃様の仰るように、このままでは、不遜(ふそん)な輩が王都の権力を手に入れようと、すり寄って来るのではないか、と。そのような意地汚い者の手中に、王位が収まってしまうくらいなら、この私、クラーク・マルカンにお任せください。シュベルテとハーフェルンは、長年友好関係にあります。我らは決して、シュベルテを裏切りません。どうか、信用しては頂けないでしょうか?」

 クラークが言い終えると、バスカが、すぐさま大声をあげた。

「不遜なのは、お前達のほうであろう! 媚び諂(へつら)い、シュベルテからの恩恵に甘え、蜜を吸ってのうのうと暮らす羽虫めが! シュベルテの力なしでは防衛もできぬような脆弱なハーフェルンに、王都など勤まりはしない!」

 顔色一つ変えず、クラークは言い返した。

「軍事力こそが全てと思い込んでいる辺りからして、失笑を禁じ得ませんな。敵を退けることだけが、統治ではありませんよ、アルヴァン侯。貴殿のように、喧しくわめき散らす御仁が治めているとなると、セントランスの品位も、たかが知れておりますな」

「黙れ、野心深い狸めが!」

 バスカは立ち上がると、クラークを指差した。

「王太妃様! 聞けば、崩御されたエルディオ様も、シェイルハート家のご子息達も、ハーフェルンでの療養からの帰り道に遭った転落事故が原因で、お亡くなりになったそうではないですか! 療養とは名ばかりで、きっとこの男が、馬車に細工をしたに違いありません!」

「なっ!?」

 クラークが、思わず立ち上がる。

 療養からの帰り道に起きた転落事故のことについは、クラークも、少なからず責任を感じているのだろう。
エルディオやルイスたちの死は、シルヴィアが仕組んだことなのだから、当然、クラークに原因はないのだが、彼らは、黒幕がシルヴィアであることを知らない。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.288 )
日時: 2018/02/12 18:47
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: h4V7lSlN)



 余裕綽々としていたクラークも、痛いところを突かれては、黙っていられないようだった。

「憶測で物を言わないで頂きたい! あれは事故です! でたらめなんぞで私を陥れようなど、卑怯者のすることですぞ! 少しは頭を使って発言してはどうなのですか!」

「白々しい! 馬車に細工を施していなかったとしても、ハーフェルンの監督不行き届きが原因であることは事実! 貴殿のように平和ボケした者が、国王になろうなど、思い上がりも甚だしいわ!」

 二人はそうして、しばらくお互いを罵倒し合っていた。
言い争っても仕方のないことを、いつまでも並び立てて騒いでいる姿を見ていると、だんだん、この場が時間の無駄だとさえ思えてくる。
ルーフェンは、呆れたように肩をすくめて、唾を飛ばし合う二人を眺めていた。

 王都にするなら、ハーフェルンだと考えていたが、もはや、どちらでも良くなってきた。
浅薄なバスカは論外だが、対するクラークも、クラークである。
元々、計算高い男だとは思っていたが、その割には、随分と頭に血が昇りやすい。
港町ハーフェルンを、あそこまで大きく発展させた手腕は認めるが、いざクラークが国王となり、その下で働くことを考えると、ため息が出た。

 長い言い争いの末、罵る言葉が出てこなくなると、クラークとバスカは、ようやく口を閉じた。
バジレットは、ふうと息を吐くと、冷たい声で言った。

「……今の双方の発言を元に、余が新たな王都をどちらにするか決するが……。もう、他に言い分はないか?」

 一瞬、クラークとバスカが、しまった、といった様子で姿勢を正す。
バジレットの冷めた物言いに、やっと、自分達が口汚く罵倒し合っていたことに気づいたのだろう。
だが、今更申し開きをする方がみっともないと思ったのか、二人は、苦々しい顔つきで押し黙った。

 バジレットが、改めて口を開こうとした、その時。
ふと、侍従の一人が前に出て、言った。

「バジレット様、謁見を申し出たいという者が……」

 控えめな声で告げた侍従に、バジレットは、目を細めた。

「見て分からぬか、今は王都を選定している最中である」

「その、選定の場に、参加したいと申しておりまして……」

 ほとんど決着もつきそうだというのに、一体誰だ、と全員が顔をしかめる。
侍従は、困ったような顔で、深々と頭を下げた。

「アーベリトのご領主、サミル・レーシアス様なのですが……お帰り頂きますか?」

「レーシアス伯だと?」

 思わぬ人物に、全員が目を剥く。
興味がなさそうにしていたルーフェンも、ぎょっとして硬直すると、侍従の方を向いた。

 確かに、今回の王都の選定については、全ての街に知らせてある。
ハーフェルンやセントランス以外の街には、王都に選出される資格がない、という決まりもない。
しかし、王都と成り得る財力や軍事力を備えた街、と考えると、やはりハーフェルンかセントランスのどちらかに絞られる。
言わずとも、そのことは全ての街の領主たちが理解していたし、それを承知した上で、王位欲しさにわざわざ王宮にやって来るなど、図々しいと指差されることになる。
まして、アーベリトは、遺伝病の治療法を批判されて以来、他とはほとんど縁を切られたような街である。
大した力もないのに、ハーフェルンとセントランスを相手にするなんて、恥をかきに来るようなものだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.289 )
日時: 2021/02/24 12:21
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)

