複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.79 )
日時: 2017/12/17 00:14
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

†第一章†——索漠たる時々
第五話『壮途』



「はあ? 図書室で寝泊まりしてる?」

 オーラントは、ルーフェン付きの侍女だという少女を、まじまじと見つめた。

「なーんでまた、そんなことを……」

 アンナは、困ったように答えた。

「寝る間も惜しんで、何か調べものをしていらっしゃるようで……。私からも次期召喚師様に、夜は寝所にお戻りになるよう申し上げたのですが、全く聞き入れて下さらないのです」

 オーラントは、呆れ顔でがくっと首を落とした。

 ルーフェンと共に、ヘンリ村やアーベリトを巡ったあの日から、早八日。
様々な理由を聞いたからには、約束通り、なにか協力しようかとも考えていたのだが、ルーフェンからは、とりあえず休暇に入っていい、ノーラデュースに戻る日までは放っておいてくれて構わない、と言われていた。
だが、結局様子が気になって、オーラントは王宮まで足を運んでいたのだった。

 しかし、訪ねてもルーフェンは自室にはおらず、仕方なく近くを歩いていた侍女、アンナに彼の行方を聞くと、とんでもない答えが返ってきた。
「次期召喚師様は、ここ八日間、図書室に籠りきりなのです」と。

「はあ……全く、本当に困ったお坊ちゃんだな」

 盛大な溜め息をついて、肩をすくめる。
アンナは、おろおろとした様子でオーラントを見上げた。

「で、ですが、今回はちゃんとお食事も摂っていらっしゃいますし、最低限の生活はなさってるんです。ただ本当に、夢中になっている、という感じで……」

 オーラントは、驚いたように目を見開いた。

「今回は、って……前にもこんなことあったわけ?」

 アンナは、こくりと頷いた。

「はい。以前は、半月ほどお食事もろくになさらず、自室にこもりきって、体調を崩しておられました」

「うわぁ、なにそれ、こわ……」

 心の底から恐ろしい、といった様子で、オーラントは顔を歪める。
馬鹿と天才は紙一重、などと言ったりするが、ルーフェンは間違いなく馬鹿寄りだろう。

「医者とか、他の奴等は何も言わんの? あいつ、仮にも次期召喚師だろ?」

 オーラントが聞くと、アンナは微かに苦笑を浮かべた。

「ええ、その……もう、皆様諦めていらっしゃるというか……。宮廷医師の方々も、最近までは、次期召喚師様にはかなり厳しく言い聞かせていたのですが、何分、全く聞き入れられないものですから……。今は、次期召喚師様のお食事に、お医者様の指定される栄養剤を混ぜることで、なんとか折り合いをつけていますわ」

 オーラントが、ぽかんと口を開ける。

「……なにそれ。あいつ、てっきり他には猫かぶってると思ったら、とんでもない問題児なのな。大変だろう、あんたも」

「いえ、そんなことは……」

 アンナは、躊躇いがちにそう返事をして、ふるふると首を振った。

「次期召喚師様は、それでも、課されたことは誰よりも上手くこなしてしまうんです。だからといって、威張ったり、偉そうにしたりしませんし……。そんなお方につけて、私は幸せですわ」

「へ、へー……」

 突然、乙女全開なことは語り始めた少女に、オーラントは若干口元をひきつらせながら答えた。

「ま、まあ、とにかくだ。詳しい事情は話せないんだが、ちと次期召喚師様のご様子を伺いたい。お目通り願えるか」

「ええ、伯爵以上のご身分のお方なら、謁見も許されておりますわ。どうぞ、ご案内致します」

 アンナは、一転して手慣れた様子で一礼すると、オーラントを図書室まで案内した。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.80 )
日時: 2017/12/17 01:14
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)



  *  *  *


 アランの確立した遺伝病の治療法が、失敗ではないという仮定を成立させ、かつ、ノーラデュースに放られたリオット族に病状が戻った原因を突き止めるためにも、まずは、医療魔術に関する知識を得ねばならなかった。
しかし、そもそも医療に関して専門的な知識など皆無なルーフェンは、基礎から学ぶ必要がある。
それ故に、何冊もの医学書を読み漁り、アランの作り上げた治療法の原理をかじった頃には、既に、八日もの時間が経っていた。

 遺伝病の治療は、簡単に言うと、患者の細胞に正常な遺伝子を導入することで、症状の回復を図る、というものであった。
あくまで患者個人の体細胞に施す治療であるため、親を治療したからといって、その子供まで改善されるわけではない。
しかし、これほど高度な技術と知識を、かつてのアーベリトが有していたことには驚きが隠せなかったし、この治療法は、次世代には影響しなくとも、個人個人の治療では、ほぼ確実に効果が発揮されるものであるようだった。

 具体的な治療方法に関しては、アーベリトが独占しているらしく、その医療魔術に関する詳細な文献や魔導書は、王宮の図書室にも置いていなかった。
施療院にいた女性が、「遺伝病の治療を施せるのは、今は亡きアランと、その弟サミルだけだ」と、そう言っていたのも頷ける。
予想はしていたが、確立されたからと言って誰にでも施せるような、そう簡単な治療法ではないのだろう。

