複雑・ファジー小説

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.97 )
日時: 2017/08/24 14:14
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: C8ORr2mn)

(皮膚の表面を、固く……防御するように……)

 その瞬間、はっと目を開けると、ルーフェンは積んであった本から、リオット病について書かれた本を素早く選び出した。
そして、その症状を説明した頁を開くと、蝋燭に近づけ、ゆっくりとそれを読み上げる。

「……症状としては、皮膚の硬化と、蛋白質異常による、全身の筋肉の異常発達、及び変形……。それに伴う、心肺機能の停止、そして死に至る……」

 皮膚の硬化──。
その言葉が、何度も頭で再生される。

 次いで、ルーフェンは別の本の山から医学書を引っ張り出すと、ガドリアに関する頁を開いた。

──ガドリアとは、ガドリア原虫をもつ刺し蝿に刺されることで感染する、感染症のことである。発症すると、短時間で全身に黄疸が生じ、数日後には多臓器不全に陥り早晩死する。ただし、黄疸が生じた際、早期に治療を施せば──……

 読みながら、ルーフェンの頭に、これまでの会話が思い起こされた。

──ココルネの森でガドリアが一時期流行ったのは知ってますけど、ノーラデュースは砂漠みたいなものでしょう。

──蝿っていうのは、どこにでも出てくるもんですからね。

──一度抗原を射っとけば、二度とかかりませんし、万が一かかっても飲み薬で治ります。露出を少なくすれば、刺し蝿にも刺されませんしね。

──リオット族は、自分達の縄張りを荒らされることを、ひどく嫌います。そんな接触なんて、できるはずがありません……。

 ルーフェンは、息を詰めたまま、目を見開いて、しばらく蝋燭の炎を凝視していた。

(……ココルネにあって、ノーラデュースにもあって、リオット族に接触しうる、何か……)

 もし、皮膚の硬化を起こすことで、リオット族たちが刺し蝿から身を守っていたのだとしたら。
リオット病よりも、ガドリアのほうが危険であると、遺伝子が判断していたのだとしたら。

 リオット病は、なにか負の要因によって増加していたのではない。
むしろ、進化したからこそ、増えていたのかもしれない。

 ルーフェンは、椅子にかけてあった上着を引ったくって起き上がると、すごい勢いで図書室を飛び出した。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.98 )
日時: 2016/04/13 17:38
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: DYDcOtQz)


  *  *  *


 翌朝、オーラントは再び図書室に向かった。
しかし、そこにルーフェンの姿はなく、代わりにあったのは、机に広げられた二冊の本だった。

 一冊は、ガドリアについての文献。
もう一冊は、本というよりは冊子に近いもので、中身を捲ってみると、そこには、南方におけるガドリアの有病率の分布が、地図上に描かれていた。
おそらく、かつてガドリアが大流行した時のものだろう。

 冊子に関しては、表紙に地下書庫の印が捺してあり、この図書室のものではないようだ。
こんなものが、一体どうしてあるのだろうと考えていると、扉の方から慌ただしい足音が聞こえてきて、オーラントは捲る手を止め、顔をあげた。

 それと同時に、ばん、と扉が乱雑に開かれる。
飛び込んできたルーフェンの顔は、疲労のせいか全体的に白かったが、走ってきた影響で頬の部分だけは赤みを帯びていた。

「おー、おはようございます。どうしたんです? そんなに慌てて」

 少々驚いた様子で尋ねたオーラントに、ルーフェンは、乱れた息を整えながら、言った。

「オーラントさん……ちょうど良いところに……」

 そして、抱えていた分厚い本を机の側まで持ってきて、どん、と置くと、オーラントに視線をやった。

「……分かったんです。ノーラデュースで、リオット病が再び増加し始めた理由が」

 オーラントは、ぎょっとして目を見開いた。

「なんだって? 本当か!」

「はい。これ、さっきレックさんからまた借りてきたんですけど……見てください」

 広げられた分厚い本の頁には、昨日、レックに見せてもらった、ココルネの森のリオット病の分布図があった。
やはり、森の深い部分を中心としたリオット族たちの生活圏にしか、リオット病は発症していない。

 ルーフェンは、続いて、オーラントの手元にある冊子の頁を捲り、ガドリアのココルネの森での分布図を指差した。

「こっちは一二○○年代後半のものなのですが……この分布図は、ガドリアが猛威を奮った際に、当時治療法を生み出すために南方に派遣されていた医術師団が、作成したものです。ガドリアは、全身に黄疸が生じますので、患っていればすぐに分かります。おそらく医師は、リオット病と同じように、リオット族の集落を目視してこの記録を付けたのでしょう。……この二つを見て、なにか気づきませんか?」