 バジレットは、少し迷った様子で黙っていたが、ややあって頷くと、答えた。

「……通せ。参加する権利は、ある」

 侍従がかしこまって、一度下がる。

 サミルは、一体何のつもりで王宮に来たのだろう。
ルーフェンは、はらはらした気持ちで、事のなり行きを見守っていた。

 やがて、広間の扉が開くと、サミルが入ってきた。
サミルは、ひざまずいて頭を下げると、場に合わぬ、朗らかな声で言った。

「この度は、お目通りをお許し頂き、ありがとうございます。参加が遅れてしまい、誠に申し訳ありません」

 深々と謝罪するサミルに、バジレットが頭を上げるように指示する。
バジレットは、怪訝そうな表情で、眉を曇らせた。

「……レーシアス伯。ここに参ったということは……分かっておるのか?」

 威圧的な声で、バジレットが告げる。
しかし、サミルは、微笑みながら答えた。

「はい。私のような者が、マルカン侯とアルヴァン侯に並んで申し出るなど、場違いとは自覚しておりますが、是非、我がアーベリトも、新たな王都の候補に加えて頂ければ、と」

「…………」

 バスカが、露骨に顔を歪めて、サミルを睨む。
クラークは、口調こそ穏やかだったが、どこか呆れた様子で口を開いた。

「レーシアス伯、お言葉ですが、アーベリトを王都にするというのは、些か見当違いなお話ではありませんかな? 王都というのは、サーフェリアを治める中枢です。それを成し得るお力が、アーベリトにあると?」

 とげを含む物言いに、ルーフェンが、クラークを睨む。
だが、ルーフェンが口を出そうとする前に、サミルは、あっさりと答えた。

「いいえ。残念ながら、そのようなお力は、アーベリトにはありません。ですから、どうでしょう? シュベルテ、ハーフェルン、セントランス、アーベリト、この四つの街で、協力体制をとる、というのは」

 クラークが、思わず眉を上げる。
随分と軽い口調に、全員が戸惑う中、サミルは、落ち着いた様子で続けた。

「長年王都として発展してきたシュベルテ、サーフェリア随一の物流量を誇るハーフェルン、圧倒的な軍事力を持つセントランス、そして、アーベリト……。もちろん、侵略などせず、互いを尊重し、足りぬところを補い合いながら、協力体制を築くのです。大勢の魔導師や騎士を抱えたシュベルテとセントランスが手を組めば、戦を仕掛けてこようなどと、無謀な真似をする者もいなくなるでしょうし、交易が盛んなハーフェルンが味方について下さるならば、財政面も安定します。いかがですか? 今後、より強固で安寧な、国造りが出来るとは思いませんか?」

 予想もしていなかった提案に、 バジレットとクラークが、目を見張る。
しかしバスカは、椅子にどかりと座り直すと、いきなり笑いだした。

「何を言うかと思えば、これが笑わずにいられるか! 協力体制をとる? アーベリトなんぞと手を組んで、我々に何の得があるというのだ。そもそも、レーシアス伯、貴殿は貴族の出でも何でもなかろう! 王家にすり寄り、偶然爵位を授かっただけの成り上がりの分際で、誰に対して意見を申しておるのだ!」

 クラークも、一つ息を吐き出すと、同調して頷いた。

「アルヴァン侯のその意見については、私も同意ですな。シュベルテならともかく、アーベリトに力を貸すことで、我がハーフェルンに何か見返りがあるとは思えませぬ」

「…………」

 緊張した面持ちで、ルーフェンがサミルを見つめる。
サミルは、慌てて椅子を用意しようとしている侍従に、お気遣いなく、と遠慮すると、バスカの方を見た。

「確かに、仰る通りです。しょせんレーシアス家は、成り上がりの一族に過ぎません。ですが、そのようにはっきりと『何の得があるのだ』と切り捨てられてしまうと、少し悲しくなりますね。アーベリトは小規模ながらも、サーフェリアに貢献してきた街の一つだと、私は自負しているのですが」

 サミルは、持ってきた荷物から書類の束を取り出すと、それらに目を通しながら、バスカに向き直った。

「アルヴァン侯、三十年ほど前に、セントランスを悩ませた二つの病を、覚えておいでですか?」

 バスカが、訝しげに眉を寄せる。
少し目を細めてから、バスカは答えた。

「……産後出血瘡(さんごしゅっけつそう)と、ミジア熱のことか? あれらは、三十年前は猛威を奮ったが、解明されてみれば、なに、大した病ではなかった。産後出血瘡は、分娩前の妊婦共の周囲の清潔環境を徹底すれば良いだけの話であったし、ミジア熱も、作物に付着した寄生虫が原因というだけであった。加熱さえすれば、あのような病、発症せん」

 ふんと鼻をならして、バスカが語る。
サミルは、深く頷いた。

「その通りです。では、当時は治療不可能な難病だと囁かれていたそれらの病が、実は大した病ではないと解明した医師の名を、覚えていらっしゃいますか?」

「ああ、確か、それは──」

 そこまで言って、バスカが、はっと口をつぐむ。
サミルは、にこりと笑った。

「ええ、アラン・レーシアスです。私の兄が解明しました」

 バスカの額に、脂汗がにじみ出す。
サミルは、更にぺらぺらと書類をめくりながら、語り出した。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.290 )
日時: 2021/02/24 12:22
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)

「それだけではありません。一時期、セントランスは、領地拡大のために頻繁に内戦を起こしていましたが、それが原因で、多くの負傷者を抱えることになりましたよね。ですが、彼らは頑として治療を受けようとしなかったため、その大半が、次々と亡くなってしまった……。なぜなら、当時のセントランスには、麻酔──つまり、無痛手術の技術がなかったからです。戦に疲れ、命の危機に瀕した民たちに、激痛に耐えてまで治療を受ける精神力はなかったのです」

「…………」

「このままでは、戦の勝敗に関係なく、セントランスは多くの民を失うことになってしまう。お困りになった貴方様のお父上、先代のセントランスのご領主は、当時、唯一麻酔の医療魔術を有していた、我らアーベリトを頼りました。アーベリトの医師をセントランスに派遣するよう、ご依頼なさったのです。私もその頃、新人の医師として参加していたので、よく覚えていますよ」