 それに、医療の街と呼ばれるアーベリトにとって、医療魔術の知識や技術は財産である。
いくらサミルが心根の優しい人間だとはいっても、その財産を、他の街にそう易々と分け与えるとは思えなかった。
まして、今やその医療魔術は、リオット族に症状が戻ったことで、世間からは「でたらめだ」などと貶され、信用を失っているのだ。

 非難されたことで、もしかしたらサミルは、もう遺伝病の治療法など見放しているかもしれない。
仮に、未だに研究を進めていたとしても、その情報を外部に漏らすことはしないだろう。
王宮の蔵書を読み漁るだけでは、遺伝病の治療魔術について、これ以上掘り下げるのは不可能そうであった。

 遺伝病の治療の主な対象となっていたリオット病に関しては、どの医学書にも、『遺伝子の突然変異によって引き起こされる劣性の遺伝病である』と記されていた。
症状としては、皮膚の硬化と、蛋白質異常による、全身の筋肉の異常発達、及び変形。
それに伴う心肺機能の停止、そして死亡、である。

 どの正規の医学書を調べてみても、こう記されているのだから、おそらくリオット病に関するこの記述は、真実なのだろう。
しかし、そうだとすると、不可解な点があった。
それは、リオット病の患者が年々増え続け、現在に至っては、ほとんどのリオット族がその症状を発症している、ということである。

 サーフェリア歴、一一八四年。
ルーフェンが見つけた文献の中で、最も古いリオット族に関する記述は、この年から始まっていた。
そこには、南のココルネという森に棲むリオット族には、稀に忌み子が産まれる、と記載されており、この忌み子が、つまりはリオット病患者と考えられるから、この時点ではまだ、リオット病を発症していた者は少人数であったことが分かる。
リオット病が劣性の遺伝病だと判断されたのも、おそらくこの時代だったのだろう。

 しかし、それから約百年。
驚くべきことに、リオット病の発症者は増えて、一二九三年には、なんとほとんどのリオット族が、その症状を抱えていたのである。
そして、リオット族が奴隷としてシュベルテで使役されるようになり、数百年。
その間は、発症者が増加することもなく、また、一四六六年にアラン・レーシアスによって治療法が開発されたため、むしろその症状は改善されていった。
だが、一四七一年にリオット族が暴動を起こし、ノーラデュースに押し込められた年から、またしてもリオット病の発症者が増え始め、それから約二十年ほど経った今では、再び大半のリオット族が、リオット病を抱えているというのだ。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.81 )
日時: 2017/12/17 01:19
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 彼らがノーラデュースに棲み始めてからは、ほとんど調査も行われていないため、正確な情報はない。
しかし、発症者が増加しているというこの事態こそが、問題であった。
なぜなら、本来、生存に不利な遺伝子というものは、自然に淘汰されていくはずだからである。

 リオット病の存在が確認されて、約三百年。
これほどの年月が経てば、生物は、不利、あるいは不要な形質を捨て、より強く生きていくために進化していく。
故に、リオット病のような劣性の遺伝子が、減少しないどころか増加するというのは、どう考えてもおかしいのである。

 ノーラデュースに移ってから、発症者が増えたという辺りから、アランの治療法がむしろ悪影響を与えたのだという見解もあるようだが、それでは、一時的にでも奴隷となっていたリオット族に回復が見られたことに説明がつかない。
また、もしアランの治療法が原因ならば、リオット族が奴隷となる以前に、発症者が増えていた理由を、説明できなくなってしまう。

 加えて、徐々に増加した挙げ句、リオット族の大半が患うようになったというのなら、今現在、もはやリオット病は劣性の遺伝病とは言えない。
ちょっとしたきっかけで、偶然増えたとも考えられない。

 ひたすらに医学書とにらみ合いながら、ルーフェンは、一日中気づいたことを頭の中で反復していた。

 最終的には死に至るようなリオット病の遺伝子が、どうして淘汰されずに増えていくのか。
一体、なぜ──。

 ルーフェンは、ひとまず医学書の類いを置くと、今度は、南の土地について調べ始めた。
もし、リオット病の増加の原因が環境的な要因ならば、土地の気候が、大きく関わっていると思ったからである。

 そうして、ひたすら地理に関する書物を捲っていると、かつてリオット族の棲んでいたココルネの森については、高温多湿で常盤木の密林が広がる地域である、と綴ってあった。
そして、一方のノーラデュースは、深い峡谷の連なる砂漠地帯である。

(となると、共通点は……)

 多湿で、リオット族の他にも原住民がいるココルネの森。
それに対し、乾燥地帯で、その環境の厳しさゆえに人など棲んでいないノーラデュース。
出てくるのは違いばかりで、双方の土地の共通点と言えば、高温であること、それ以外に思い付かない。

 しかも、高温といっても、雨量の多いココルネの森と、水などろくに確保できないノーラデュースとでは、条件があまりにも違う。
共通点と言えるのかどうかも、分からなかった。

 ならば、一体なぜ、ココルネとノーラデュース、双方の地でリオット病が猛威を奮うようになったのか。
リオット族達の身に、何が起こったというのか。

 ルーフェンは、書物を開いたまま顔に乗せると、積み上げられた本の隙間に、仰向けになった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.82 )
日時: 2016/02/25 12:54
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 かつては、ココルネの森で暮らしていたリオット族たち。
それが、突然奴隷としてシュベルテに強制的に収容された挙げ句、反抗的になったとあれば、ノーラデュースの谷底へと突き落とされた。

