複雑・ファジー小説
- Re: 落ちこぼれグリモワール ( No.27 )
- 日時: 2015/01/21 21:19
- 名前: 遮犬 ◆ZdfFLHq5Yk (ID: MDTVtle4)
- 参照: 安定しない更新ですみません……。
「うおおおお!!」
刃に変形させた左腕を大きく振り上げ、熊に目掛けて威勢よく振り下ろそうとする古谷だったが、熊は意外にも機敏な動きでそれを避けたり鋭い爪で防ぐなどして難なくあしらっていた。
「くっ……! このままじゃ埒があかない……!」
何度目かの斬り込みを繰り返して息もあがってきている。左腕を変形して使うことにまだ慣れていない上に実戦として使うのはこれが初めてのこと。ましてや左腕が魔装篭手になってから日も浅い為、自身の限界や戦い方さえも分からずに苦労していた。
一向に隙を見せることのない熊のみーちゃんは息を荒げることもなく、冷静にその豪腕と鋭い爪で古谷の身体を引き裂こうとしてくる。まさに野生そのもの。そこに"手加減"という言葉は存在しない。本当に殺す気でこの熊は襲いかかってきているのだ。
「グォオオオッ!!」
もう何度目の雄たけびだろうか。距離をとれば熊の方から古谷に向かって突進してくる。それを何とか避けるも、限界がいずれ来ることは分かっていた。無尽蔵並みのスタミナを誇る相手の熊とは違って、古谷は今まで特に自ら運動をしてきたことはない。左腕の恩恵が少々あるらしいが、身体能力を向上したといっても基本的な体力は平凡並み、もしくはそれ以下である。すぐに限界が来るのは必然だった。
「うっ……!」
左腕の刃で何とか爪の攻撃を受け流し、その反動で少し後ろに下がる。だが、そこからもう片方の腕が既に古谷を捉えようとしていた。
勢いは十分。古谷にまともに直撃すれば首から上が飛ぶ。その刹那、何とか身を捩じらせて爪を避けるが、頬を掠り、じわりと赤い一閃の切り傷が浮かんだ。
じわりじわりと流れようとする血の勢い。痛みは勿論感じるが、その痛みよりも、殺されるかもしれないという恐怖と興奮が古谷の全身を覆い尽くしていた。
「こんなところで……! 死ねるかぁっ!」
ウィィンッ、と小さく起動音のようなものが古谷を中心に響く。その発生源は、左腕の魔装篭手からだった。
瞬く間に換装されていき、形は銃のようなもの。遠距離から攻撃することを目的とした武器を目の前の標的目掛けて構える。
小さく緑色の光を帯びたと思いきや、魔術式が発動した特有のメビウスの輪のようなものが浮かびあがり、何度かそれが銃身から銃口に向けて流れると銃口から緑色の球体が生まれ、膨らんでいく。古谷の周りは自然と突風が吹き荒れ、銃口から膨らんだ球体によってその風は強さを増していく。
初めて放った時とは比べ物にならないぐらい集中して込めた"風の弾丸"は標的を狙い続ける。標的となった熊はそれに臆することなく雄たけびを再び、そして古谷に向かって飛び込んだ。
集中した神経が一心に標的の熊に注がれ、熊の刃が古谷に届くよりも先に銃口から弾丸が発射された。
「喰らえっ!!」
風が吹き荒れ、緑色の球体は熊の腹部へ激突したと思いきや、そのまま回転数が更に上がり、グルグルと何度も球体は高速回転を繰り返してそのまま胴体ごと持っていく。海老反りのようになった熊は本棚に激突したことで吹き飛ぶことは避けられたが、衝撃が逃げる場所を失い、そのまま腹部で風の球体が破裂する。
抉るようにして螺旋状に球体が腹部にねじ込まれ、鋭く、深く。勢いがなくなった後、その反動のように突風が古谷の方に目掛けて一斉に吹き荒れ、撃ち終えたばかりの古谷はそのまま地面に倒れ込んでしまった。
「や、やったか……?」
小さく呟き、煙と未だ少しの風が吹くその中、熊の姿は——
「そんな……」