 焦ったような顔で黙りこむバスカに、サミルは、悲しそうな笑みを向けた。

「お気を悪くされたら、申し訳ありません。恩着せがましく、昔語りをするつもりはないのです。ただ、先程アルヴァン候が、アーベリトは何の益ももたらさない、偶然爵位を授かっただけの成り上がり、と仰ったものですから、少し、悲しくなってしまいました。私達は、人の命を助けたくて動く、医師です。当然、損得で動いているわけではありません。ですが、寝る間も惜しんで研究に打ち込み、粉骨砕身の精神で病人や怪我人の治療をしておりますから、その努力を一切認めて頂けないというのは、やはり寂しいものなのです……」

 敵意や圧力を感じさせない、しかし、簡単には有無を言わせぬような物言いで、サミルが言う。

 ルーフェンは、そんな彼の態度に、驚きを隠せなかった。
サミルは、いつだって優しく、穏やかで、暖かい空気感を纏った男だ。
だが、口調や表情こそいつも通りでも、今のサミルからは、まるで別人のような迫力を感じる。
いざとなれば、自分が割って入るつもりだったのだが、サミルの発言には、全くもって入る隙がなかった。

 次いで、今度はクラークの方に向くと、サミルは口を開いた。

「マルカン侯、人の出入りが多いハーフェルンでは、やはり娯楽通りや花街も、随分と賑わっているようですね。私は日頃、あまりアーベリトから出ませんが、そのお噂は、かねがね耳にしております。ですが、最近、花街の一部で、流行り始めている病があるのだとか」

「…………」

 クラークが、警戒したように押し黙る。
しかし、すぐに笑顔になると、クラークは快活な様子で答えた。

「……あれは、ただの丘疹(きゅうしん)、でしたかな。私は医師ではないので、詳しくはありませんが、単なる皮膚病だそうですよ。うちの医師が、そう結論付けています。気に止めるようなことではありません」

「人が亡くなっていらっしゃるのに?」

 一瞬、クラークの目が泳ぐ。
サミルは、恭しく頭を下げてから、続けた。

「私ごときが、ハーフェルンの内情に口を挟んでしまい、申し訳ありません。しかし、つい最近、ハーフェルンから来たという方が、アーベリトを訪ねていらっしゃいました。彼が感染していた病が、ハーフェルンに流行しているものと同じならば、それは、ただの丘疹などではございません。命にも関わる、重大な病です。……アーベリトには、抗菌薬がありますので、ご入り用の場合は仰ってくださいね」

「…………」

 クラークとバスカが、憎らしそうな顔つきで、サミルを見つめている。
サミルは、そんな二人から目線を外すと、バジレットを見上げた。

「王太妃様、大変なご無礼を承知で申し上げますが、アーベリトの医療魔術は、他の街よりも数十年……いえ、分野によっては、百年と言っても過言ではないほど、進んでいる自信がございます。世間では未だに奇病、難病と言われる病のいくつかも、アーベリトでは原因を特定、解明し、治療法を見つけております。私を含めた、アーベリトの医師のみが持つ技術、知識もありましょう。──もし、アーベリトを王都とし、先程の協力体制をとるというご提案を受け入れて下さるならば、私達が持つ全ての医療技術を、シュベルテ、ハーフェルン、セントランスに開示することをお約束致します。サーフェリア屈指の発展ぶりを見せている私達が手を組めば、軍事面、財政面、医療技術において……いえ、それだけではない。召喚師様のお陰で、リオット族の力も得られるようになったわけですから、土木業や鉄鋼業、その他の様々な面でも、多岐に渡って安定、向上していくことができます。何一つ、損することはないように思います」

 どこか挑戦的な態度で、サミルがバジレットを見つめる。
びりびりと張り積めた空気の中、バジレットは、ややあって、ふっと笑った。

「……進言されている、というより、取引を持ちかけられているような気分だな」

 凍てつくような、鋭い声。
バジレットは、すっと目を細めると、顔つきを険しくした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.291 )
日時: 2018/02/14 18:08
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



「……レーシアス伯、ご自慢の医療魔術をひけらかすのも良いが、よく考えて言葉を口にせよ。今までの話、そのまま受け取れば、アーベリトは、国王エルディオが命の危機に瀕していると知りながら、見て見ぬふりをし、その卓越した医療技術を独占していた、ということになる。……各街において、技術の独占権利は認められておるが、我が王都シュベルテは、長年に渡り、アーベリトの慈善事業に資金援助を行っていた。そなたらの医療技術、シュベルテには開示するのが、道理だとは思わぬか。これでは、アーベリトが我ら王族の治療を拒んだことと同義ぞ」

 広間の空気が、更に殺伐としたものに変わる。
だが、サミルは、決心したような目付きになると、毅然として返した。

「確かに、シュベルテからは、資金援助をして頂いておりました。しかし、リオット族の件をきっかけに、遺伝病の治療法を批判されるようになって以来、レーシアス家は没落。他の街との関係も、疎遠になってしまいましたし、『シュベルテに関わってくるな』と先にお命じになったのは、亡きエルディオ様ご自身です。それに、エルディオ様がお隠れになった原因は、治療不可能なものてあると、王太妃様は、ご存知なのではありませんか……?」

 ちらりとシルヴィアを一瞥して、サミルは続けた。

「アーベリトは、積極的に働きかけはしなかったものの、訪ねてきた患者に関しては、平等に、全力で治療して参りました。アーベリトには、必要以上に医療魔術を独占する気などなかったこと。そして、エルディオ様の崩御に、我々アーベリトの意思は関わっていないこと。王太妃様なら、ご理解して下さると信じております」

