複雑・ファジー小説
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.3 )
- 日時: 2017/08/18 15:36
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
かたり、と鉈(なた)を手にとる音がした。
夜の帳に響いたその無情な音に、子供は死を予感する。
農作業中、冷たい土の上に転んで、ついに動かなくなった母。
一人一人、日を追うごとに骨と肉塊だけになっていく兄弟たち。
空腹で正気を失った父が、まず初めに喰い殺すのは、きっとこの家族で唯一血の繋がりを持たない自分だろう。
子供は、冷静にそう思っていた。
ひたりひたりと忍び寄る、死の足音。
子供は、硬い藁の上に身を横たえながら、ただその足音を聞いていた。
死を、怖いと思ったことはなかった。
むしろ、望んでいたはずだった。
それなのに、振り下ろされた鉈を避けてしまったのは、なぜだったのだろう。
熱い衝撃が走って腹を割かれたとき、涙が出たのは、なぜだったのだろう。
のろのろと血の噴き出る腹を押さえながら、子供は泣いた。
(死にたく……ない……!)
涙が、堰を切ったようにぼろぼろと溢れて——。
子供は、ただ生きたいと渇望した。
(死にたくない……!)
背後で、とどめを刺そうと、父が鉈を振り上げる。
必死に這って逃げようとするが、もう体は動かなかった。
(死にたくない、死にたくない、死にたくない——!)
強く強く、魂が絶叫した刹那。
暗い闇の奥から、声が聞こえた。
『……生きたいか?』
瞬間、時が止まったように、周囲が静かになる。
(……誰……?)
『お前が呼んだ、主よ。我は、汝の強い欲望に惹かれたもの』
子供は、緩慢な動きで顔をあげた。
しかし、目の前に広がるのは、やはり暗闇しかない。
『……生きたいか?』
(…………)
『生きたいのだろう? 汝がそう望むなら、我が叶えてみせよう』
響いた言葉に、子供は心震わせた。
(生き、たい……!)
広がる暗闇に、子供は手を伸ばす。
(生きたい——!)
——生きたい!
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.4 )
- 日時: 2017/12/16 18:36
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
†序章†
『渇望』
その日、サーフェリアの王都シュベルテは、召喚師の話題で持ち切りだった。
召喚師とは、契約悪魔の召喚という高等魔術を扱える唯一の魔導師である。
彼らは、世界に在る四つの国——獣人の国ミストリア、人間の国サーフェリア、精霊の国ツインテルグ、闇精霊の国アルファノルに、それぞれ一人ずつ存在する絶対的守護者であった。
サーフェリアの現召喚師、シルヴィア・シェイルハートは、銀の髪と瞳も持つ美しい魔女である。
サーフェリアの場合、国王と召喚師が同一とされる他三国と違い、召喚師は国王に次ぐ第二の権力者という位置付けだったが、強大な魔力に加えて妖艶な容姿を持つシルヴィアは、国王エルディオ・カーライルの寵愛(ちょうあい)を受けており、その地位を絶対的なものにしていた。
ただ一つ、問題なのは、彼女の才能を受け継ぐ子——つまり、次期召喚師が未だに生まれていないことだった。
シルヴィアには、国王エルディオを含めた三人の男たちとの間に、各々子供がいた。
だが、その中に召喚師としての力を持つ子供は、一人としていなかったのだ。
異様と言えるほど若々しく、美しい姿のシルヴィアだったが、今年で三十を迎える。
万が一次期召喚師が生まれない、などということがあれば、サーフェリア存亡の危機である。
そう騒がれていた、折のこと。
なんと、その待ち望まれていた次期召喚師が、発見されたのだという。
シュベルテの町民たちは、外に出ては皆口々に噂し合っていた。
「おい、ヘンリ村で次期召喚師様が見つかったらしいぞ」
「ヘンリ村……って、あのごみ溜めか? 嘘だろう?」
「本当さ。数日前、王宮から沢山の騎士様がヘンリ村の方に歩いていくのを、見たやつが大勢いるんだって!」
「でも、なんだって次期召喚師様がヘンリ村なんかに……? 本当なら、召喚師様の元で育てられるはずじゃないのか?」
「さあ、そこまでは分からねえが……。ただ、ヘンリ村で子供が一人、生きてたらしい。その子供が、召喚師様と同じ銀の髪と瞳を持ってるっつぅんだ。こいつぁ、次期召喚師様に間違いねえだろう?」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.5 )