 砂漠化が進んだノーラデュースは、峡谷が連なるといっても、河などとうの昔に干上がっているし、わずかに存在する水場だって、リオット族たちの棲む谷底に都合よくあるとも考えられない。
おそらく彼らは、厳しい生活を強いられているのだろうということは、容易に想像できた。

 リオット族たちは、シュベルテの人間を、どんな風に思っているのだろうか。
奴隷として扱った上、奈落の底に自分達を閉じ込めたシュベルテの人間を、どれほど恨んでいるのだろうか。

 オーラントは、リオット族は野蛮で、本能的に動くことしかできないから、物事の良し悪しなんてものは考えないだろう、などと言っていたが、ルーフェンはなんとなく、そうではないような気がしていた。
ルーフェンはリオット族を見たことがないし、本当に直感的な推論であったけれど、それは違うと思った。

 だって、思考などしないというなら、何故リオット族は、シュベルテに反抗したのか。

 団結して、奴隷として虐(しいた)げられるのはもう嫌だと。
そう主張したかったからに決まっている。
単に本能で暴れたわけではない。
ちゃんと考えて、騒擾を起こしたのだ。

(ノーラデュースでの暮らしが、良いわけはないだろうな……)

 そう思ったとき、不意に、ルーフェンの顔に乗っていた書物が持ち上がった。
真っ暗だった視界に、図書室のぼんやりとした薄暗い光が射し込んでくる。

 ルーフェンが微かに目を開けると、こちらを見下ろしていたのは、オーラントだった。

「もしもーし、生きてますか?」

 取り上げた書物をルーフェンの目の前でぱたぱたと振って、オーラントが声をかけてくる。
ルーフェンは、ふう、と息を吐くと、むくりと起き上がった。

「……おはようございます」

「今はこんにちはの時間ですよ」

 辺りを見回しながら、オーラントは顔をしかめて言った。

「すんごいところで生活してますね。心配してましたよ、あんたの侍女さんが」

 ルーフェンは、本の山を多少ずらして、オーラントの座る空間を作ると、怪訝そうな顔をした。

「心配? 大丈夫ですよ、食べてますし、寝てますし、お風呂も入ってますから。部屋にこもってるので、ちょっと時間の感覚がなくなってるだけです」

「自分の主がそんな生活してたら、普通心配しますよ」

 苦笑混じりに言って、オーラントはその場に腰を下ろす。
そして、先程ルーフェンからとった書物を、ぱらぱらと捲りながら言った。

「これ、全部読んでるんですか?」

「一応。まだ重要なことは、何も分かってませんけどね」

 若干疲労の滲んだルーフェンの声に、オーラントは、呆れたような、感心したようなため息をついて、書物をルーフェンに返した。

 八日も図書室にいるなんて聞いたときは、嘘じゃないかとも疑ったが、この本と散乱した図書室からして、本当にずっと籠っているのだろう。
元々、ただならぬ覚悟だとは思っていたが、まさかこんなにも没頭するなんて、正直予想外であった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.83 )
日時: 2016/06/28 01:14
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 ルーフェンは、座って身を丸めると、顎を膝にのせた。

「オーラントさん。ノーラデュースとかココルネの森に、なんか、ありませんか。遺伝病の原因になりそうな……別の病気とか、薬とか……」

 ルーフェンは、ちらりと視線だけオーラントにやって、問うた。

「そう言われましてもねえ……。俺だって、医師じゃありませんから、分からんですよ。ココルネに至っては、視察で数回しか行ったことありませんし」

 オーラントが、眉をぎゅっと寄せて、唸る。

「まあ、ノーラデュースでよく出る病って言ったら、一番は熱射病ですけどね。あとは、食中毒とか、ガドリアとか……」

「ガドリアって……感染症のですか?」

 ルーフェンの問い返しに、オーラントは頷いた。

「そうです、ガドリア原虫に寄生された刺し蝿(ばえ)に刺されると、感染するあれです」

 ルーフェンは、微かに眉をしかめると、言った。

「ココルネの森でガドリアが一時期流行ったのは知ってますけど、ノーラデュースは砂漠みたいなものでしょう。刺し蝿なんて、いるんですか?」

「ええ、いますいます」

 オーラントは、少し苦々しい表情を浮かべた。

「ノーラデュースだって、水場が皆無ってわけじゃありません。蝿っていうのは、どこにでも出てくるもんですからね。いつだったか、俺らの砦のごみ溜めに大量発生していて、震撼しましたよ」

 まるでその時のことを思い出したように身を震わせて、オーラントは続けた。

「まあでもガドリアは、昔ならともかく、今じゃ気にするほどのもんでもないです。一度抗原を射っとけば、二度とかかりませんし、万が一かかっても飲み薬で治ります。露出を少なくすれば、刺し蝿にも刺されませんしね」

「…………」

「そんなことよりも……ああ、そうだ」

 オーラントは、何か思い出したように顔をあげた。

「俺がノーラデュースに行ってすぐでしたから、二十年ほどまえのことになるんですが……。魔導師団の砦の近くに、結構大きな湖沼がありましてね。当時、そこを水源にして水を引いてこようって話になってたんですよ」