「…………」

 はっきりとそう言い放って、サミルは、バジレットの返事を待っている。
ルーフェンは、気が気じゃないといった表情で、沈黙するバジレットを凝視していた。

 まさかサミルが、こんなに好戦的な台詞を言うなんて、信じられなかった。
バジレットの返答次第では、サミルは投獄、最悪の場合、斬首の罪に問われるかもしれない。
水に打たれたような寒気と恐怖を感じながら、ルーフェンは、事態を見守っていた。

 長い間、バジレットは黙っていたが、しばらくすると、代わりにクラークが唇を開いた。

「……アーベリトの医療魔術が、卓越していることは認めましょう。ですが、その医療魔術は、真に信用に足る技術なのでしょうな? 先程のお話で思い出しましたが、アーベリトが確立したとされるあの、遺伝病の治療法とやら……。あれは、結局のところ、どうなのです? 本物ならば、リオット病に限らず、様々な遺伝病に応用できる治療法なのでしょうが、以前、ノーラデュースに落とされたリオット族には、症状が戻っていたというではありませんか。
召喚師様がご着目なさった、リオット族の地の魔術、あれは誠に素晴らしい……。あの魔術のお陰で、レドクイーン商会とカーノ商会に、莫大な利益をもたらしたんだとか。しかし、例の治療法とやらは、いまいち、信憑性に不安がありますな」

 綺麗に揃えられた口髭をいじりながら、クラークが言う。
サミルは、クラークの方に目線をやった。

「ノーラデュースでリオット病の症状が戻った原因に関しては、見当がついております。まだ調査自体は途中ですので、具体的な数値でご報告することはできませんが、いずれ結果が出たら、正式に提示いたしましょう」

 クラークは、やれやれといった風に首を振った。

「見当の段階で物を言われても、困りますなぁ。あの治療法が、本物だという確たる証拠がなければ、アーベリトを信用することは出来ませぬ。大体、召喚師様がリオット族にご注目なさったことを利用して、あんな二十年前の出来事を引っ張り出してくるなんて、少々未練がましいのでは? 過去の栄光にすがって、汚名返上に躍起になるというのは、いかがなものかと」

 一瞬、サミルの顔が強張る。
クラークとサミルが、無言で睨み合っていると、次に声をあげたのは、バスカであった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.292 )
日時: 2021/02/24 12:26
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)


「ええい! こんな言い争いをしていても、話などまとまらぬわ! 王太妃様、ここは、古くからの慣例に習い、戦にて雌雄を決しましょうぞ! マルカン侯は、軍事が全てではないと申しておりましたが、国を守る力があってこその王都ではありませんか! 他の街の力を借りねば、自衛もできないような街に、王都は相応しくありません! 敵を打ち破る力があってこそです!」

 ぎらついた瞳でクラークとサミルを見つめ、バスカが提案する。
バジレットが、否定の意を表す前に、バスカは続けた。

「ご心配ありません。これは、厳正な決闘です! 我がセントランス、ハーフェルン、アーベリト、それぞれから腕の立つ者を、領主が一人選出し、その者を争わせ、勝った街が、次の王都となるのです。そうすれば、犠牲も最小限と留めることができます!」

「…………」

 慌てて反論を考えているであろう、面々を見渡して、バスカがほくそ笑んだ。

 死者を多く出してしまう戦を進言すれば、過激な思想を嫌うバジレットが、反対することは分かっていた。
だが、一対一の決闘となれば、死者は多くてもたったの三人。
この方法は、実際に古くからの存在している選定方法の一つであるし、バスカの発言は、決して的を外しているものではない。

 少し逡巡して、クラークは、鼻で笑った。

「決闘とは、なんと野蛮な……。強者が絶対などという考えは、獣がすることですぞ。沸点の低いセントランスの者共の常識を、我がハーフェルンにまで押し付けないで頂きたい」

 バスカは、ふんぞり返った。

「はっ、勝てぬ見込みがないからと言って、負け惜しみを言うでない! 野蛮だと? では、仮にハーフェルンが王都になったとして、大勢の敵が攻めてきたらどうするつもりなのだ! シュベルテに泣きついて、助けを求めるか? そのシュベルテにも、敵が攻め入っていたらどうする? ハーフェルンは、その野蛮の力とやらを持っていなかったばかりに、呆気なく滅ぼされることになるぞ!」

 怒鳴り散らすバスカに、クラークがぐっと黙りこむ。
サミルは、なだめるように言った。

「アルヴァン侯、貴殿の仰ることは尤もです。故に、協力体制をとりましょうと、私は申し上げているのです。貴殿の言う軍事力は勿論、国を治めるには、様々な力が必要です。だからこそ、それぞれの街が持つ長所を生かし──」

「聖人君子を気取るでない! レーシアス伯、貴様こそ、腹の底で一体何を企んでおるのだ! 大体、協力体制をとるというだけなら、アーベリトが王都になる必要はないだろう! 結局、他の街を利用して、王都の権力を得たいだけではないのか?」

 サミルは、疲れた様子で首を振った。

「私は、権力を得たいなどと考えてはおりません。先程も申し上げました通り、アーベリトが、王都に向いているとも思いません。……ただ、アーベリトが一時的に王位を預かるのが、一番穏便だと考えたまでです。ですから、何もなく事が済むのであれば、セントランスが王都になっても構わないのですよ。……周囲が認めた上での、決定ならば」

 横目でクラークを見て、サミルが言う。
クラークは、忌々しそうに顔を歪めると、吐き捨てるように言った。

「セントランスが王都になることだけは、絶対に認めませんぞ。あのような戦好きの街を王都にしてしまえば、侵略行為を繰り返し、国を疲弊させていくのが目に見えています」

「なんだと!? 脆弱な国造りしかできぬハーフェルンなんぞに言われたくはない!」

 食って掛かるバスカを制して、今度は、バジレットが口を挟んだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.293 )
日時: 2021/02/24 12:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)