- 日時: 2021/04/13 00:13
- 名前: 狐 (ID: WZc7rJV3)
ヘンリ村は、王都シュベルテと山や森を挟んで並ぶ、貧しい村だった。
王都からあぶれた者たちが移住し、過密化しており、使い物にならなくなった奴隷を棄てる場所だとさえ、囁かれるようになっていた村である。
「それにしても、ヘンリ村の人々が全員変死って、どういうことなのかしら。騎士様が仰るには、村ごと消し炭になってたらしいわ……怖いわね。次期召喚師様がやったっていう噂よ」
「そうとしか考えられないじゃない。ヘンリ村なんて、村人でない限り誰も近づかないし……ましてその中で生きてたのが次期召喚師様一人だっていうんだから……」
大概、噂には尾鰭がつくものだが、シュベルテに出回っていたこの噂は、ほとんどが真実だった。
数日前の深夜、山向こう——ヘンリ村の方に大きな雷が落ち、騎士数名が視察に向かった。
すると、そこは辺り一面焼け野になっており、ヘンリ村の人々は一人残らず炭になっていたのだという。
ただ一人、銀の髪と瞳を持つ子供を除いては。
子供を焼け野の中心で見つけた騎士たちは、大急ぎでその子供を王宮へと連れ帰った。
サーフェリアでは、銀の髪と瞳は、召喚師一族の象徴のようなものだったからだ。
子供は、七、八歳ほどの少年だった。
痩せこけてはいるが、顔立ちもシルヴィアに似ており、誰もが次期召喚師だと信じていた。
しかし、当の召喚師シルヴィアは、首を縦に振らなかった。
「私、そんな子供知りませんわ」
にこやかに微笑んで、シルヴィアは言った。
だが、ヘンリ村の人々の変死も、この子供が衝動的に召喚術で起こしたものだとすれば、辻褄が合う。
現に、あの落雷が尋常ではない魔力で引き起こされたもの——悪魔召喚術によるものだろうと、宮殿中の魔導師達が口を揃えて言っているのだ。
シルヴィアは、最後まで否定を続けていた。
しかし、この子供こそが次期召喚師だと確信した国王は、子供の治療が済み次第、彼をシルヴィアの住む離宮で同居させることにしたのだった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.6 )
- 日時: 2017/12/16 18:18
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
* * *
子供は、恐ろしい夢を見ていた。
父の断末魔が耳に響き、育った村が一瞬で灰に変わる。
肉の焦げる臭いと、眼に焼けつく死の光景。
涙さえ、流すことはできなかった。
身の内に入り込んだ闇が、身体中を這い回り、まるで自分を取り込もうとしてるかのようだ。
(苦しい、苦しい——!)
水中に沈められたように、息ができない。
助けを求めて、もがきながら手を伸ばすと、誰かがその手を取った。
「大丈夫、夢ですよ。怖いことはありません」
低くて、穏やかな声だった。
「眠ってください。次に起きたときは、きっと楽になれましょう」
温かな手に頭を撫でられて、ふっと呼吸ができるようになった。
子供は、そのまま水中から引き上げられるように、ゆっくりと悪夢から解放されていった。
* * *
サミルは、子供の顔に浮いた汗を布で拭ってやりながら、静かに溜め息をついた。
子供の熱が、一向に下がらないのだ。
刃物で切り裂かれたと思われる腹の傷が、化膿して地腫れしている。
おそらく、高熱はこの傷のせいだろう。
痩せ細ったこの身体は、これほどの高熱に耐えられるだろうか。
少しでも体力を付けさせるため、果汁や薬湯を飲ませようとしたが、子供は全て吐いてしまった。
長い間なにも口にしていなかったせいで、身体が受け付けなくなっているのかもしれない。
(さて、どうしたものか……)
ヘンリ村で見つかったという、銀の髪と瞳を持つこの子供。
医師として、命を救いたいという気持ちはあったが、とんだ重荷を背負ってしまったと思った。
先程までなら、ちょうど王宮から派遣された他の医師たちもいたのだが、事態が落ち着いた今、無責任にも引き上げてしまったから、この子供の命をどうにかできるのは自分一人である。
サミルは、顎に手を当てて考え込んだ。
(とは言っても、もうこれ以上できることといったら、祈るくらいだろうか……)
どうか、この子供が助かるように。楽になれるようにと。
しかし、助かったところで、この子の未来に待つものが希望でないことなど分かっていた。
可哀想に、まだこんなにも幼いのにと、サミルは眉をひそめる。
