複雑・ファジー小説

Re: 落ちこぼれグリモワール ( No.10 )
日時: 2014/12/13 08:59
名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: b/Lemeyt)

 無事家に到着し、一息吐く。荷物を玄関辺りに置いて、ネクタイに手をかける。
 慣れないネクタイによる拘束を解き、次に制服へ手をかける頃には既に自室の前にいた。
 扉を開き、制服をかける。ネクタイは机の上に放り出して、ベッドの上へダイブした。ぼふっ、と柔らかめのベッドが俺の身を包む。

「はぁー……」

 長いため息は、今日一日のことを振り返るのに十分なほど、頭の中に今日の出来事を駆け巡らせた。
 現実は、現実だ。これから普通科の生徒として過ごしていく。そのことに対して、今更何も思わない。仕方ないことだ、力がないのだから。
 それはいいんだけど、ただ一つ。

「燐、か……」

 仰向けになり、天井を見つめながら少女の名を呟いた。
 まだ夕暮れの刻、少女の涙を見たのはとても久しぶりのことだった。

『私、もう泣かないもん! 咲耶みたいに、強く——!』

「……ははっ、何を思い出してんだろ、俺」

 急に浮かんだ"昔の記憶"が蘇る。涙を浮かべながら、小さな彼女はぐっと我慢しているような表情で小さな俺に言うのだ。
 つい苦笑してしまうほど、小さな彼女は涙で可愛らしい顔が台無しだった。顔も真っ赤になって必死に俺に言ってきたのを覚えている。
 それからだ。それから、俺は——

「いっ……!」

 鋭い痛みが胸の辺りに響く。過去のことを思い出すと、たまに出る"昔の傷跡"。もう完治したはずなのに、今でもこの痛みは襲ってくる。

「あぁ、ここらへん曖昧なんだよな……」

 胸をトン、と軽く叩いて、鋭い痛みの原因に言うかのように呟いた。
 幼い頃の記憶はあるにはあるんだけど、この痛みはどうして起きたか。どうして泣いている少女を見ながら俺は"血だらけで倒れているのか"。肝心なことが思い出せない。
 昔に、何かあったはずだ。けれど、それを家族も燐もひた隠す。どうしてなのかは分からないけれど、燐はそれ以来修行に励むようになり、今では佐上家の中でも随一と呼ばれるほどの魔技の使い手となった。

 幼い頃から一緒だからよく知っている。それは間違いないと思うけれど、抜けている部分がそれを不安にさせる。
 もしかすると、今の燐は俺の知っている燐ではないのではないか。過去の出来事で、燐は変わってしまったのではないか。
 泣き虫だったはずの幼い彼女と、今の強い彼女は、どうにも矛盾しているように感じる。

 それが、今日見せた"彼女の涙"——"今の燐"じゃなくて、失われた"昔の燐"の姿のように感じて。

「あーもう……」

 考えても分からん。何も見たくないから、自分の右腕で瞼を隠す。一瞬にして夕暮れに染まった室内が暗転する。
 燐は、俺に少なからず負い目を感じている。魔法学園に共に入学したのはいいが、俺が普通科で、燐だけが魔法科だというのが彼女の負い目なのではないか。
 俺が、あまりに気を遣う。そう思っているんじゃないか。優秀な燐と、落ちこぼれの俺。いつからこの関係になってしまったのか。

「わかんねぇよ……」

 一言、小さく呟いて次第に睡魔が俺の思考を奪い去っていった。


————


「……ん? ここどこ?」

 暗闇の中で、"私"は思った。
 私は今どこにいるの、と誰に問いかけても返ってこなさそうな暗闇の中で、私は起きた。
 え、ちょっと待って。本当にここどこなんだろう。ていうか、"私って誰だっけ"。
 思い出せない……どうしてだろう。そもそも、私って何なのか、どういう存在なのかも分からない、思い出せない。この暗闇から抜け出せたら、分かるのかな。
 と、思っていたその瞬間、私の目の前が一瞬にして光に包まれる。

「え、ちょ——!」

 何が起きたの、かと思ったら。突然目の前に——人の顔があった。

『一体これは……』

 何、何なにナニ、なんなの!?
 見たところ、男。え、あれ、えーと、人間……私も人間? 何かよくよく分からなくなってきたけど、とりあえず言えるのは、この"超巨大な人間"に私は"持ち上げられている"ということ。
 本当に摘んでるような感じじゃん! むかつく!
 話しかけてみようかな、とか思った矢先、