「……レーシアス伯、先程、一時的に王位を預かる、と申したな。あれはどういう意味だ」

 クラークとバスカの視線が、サミルに向く。
サミルは、待っていたとばかりに表情を緩めると、すっと息を吸った。

「言葉通りでございます。シュベルテは、約五百年もの間、王都としてこのサーフェリアを支えて下さいました。その誇りは、今後も捨てずにいてほしいのです」

 バジレットの眉が、微かに動く。
サミルは、はっきりとした口調で続けた。

「……恐れながら、ハーフェルンが王都になることを、アルヴァン侯はお認めになりませんし、また、セントランスが王都になることは、マルカン侯がお認めにならないでしょう。私も、正直なところ、シュベルテが王都のままであったのならと、願わずにはいられません。ですから、もしアーベリトに、王位を預けて下されば、お約束致します。いずれ再び、シュベルテが王都となれる日が来たときに、アーベリトは、その王位をシュベルテに返還する、と」

 ざわ、と広間が揺れる。
王位をシュベルテに返還する、それはつまり、アーベリトは本当に王位を独占する欲などないのだ、という意思表示だ。

 無表情の奥で、わずかにバジレットの心が動いたのを感じると、慌ててバスカが口を出した。

「何を勝手なことを……! そのような言い分、信用できるわけがなかろう!」

 サミルは、静かに返事をした。

「信じるか、信じないかは貴殿の自由ですが、私の言葉に、嘘偽はありません。シュベルテの内情が安定し、王都として復帰できるまで、アーベリトが王都の権限を預かる。それが、今のサーフェリアにとって最善と思いましたので、私はこの場に参加させて頂いたまででございます」

「……っ」

 サミルの冷静な言い方に、腹を立てたのだろう。
バスカは、勢いよく椅子の肘置きを叩いて、立ち上がった。

「王太妃様! 先程の、決闘に関するお返事を頂いておりませぬ! 認めて下さるのか、下さらないのか、お答えを頂戴したく存じます……!」

 荒く呼吸しながら、バスカがバジレットに詰め寄る。
認めないと言うなら、相応の理由も寄越せ、と言わんばかりの、勢いのある声。
一方でバスカは、そんな理由など出ないだろうと、まだ余裕を持っているようにも見えた。

 何を考えているのか、望洋とした瞳で、バジレットは口を閉じている。
ルーフェンはしばらく、黙ってバジレットの顔を見つめていたが、やがて、彼女の横顔に疲れが滲んでいるのを見ると、ふと、立ち上がった。

「……アルヴァン侯、その決闘とやらは、貴殿方領主がそれぞれ選出した一人を戦わせて、勝敗を決するのですよね?」

「……ええ、その通りです!」

 いきなりルーフェンが出てきたことに、戸惑いつつも、バスカが頷く。
ルーフェンは、ふうと息を吐いた。

「……分かりました。では、アーベリトからは、私が出ます」

 瞬間、全員が凍りついた。
あんぐりと口を開けて、呆然としていたバスカは、はっと我に返ると、大きな声で反論した。

「何を仰るのですか! 召喚師様は、アーベリトの人間ではないでしょう!? そんなの認められませぬ!」

 ルーフェンは、ひょいと眉をあげた。

「そんな決まりは聞いていませんが。領主が選出した一人を戦わせる、というお話でしょう? ……ですから、レーシアス伯。私を選んでください」

 サミルが、はっと顔を上げる。
ルーフェンは、サミルに向き直ると、強気な笑みを浮かべた。

「俺を、選ぶって言ってください。サミルさん」

「…………」

 少し困ったように俯いて、サミルが沈黙する。
しかし、すぐに頷くと、サミルは、力強く言った。

「貴方様がそう望んで下さるならば、是非、ルーフェン様に。アーベリトは、いつでも貴方様を、お迎えします」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.294 )
日時: 2021/02/24 12:43
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)


 深く頷き返すと、ルーフェンは、バスカに言った。

「……と、言うわけなので、決闘をなさるならば、アーベリトからは私が出ますね」

 絶句した様子で、バスカがルーフェンを見つめる。
納得が行かないといったように、拳を握りしめると、バスカは、サミルを指差した。

「召喚師様は、何故レーシアス伯に肩入れなさるのですか! 不公平ではありませんか!?」

 ルーフェンは、サミルの元まで歩いていくと、なに食わぬ顔で答えた。

「不公平もなにも、私は、この中で王都にするならば、アーベリトが一番良いだろうと思っただけです。アーベリトが、王都として相応しいかと問われれば、是とは答えにくい。ですが、先程のレーシアス伯の提案──協力体制をとり、それぞれが力を補いながら統治を行っていった上で、いずれ、シュベルテに王位を返還する……。その方法をとるならば、アーベリトが王都に向いているか、いないかという問題は、まあ、大したことではないでしょう。……何より、マルカン侯とアルヴァン侯は、ご自分の街のことばかり考えている。自分本意で醜い、罵詈雑言(ばりぞうごん)の浴びせ合いは、聞いていて疲れました」

 うっと言葉を詰まらせるバスカに、ルーフェンは言い募った。

「それに、レーシアス伯は、私の叔父です。先程、アルヴァン侯は『成り上がり分際で』と申されていましたが、サミル・レーシアスは、召喚師である私の父、アラン・レーシアスの弟です。成り上がりと侮辱されるほど、下の地位でもないと思いますが」