 ルーフェンは、真剣な顔つきでオーラントを見つめると、先を促した。

「でも、その湖沼を見に行ったとき、その近くに五本足の鼠が死んでたんです。それで、気味が悪いってんで、結局水源は別の湖沼にしたんですが……。五本足の鼠なんて聞いたことありませんし、よく考えたら、その鼠も奇形の一種ですよね。リオット病も皮膚や筋肉に奇形が現れますし、俺には詳しい原因とかはよく分かりませんが、もしかしたら、何か関係あるじゃないかと思って……どうですかね?」

「五本足の……」

 ルーフェンは、そうぽつりと呟いて、しばらく何かを考え込んでいた。
だが、突然はっと目を見開くと、オーラントの側にあった本の山を指差した。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.84 )
日時: 2016/03/04 11:39
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: tVX4r/4g)


「それの、下にある緑の表紙の図鑑、とってください!」

「えっ、こ、これですか?」

 慌てつつ、本の山を崩さぬように、革表紙の分厚い図鑑を抜き取ると、ルーフェンにそれを渡す。
ルーフェンは、それを受け取るや否や、素早くとある頁(ぺーじ)を開くと、オーラントにそれを見せた。

「これ、この植物! その五本足の鼠が死んでた湖沼の周りに、生えてませんでしたか?」

 ルーフェンに見せられた頁には、太めの茎から細長い葉が複数生えた、子供の背ほどの植物が描かれていた。
しかし、生えていたかと尋ねられても、二十年も前のこととなると、記憶が曖昧である。

「んー……どうだったかなあ……。確かに、植物は生えてましたよ、それは覚えてます。でも、どんな植物だったかは、流石に……」

 なんとか思い出そうとするものの、どう頑張っても、あの景色が脳裏に蘇るとは思えない。
うんうんと頭を抱えるオーラントを見ながら、ルーフェンは図鑑を手元に戻すと、言った。

「……これは、クツララ草という多年草の一種です。耐暑性に強く、根には毒があって、この根をかじった兎が、多足症にかかったと記録されています」

「それって……!」

 オーラントが瞠目すると、ルーフェンは強く頷いた。

「耐暑性に強いということは、ノーラデュースのような気候でも、湖沼の近くなら群生できる可能性はあります。しかも、クツララ草の根が水に浸っていたとしたら……」

「その毒が、水に溶け出してるかもしれませんね」

 二人は目を大きくして、お互いの顔を見合った。

「人間は根なんてかじらないでしょうが、その毒が湖沼に溶け出していたとなれば、話は別です。その湖沼の水を飲み水として使用していれば、毒は体内に入ります。そして、それをリオット族たちも飲んでいたとしたら、このクツララ草が、皮膚や筋肉の変形を引き起こす要因になった可能性も、大いに考えられる……」

「小動物と人間とじゃ、出る症状も違うでしょうしね」

「ええ。これで、ココルネの森にもクツララ草の群生が認められれば、リオット病が増加した原因として、かなり有力な説になるんですが……」

 ルーフェンはそう言って、悔しそうに本棚を見上げた。

 王宮の図書室は大きく、当然内容も充実しているが、やはり専門書となると、そこまで膨大な数が揃っているわけではない。
医学や南方の土地に関する書物は、この八日間で、ほとんど目を通した。
しかし、これらのことに見覚えはない。
つまり、クツララ草のことも、ココルネやノーラデュースのことも、これ以上、本をあてにしては掘り下げることが出来ない。
手詰まりである。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.85 )
日時: 2017/12/17 01:25
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


「せめて、クツララ草についてだけでも……」

 ルーフェンが唇を噛むと、ふと、オーラントが言った。

「そういや、あの人の力は借りられないんですか? えーっと……アーベリトのご婦人が言ってた、レーシアス伯ともう一人、遺伝病の治療に詳しいとかいう……」

「レック・バーナルドですか?」

「そう! その人です!」

 オーラントは、ぽんっと手を打つと、腕を組んだ。

「そのレックさんとやらは、宮廷医師なんですよね? 探して、ちょいと手伝ってもらいましょうよ。いくらなんでも、医療魔術の素人である俺たちだけじゃ、無理がありますって」

 オーラントは、名案だとばかりに目を輝かせて言ったが、ルーフェンは、釈然としない顔つきのままであった。
今回のことを、あまり外部に漏らしたくないのである。

 ルーフェンは目を伏せると、小さな声で、でも、と言葉を濁した。
すると、オーラントは肩をすくめた。

「じゃあ、レーシアス伯に相談しますか? 本当はそれが一番いいんですよ、当事者ですし。この件に関しちゃ、彼が一番詳しいはずですから」

 ルーフェンは、すぐさま首を横に振った。

「それは、絶対にしません。サミルさんは、俺がこれ以上、サンレードの子供たちに関わるのを反対してました……もし、リオット族をシュベルテに連れ戻すことで、アーベリトの再興を考えてるなんて知ったら、きっと、心配かけます」

「でしょう? それなら、レックさんとこ行きましょうよ」

「…………」

 ルーフェンは、オーラントの顔を見て、俯いた。

 確かに、宮廷医師に頼れば、詳しい専門書や情報が手に入るかもしれない。
別に、頼るからといって、事情を全て説明しなければいけないわけではないし、こんなところで燻っているよりは、素直に助けを求めた方が良いだろう。