『——ッ!』

 この男の子は驚いたような顔をして、私を移動させ、そしてまた暗転。

「って、ざっけんな! また暗闇に逆戻りじゃない!」

 何かよく分からないけど、男の子の"どこか"に入れられたっぽい。
 そこで分かったことなんだけど、私は少なからず"人間じゃない"。どうやら、何かの"モノ"の中にいるらしい。でもって、それは人間からすると小さいもの。ということは、この男の子は普通の人間? 私が小さいからか。決して男の子は超巨大な人間ってわけでもない?

「ううん、そう決め付けるのまだ早……って、どうして私こんなに頭冴えてきてるんだろ。ていうか、何だろ、人間じゃないのに……うん? 人間なのかな、私。どうしてこんな知識……」

 自分が何も分からず、自分自身のことについての疑問と、色んな物事を推測できたこの頭脳に驚く。そして自分の置かれている立場と現状を改めて見つめなおしてみる。

「私が出来ることっていったら……今は、私を持ってるこの男の子に干渉することしか出来ないよね」

 そう分析して、私はとりあえずこの男の子にコンタクトをとれるように色々試して見ることにした。


————


 目が覚める。自分が今更寝てしまっていたんだと理解するのに時間が多少かかった。周りは既に暗いため月の光だけが俺の部屋を照らしている。
 カーテンを閉めてから電気を付け、それからまたベッドへ転がることにした。

「あー……何もやる気起こらねぇ……」

 ごろごろとベッドの上でやっていると、不意に気付く。ポケットの辺りに違和感があることに。

「何だ……?」

 取り出すと、それは青い結晶だった。これは、と思い返すこと数秒。

「あっ!! これ戻すの忘れてた!!」

 しまった、と俺は焦った。あそこには二度と入ってはいけないと言われたし、何にせよこれって付属品みたいなもので、これがなければテレス・アーカイヴの"グリモワール"という本は読めないのではないか、と思った。
 魔学書の中にはいくつか種類があり、その中には機密事項ともいえるほど重大な魔学が含められているものもあるため、付属品であるモノを使わなければ内容が読めなくなっているものもある。
 これはその一種なのではないか、と思うと眠気もだるさも全て吹っ飛ぶぐらいの焦りが生じてきた。

「あぁ、どうしよ……? あの扉の前で待ち続けていたら紅さんたち来てくれるかな……? でも、あそこには近づくなって言われたし、見つかったらいいわけする前に紅さんに殺されそうな気がしないでも……」

 どう考えても悪い方向にしかいかないような気がする。落ち着け、俺。とりあえず明日……そうだ、燐に相談……は出来ないか。またあいつの苦労を増やすのも嫌だしな。
 冷静に、とりあえずこれは机の上において……何か気分転換でもしよう、うん。

「気分転換といえば……これか」

 机の引き出しから一冊の本を取り出す。名も何もない、俺だけの、そうこれは……"魔法書グリモワール"。
 俺の隠れた"趣味"にあたるのだが、魔法書——つまり、魔術式を構成し、本に書き残すことが俺の趣味だ。
 魔術式っていうのは、魔法を発動するに必要な"詠唱"の部分にあたるものだけど、詠唱の場合は頭の中で構成してから言い切らないと発動しないのに対し、魔術式は"文字スペルを記すことによって魔法を発動する"ものだ。
 簡単に言えば、魔法というのは魔力が必要で、魔力だけあってもそれを構成するために魔術式、そして具現化するために媒介が必要ってわけだ。

 例えば、例の氷天斬戟(笑)は魔力を発し、それに応じて魔術式を開放させ、媒介であるナイフにそれを纏わせて攻撃したってことになる。

 魔術式っていうのはいわゆる自分なりの構成に当たるもので、どういった魔法を使うか、その用途や目的、構成など魔法を具現化する過程の中で最も重要なものを扱っている。
 ただ、俺の場合はそれを独学で作っている為、他人のそれを教えるどころか、自分が使えないのに公表さえしない。何せ、魔法が使えないというのは根本的に魔力がないことなのに、そんな俺が魔術式を書いているだなんて知れたら、笑い者になるに違いない。
 
