複雑・ファジー小説
- Re: 妖王の戴冠式【1/19更新】 ( No.16 )
- 日時: 2015/01/25 20:06
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: Ru7e1uoX)
「サトリさん、何をしたら相手の負けになるんだっけ?」
「対戦相手の契約者の人間が意識を失うことさ。まだそこの少年は起きてるよ」
とはいっても、墓石に叩きつけられた衝撃でまだ起き上がることはできない。痛みに苦悶の表情を浮かべて、空気を求めて必死に喘いでいる。このまま夜行を気絶させて勝つのは容易いが、それでは自分が楽しめない。負けた妖はすぐさまあちらの世界に強制送還されるため、男の目的は達成されない。
「いやはや、とんだ外れくじを引いたんだね雪女」
「サトリ……」
サトリの嘲笑、それが雪姫の神経を逆撫でる。あちらの世界にいた頃から、ずっと反りのあわない妖怪。それも屈指の下衆に下に見られているのだから。昔からそうだ、この異形の者は自分の思い通りに事が進むとくちばしの隙間から紫の舌を覗かせる。汚ならしく、不快感を覚えてきた回数は数えきれない。
ただ、それと同じ顔を奴の契約者である男もしていた。人の悪い、自分の悦楽をただただ貪ろうとする醜悪な目付き。そうだ、この目が気にくわない。この目が、母を殺した。この目が、彼女を一人にした。
そして何よりも堪えたのは、母を殺し自分を孤立させた自分を眺める他の奴らの目と同じ事だ。雪女は、あの頃を思い返す。誰にも頼れない、助けてくれない。数少ない友達とも縁を切らされる地獄の日々。誰も声をかけてくれない、助けてくれない。
ふと、母が散りゆく姿を思い出した。自分をかばって、陰陽師に殺された母。その原因を作ったのは彼女を阻害していた他の連中だったのか、自分なのか、今でも彼女は分からない。
「見えているぞ、お前の頭の中が」
条件反射とは言え、自分の弱味を脳裏で描いたのは失策だったと彼女は顔をしかめた。今相対している二人の能力は、人の考えを読む能力。こんなもの見せてしまえば利用されるに決まっている。
「サトリさんが気にくわないってこういう事か。そりゃあ、こんなおままごとみたいな話には付き合っていられないな」
雪姫は、勝手に自分の過去を覗かれた事に顔を赤くする。怒りのためだろうか、はたまた羞恥のためであろうか、それは本人にも分からない。ただ、自分の理想をおままごとと吐き捨てられた、それだけは分かる。
芋づる式に彼女は自分のこれまでの記憶を思い出してしまう。考えたくない、そう思えば思うほど、それは皮肉にも意識を向けてしまっている事になる。自発的な記憶の再生は止まらず、見られたくない思い出が次から次へと湧き出てくる。止まってほしいと願ってもこの濁流はとどまる所を知らない。
「弱いものいじめを止めようとしたら自分が苛められた、か。正義感があると言えばいいのか? 違うね、人の楽しみを邪魔してるんだ」
「ふざけないで、被害者は楽しくも何ともない」
「本人が弱いから悪いんだろう? 事実当時のお前は、弱いくせに歯向かったからサトリさん含む多くの妖から制裁を受けた」
まだろくに雪女としての能力が発言していない頃、彼女は苛められていた妖狐を庇い、苛めていた連中に啖呵を切った。こんな事をして恥ずかしくないのか、と。ただし彼らは当然のごとく恥ずかしいだなんて感じていない。むしろ彼女を嘲け笑い、標的を雪姫へと切り替えた。
その日から、彼女の体には生傷が絶えなかった。雪女の体が悪い方に働き、火車から手ひどい火傷を負わせられた。サトリのせいで自分が最も嫌がるような所業を端的に行われた。母の雪女も、そんな雪姫のせいで彼らの親妖怪から邪険に扱われていた。
弱肉強食、それがあの世界での自然だった。それなのに、彼女はその邪魔をした。間違っていると唱えた。まるでその姿は人間のようで、それが彼らの苛立ちを刺激した。
彼女の目の前で他の誰かが傷つけられた。それが、彼女の心に一番堪えた。だから彼女は天涯孤独になった。母ともいつしか疎遠になるほどに。
「そんなある日、雪山に陰陽師がやってきた。お前を苛めていた連中が、陰陽師のネットワークにお前の母の情報を流した」
今でも細々と陰陽師ネットワークは全国に広がっている。あらゆる妖は全て駆逐する。そういう集団だ。気付いた時にはもうほとんど手遅れだった。陰陽師の棟梁が行方を眩ましているとかで、代わりに大勢の陰陽師が現れたからだ。
間に合わない、そう分かっていても彼女は走った。母を助けてくれと、大嫌いなサトリやその仲間にも土下座した。けれども、返ってくるのは砂埃と罵声、笑い声だけ。怒る気力も何もなく、誰も信じられないと言わんばかりに母のもとへ向かった。
既に勝敗は決してしまっていた。今でも、あの姿は忘れられない。真っ白な体が、着物が血にまみれて黒ずんでいた。嘘だ、叫んでも叫んでも、泣いても喚いてもそれは変わらない。頬をつねっても目が覚めない。