国の守護を宿命付けられた、召喚師。
ただですら縛り付けられたような人生を強いられるというのに、イシュカル教徒の増加で今後はどんどんと召喚師の居場所はなくなっていくだろう。
イシュカル教は、絶対の守護者——召喚師ではなく、全知全能の女神イシュカルを信仰するものだ。
ついこの前までは少数派の宗教団体だったが、近年このシュベルテで、急速にその勢力を拡大させてきた。
召喚師の力ではなく、女神イシュカルの加護の下、自分達の手で国を護る。
正しいことのようにも思えるが、他国が召喚師の力を保持している以上、これは理想論でしかない。
人間とは、本当に不思議な生き物だと思う。
強い力をもつ者を前にしたとき、守ってほしいと懇願するのと同時に、自分とは違うその力を拒絶し、また、その力が敵対した仮定を考えて恐怖するのだ。
現に、世間は次期召喚師が見つかったことを喜びつつ、この子供を慈しもうとはしない。
イシュカル教の拡大は、まさにその表れと言えよう。
子供の銀髪を撫でながら、サミルは目を閉じた。
この子供は、唯一同じ苦しみを分かつことになる母——シルヴィアにすら拒絶されている。
今、命が助かったとして、一体この子供は何を支えに生きていくのか。
頑なに次期召喚師の存在を認めようとしないシルヴィアに、サミルは苛立ちのようなものを感じていた。
(そんなはずないでしょう、召喚師様……。この子は、間違えなく、あの時死産だと貴女が決めつけたときの御子だ)
はあ、はあ、と忙しなく息をする子供の手を握って、サミルはただ祈った。
今ここで助かるか、あるいは死ぬか——。
どちらにしても、この子供にとって良い方に繋がる選択が、成されるように。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.7 )
- 日時: 2017/12/16 18:41
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
鳥のさえずる声で、子供は目を覚ました。
部屋の窓から、爽やかで清々しい風が入ってきて、さらりと頬を撫でる。
悪夢の名残も消えて、子供は深呼吸した。
そして、痛む腹を庇いながらゆっくりと寝返りをうったとき、自分の手が誰かに握られていることに気づいた。
その腕を視線でたどっていくと、寝台の脇の床に、見知らぬ中年の男が座っていた。
よほど疲れているのか、子供の手を握ったまま寝台の端に寄りかかって熟睡している。
子供は、ぼんやりとその様子を眺めて、それから辺りを見回した。
柔らかい寝台に、白亜の綺麗な天井——どれも、初めて見るものばかりだ。
一体ここはどこなのだろう。
そんなことを考えていると、ふと、男が呻き声を上げて目を覚ました。
そして、こちらをしげしげと見つめると、ぱぁっと笑顔になった。
「おお、良かった良かった! どうです、お体の調子は?」
突然のことに対応できず黙っていると、男は子供にかけてある毛布をめくった。
「少し、傷を見ますからね」
男は、そう言うと腹に巻かれた包帯を見て、ほっとした顔になった。
「出血も少なくなりましたし、腫れも昨日より引いているようです。これでひと安心ですよ」
男は、うんうんと頷いて、子供に笑いかけた。
「いやはや、流石は運がお強い。昨日は死の淵まで行きかけたというのに……」
死——。
それを聞いた途端、どっとヘンリ村での光景が甦ってきた。
全身にぴりぴりとした痛みが駆け巡って、ぶわっと寒気が押し寄せてくる。
真っ青な顔になって、突然がたがたと震え始めた子供の頭を、男が優しく撫でた。
夢の中で、撫でてくれていた手だった。
男は、しばらくそうして眉の辺りを曇らせていたが、やがて子供の震えがおさまると、静かに立ち上がった。
そして、一度寝室を出ていくと、すぐに椀を一つ持って戻ってきた。
「食べたい気分ではないかもしれませんが、とにかく栄養をつけないといけませんから。どうぞ、朝食です」
子供の頭の下に手を差し入れて起こすと、男は手に椀を持たせてくれた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.8 )
- 日時: 2017/12/16 16:53
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
手渡された椀の中には、卵粥が入っていて、子供は驚いた。
米や卵なんて口にできるのは、一体いつぶりだろう。
匂いを嗅いだ瞬間、猛烈にお腹が空いてきて、子供はがっつくように粥を口に流し込んだ。