 そんなわけで、気分を変えたいとか思った時は趣味である魔術式を本に記して、自分なりの魔法書を作ろうとしているってわけだ。——自分で使えないけどな。

「それでもまあ、気晴らしにはもってこいだ……っと、おお、後もうちょっとで完成じゃん!」

 ずらずらと緻密に書いてきた自分の魔術式を見つめながら、俺は感嘆する。ペンを持って、新しい魔法を書くか、と思いつつ、そういえばこの間、と思い返した。

「元ある場所に戻す、みたいな内容の魔術式を書いたよな……」

 使えないけど、そんな高等っぽい魔術式を書いた気がする。スペルの組み合わせと構成、その他用途等の為に用いる"術字"が並ぶページを開く。

「あ、あった。これだ」

 発見し、それを見つめる。魔法が使えたら、この水晶を元の場所に戻せるんじゃないか、と考えが過ぎる。
 普通に返しにいったら、もしかするとこの水晶はとんでもない代物で、退学って道もなくはない。考えすぎかもしれないけど、俺にはこの水晶がどういったものか分からないからこそ不安なわけだ。

「ま、どうせ使えないし……やってみるか」

 自分に皮肉を言うように、魔法書を持って、唱えてみることにした。
 これでもし魔法が発動したら——とか、そんなわけないのに思ってみたりする。んなわけない、と苦笑を浮かばせた。

「えー……ゴホン」

 さて、記念ある100番目の魔法、落ちこぼれが記した"魔法書"の力をみよ! ——なんつってな。

「魔術式、第百番を開放する……!」

 とか、かっこつけて言ってみて——
 ブゥゥン! ……とかって、見たことある輪が出てくるとは、全く予想できるわけなかった。

「え、ちょ、嘘だろ……ッ!?」

 待て待て待て、何が起きてる。俺の全体をメビウスの輪のようなものが渦巻き、全身が風で包まれているような感覚。俺の魔法書が虚空に浮いて、色んな風が全身をこれでもかと吹きまわす。
 魔法を使うって、こんな——いや、この感覚。俺は——

「初めてじゃ……ッ!?」

 途端、まぶしい光が俺を覆い被さり、全身を包み込んでいく。
 そして、俺の目の前は真っ白になった。


————


 何度か色んなことを試してみて、分かったことがある。
 この暗闇の空間は、恐らく限りはない。ループしているということ。どこにいったとしても、恐らく"画面"は変わらない。
 "画面"というのは、外の景色が見えるもの。男の子が見えたように、ここを通して外の景色を見ることが出来る。
 そして、私自身は意思はあっても"肉体は存在していない"ということ。どういうわけか、私は自分を認識できない。ただ、意思は存在していて、こうして考えることも出来るし、意思という不安定な状態で彷徨うことが出来る。

 そして、何度試しても無理だったのが、こちらから外側への干渉だ。

 そもそも肉体がない意思だけなのに何がどう出来るわけでもなく、私が行動を起こすというより外からの行動に委ねるしかないということだ。

「あーあ……えらいところで目覚めたものね」

 と、自分の状況に落胆する。
 どれぐらいの時間が経過したのか分からないし、そもそも何の感覚もないから状況が把握できない。
 せめて、あの男の子が何かアクションを起こしてくれれば——話は別なのだけれど。

「そんな上手いこといくわけ……」

 その時、景色がまたもや一転する。
 光に包まれて、画面に映ったのは、またしてもあの男の子。
 私を見つめてから、数秒、みるみる内に顔が青ざめていき、どうしようどうしようと焦って何やらぶつぶつと呟きだした。

「この人……情緒不安定なのかな」

 心配になってきた。仮にも、この男の子しか状況打開の頼みの綱がないなんて。
 どういう理由でこうなったのか分からないが、今の自分の状況にただ情けないと思う。
 そうしているうちに、男の子は冷静になったらしく、私をどこかの上に置くと、その近くの椅子に腰をかけた。

「何か色々置いてある……でも、何だか興味深い本ばかりあるような……」

 と、思っていると、男の子は私と本を交互に見つめだし、そして何を思ったか本を片手に立ち上がった。

「うん? 一体何をする気なんだろう?」

 興味深く男の子の様子を見ていると

『魔術式、第百番を開放する……!』

 とか言い出した。
 何を言っているんだろう、とか思っていたけれど、その瞬間。
 本当に一瞬のことで戸惑いも感じなかったけれど、私の中に何かが芽生えてくるような気がして。
 気付けば私は肉体を持ち、そしてとんでもない量の力を蓄えたと同時に少し自分のことを思い出した。