立ち上がっていた。腹部に螺旋状に抉れたような痕があるが、血は一切出ておらず、ダメージはないわけではないが熊は確かに立っていた。
そして、変わりがあるとすれば。熊は先ほどとは様子が違い、立ち上がったまま——殺気を感じさせた。
今までも殺気は十分にあった。しかし、これほどまでにこの熊が"殺す"ということに執着した様子は今までかれこれどのぐらいの時間戦っていたのか分からないが、感じたことはなかった。
そう、つまり。今の古谷の一撃で、"キレた"のである。
「グォォオオオッ!!」
尋常ではない殺気と、怒りに満ちたその表情。何よりも、先ほどまでとは違うこの熊の動きの速さに古谷は心底身震いをした。
殺される。そう思った。このままではやばい。しかし、どうすればいいのか。自分は渾身の一撃を放ったつもりだ。それでも勝てない。立ち上がる。絶望的なまでの殺気を帯びた勝てない相手。
——あの時と一緒だった。
尋常ではない速度で古谷を捉え、そして。
「邪魔ですわ」
たった一言。特徴的な声と共に熊が古谷の前から姿を消した。いや、消したのではない。代わりに現れた長く細い華奢な足が熊を"蹴り飛ばした"のだ。
熊はその蹴り一つで地面を転げ、そのまま机へ激突していった。
「あ、貴方は……?」
「ふぅ、何やらまた変なことをやっていますのね」
古谷の言葉に答えず、その女性はそう答えた。大人の女性を醸し出す雰囲気に、ゴスロリともいえるようなその容姿は絶妙にマッチしているようでしていない。しかしそんなことよりも、あれほど脅威だった熊が"たった蹴り一つ"で吹き飛ばされる現実が信じられない。
「待たせたな、古谷!」
そしてついでのように現れる俺のことも信じられない、というような顔で古谷は見てきたわけだが。
—————
魔法書を取りに戻った俺は突然の大人な雰囲気を醸し出す女性に案内を頼んだおかげでようやく手に入れたと思いきや、肝心の古谷の場所が分からない。何せがむしゃらに逃げ回っていたのでどこの方角に行ったかさえも覚えていなかった。
「どうしよう……」
「あら? どうかしまして?」
「いや、えーと……今非常に友人が危ない目に逢っているわけなんですけども、その場所が分からなくてですね」
「友人、といいますと……もう一人、貴方の他に確かにいますわね、一人。そして一匹」
「え、分かるんですか!?」
「ええ、勿論。"探知"はわたくしの得意な魔法の一つですわ」
この人すげぇ、と思ったと共にやっぱり普通にこの人も魔法が使えるんだな、とも思った。
「連れて行ってくれませんか!?」
と、いうわけで俺はこの女性のおかげで迷うことなく古谷の場所まで辿り着くことが出来たというわけだ。
「何というか、本当に君は何も活躍していないんだね……」
「そんな憐れんだような顔を向けるなよ……」
古谷の表情及び服装や頬の傷辺りからして相当頑張ってたんだなと思うと俺は……その場にいなくて良かった、と思ってしまうよね、やっぱり。
『外道だよ……』
普通そう思うって。お前までそういうことを言うんじゃないよ。
「それにいたしましても、何を蹴り飛ばしたかと思いきや紅様のみーちゃんではありませんか。ということは、貴方達は訓練途中でいらしたの?」
「え、えぇ、まあ、一応……。物凄い唐突に始まったんですけどね」
「それなら、わたくし手助けをしてしまったことになりましたわ。しかし……」
と、不意に彼女は俺と古谷の全身をジロジロと眺め始めた。な、何だいきなり。そんなに見られると照れるじゃないか。
「貴方達では、さすがに無理じゃないかしら? みーちゃんに殺されるのがオチではなくて?」
そして辛らつなコメントがきた。でも、薄々そんな感じはしていたが、やっぱりそうだよなぁ。
「見た目は熊ですが、実際の戦闘力は並の人間を圧倒いたしますし。紅様が鍛えているだけあって、非常に獰猛ですわ。それでも——」