「お、おじ!?」

 すっ頓狂な声をあげると、バスカは、シルヴィアの方に振り返った。

「召喚師様のお父上がレーシアス家の者というのは、ほ、本当なのですか!?」

 シルヴィアは、俯いたまま、黙っていた。
だが、しばらくして、細くため息をつくと、ええ、と短く答えた。

 ルーフェンは、淡々とした口調で加えた。

「アーベリトの遺伝病の治療法がでたらめだ、などという言いがかりが出回ったせいで、私の父親に関する話は、世間から押し流されたようですが、私の父は、今は亡きアラン・レーシアスです」

 次いで、視線を動かして、ルーフェンは、矢継ぎ早に言った。

「それから、マルカン候。二十年前のノーラデュースにおいて、リオット病の症状が戻った原因を突き止めようとしたのは、レーシアス伯ではなく、私です」

「え?」

 クラークが、目を見開いたまま固まる。
声を震わせながら、クラークは、恐る恐る尋ねた。

「え……え? 召喚師様は、リオット族をノーラデュースから出し、王都に引き入れただけ、では……?」

 ルーフェンは、故意に冷たい声で言った。

「わざわざ公表しませんでしたが、それをやったのも私ですし、それ以外の、リオット族に関することは、大体私がやりました。リオット病再発の原因を、未練がましく探ったのも、アーベリトの過去の栄光にすがって、汚名返上に躍起になったのも、全部、私です」

 クラークの顔が、みるみる青くなっていく。
自分が先程、何を口走ったかを思い出して、どんどん絶望していくクラークを見ながら、ルーフェンは、追い討ちをかけた。

「すみませんが、具体的な数値で、というのは、少し難しい事柄のようなのです。なにしろ、二十年も前のことですから。しかし、かつて一度は、アーベリトの治療法で、リオット病の症状が改善しているわけですし、今、力を貸してくれているリオット族たちにも治療を施して、その効果が発揮されれば、アーベリトの医療魔術の信憑性に、もう問題はありませんよね?」

「え、ええ……仰る通りです……」

 クラークが、弱々しい声で返事をする。
知らなかったこととはいえ、召喚師であるルーフェンの行動を、散々貶していただなんて、とてつもない失態を犯したと思った。

 ハーフェルンは、シュベルテが優位な交易を行う代わりに、シュベルテの魔導師団に守ってもらっている街だ。
その魔導師団の筆頭である召喚師一族の機嫌を損ねることは、ハーフェルンにとっては、死活問題なのである。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.295 )
日時: 2021/02/24 12:44
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)



 悔しげに歯軋りしていたバスカが、再び口を開く。

「……召喚師様が、アーベリトを王都に望んでいることは、わかりました。ですが、先程貴方様は、決闘をするなら……と仰いましたよね。それはつまり、決闘を行うことを、お許しくださったということ! ならば、その決闘で勝った方が王都になるという選定方法に、異論はないのですね?」

「……ええ、ありませんが」

 微かに目を細めて、ルーフェンが返す。
何か秘策でもあるのかと警戒したルーフェンだったが、バスカが言い出したのは、苦し紛れの提案であった。

「でしたら、我らセントランスと決闘を! ただし、召喚術の使用はなさらないでください。厳正で公平な決闘にて、雌雄を決しましょう!」

 バスカの言い分に、ルーフェンは、思わず吹き出した。
くすくす笑って、息を吐き出すと、ルーフェンは言った。

「公平な、ですか。不公平だから、全力は出さずに戦おうというのでしたら、ハーフェルンの基準に合わせて、商人同士で戦いますか? もちろん、魔術も武器の所持も禁止で」

 瞠目して、バスカが息を飲む。
ルーフェンは、肩をすくめて見せた。

「アルヴァン侯は、決闘を行うことで、その街が王都になるに相応しい戦力を持っているのかどうか、見極めたいのだと思っていたのですが、違うのですか? いざ敵を討つとなれば、どうせ召喚師は引っ張り出されるでしょうし、その時は当然、召喚術を使います。それなのに、召喚術を使わずに決闘しよう、というのは、些か矛盾していませんか? 本気で決闘しないなら、実力なんて見られません。まあ、今後も召喚術を使わなくて良いと言うなら、どんな戦が勃発しようと、私は無視して帰りますが」

「…………」

 次は、どんな反論をしてくるだろうかと、ルーフェンがバスカの出方を伺っていると、どこからか、ぱちぱちと拍手の音が聞こえてきた。
悠然と笑って、手を叩いているのは、クラークである。

 ルーフェンが眉を潜めると、クラークは、打って変わった明るい声で、言った。

「素晴らしい! もう、認めざるを得ませんな。私は、少しアーベリトを見くびっていたようです。レーシアス伯の仰るような、協力体制なるものを敷くなら、我らハーフェルンは、ご協力致しましょう」

「…………」

 調子の良い手のひら返しに、内心呆れてしまう。
だが、ここでハーフェルンが味方についたのは、好都合であった。

 ハーフェルンにとって、最も重要なのは、王都になることではなく、召喚師一族と今後も友好的な関係でいることだ。
ルーフェンがアーベリト側にいる今、下手に反発して墓穴を掘るより、従属に徹した方が良いと判断したのだろう。

 だが、バスカは、へりくだりはしなかった。
わなわなと拳を震わせ、力任せに椅子を蹴ると、叫んだ。

「もう良い! セントランスは下りさせてもらう! 貴様らと協力なんぞしてたまるか!」

 そう吐き捨てて、バスカは、連れてきた家臣たちと共に、謁見の間を出ていく。
途端、バジレットの下手に座っていた政務次官、ガラドは、苛立たしげに舌打ちした。
彼はずっと、傍若無人なバスカの振る舞いに、腹を立てていたようだ。