 ルーフェンは、図鑑を手にしたまま、ゆっくりと立ち上がり、ぐぐっと伸びをすると、小さく息を吐いた。

「そう、ですね……レック・バーナルドという名前には聞き覚えがありますし、宮廷医師は皆、宮殿の三階に研究室と自室を持っていますから、探しにいきましょう」

 それを聞くと、ほっとしたような表情を浮かべて、オーラントも立ち上がった。

「聞き覚えがあるっていうなら、話も早いですね。あんた、嘘は得意でしょう。医療に興味が出たとか適当に理由つけて、情報を聞き出せばいいんじゃないですかね」

「嘘が得意って、人聞きの悪い……あ」

「あ?」

 散乱した本を踏まないように、図書室の出口に向かって歩いていたルーフェンが、突如立ち止まったので、オーラントも慌てて歩を止めた。

 ルーフェンは、ゆっくりとオーラントの方に振り返ると、しばしばと目を瞬かせて、言った。

「……レック・バーナルドって……俺たち召喚師一族の、主治医でした」

「はあ!?」

 思わず声をあげて、オーラントが眉を寄せる。

 ルーフェンは、シルヴィアを診ていた、あの線の細い老人を頭に浮かべていた。
そういえば彼は、レックと呼ばれていたし、初めて会ったときも、そう自己紹介されたような気がする。
道理で聞き覚えがあるはずである。

 オーラントは、まだ見ぬレックを哀れむように、眉を下げた。

「主治医の名前を忘れるって……あんたの脳には、一体なにが詰まってるんですか」

「いや、だって……あの人、『次期召喚師様は不摂生な生活を送りすぎです!』とか言って、ご飯に凄まじく苦い栄養剤を混ぜてくるから、苦手で……。ちょっと、記憶から抹消してました」

「なんですか、そのとんでもなくガキ臭い理由は。全体的にあんたが悪いでしょう」

 オーラントは、呆れ返った様子でそう言うと、次いで、ルーフェンの背中を押した。

「ま、主治医だってんなら、更に話が早い。行って、さっさと話を聞きましょう」

「はい。そうですね」

 二人は図書室を出ると、三階に続く階段へと向かって、歩いていった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.86 )
日時: 2016/06/28 01:19
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

「クツララ草に関する文献でございますか?」

 研究室に在室していたレック・バーナルドは、突然のルーフェンとオーラントの訪問に、驚きを隠せない様子で問い返した。

 ルーフェンは、それに対して頷くと、先程図書室で見ていた図鑑を、レックに渡した。

「図書室で調べてたんですが、古い文献しか見つからなくて。もし、何か他に知っていることがあったら、教えてください」

 レックは、薬草を擂り潰していた擂り粉木(すりこぎ)を擂り鉢の隣に置くと、老眼鏡をかけて、ルーフェンから受け取った図鑑に目を通した。
そして、ふむ、と頷くと、図鑑を閉じて、ルーフェンに返す。

「なるほど……。確かに、これは百年以上前の文献ですから、クツララ草の記述は少ないですね……」

 ルーフェンは頷いて、レックに返された図鑑を片手に持った。

「そうなんです。何故多足症を引き起こすのかとか、他にどこに群生しているのかとか、そういう記述が一切なくて。レックさん、他に何か知りませんか?」

 再びルーフェンがそう尋ねると、レックは、曖昧な頷きを返した。

「ええ、その……クツララ草は、珍しい毒草でして、研究者も少ないですから、本としては出版されていないのです。しかし、多足症に関しては我々医師の中でも、必要な知識として学んでおりますから、その図鑑以上のことは、お話しできるかと。ただ、恐れながら、なぜそのようなことを?」

「…………」

 レックは、訝しげな顔をして、ルーフェンを見つめた。
彼は、ルーフェンが図書室に引きこもっていることを、当然知っている。
ついでに、なぜルーフェンがそんなことをしているのか、聞き出そうと考えているのだろう。

 ルーフェンは、横にいるオーラントを一瞥すると、レックに視線を戻した。

「この人、オーラント・バーンズさんと言って、ノーラデュース常駐の宮廷魔導師なんですが、砦の近くの湖沼で、五本足の鼠を見つけたそうなんです。俺は、多分その原因は、湖沼近くに生えていたクツララ草の根、あるいは根の毒素が溶け出した水を、鼠が含んだからだと思ったんですが、何分知識が不十分なもので。その湖沼が、砦の水源に使えるのかどうか、レックさんに聞きに来たんです」

 そう言うと、レックはオーラントの方を向いて、深々と礼をした。
オーラントもそれにならってお辞儀をし返すと、レックは、ルーフェンに向き直った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.87 )
日時: 2016/03/17 20:01
名前: 狐 ◆4K2rIREHbE (ID: FSosQk4t)



「お話は、分かりました。では次期召喚師様はここ最近、図書室でずっと、それをお調べになっていたのですか?」

 ルーフェンは、微かに頷いた。

「……まあ。と、いうよりは、オーラントさんから南方の話を聞いていたら、色々と興味が湧きまして。俺は、王宮からほとんど出たことがありませんから」

 レックは、ルーフェンの顔を見つめながら、少し複雑な表情を浮かべていた。
しかし、すぐに真顔に戻ると、顔にかけていた老眼鏡を机に置いて、立ち上がった。

「……なるほど。では、私の持ちうる知識で良ろしければ、喜んでご協力申し上げます」

 それを聞いて、ルーフェンとオーラントは一瞬、視線を合わせると、ひとまずレックの説得に成功したことを喜んだ。
これで、クツララ草が、ココルネにも群生している事実や、人体にどのような影響を及ぼすか、といったことなども分かれば、リオット病の解明はほぼ出来たと言っても良い。

