複雑・ファジー小説

Re: 之は日常の延長線に或る【第陸話更新】 ( No.57 )
日時: 2015/02/09 14:33
名前: 愛深覚羅 ◆KQWBKjlV6o (ID: bVIgAYuV)

 ネオン街を離れた簡素な街、スラム街の様な廃れた雰囲気を持っている此処は、もう白スーツの男もパンツ小僧も関係の無い場所だ。そうなると俺は此処に用は無い。今日はもう諦めてまた明日出直した方がいいだろうと俺の思考は完結した。そろそろ睡魔もその為りを現す頃だ。立ち止まり、踵を返して帰ろうと振り返った時、驚く事にまださえはいたらしい。
さえは突然振り返った俺を訝しげに見て語りかける。無視するのもなんだから、少しだけ付き合ってやろうではないか、と俺は耳を傾けた。

「キミ、初めてみた時キチガイと思ったけどそうでもないんだね」
「キチガイ? どうしてそう思った」
「だって笑いながら走っている奴なんて、キチガイ以外の何者でもないって……誰もが思うつまらない感想だよ」
「したらば、なにゆえ話しかけた?」
「そう言ったキチガイとは寝た事が無くて、あぁ、キチガイって言うものはね色々種類があるんだ。ヤクをやっている奴もキチガイだし、レストランや公衆の場等で、大声でだべったり、非常識な行動をとるのもキチガイと言う定義に当てはまる」
「一体何が言いたい?」
「キミはアタシが見る限り、そのどれにも当てはまらなかった。何だか本気で楽しそうに笑っていたから。本当のホントに……覆せない『何か』が見えたのかなあって」

怪しく笑うさえは自身の記憶に残る「何か」を示唆しているようだった。それが何なのかと言うのは俺が計りしれたものではない。
それにしてもこの女、俺をキチガイと言うとはなんと遠慮のない物言いだろうか。俺が短気で高飛車な男ならば切れて殴っていただろうに、その恐ろしさを微塵も感じていない彼女を見ると、自分とは違う世界で生きている人間だと厭に実感する。
彼女に何があっただとか、彼女が何を思っているだとか、そう言うのは塵一つ、毛一本興味がない。ただ言うなれば、面白いと思った。
しかし、面白いと思っただけで関わり合いになりたいとは一ミリも思わない。自分にとって其れが得であるか損であるかと天秤に架けた時、損であると言う方向に迷わず偏るだろう。そしてそれが平々凡々である俺の答えだ。

「……気のせいだろう、天才様にも間違いはあるものなのだな。俺は何も見ちゃいない。見たとして、其れは俺の常識を凌駕するだけであり、お前の持つ常識を凌駕しているとは言い難し。……わかったらとっとと帰れ。俺から見ればお前はまだ子供。俺以上に未知なる体験をし、自身として考えつく超越したトリックやら推理やらを扱ったとしても、人間の範囲内に居る限り人間が出来る範囲以上のものは出来まい」
「そうだね、でももしかしたらアタシは人間じゃないかもしれないよ」
「其れはありえない。先も告げた様に、お前は人間の範囲内に居る。要するに見た目はごまかせない」
「あー……ね、それは無理だ。仕方ない、帰ろうかな」

さえはそう言って迷うような仕草をする。どうせ、帰る気なんてないのだろう。あぁそうだ、もう一つやっておくべき事が俺にはある。

「そう言えばお前、罪咎探偵とか呼ばれてないか?」
「そんな名もあったかもね、いちいち覚えてない」
「ならお前は零組だな?」
「まーね。……なに? キミも零組だったり?」
「そうだ、俺は詳細に言えば零組の風紀委員をやっている。お前授業出てなかっただろう? そんな事は個人の自由だが、御嶽道仁に一報入れておいてくれ。俺の仕事だ、協力してくれ」
「しょーがないなァ。今夜会ったのも何かの縁って事で協力してあげよう。もし教室で会ったとしたら仲良くしようねー。呼び名は『さえちゃん』でよろしく。お互い協力し合うべき出来事があるかもしれないからね。……まぁ教室で会う事は稀だと思うし、キミに力を借りることは無さそうだけど、ね」

乾いた声で笑ったさえは「ばぁい」と言ってスラム街の何処かへ消えていく。一方的に終わらせた話はなかなか皮肉が籠ったものだったが、気にするほどでもなさそうだ。不安定な女だな、と言うのが現在、俺の感想だ。だが今日の〆としてはなかなか頑張った方だろう。俺も今日はもう帰ろう。どうせ後の連中は見つかる事もなさそうだ。もしかすると明日ひょっこり顔をのぞかせるかもしれない。俺の荷はなかなか軽いものだ。
あぁ今思い出した……妹に連絡を入れていない。まぁ心配なんぞ忘却の彼方へ封じ込めているだろうから問題ないだろう。そもそも家に居るのだろうか?

(さて、家の鍵は……)

そこで俺は忘れ去られた現実が再び産声を上げたのをしっかり聞き届けた。残酷で無情なその響きは、俺を絶望させるのに十分な破壊力を持っている。

「……無い」

唖然と開かれた自身の口そして目。一瞬ショートした脳みそは即座に危険信号を発令させる。其れが今日一番の衝撃と思い出になったのは……言わなくてもわかるだろう。