しかし、すぐにぎゅっと腹が痛くなって、思わず吐き出しそうになると、男が慌てて桶を口元に持ってきた。
しかし、子供は吐かずに、無理矢理喉の奥に粥を送り込んだ。
これは、こんなに美味しいものを吐き出したくないという思いからくるものと、本能で行ったものだった。
つい最近まで、ヘンリ村にいたときは、土や虫を食べることもあったのだ。
慣れるまでは、口にいれた瞬間吐き出しそうになったものだが、吐いていては生き延びられない。
意地でも腹に収める方法を、その時に覚えたのだった。
「ゆっくり、ゆっくりお食べなさい。一気にかきこむと、胃もびっくりしてしまいますから」
言いながら、男は温めた牛の乳を飲ませてくれた。
微かに果物の風味がするそれを、今度はゆっくりと飲むと、じんわりと身体が温かくなった。
「……美味しい」
呟くと、男は嬉しそうな顔になった。
「それは良かった。私のお屋敷の料理人が、心をこめて作ったんですよ」
子供は、何度も何度も咀嚼しながら、夢中になって食べた。
そうしてる内に、考える余裕が出てきたのか、自分はどうしてこんなものを食べられるようになったのだろうと、不思議に思い始めた。
そもそも、こんなに綺麗な部屋で、身分の高そうな男に敬語まで使われるなんて。
こうなった経緯が全く分からない。
「……あの、これ、全部食べてもいいの?」
急に不安になって尋ねると、男はもちろんだと言った。
「好きなだけお食べなさい。この粥も、美味しいでしょう?」
子供が頷くのを見ながら、男は穏やかに問うた。
「最後に食べたのは、いつなんですか?」
男が心配そうに表情を歪めたのを見て、子供は小声で答えた。
「……覚えてない」
「そうですか……。ヘンリ村は、いつからそんなに貧しくなったんです?」
子供は、少し考え込むようにして黙った。
「……ひどくなったのは、冬が、終わった辺り。急に税の取り立てが厳しくなって、お役人が家畜を全部連れていっちゃったから」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.9 )
- 日時: 2017/12/16 18:24
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
今年の冬は、確かに実りが少なかった。
農業をして暮らす土地は、全体的に飢餓に苦しんだはずだ。
ヘンリ村は、その中でも特に貧しい村だったから、空腹で苛立った役人たちの八つ当たりの対象にでもなったのだろう。
元々ヘンリ村は、悪意の捌け口として利用されるような人々が意図的に集められたような村なのだ。
「……ヘンリ村が貧しいことは知っていましたが、まさかシュベルテがなんの援助もしていなかったとは……」
まるで他人事のように呟かれた言葉に、子供は俯いていた顔を上げた。
「ここ、シュベルテではないの?」
ヘンリ村に最も近いのは、王都シュベルテである。
どんな経緯があったのかは分からないが、自分はてっきりシュベルテの貴族か何かの家に連れてこられたのだと思っていた。
男は、子供に微笑みかけた。
「ここは、アーベリトという街ですよ。シュベルテから南東にある街です」
「……アーベリト?」
「はい。どうしてここまで来たか、覚えていますか?」
子供が首を横に振ると、男は視線が合うようにしゃがみこんだ。
「……貴方は、焼け野になったヘンリ村で、倒れていたのですよ。生きていたのは、一人だけでした。それを騎士団が見つけて、一度は王宮で治療を受けていたのですが……その、召喚師様の意向で、アーベリトの医師である私の元に貴方を預けられたのです」
最初、この子供の治療には、シュベルテの宮廷医師達が当たるはずだった。
しかし、その時シルヴィアが、この子供を自分の子ではないと拒否していたため、子供はひとまず医療の街とも呼ばれるアーベリトに預けられたのである。
「……ただの子供だったならば、こうして貴方が私の元に来ることはありませんでした。ご自分の立場を、知っておいでですか?」
男は、問うた後、後悔したように子供の顔色を伺った。
酷な質問をしてしまっただろうかと思ったからだ。
案の定、子供は顔をこわばらせていた。
もし自分が何者なのか知らなければ、こうした表情は浮かべないだろう。
ヘンリ村の村人が、お前はきっと次期召喚師だ、などとこの子供に言ったのかは分からない。
だが、自分の瞳の色や力が、異質であることはなんとなく理解していたのかもしれない。
男は、顔を曇らせて、更に尋ねた。
「……ヘンリ村に、なにがあったんです?」