 謁見の間が静かになると、バジレットは、ため息をついた。

「……マルカン侯。では、そなたも、王位争奪の場からは下りる、ということで良いのか?」

 クラークは、顎をさすりながら、首肯した。

「ええ。もう答えは出てしまったようですし。それに私は、領主であると共に、商人でもあります。アーベリトの医療魔術とやらに、俄然、興味が湧いてきてしまいました」

 鷹揚に微笑むクラークに、バジレットが、再度ため息をつく。
ガラドやモルティスの顔を見やり、それからサミルを見据えると、バジレットは述べた。

「……新たな王都の候補が、アーベリトだけになってしまったのだから、余からはもう何も言えぬ。元々、シュベルテ、ハーフェルン、アーベリトの間には、親交がある。疎遠になった間柄を回復させ、書面を以て正式に契約を結びたいというのなら、その条件を改めて伺おう。ひとまず期限は……我が孫、シャルシスが成人するまで──」

 バジレットは、一度目を閉じて、開くと、決心したように告げた。

「新たな王都として、アーベリトを認めよう……」

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.296 )
日時: 2020/12/11 15:37
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 8NNPr/ZQ)


 王都の選定が終わり、退去が命じられると、サミルは、同じく謁見の間から出てきた、シルヴィアの元へと向かった。
長廊下にて、一度ひざまずき、シルヴィアと向き合う。

 ルーフェンは、そんなサミルの姿を、少し離れたところから見つめていた。

「……謁見のお許しを頂いておりませんのに、ご無礼をお許しください」

「…………」

 振り返ったシルヴィアは、何も答えない。
サミルは、シルヴィアの白い顔を伺いながら、問うた。

「……シルヴィア様は、このままシュベルテに残られるのですか?」

 すっと目を細めて、シルヴィアがサミルを見る。
薄い笑みを浮かべると、シルヴィアは、静かに答えた。

「それ以外に、どうしろと? ルーフェン共々、アーベリトにいらっしゃい、とでも言うつもり? 」

「はい、そうです」

 即座に答えて、サミルが頷く。
シルヴィアは、ふっと表情を消したが、やがて、くすくすと笑いだした。

「なあに? 私を哀れんでいるの?」

「…………」

 サミルの顔が、悲しそうに歪む。
シルヴィアは、微かに声を低くした。

「貴方、とても残酷ね……。渇いて、枯れ果ててしまった人間には、一滴の水もやらない方が、よほど幸せなのよ」

 シルヴィアが、ルーフェンをちらりと見る。
表情を固くしたルーフェンに、シルヴィアは、美麗に微笑んで見せた。

「さようなら、ルーフェン」

 それだけ言うと、シルヴィアは、身を翻した。

 長い銀髪が、シルヴィアの歩調に合わせて、ゆらゆらと揺れる。
その後ろ姿に、再び声をかけようとしたサミルを止めると、ルーフェンは、首を横に振った。

「……無駄だと思います。それに、シルヴィアをアーベリトに招いたら、またいつ俺達のことを殺そうとするか、分かりません。……危険です」

 冷たい口調で言うと、サミルが、そうですね、と沈んだ声で呟く。
ルーフェンは、むっとして、サミルに顔を近づけた。

「サミルさん、少し、お人好しすぎるんじゃありませんか。シルヴィアは、アランさんを殺したんですよ」

 サミルは、弱々しく息を吐いた。

「それは、そうなのですが……」

 困った様子で口ごもりながら、サミルが俯く。
その姿からは、先程謁見の間で見せた気迫は、一切感じられない。

 ルーフェンは、はあっと嘆息した。

「……なんか、サミルさんって、意外と無茶苦茶なんですね。すごく驚いたんですよ。いきなり王宮に突撃してくるし、まるでいつもと別人みたいに強気だし……。王太妃が、サミルさんを斬り捨てろって言い出したらどうしようかと、ひやひやしてたんですから……」

 そう言って、額を押さえたルーフェンに、サミルは苦笑を漏らした。

「いやはや、私も本当は、終始ひやひやしていたのです。うまく行く確証なんて、全くありませんでしたし、ここ最近で、一番汗をかいた気がしますよ」

 どこか照れ臭そうに笑って、サミルは続けた。

「それでもね、黙って見ているだけでは、いけないと思ったのです。いつだって私は、見ているばかりでしたから……。色々、私なりに考えまして、それで、考え付いたのです。召喚師様が、アーベリトを好きだと仰って下さるなら、もういっそ、アーベリトを王都にしましょう、と」

 まるで、楽しい遊びでも思い付いた子供のような無邪気さで、サミルが言う。
ルーフェンは、思わず拍子抜けして、ぱちぱちと瞬いた。

 サミルの無謀さに、少し怒っていたくらいなのだが、もう、そんな気も失せてしまった。
優しい微笑みと言葉で、相手の毒気をあっさりと抜いてしまうのも、サミルの才能なのかもしれない。

 シュベルテやハーフェルンと協力しながらとはいえ、アーベリトのような小さな街が、王都として国を支えるなんて、簡単なことではない。
きっとこれから、沢山の困難に見舞われることになるだろう。
しかもサミルは、いずれ王位を、シュベルテに返還することを約束したのだ。
全くもって、アーベリトには何の得もない話である。

 それなのに、サミルは来てくれた。
ルーフェンのことを考えて、王宮に駆けつけてきてくれたのだ。
そう思うと、本当は、とても嬉しかった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.297 )
日時: 2021/02/24 12:53
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r9bFnsPr)


 ルーフェンは、呆れ半分、嬉しさ半分といった様子で、肩をすくめた。

「それにしても、サミルさん、あんな迫力ある物言いも、出来たんですね。アーベリトの医療魔術が、いかに高等かを力説しながら、マルカン侯やアルヴァン侯を次々と丸め込んでいく様は、見ていて気分爽快でした」