 オーラントは、ルーフェンの言う通り、リオット病とガドリアの分布図を交互に見比べた。
そして、はっと息を飲むと、まじまじとルーフェンの顔を見つめた。

「……リオット族の生活圏にだけ、全くガドリアが発生していない……!」

 ルーフェンは、無言で頷いた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.99 )
日時: 2016/04/17 21:16
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: OSKsdtHY)


「なんで、こんなことが……一二○○年代っつったら、ガドリアで南方の人口が半分以上減少したっていう年だぞ? それなのに、リオット族には一人も発症者が出てないなんて……」

 額に手を当て、信じられないものを見たといった様子で、オーラントが呟いた。

「はい。これは明らかに、偶然発症者が出なかったとは考えられませんよね。リオット族は、その肉体を以て……ちゃんと、ガドリアに抵抗性のある形質を持っていたんです」

「……えっと、つまり、どういうことです?」

「だから、その形質の正体こそが、リオット病だということです」

 オーラントは、眉をひそめた。

「じゃあ、リオット病を患っていたから、リオット族はガドリアに罹(かか)らなかったってことなんですか?」

 ルーフェンは、レックからの文献の頁を、分布図からリオット病の症状について説明された頁に変えると、そこをオーラントに見せた。

「はい、その通りです。ガドリアは、ガドリア原虫をもつ刺し蝿に刺されることで、発症する病です。でも、この刺し蝿は、リオット病によって硬化したリオット族の皮膚を、刺すことは出来なかったんです」

 ルーフェンは、オーラントから本へと視線を移すと、続けた。

「ずっと、不思議に思っていました。何故、生存に不利なリオット病の遺伝子が、自然選択されず、残り続けるのか。残るどころか、増え続けるのか……。俺は最初は、その原因は、何か自然的な負の要因のせいだと思っていたんです。例えばクツララ草の根の毒や、何らかの寄生虫、病……それらを摂取してしまって、その結果、本来淘汰されるべき遺伝子が増殖しているのだと」

 再びオーラントを見つめて、ルーフェンは言った。

「でも、その考えこそが、根本的に間違っていました。リオット病の遺伝子は、淘汰されるべき遺伝子なんかじゃなかった。むしろガドリアの猛威から逃れ、生き残るために選ばれた、進化の産物……つまりは、リオット病の症状に、それ以上の優位性があることを示唆していたんです」

 ルーフェンは一息ついて、落ち着いたように身を戻した。

「……最初はもしかしたら、ただの突然変異だったのかもしれません。しかし、ある日突如現れたリオット病の遺伝子は、ガドリアという病に対抗しうる力を持っていた。だから、ココルネの森で、リオット病の発症者は徐々に増えていったんでしょう。そして、遺伝病の治療法が生まれ、かつガドリア原虫の存在しないシュベルテでは、一時的にその増加は止まったものの、ノーラデュースに押し込められて、再びリオット病の発症者は増加し始めた。ノーラデュースにいれば、ガドリアに罹る危険性がまた出てくるからです。他とは決して関係を持たないリオット族は、薬を手に入れることはもちろん、ガドリアに対して何か対策をとる裕福さなんてものは、当然ありません。だから、自分の身体を使って、ガドリアへの抵抗性を身に付けていくしかなかった。これが、全貌です」

 ルーフェンが言い終えると、オーラントが、微かに眉をひそめた。

「確かに、リオット族がガドリアに罹っていないのは事実だし、リオット病がそのために発現したというのも頷けます。ですが、リオット病だって、最終的には死に至るような恐ろしい病気ですよ? それが、進化した結果だっていうんですか?」

 ルーフェンは、目を伏せて答えた。

「それは……進化しすぎてしまったが故なんです。免疫が行きすぎれば、過剰な拒絶反応に繋がって、己の身体にも害を成してしまうように。刺し蝿から身を守るため、皮膚の硬化を起こした結果、全身に蛋白質異常が生じ、皮膚だけでなく筋肉にまで妙な発達や変形が起こってしまった。筋肉に異常が生じれば、必然的に臓器にも影響が出ます。その末に心肺機能が停止、死に至るような重病に発展してしまったのでしょう」

 ルーフェンはそう言って、開いていた文献を、ぱたりと閉じた。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.100 )
日時: 2016/06/30 13:29
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: q6B8cvef)

 昨晩、図書室に入った蚊を見て、これらのことを閃いたルーフェンは、まず、ガドリアの分布図を探しに出た。
これで、リオット族の生息地でガドリアが発生していないことを確認できれば、ルーフェンの推測は、確証に変わるからである。

 図書室にはそれらしき文献はなかったし、病の分布図なんてものを、人の手が入っていない南の土地で作成するのは困難だが、ガドリアは、その病症の恐ろしさ故に研究者は多かったから、必ずどこかにあると思った。