「あぁ、私は——」

 そこから先は、光に包まれて、意識が途絶えた。


————


「う……」

 気付けば、自分の部屋の床で倒れていた。何をしてたんだっけ、と頭の痛みが思い出すのを邪魔してくる。
 手元に俺の魔法書が転がっているのを見つける。あぁ、そうか。魔法を唱えてみたんだっけ。それで……発動した?
 キョロキョロと床を確認すると、水晶は落ちていた。ははっ、やっぱりそんなわけないか。魔法なんて発動するわけないし。

「ま、全部夢か……でも、魔法を使える感覚を味わえただけでも、まだラッキ……ぃ?」

 むにっ、と何か柔らかいものが俺の手元を刺激した。
 落ち着いたところで、手を床に伸ばしてため息したつもりが、手は冷たくて固い床ではなくて、なにやら柔らかい、それも暖かい感触が伝わってきたのである。

「……えーと?」

 これは、一体なんだと、俺の手はわきわきと動く。
 むにゅむにゅとそれは動いて、それから。

「……why?」

 後ろを振り返ると、そこには——

「う、うぅん……」

 女の子が、寝ていた。

「え、ええ……? ……えええええええええ!!?」

 俺は驚きのあまり、大声をあげて飛びのき、ベッドの上に乗って女の子から遠ざかる。

「なな、なな……なんで!?」

 指をさして、女の子の存在を有り得ないものと思う。いや、そりゃそうだろ。そりゃそうでしょうよ。何で俺の部屋に女の子がいるんだよ! 連れ込んだりしてないぞ! あ、もしかしてこの頭の痛いのは酒に酔ったからで、それで女の子を連れ込んであんなこんな——

「それも何でほぼ全裸なんだよばかやろおおおお!!」

 といいつつ、目を瞑りながら手元近くにあった布団を女の子に投げつける。

「むぁっ!」
「ひぃっ!!」

 女の子の声と俺の声が続けて発せられ、どうやら女の子はお目覚めのようです。目を開けてゆっくりと起き上がり、俺にその特徴的な紅い瞳を見せた。
 目が合う。気まずい。ていうか、これどういう状況ですか。どういうことなんですか。誰か説明してくれよ、おい。
 女の子は少しの間俺の引きつった表情と顔を合わせて、数秒後。

「あ! 君かぁっ!!」
「え!! ごめんなさい、俺何かしましたか!?」
「わ、声出せる! やっと喋れたよー」
「え、まさかの睡眠プレイ……え、いや、ごめんなさい!!」
「謝らなくていいよ! でも、もう少し早めにしてくれたら良かったかなぁ」
「いやそんな! 俺早漏ですしおすし!!」

 いや、何を言ってんだ俺は。こんなこと、燐に聞かれたらなんていわれるか分かったもんじゃない。
 ていうか、それよりもな、この銀髪少女は一体、誰なんだ。

「あの……貴方は、一体、誰なんでしょうか……」
「え? 私?」
「あ、はい……」

 それから、少しの間があって。お互いに緊張感が奔る中、少女の愛らしい瞳が瞬きして、それから。

「ああ!」
「うぉぅっ!」

 急に言葉を発さないでくれ。心臓に悪いから。
 それから少女は勢いよく立ち上が——っちょ、見えてるって、貴方ほぼってか全裸だから!!

「ふふん、私の名前、思い出したんだよ!」
「そ、そうですか!! それは良かったんですけど貴方は全——」
「私はテレス・アーカイヴだよ!」
「いや、テレス・アーカイヴさんだか何だか知りませんけど——って、え……?」

 思わず、背けた顔を、見ないようにしていた少女の姿を、見てしまった。
 銀髪に、澄んだ黒い瞳。背は全然低めで、それでもベッドに倒れこんだ俺に向けて"無い胸"を張って仁王立ちで名乗ってきたのだ。

「テレス・アーカイヴ……?」

 彼女が口にしたのは、俺が最も尊敬する偉大な魔術師の名前だった。





第1話:落ちこぼれの出会い(完)