瞬間、子供は唇を噛み締めて、息を飲んだ。
その反応を見て、男は確信した。
(……この子は、全て分かっている。村を焼け野にしたことも、自分の立場も)
子供は、うつむいたままなにも答えなかった。
父に食べられそうになったことも、闇の中から聞こえた声のことも、何故か口に出すのが怖かった。
心のどこかで、ヘンリ村が焼けたのは自分のせいな気がしていたのだ。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.10 )
- 日時: 2017/12/16 18:45
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
ただ黙ったままの子供を見て、男は目を細めた。
そしてぽんぽんと頭を撫でた。
「嫌なことを聞きましたね。ご自身で分かっているのなら、答えなくて良いのですよ」
そう言って立ち上がろうとした男の腕を、子供は慌てて掴んだ。
男の一線引いたような言葉が、ひどく恐ろしかった。
「知らない、何も……!」
咄嗟に出た言葉は、嘘だった。
本当のことを言えば、自分はこの男に見捨てられてしまうような気がしたからだ。
「……無理に話すことはありません。言ってもいいと思えるようになったとき、教えてくれればそれで十分です」
男は、そう言うと少し悲しそうに微笑んだ。
「……そうだ、自己紹介が遅れてしまいましたね。私は、サミル・レーシアスと申します。貴方は?」
少し間をあけてから、子供は首を左右に振った。
ヘンリ村での呼び名はあったが、もうその名前を使うのは、嫌だった。
サミルは、一瞬戸惑ったように眉をさげ、子供の手を握った。
「……では、王宮に戻ったときに、つけてもらうといいでしょう」
「王宮?」
訝しげに聞き返すと、サミルは口を固く閉ざした。
「いいえ、こちらの話です。……さあ、お食事中にすみませんでした。早く傷を治すためにも、どうぞ食べてください」
子供は、ちらりとサミルを見てから、再び持っていた椀から粥を食べだした。
サミルの言う通り、ゆっくりと咀嚼して飲み込めば、吐き気を催すほどの腹痛をもう感じなかった。
辺りは、とても静かだった。
時折、この屋敷の中で人の立ち働く物音がしたが、それ以外は子供が口を動かす音しかしなかった。
やがて、子供が食べ終わると、サミルは食器を片付けに部屋を出ていった。
そして戻ってくると、子供の寝台の横に毛布をひいた。
「昨晩はほとんど寝ていなかったので、少し私は休ませてもらいます。でもここにいますので、何かあったらすぐに起こしてくださいね」
それだけ言うと、サミルは毛布にくるまった。
やはり疲れていたのだろう、ほどなくしてサミルの胸が上下し始めたので、彼はもう寝てしまったのだと分かった。
子供も、しばらくすると寝台に横たわった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.11 )
- 日時: 2017/12/16 18:47
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
耳をすませても、本当に微かな物音しか聞こえない。
それは、きっとこの屋敷の壁が厚くて頑丈だからだ。
ヘンリ村の、あってないような、薄くてぼろぼろの石壁とは違う。
きっとここにいれば、厳しい寒さに震えたり、血眼になって虫を探して食べたり、死にゆく家族を見たりすることはない。
そんな日々とは、無縁になれる。
今、自分は、温かくて美味しい食事が出てくる、そして優しく頭を撫でてくれる人がいる、そんな場所にいる。
自分を殺して食べようとした父の手から、こうして逃れ、生きているのだ。
——ヘンリ村を、犠牲にして?
ふと、声がした気がして、子供はぎゅっと目をつぶった。
(違う……そんなんじゃない。僕は、ただ、生きたいと思っただけ……)
——そう、生きるために、自分を殺そうとした奴等を消したんだ。
そんな自分が、一人生き残り、平穏に身を置いている。
そう考えると、息苦しいほどの恐怖が襲ってきた。
自分を憎み、責め立てるヘンリ村の人々の声が聞こえる。
今もぐっている寝台の中からも、彼らの手が伸びてきて、自分を闇の世界に引きずり込むかもしれない。
子供は顔を歪めた。
(……違う、知らない。僕は、あの声に頷いただけ。村があんなことになるなんて、知らなかった……)
——知らなかった……? 本当に?
脳内に、あの時の声が響いてきた。
——お前が我に命令した。己を生かせ、と。お前がやったのだ、主よ。
(違う……!)