 そうして、期待に胸を膨らませていたルーフェンであったが、レックから告げられた言葉は、思わぬものであった。

「結論から申し上げますと、クツララ草の毒素は、人体には影響がないとされていますので、その湖沼を水源に使っても問題はないと思われます」

 ルーフェンとオーラントは、瞬きをして、硬直した。
人体には影響がない、ということは、リオット族にも当然影響は出ないだろう。
だとしたら、クツララ草とリオット病は関係ない、ということになる。

「……え、影響、ないんですか……?」

「はい、ありません」

 レックは、きっぱりと言った。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.88 )
日時: 2016/03/19 17:31
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: OSKsdtHY)


「確かに、その五本足の鼠というのは、次期召喚師様の仰る通り、湖沼近くに生えていたクツララ草が原因でしょう。しかし、それは動植物に乏しいノーラデュースだからこそ、起きた事態かと思われます」

 頭の中で構築していたものが、がらがらと崩れ去っていく音を、ルーフェンは聞いた。
そんな彼の心情など知らないレックは、むしろ水源として使えることが喜ばしい、とでも言いたげに、微笑みながら続ける。

「クツララ草の根の毒素は、非常に微弱なものです。かつて行われた生体実験でも、小動物に根だけを何年も与え続けて、やっと、奇形が生じたのです。ですから、その鼠も、ノーラデュースの砂漠地帯で他に食べ物がなく、仕方なくクツララ草の根を含み続けて、運悪く多足症を発症してしまったのでしょう。小動物ですら、その程度です。人間には何の影響もないでしょうし、もし気になるのであれば、湖沼周りのクツララ草を根ごと引き抜いておしまいなさい。そうすれば、全く問題はありません」

「そう、ですか……。良かったですね、オーラントさん」

「あ、あはは…… 全くです」

 覇気のない声を掛け合いながら、二人は内心、ひどく落胆した。
だが、それを顔に出さないようにしながら、ルーフェンは、レックを見つめた。

「クツララ草は、耐暑性に優れているようですが、暑いところなら、どこにでも生えているものなんですか? ノーラデュースだけではなくて、例えば、ココルネの森とか……」

 レックは、首を左右に振った。

「ココルネの森のような熱帯の地域には、背の高い木々が多く繁っています。クツララ草などの背の低い植物は、それらの陰に入ってしまって、日光を浴びられませんから、生えたとしても、すぐ枯れてしまうでしょう。そうすると、暑くて他に植物のない地域が良いということになりますから、クツララ草が群生しているのは、必然的に乾燥地帯ということになりますね」

「…………」

 言葉を失って、ルーフェンは、ただレックを見つめることしかできなかった。
その横で、今度はオーラントが口を開く。

「クツララ草の毒草っつーのは、なにか遺伝病に影響を与えるもんなんですかね?」

 それに対しても、レックはあっさりと首を振った。

「いいえ、違います。クツララ草の毒素は、単に肉体を構成する細胞を破壊したり、異様に増殖させたりするだけです。根本的な遺伝子に異常を起こして、それを次世代に伝えてしまう遺伝病とは、全く違うものです」

「あー、なるほど……」

 オーラントは、前髪を邪魔そうに掻き上げて、苦々しく返事をした。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.89 )
日時: 2016/03/23 10:59
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: 4mXaqJWJ)


 ルーフェンは、微かに口を開けたまま、ぼんやりと手に持った図鑑を見た。
かなり確信に近いものを持って、クツララ草の話をレックにしたというのに、まさか、リオット病とは何の関係もなかったとは。

 まだどこか、気づくべきことがあるかもしれないと考えたが、人体に影響がなく、遺伝子にも関係なく、ココルネにも群生していないとなれば、クツララ草は完全に白だ。

 折角、核心を突けたと思ったのに。
まるで振り出しに戻ってしまったかのような絶望感が、ルーフェンの胸を覆った。

 ルーフェンは、呆然としたまま、尋ねた。

「あと、もう一つ聞きたいんですが……レックさんは、リオット族に関する書物を、持っていませんか?」

 どうせ、図書室にある文献はほぼ読み尽くしてしまったのだ。
戻っても、このお手上げ状態から脱せるとは思えない。
それならせめて、レックから新たな情報源を得ようと考えて、ルーフェンはそう言った。

 すると、レックが瞠目した。

「……そんなもの、どうするんです?」

 先程までの穏やかな声音とは一変、少し警戒の色を混ぜた声で、レックが聞き返す。
ルーフェンは、それを聞いた途端、しまった、と思った。

 ついクツララ草のことに気をとられてしまっていたが、レックには、南方に興味が湧いた、としか言っていないのだ。
かつて、サミルとリオット族に関わっていたであろうレックからすれば、ルーフェンの今の発言は、聞き捨てならない言葉だったに違いない。