「やるよ……。こんな訓練ぐらい、乗り越えられるぐらいじゃないと、魔人なんて到底太刀打ちできるわけもないしね」
女性の言葉を遮って古谷は言い切った。その熱意に変わりはない。対して俺は、
『咲は……どうしたいの?』
……急に、どうした。何でお前が出てくる。
『悩んでいるように見えたから……その……』
言いづらそうにしているテレスに対して、俺は少しの苛立ちを覚える。どうしてお前にそんなことを、という考えが浮かんでくる。
つい一昨日ぐらいに出会ったばかりだというのに、お前に俺が分かるわけがないだろう、と。
『ごめん……』
俺の気持ちが意図無くして伝わったのか、突然謝り始めるテレス。何だってんだ一体。当初はこんな大人しい感じじゃなかったろうに。もっと天真爛漫な感じだったはずだ。
別に、謝ることじゃない。俺がどうするかは俺が決める。それ以上でも以下でもないし、また別の発想に辿り着くことは今はまだ出来ないってだけの話だ。
「……何だか汗臭いですわね。まあいいですわ。出来るだけやってみれば、己の力がどれほどのものか分かるでしょうし……わたくしはそこでゆっくりと紅茶でも飲みますわ」
それだけ言うと、女性は喧騒に巻き込まれない程度の場所でどこからか紅茶の入ったティーポットを取り出し、本当にティータイムを過ごし始めた。
また、丁度良くその頃になると熊の方も腹部を押さえながら立ち上がっていたところだった。ていうか、あの人の蹴り一発だけで熊は相当ダメージを負ったみたいだ。今の今まで立ち上がらなかったことも含め、相当の威力がある蹴りだと伺える。……そしてそれ以下の俺や古谷の一撃な。やはり実力者なのだろう、あんな見た目でも。
「さて……と。そろそろ来るね。それで、戻ってきたということは魔法書は持ってきたんだろう?」
「ああ、勿論だ」
右手に持った魔法書を見せる。ただ、その魔法書は二冊あって、初級魔法書と呼ばれるものとテレス・アーカイヴの魔法書だった。
初級魔法書と呼ばれるものはその名の通り初級の……火であるならば小さな火の玉が出せたり、指元でライター程度の火が出せたりと、一歩間違えれば曲芸まがいのものなどで書かれた"教科書"だ。実際に魔法を使いはしないが、魔法書は魔学の授業の時に使用するので普通科の生徒も持っているのだ。
そしてもう一つは、テレス・アーカイヴの魔法書。俺の趣味の一環として読み進めている愛読本でもある。といっても、実際には全く分からない。ぶっちゃけ何を書いているのかまるで分からん程度のものだ。ただ、どういった魔法なのかというものは分かる。タイトルのようなものがあり、魔法はそれぞれ名付けられているわけだが、それによって大体の魔法の名前……つまりどういった魔法かが分かる。
でもこれを使えるか否かでいったら、勿論まず無理だ。概念を理解できていない以上、俺に使えるわけがない。……"はずだ"。
それでも、俺はあの時。人生最大のピンチの時、使えたんだ。テレス・アーカイヴの魔法を。
「……本当に教科書と、僕でも知ってるぐらいの"解読できない"ことで有名なテレス・アーカイヴの魔法書を持ってきて、大丈夫なの?」
「任せろ。こっちには……"本人"がいるんだぜ」
「本人? もしかして、君の中に宿っているという、意思を持った魔力のこと?」
ああそうだ、と自信を持って答えたいところだが、確証はないので多分と言っておいたら凄く残念そうな顔をされた。
「じ、実際にこの魔法でお前を助けたから大丈夫だろ!」
「ああ……まあ、そうだったね」
その言葉に何とか持ちこたえる様子の古谷。うう、何だか悲しくなってきた……。
テレスが言うには、テレス自身は魔法を発動したわけではなく、俺が発動したらしいので俺が基本的に何とかしなくてはいけないらしい。魔力を使うことがまず前提になるわけだけど……魔力を使うってどうやるんだ?