子供は、枕にぐっと顔を押し付けた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.12 )
- 日時: 2017/12/16 18:49
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
七日も経つと、子供の体調はほとんど良くなっていた。
幸い傷の化膿は治まり、感染症になることはなかったので、熱もすっかり下がった。
寝ている間、この屋敷ではばたばたと人が出入りしているようだったが、一体何が起きているのは分からなかった。
時折、サミルではなく別の宮廷医師が訪ねてきていたから、出入りしているのは彼らかと思ったが、それにしても随分と騒がしかった。
ただ訪問者がいるという風ではなく、言い争っているような声も聞こえてきていたのだ。
しかし、何もなかったかのように、サミルはいつも優しかった。
それが、暗に首を突っ込まないでほしいと言われているようで、子供は何が起きているのか、尋ねることができなかった。
「ああ、もう立ち上がれるようになったんですね。本当に良かった」
朝食の後、食器を片付けに自ら部屋を出た子供を見て、サミルは嬉しそうに笑った。
「その分なら、今日はもう王宮に戻れそうだ。いかがですか?」
子供は、こくりと頷いた。
傷が治れば、王宮に住むと、これは前々から言われていた。
だから昨日、子供は、明日サミルと王宮に行くと約束したのだ。
正直、王宮などという未知の世界に行くのは不安で、何度もこの屋敷で働かせてほしいとサミルに頼もうと思った。
しかし、働くといっても、何もできるようなことは思い付かなかったし、そもそもそんなことは許されないような雰囲気だったため、言えなかった。
「では、どうぞ。これを着てください」
見たこともないような綺麗な刺繍の服を渡されて、子供はいそいそとそれを着込んだ。
随分と複雑な構造をした服だったため、所々手間取ったが、そこはサミルが手伝ってくれた。
子供は、馬車を手配しているサミルに、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「……なんで、王宮に住まないといけないの?」
すると、サミルは少し考え込むようにして、答えた。
「……貴方の、本当のお母上が、王宮にいるからですよ」
予想もしていなかった答えに、子供は驚いた。
てっきり、ヘンリ村でのことを詳しく聞きたいからとか、そのような理由かと思っていたのだ。
「本当の……お母さん?」
「ええ、そうです」
ヘンリ村に住んでいたときも、自分は拾われた子だと言われていたから、本当の母親がどこかにいるのだろうとは思っていた。
ただ、まさかその母親が王宮にいるとは、考えたこともなかった。
「お母さん、偉い人なの?」
思わずそう尋ねると、サミルは複雑な表情を浮かべて、子供の肩に手を置いた。
「シルヴィア・シェイルハート様。現召喚師様が、貴方のお母上です」
「召喚師……」
「……召喚師のことは、分かりますね?」
子供は、頷いた。
案外心は冷静で、母親が召喚師だと聞いても、今度は驚かなかった。
むしろ、心の穴にすとんと何かが嵌りこんだかのように、納得した。
なんとなく、自分でも分かっていたのだろう。
ただこれまでは、自分が異質であることと、自分が召喚師の息子であることを、結びつけていなかっただけだ。
サミルは、黙りこんでしまった子供の背を軽く押して、馬車に乗るよう誘導した。
子供は、最後に一度、屋敷の方を振り返って、サミルと共に馬車に乗り込んだ。
白亜の屋敷は、改めて全体を見渡してみると、少し寂れた雰囲気を漂わせていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.13 )
- 日時: 2017/08/18 15:54
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
屋敷を出た時は、雨が近いかと思われるような曇り空だったが、サミル達の馬車が王都シュベルテに入った頃には、すっかり晴れていた。
強風に煽られて流れていく雲は、日光に縁取られて、白く輝いている。
王宮は、重厚な白壁に囲まれていて、王の住まう場所というよりは、牢のようだった。
思っていたような華やかさはなかったが、想像以上に荘厳で、これからここに閉じ込められるのかと思うと、子供は少し怖かった。
王宮の門前に到着して、馬車から降りると、サミルは門衛に声をかけた。
何を話しているのかはよく分からなかったが、既に話は通っていたようで、門衛はすぐに開門した。
それと同時に、門の更に奥にある大扉が、ぎしぎしと軋みながら開いて、中から細長い人影が現れた。
ひょろりと背の高いその人影は、初老の男だった。
白髪交じりの髪は後ろで一つにまとめてあり、纏っている緑色の衣からは墨なような臭いがした。
「よくぞ参った、レーシアス伯」