 しかし、再びレックに話を聞こうと、宮廷医師たちの研究室まで行って、ルーフェンは、時刻が真夜中であることを思い出した。
起きているのは衛兵くらいだし、こんな時間に、レックを叩き起こすというのも忍びない。
だが、この思い付きの真偽を確かめないまま、戻って就寝することなど、できる気がしなかった。

 ルーフェンは、この際、製本ではなく記録でも良いといった気持ちで、一か八か、地下書庫へと向かった。
地下書庫は、一般には出回らないような研究論文や、歴史的な記録などが書類として保管されている場所である。
基本的に、事務を取り仕切る重役、あるいはその重役から許可を得た者しか立ち入ってはならない場所なのだが、ルーフェンは、重役以上の地位なら良いだろうと自己解釈して、地下書庫に侵入した。

 整理されているとはいえ、膨大な書物の中からガドリアの分布図を見つけるのは、かなり骨の折れる作業であった。
けれど、確実に見つかるという保証がなくとも、とにかくじっとはしていられないという衝動に突き動かされて、ルーフェンは一晩中書庫内を探し続けた。
すると、運はルーフェンの味方だったらしい。
明け方ごろ、ついにガドリアの分布図を発見したのである。
南方におけるガドリアの、有病率に関する歴史書の一部として。

 ガドリアの分布図は、ルーフェンの予想通り、見事なまでに、記憶の中のリオット病の分布図と、相反していた。
すなわち、リオット病の発症する場所──リオット族の生活圏には、ガドリアが一切発生していなかったのである。

 ルーフェンは、しばらくの間、息をするのも忘れて、ガドリアの分布図が載った冊子を見つめていた。
だが、やがて、改めて推測が確証に変わったのだと分かると、全身が熱くなって、ついにやったのだという思いが、身体中を突き抜けた。

 ルーフェンは、その興奮が冷めぬ内に、一度冊子を図書室の机に置いて、夜が完全に明けきるのを待ってから、レックの研究室に行った。
そして、あのリオット病に関する文献を、ほんの数時間で良いからと約束して、借りた。
いくらなんでも、比較材料の一つであるリオット病の分布図が、いつまでもルーフェンの記憶の中のものというわけにはいかないからだ。

 そうして、再び図書室に戻ったとき。
その場にオーラントがいたのである。

Re: 〜闇の系譜〜(サーフェリア編) ( No.101 )
日時: 2016/04/29 14:25
名前: 銀竹 ◆4K2rIREHbE (ID: AtgNBmF5)


 食い入るようにルーフェンの話を聞いていたオーラントは、ふと、顔をしかめた。

「……ん? 話は分かったが、待て。あんた、地下書庫に無断で侵入したんですか?」

 ルーフェンは、一瞬ばつの悪そうな表情を浮かべた。

「前に、ガラドさんが入るところを見ていましたから、解錠の術式も覚えていたもので。……大丈夫ですよ、あとでこっそり戻せば、誰も気づきません」

 反省の色を全く見せず、地下書庫の冊子を振って見せる。
オーラントは、それに対して、呆れたように大きくため息をついた。
しかし、すぐにおかしそうに苦笑を浮かべると、肩をすくめた。

「全く、あんたという人は、移動陣のこともそうですけど、色々とやらかしてくれる……」

 くつくつと笑って、ルーフェンを見る。

 ルーフェンは、てっきり規則違反をしたことに文句を言われると思ったのだが、オーラントの表情には、非難どころか、感嘆の色が浮かんでいた。
 
「本当に、色々とやらかしてくれますね……」

 面白いじゃないですか、と付け加えて、口角を上げる。
すると、ルーフェンは、一瞬呆けた様子でオーラントを見ていたが、やがて、いたずらっぽく笑みを返した。



 多くの者が、遺伝病の治療法がでたらめだったのだと信じて、触れようとしなかったリオット族を巡る真実。
それを明かしてしまったこの少年なら、歴史の一つや二つ、動かしてしまうかもしれない。
オーラントはこの時、そう思った。

──もう一度、リオット族の納得する形で、彼らに王都に戻ってきてもらいます。

 そう言ったルーフェンの言葉が、頭に甦る。

 彼がやろうとしていることは、誰一人としてやったことなどなく、やろうともしないことだ。
だが、もしこの言葉が本当に実現するのだとしたら、ルーフェンの名は、瞬く間にサーフェリア中に伝わることになるだろう。

(……俺は今、何かとんでもないもんの、一端を目の前に見ているのかもしれないな……)

 オーラントは、停滞していた何かが、突如音をたてて流れ始めたのを感じながら、再びルーフェンを見つめた。

 
To be continued....