 冗談混じりに言うと、サミルも、面白そうに表情を緩めた。

「ああ、あれは、オーラントさんのお陰もあるのですよ。オーラントさんは、任務でサーフェリア中を巡ってらっしゃったみたいですから、色んな街の内情をご存知だったんです。ですから、お願いしたんです。ハーフェルンやセントランスの弱味を教えてください、って」

 周りに人がいないか確認して、サミルが、こそっと呟く。
そんな悪どい内容を、サミルとオーラントが話している様を想像して、ルーフェンは思わず吹き出した。

「オーラントさん、よく教えてくれましたね。ハーフェルンとセントランスに喧嘩を売るなんて、やめろって言いそうなのに」

 サミルは、可笑しげに目を細めた。

「止められはしませんでしたが、『案外お前たちは、似た者同士なのかもな』と呆れられました」

「俺は、サミルさんほど無謀じゃないです」

「そうですか? 決闘に出ますって召喚師様が言い出したとき、私も結構、焦ったのですが」

 言ってから、ふと懐かしそうに目を伏せると、サミルは続けた。

「でも、そうですね……。召喚師様は、私というよりも、やはり兄に似ていますよ。今日、改めてそう感じました」

 しみじみと言うサミルに、ルーフェンは、尋ねた。

「アランさんは……父は、どんな人でしたか?」

 サミルは、少し寂しげに笑った。

「医師としては、尊敬できる人でしたが、兄としては、結構手のかかる人でしたよ。世間からは、神童だの天才だのと言われていましたが、子供っぽい所もありました。ちょっと目を話すと、寝食も忘れて研究に没頭してしまうし、医師の癖に、自分の健康は全く気にしない。……でも、正義感は人一倍強くて、優しい人でしたよ」

「…………」

 ルーフェンは、何も答えなかった。
長い間黙って、窓を見ていたが、やがて、にやりと笑うと、言った。

「天才だって騒がれているところは、本当にそっくりみたいですね」

 サミルは、首をかしげた。

「さあ、どうでしょう。そうやってすぐ調子に乗るところは、似てるかもしれませんが」

 サミルの返しに、ルーフェンは、挑発的に眉をあげた。
サミルも、負けじとルーフェンを見つめていたが、最終的に、二人はぷっと吹き出すと、しばらく笑い合った。

「もうすぐ、笑う暇もないくらい、忙しくなっちゃいますね。国王陛下」

 ルーフェンが、からかうような調子で言うと、サミルは、困ったような顔になった。

「その呼び方は、どうにも慣れなさそうですね……」

「なに言ってるんですか。もうサミルさんはサーフェリアの国王なんだから、もっと偉そうにしないと」

 寒さで曇った窓を拭きながら、ルーフェンは苦笑した。

 窓から見える、広大な王宮の庭園では、木々に積もる残雪が、夕陽に照らされてきらきらと光っている。
その枝についた小さく固い蕾が、残雪から覗いているのを、ルーフェンは、長い間じっと見つめていた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編)上【二月中完結予定】 ( No.298 )
日時: 2021/02/01 12:57
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: r1a3B0XH)


  *  *  *


 サーフェリア歴、一四七七年。
新たな王都がアーベリトとなる、その十一年前。



「旦那、こいつ、こいつですよぉ。海から流れ着いてきたっつう、獣人の女! すごいでしょ、獣人を出品するなんて、絶対にうちが初めてです!」

 奴隷商の男は、下卑(げび)た笑いを浮かべながら、足枷の鎖を強引に引っ張った。
死体のように無抵抗で、あっさりと引きずり出された女の目に、もう光はない。

 その女の下腹部が、知らぬ内に膨れていることに気づくと、奴隷商は笑みを消して、うげっと顔を歪めた。

「あっ、こいつ、身籠ってやがる! おい、雄雌分けずに独房に突っ込んだやつ誰だ!?」

 憤慨する奴隷商をよそに、先程、旦那、と呼ばれた男が、値踏みするように女を見た。
そして、女の赤褐色の髪をひっ掴むと、ゆらゆらと頭を揺らして、その意思のない顔を覗き込んだ。

「……これ、本当に生きてるのか? ぴくりともしねえじゃねえか」

 奴隷商は、慌てたように言った。

「ええ、生きてますとも! ちゃんと呼吸してるでしょ? 獣人なんで、枷を壊されちゃ困ると思って、脚は折っておきましたが、それ以外は、一切傷つけてませんよ」

「ふーん……」

 興味がなさそうに返事をして、男が目を細める。
布切れ同然の服をめくり、女の背中にある奴隷印を確認してから、獣人特有の耳や尾、そして顔や手足を点検していく。
最初は、鋭い爪牙や、毛深い足先を興味ありげに眺めていたが、やがて、大きく息を吐くと、呆れたように首を振った。

「……犬か、狼かなんかの獣人か? 特別外見が良いわけでもないし、太股の皮膚部分に変な刺青が入ってる。おまけに、全くの無反応ときた。気色悪いっていうんで、見世物くらいにはなるかもしれんが、そう高い値はつかんだろ」

「ぇえ!? そんなぁ……」

 落胆の声をあげて、奴隷商が、不満げに眉を寄せる。
男は、面倒臭そうに答えた。

「まあ、反応を返すようになったら、もうちょい価値は上がるかもな。それか、腹の子を産ませて、そいつの方に期待するこった。その刺青は、消せそうもないしな」

 それだけ言って、飛び交う蝿を払いながら、男が独房から出ていく。
奴隷商は、納得がいかないといった顔つきで、女をみて舌打ちした。

 そして、その太股に入った、赤い木の葉模様の刺青を蹴り飛ばすと、腹立たしげに独房を後にしたのだった。


 

To be continued....

後編へ続く!