男がそう声をかけると、サミルは両の掌をあてて礼をした。
「アシュリー卿、遅くなり大変申し訳ありませんでした」
「いや、構わぬよ」
男は、言いながら、子供の方に視線を移した。
「ほう、これはこれは……確かに、召喚師様によく似ていらっしゃる」
舐めるように子供を見回すと、男はぎらぎらとした目を細めた。
「お初にお目文字つかまつります。私、政務次官のガラド・アシュリーと申します。以後お見知りおきを」
「…………」
聞いたこともないような言葉遣いに戸惑って、子供は助けを求めるようにサミルを見た。
すると、サミルは微笑んで言った。
「ここからは、アシュリー様に案内してもらって下さい。次期召喚師様、私とはここでお別れです」
「えっ……?」
急な別れの言葉に焦って、子供はサミルの袖を掴んだ。
もちろん、サミルは王宮の人間ではないから、いつか別れるだろうとは予想していた。
しかし、こんなにすぐに置いていかれるとは思っていなかったのだ。
まるで牢のような王宮で、こんなぎらぎらした目のガラドという男と残されるのは、不安だった。
「もう、帰るの……?」
「はい。次期召喚師様の命をお救いすることができて、光栄でした。どうか、お元気で」
「…………」
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.14 )
- 日時: 2017/12/16 18:52
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
冷たく、突き放されたような気がした。
子供が黙ったまま俯くと、サミルは少し躊躇いがちに、自分の袖から子供の手を外した。
それからゆっくりと踵を返して、馬車の方へ歩き出した。
こんなにも、あっさりと別れがくるとは思わなかった。
自分にとっては、初めて優しくしてくれる人だったというのに。
そう思うと、じわじわと悲しみが心に滲んできて、子供はぐっと歯を食い縛った。
「……参りましょう、次期召喚師様」
「——っ!」
そうして伸びてきたガラドの手を振り払って、子供はだっとサミルの元に駆け出した。
そして、既に馬車の近くまで戻っていた彼の腰辺りに飛び付くと、勢いよく顔を上げた。
「嘘、ついてた……!」
突然のことに驚いたらしく、サミルは目を丸くして子供の方に振り返った。
子供は、続けた。
「本当は、全部知ってた。自分が普通と違うこととか、ヘンリ村がどうしてああなったのかとか」
「…………」
「あの日、ついに食べるものがなくなって、父さんが僕のこと食べようとしたんだ。僕は拾われた子だったから、それも仕方ないと思ったけど……急に死ぬのが怖くなって。そしたら声がしたから——」
「声?」
聞いているだけだったサミルが、口を開いた。
子供は、これまでにないほど真剣な目をして、頷いた。
「声がしたんだ、生きたいか? って。それに、生きたいって答えたら、急に大きな雷が落ちてきて……」
「…………」
「よく分からないけど、多分、僕がやったんだ。ごめんなさい、嘘ついてました」
すがり付くように言ってきた子供を、サミルは強く抱き締めた。
こんな風に抱き締められたのは、初めてで、途端に喉の奥から熱いものが込み上げてきて、子供は泣いた。
「……そうして嘘をついたと言えるのですから、貴方は本当に立派で、心根の良いお方です。大丈夫、貴方は何も悪くないのですから」
そう言いながら、サミルはあやすように子供の背を撫でた。
「これから、大変なこと、辛いことが沢山あるでしょう。でもどうか、道を誤らぬように、真っ直ぐ生きてください。私は、いつでも貴方の味方ですよ」
それだけ言うと、サミルは子供を離した。
そして、すぐ近くに来ていたガラドを一瞥すると、最後に子供の頭をくしゃくしゃと撫でて、馬車に乗り込んだ。
「……ありがとう」
泣いていたせいで、あまり大きな声は出なかった。
しかし、ちゃんと届いていたらしく、サミルは微笑んだ。
馬車が走り出したのと同時に、子供の手をガラドがぐいと引っ張り、歩き出した。
どんどん遠くなる馬車を見つめながら、子供は、ただ小さくなっていく車輪の音を聴いていた。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.15 )
- 日時: 2017/08/18 15:57
- 名前: 狐 (ID: C8ORr2mn)
本殿から続く、長い廊下を歩いている途中。
ガラドから、離宮に向かっていること、離宮には召喚師であるシルヴィアと、その三人の息子たちが住んでいることなどを説明された。
自分はこれから、会ったこともない母親と、兄弟に囲まれて暮らすのだ。
そう考えても、実感など湧かなくて、嬉しいとも嫌だとも思わなかった。
色とりどりの花が咲き乱れる庭園の真ん中に、離宮はぽつんと建っていた。
荘厳な本殿の雰囲気とは一変、離宮は御伽の国から飛び出してきたような、きらびやかな建物だった。