『あの時は……随分必死だったから、どんな感じだったんだろう』
何とか思い出してくれ。でないと何も始まらない。
「グォオオオッ!!」
脳内まで駆け巡る咆哮に俺達の身体は一瞬ビクリと震える。熊はいつでも臨戦態勢、といったようにこちらにそのギラついた瞳で睨んでいた。
「作戦としては、どうするの?」
「とりあえず魔法を唱えてみる!」
そうだ、それしかない。せっかく魔法書を持ってきたわけだし、何とかやってみるか。
「ええい、ままよ! このページのこれでも喰らえ!!」
…………何も起きない。起きるはずもない。
手を振りかざしてやってみても、魔法は一向に出る気配はない。
『そ、そんな風にはやってなかったよ!?』
「じゃあどんな風にやってたんだよ!?」
「ちょっ、桐谷君!? きてるよっ!」
古谷の言葉で何とか気付いた俺は叫びながら右へダイビング。熊の突進を避けるも、頭の中は混乱したままでパニックになっている。
「くっ!」
いつの間にか古谷が熊に立ち向かい、お互いが刃と爪を交互に交差させていたところだった。
「僕がこの熊を止める! そのうちに何とか魔法を唱えて!」
苦しそうに言う古谷の言葉に圧され、俺は慌てて魔法書を開く。どれだよ、どれがいいのかもわかんないし、どうやって唱えればいいかも分からん!
何せ、万年落ちこぼれだぞ俺は!
「あの時、あの時はどうしてた……!?」
(私を信じて!!)
脳裏に浮かんだのは、テレスの言葉。あれは、テレスが言った言葉か。俺はそれを信じて賭けたんだ。
(咲はどうしたいの?)
どうしたい、か。純粋に言えば、未だに信じられない。俺が魔法を使う。それを可能にしているのがテレスの存在だということ。こんな偶然を受け入れるってことは、それはすなわち俺の魔法の才能に"終止符を打つ"ことになるんじゃないかって。
テレスがいるから魔法が使える。それは俺という人間の才能は崩れてしまうんじゃないか。少しの望みも希望もなく、俺はそれに従って、甘んじてしまうんじゃないか。理想としていた、魔法を使うということ。それが出来ることを今ここで簡単に達成できるっていうのは——何か違う。それじゃあ、いつまで経っても"落ちこぼれ"な気がしていたんだ。
「だから、どうしたらいいか分からないんだろ……」
魔法を使えるようになりたい。そう願った中には人を助けたいという気持ちが強くあった。しかし、それは絶望的な願い。でも今は違う。偶然が重なり、それを為すことが出来る————
「ぐぁっ!」
古谷の声で俺は我に返る。熊に圧倒され、古谷は成す術もなく倒れ込んでいた。
「桐谷君、魔法を——!」
古谷の声は、俺に届くが、俺の心の迷いや、何もかもがグチャグチャになって。
「ストップだ、みーちゃん」
紅さんがどこからともなく現れ、熊の動きはピタリと止まる。紅さんが熊に触れたかと思えば、熊の姿は煙のように霧散して消えていった。
「色々と、課題が見つかりましたね」
ニールさんが俺の傍で呟く。俺は、何も出来なかった。
「桐谷君。君は、"君の劣等感"に負けたんですよ」
その一言が、俺の心に深く突き刺さった。
第3話:非日常の学園生活(終)