 急いで言い訳を考えていると、ふと、オーラントが口を開いた。

「俺がリオット族について、次期召喚師様にお話ししたのですよ。そうしたら、遺伝病の治療なんてすごいって仰るもんで、もっと詳しく教えて差し上げたかったんですが、ほら、俺ぁ、ただの魔導師ですからね。医療魔術の知識なんてちんぷんかんぷんなものですから、それなら、ついでにレック先生にお聞きすればいいでしょう、ってことになりまして」

 オーラントが、ほとんど真実に近いようなことを言い始めたので、一瞬肝を冷やしたが、物は言い様である。
単純に、遺伝病の治療に感動したルーフェンが、もっと知りたいとせがんでいるだけだ、他に裏などない、としか感じられない口ぶりで、オーラントは言ってのけた。

 すると、レックはつかの間、疑わしげにルーフェンを見ていたが、やがて、警戒を解いたようで、少し待つように二人に言い残すと、一冊の本を隣の部屋から持って帰ってきた。
そして、それをルーフェンに手渡すと、言った。

「……今はリオット族について調べる者などおりませんし、ノーラデュースに関しては、何も分かりません。しかし、実は私は、まだ研究員だった頃。ココルネの森で、南方で発生する病について、調べていたのです。それは、その時のことを書いたものです」

 片手では持てないくらい、重量感のあるその本には、レックの言う通り、ココルネの森に棲む原住民の様子や、そこで発生した病の記録などが、事細かに記されていた。
そこにはもちろん、リオット族も含まれている。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.90 )
日時: 2016/03/26 01:54
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: HPUPQ/yK)


 図書室の医学書とは比べ物にならないくらいの内容に、ルーフェンは、言葉もなく頁を捲った。
だが、ふと手を止めると、その頁をじっと見つめた。

「これは……」

 ごくり、と息をのんで、目を見開く。
そこに描かれていたのは、ココルネの森における、リオット病の分布図であった。

 すぐそばで、レックが口を開く。

「他の原住民にも、リオット病が発症しないか、観察していたものです。……結局リオット病は、リオット族にしか発症していませんでしたが……」
 
 ココルネの地図の、より森が深い位置を中心に数ヶ所、赤く塗り潰されているところがある。
ここが、リオット族の生息地であり、リオット病が観測される唯一の場所だったのだろう。

 オーラントが、驚いたように声をあげた。

「発症するかどうか観察って……まさか、リオット族に接触して確認したんですか?」

「いいえ、まさか!」

 レックは、手を顔の前で振って、否定の意を表した。

「そんな危険なこと、しません。リオット族以外の原住民は皆、温厚な者たちばかりで、話せば集落にも引き入れてくれましたし、治療だって施せました。しかし、リオット族は、自分達の縄張りを荒らされることを、ひどく嫌います。そんな接触なんて、できるはずがありません……」

「じゃあ、どうやって発症したかどうか、確かめたんですか?」

 ルーフェンが聞くと、レックは目元を緩めた。

「いえ、そんなに難しいものではありません。単純に、見て確かめたのですよ。リオット病は、発症すれば著しい皮膚の変形が見られます。それが現れているかどうか見て、リオット族にどれくらいの発症者がいるのか、記録したんです。……その分布図を書いた頃には、もうリオット病にかかっていないリオット族など、いないように感じましたが……」

 ルーフェンは、納得したように頷いて、もう一度だけ、脳に焼き付けるようにその分布図を見ると、本を閉じて、レックに返した。

 本当は借りられたら良かったのだが、レックにとって、リオット族を研究したという過去は、あまり知られたくないものだろう。
あの野蛮なリオット族を救うために、遺伝病の治療法の確立に尽力したと言えば、やはり、世間的には良い顔をされない。

 別に、ルーフェンがこの本のことを周囲に言いふらすとは思っていないだろうが、あまり公にしたくない過去の産物を他人に貸すというのは、不安で仕方ないはずだ。

 現に、レックは、ココルネの森で研究をしたとは言ったが、リオット病の研究をしたとは言っていないし、遺伝病の治療法に関わったことも、隠そうとしているように見える。
そういったレックの心情を考えると、本を貸してほしいと頼むのは、躊躇われた。

 それにルーフェンは、一度見た内容はおおよそ暗記していられる自信があったし、分布図を持ち帰ったところで、事態が進展するとも思っていなかった。
どちらにせよ現状は、手詰まりなのである。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.91 )
日時: 2017/12/17 01:33
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)


 ルーフェンは、レックに礼を告げると、オーラントと共に研究室を出た。
そして、一階にある図書室の前まで戻ってくると、ふと、オーラントが立ち止まり、言った。

「あー、結局、なんも分からず終いでしたね。いい線いったと思ったんだけどなあ……」

 そう呟いて、ため息をこぼす。

「まあ、あとは明日にして、今日はひとまず休みましょうや。久々に頭使って疲れたし……あんたは、明日も図書室にいるんでしょう?」

「ええ、そうですね……」

 問うてきたオーラントに、ぼんやりとした様子で返事をすると、ルーフェンは、窓の外にある、うっすらと夕闇に浮かぶ月を見た。

 なぜ、リオット病の発症者は増加したのか。
条件の違う、ココルネとノーラデュースという土地で。
何が原因で、どうして。

 遺伝病の要因になるものといえば、例えば母体に、何かが紛れ込んで、その胎児の遺伝子に影響をもたらしたとき。
それがクツララ草の毒草だと思ったのに、それは違うという。