庭園に足を踏み入れると、朝露に濡れた草の匂いと、花の甘い香りがふっと頬をかすった。
離宮の扉の奥からは、微かに物音がしてきて、誰かが庭園に出ようとしているようだった。
おそらく、召喚師とその息子達だろう。
離宮と距離をあけたまま、呆然と立ち竦んでいると、ガラドが声をかけてきた。
「今からいらっしゃるのが、召喚師シルヴィア・シェイルハート様とそのご子息です。ところで、次期召喚師様はおいくつで?」
「……多分、八」
これまで迎えてきた冬の数を数えて答えると、ガラドはふむ、と頷いた。
「では、兄君が二人、弟君が一人ですな。どうぞ、あちらに」
「…………」
ガラドが離宮に向けた視線をたどると、扉から三人の子供が出てきた。
これから、自分の兄弟となる子供たちだ。
「あちらの黒髪のお方が、ご長男のルイス様、金髪のお方が次男のリュート様、年齢的に次期召喚師様を三男として、最後のあの茶髪のお方が四男のアレイド様でございます」
ガラドの言う通り、ルイスとリュートと呼ばれた二人は、自分よりも歳上に見えた。
おそらく、もう十歳は越えているだろう。
最後の、アレイドと呼ばれた子供は、自分より年下ということだったが、ほとんど同い年くらいのようだ。
三人とも、髪色も顔立ちも全然似ていなかったが、それぞれ父親が違うことは聞かされていたから、疑問には思わなかった。
「……あとは、召喚師様との時間をお過ごしください。それでは、私はこれで」
ガラドは、深々と礼をすると、そそくさと庭園を出ていった。
子供は、その後ろ姿を見送って、再び兄弟達の方を見た。
すると、子供の一人——アレイドが、一瞬ちらりとこちらを見て、それから扉に目を向けた。
「母上! もう来ていますよ!」
それが、自分を指した言葉だと分かって、子供は後ずさった。
- Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.16 )
- 日時: 2016/05/26 12:06
- 名前: 狐 (ID: q6B8cvef)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=196.jpg
その時、ひゅうっと、花弁を乗せた風が吹き抜けた。
子供は、目を閉じかけ、そして、再び前を見て、瞠目した。
離宮の扉から出てきたのだろう。
いつの間にか、子供たちの中に銀髪の女が佇んでいる。
(……シルヴィア・シェイルハート……)
全身を、稲妻が突き抜けたような感じがした。
血が通っているとは思えないほど白い、陶器のような肌と、絹糸を思わせる艶やかな白銀の髪。
音もなく現れた彼女は、間違いなく自分の母親——否、同類だと思った。
本当に美しく、綺麗な女だった。
だが、それを見た瞬間、子供は地面に縫い付けられたように動けなくなった。
子供が動かないことを不思議に思ったのか、アレイドがこちらを見て、駆け寄ってこようとした。
すると、シルヴィアが口を開いた。
「アレイド、行っちゃあ、だめ」
鈴のような声だった。
アレイドが、何故か問うように見つめ返すと、シルヴィアは薄い唇をほころばせた。
「あの子は、私の子供ではないの。だから、だめ」
「……でも、今日から一緒に住むのでしょう? 母上」
「あの子供が次期召喚師だと、父上も仰っていました」
続いて口を開いたルイスとリュートを、シルヴィアは包み込むように抱くと、笑みを浮かべた。
「……あの子は次期召喚師よ。でも、私の子供ではないの。ねえ? ルイスも、リュートも、アレイドも、あの子に近づいてはだめ」
三人の子供たちは、少し躊躇ったような表情を浮かべていたが、やがて頷いた。
それに対し、いい子ね、と呟くと、シルヴィアはついにこちらを見た。
まるで、氷のような微笑。
シルヴィアと目があった途端、ぞくぞくとした寒気が身体を巡って、震えが止まらなくなった。
この恐怖は、あの日、闇から声が聞こえてきた時に感じたものと、よく似ていた。
「ねえ、貴方。お名前は?」
尋ねられて、子供は必死に首を振った。
声を出すことは、出来なかった。
「あら……名前がないのねえ。でも、これから一緒に暮らすなら、名前がないと不便だわ」
そう言いながら、シルヴィアは立ち上がった。
そして、ゆったりとした足取りで、浮いているのではないかというほど軽やかに、子供の目の前に来た。
シルヴィアは、青白い指先をこちらに向けた。
「……それなら、貴方の名前はルーフェンにしましょう。古の言葉で、奪う者って意味よ」
銀の髪を揺らして、シルヴィアの唇が会心の笑みを浮かべる。
ここで初めて、自分はひどく拒絶されているのだと気づいた。
だって、こちらをじっと見ているのに、彼女の瞳に自分は映っていない。
シルヴィアは、ルーフェンではなく、どこか遠くを見ているようだった。
さあっと甘ったるい風が吹き抜けて、花園がさわさわと揺れる。
その草花のざわめきに不安を掻き立てられて、ルーフェンはごくりと息を飲んだ。
To be continued....