 では、他にどんな原因が考えられるだろう。
そもそもこの考え自体が、根本的に間違っているのだろうか。

 より強く、生き抜くための進化を──。
死を招く不利な遺伝子を、淘汰しようという自然選択を押さえつけてまで、何がリオット病の遺伝子を生き残らせているのか。
何が、何が──。

「おーい、聞いてます?」

 オーラントの声に、はっと我に返って、ルーフェンは顔をあげた。

「えっと……はい。何でしたっけ?」

 オーラントは、呆れたように肩をすくめると、がしがしと頭を掻いた。

「だから、あんたは明日も、図書室にいるんですか? って」

「ああ、います。もちろん。リオット病のことを解明できるまで、ずっと、図書室にいます」

 ルーフェンは、上の空といった様子でそれだけ告げると、口元に拳を当てたまま、図書室に入っていった。
 

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.92 )
日時: 2016/04/01 09:06
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: O/vit.nk)


 手元にある一本の蝋燭以外、図書室の壁に設置されている燭台の火を全て消すと、ルーフェンは、本棚に寄りかかってしゃがみこんだ。

 何か他の手がかりを探そうにも、これ以上、何を調べれば良いのか分からない。
ずっと、何百年もの間、どうしてリオット族は、リオット病に苦しめられているのか。

 クツララ草以外にも、何か遺伝子に影響を及ぼすような要因があるだろうか。
例えば病、寄生虫、薬物の副作用、その他の毒草。

(……いや、違う。どれも違う……)

 膝の間に顔を埋めて、強く拳を握る。

 病はそれらしいものなんてなかったし、寄生虫や毒草は、結局水分のあるところでないと生きられないから、ノーラデュースにはないはずである。
仮にあっても、リオット族のいる谷底にはないだろうし、クツララ草のような例外も当然あるが、ノーラデュースにあるような植物は、今度はココルネの森には生息していない。
薬物の副作用だって、そもそも自然の中で生きるリオット族が、薬なんてものを持っているわけがない。

 ノーラデュースとココルネの森、双方の土地で、リオット病の発症者は増えたのだ。
だとしたら、ノーラデュースにもあって、ココルネにもある何かが、原因となっているはずだ。
自然淘汰をも超越してしまうような、強力な何かが。

 ルーフェンは、脱力したようにその場に倒れこむと、ふうっと息を吐いた。

 何も分からないし、思い付かない。
リオット族を奈落の底から引き上げて、遺伝病の治療法の需要を再び高め、サミルの助けになろうと思ったのに。
サンレードの行き場を失った子供たちに、新しく居場所を用意しなければならないのに。

 このまま自分は、何もできないのだろうか。
仮にも、国の守護者として生まれたくせに、出来たことといえば人殺しだけだ。
ああ、なんて無力なのだろう。
そう思うと、胸の中に深い悲しみが広がった。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.93 )
日時: 2017/08/24 14:12
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

 そうして、ルーフェンは長い間、じっと横になって目を閉じていた。
辺りはしん、と静まり返っており、聞こえるのは、時折溶けて落ちる蝋の音だけである。

 しばらくは眠れなかったが、やっと意識がうとうとし始めた頃。
ふと、耳の横を不快な羽音がかすった。
なんとも力の抜けるような、か細い音である。

 ぞわっとして、ルーフェンが顔をあげると、枕にしていた腕の部分に、一匹の蚊が止まっていた。
蚊は、片方の手で追い払っても、ルーフェンの周りを飛び続けているようで、姿は見えないのに、ふとした瞬間に何度も耳元を通りすぎていく。

 それが煩わしくて、ルーフェンは少しの間、蚊がこちらに来ないように手を振っていたが、だんだん、それも面倒になってやめた。

 耳障りな羽音を聞きながら、ルーフェンは、一体どこから入ってきたのだろうか、と思った。
図書室は基本閉めきっているし、外に繋がっているような隙間もない。
考えられるとすれば、出入りするときに扉から一緒に入ってきたのだろうが、扉だって、そんな長時間開けていたわけではない。

 こんなところにはいないだろう、入れないだろうと思っている場所でも、蚊というのは、案外どこにでも出てくるのである。

(この感じ、なんか覚えあるな……)

 急に幼少の頃の記憶が甦ってきて、ルーフェンは、静かに目を閉じた。

 暑いときは特に、少しでも水場があれば虫というのは涌くもので、貧しいヘンリ村では、当然薬も袖の長い服も手に入ることなんて滅多になかったから、とにかく刺されまいと躍起になっていたものだ。
運が悪いと、蚊や蝿なんかは人間の身体にも卵を産み付けてくるし、そうなると、痒いとか痛いでは済まない。

 寝ているときに刺されては敵わないと思って、全身に布や藁を巻き付けて寝たとしても、結局翌朝には、どこかしら刺されていたりする。
本当に、油断も隙もないのだ。

 だから、どうしても我慢ならないときは、皮膚に泥を塗ったりして、対策をとっていた。
泥だって綺麗なものではないから、そうすると皮膚病になったりすることもあったけれど、泥は、乾くと固くなって、まるで鎧のように皮膚を守ってくれるのである。

(固くなって……?)

 不意に、何かが、頭の隅で引っ掛かったような気がした。