最期の力を振り絞って、母は彼女の頭を撫でた。冷たいはずの掌が、驚くほど暖かかった。今にも死にそうなのに、夢のように柔らかかった。母は雪姫の頬にそっと口づける。最期のプレゼントだと、自分の身に残る力を余すことなく全て譲渡した。その瞬間、その体は雪となって崩れ落ち、代わりに彼女が雪女として完全に覚醒した。
彼女が制裁に走ったのはそれからだ。サトリを含む全ての下衆達に自分と同じ思いを味わわせる。目の前で、自分の力を持ってして彼らの母を殺した。母の力を受け継ぎ、自分の力も目覚めた彼女に、敵はほとんどいないと言って良い。
復讐は完了した。けれども、全く心は満たされない。むしろ哀しみは募る一方だ。仕返しをしたはずが、むしろ彼らは喜んでいたのも原因の一つだ。彼らは、親を親とも思っていなかったのだから。
本当に独りぼっち、寒さに強い雪女の心は、それで完全に凍てついてしまった。
「平和な世界を作る? 無理に決まってるだろ。お前だって同じだ殴られたら殴り返す、それしか方法を知らないんだから。取り繕っても無駄だ。お前は自分が大嫌いな奴等と何一つ変わらない屑なんだよ」
「うるさい……うるさい! 黙りなさい!」
目の焦点が合わない。もう既に、心が死にかけていた。この瞬間が本当に楽しいのだと、男は相好を崩した。人の痛みを見抜くサトリの力とそれを効果的に抉る男の舌。それこそが、彼らの一番の強みだ。そして最後に、彼女の心を両断する。
「結局、お前が母親を殺したんだよ。お母さんも言ってるぞ、あんたのせいだ、許さない、てめぇもとっとと死ねってな」
「嘘よ……母は……母さんはそんなこと言わない」
「お前が言わせてんだよ馬ぁ鹿」
あり得ない、あり得ない、あり得ない。何度も何度も繰り返す。男の声はもうほとんど聞こえていない。聞こえているのは、母のものと思われる幻聴。サトリの心を読む能力は、心を読む程度には留まらない。仮にも黄龍帝の血も引いているため、母のサトリの能力がさらに強化されている。
心を読むだけではなく、心に書き込む能力。イメージを相手の頭に刷り込ませ、使いようによっては苦痛を与える。今は彼女の脳にアクセスして、血まみれの母親が穴の空いた目でお前のせいだと唸っている悪夢を見せている。
頭を抱える、大粒の涙がこぼれでる。膝を折り、強気なその心が、体が地面に崩れ落ちる。耳を塞いでも、目をつぶっても幻覚は消えず自分に訴えかけてくる。網膜にこびりつき、鼓膜よりもさらに奥まで潜り込む。頭の中まで全てが自己嫌悪に染められる。
これだから、心を殺すのは止められない。男は腹を抱えて、今にも笑い出しそうなのを必死にこらえる。笑ってしまっては現実に戻る可能性があるため、静寂を心がける。救いの声も無く、怒りに沸き立つこともできず、ただ咽び泣くことしかできない無様な姿。
この男の拷問は痛みを与えない。言葉で、法で、世間の目で、噂話でその者の精神を壊す。
目的は達成した。愉快な思い出を刻み込んだ彼は、勝負をつけるために振り返る。夜行を倒し、次の標的へと向かう。次のおもちゃはどんなものだろうか。思いを馳せるも、そのための障害が立ち上がっているのを目にした。
「いまの話、本当なのか?」
痛む体の節々を押さえて、苦痛に悶えながら夜行は立ち上がっていた。その顔には言い様のない怒りが浮かんでいる。よろよろと腕をあげて男に狙いを定めるが、簡単に跳び退かれる。だが、それならばと夜行は雪姫に歩み寄った。
「そりゃ、そんだけ高慢で、偏屈な性格になるのも仕方ねぇか。親がいないって、苛められるのって……どうしようもなく悔しいもんな」
それは俺もよく知ってる。傷など気にせず、夜行は微笑んだ。ただしそれは一瞬だけ、すぐに険しい表情に変わった。瞬間、彼女の頬に彼の平手が飛んだ。大きな音を立てて、雪姫ははたかれる。その拍子に彼女は幻覚から解放されて、夜行へと意識を向けた。
「だったら何で同じ事をした! やられたらやり返す? てめぇ馬鹿だろ! やったらやり返されんだよ。そんな事したくせに平和だなんてよく口にできたな。あれか、お前の思う平和っていうのは、邪魔な奴ぶっ殺したら簡単に出来上がるのかよ」
ふざけるな。夜行は唾と共に、彼女への怒りを吐き捨てる。血の混じった唾液が石畳に打ち付けられた。
覚悟は決まった。夜行は雪姫の襟首を掴んで無理矢理立たせる。目を見据えて、はっきりと想いを言葉にする。その言葉に嘘も裏表も何もないと、雪姫は朧気ながら感じ取った。
「俺がお前を王にする。名前だけじゃない、中身だってどこに出しても恥ずかしくない立派な王にする。俺がお前を教育してやる」
だからもううじうじ泣くな。
ぶっきらぼうに彼はそのまま雪姫を突き放した。愛想のないような仕草なのに、どこか親しみの感じられる、そんな仕草だ。
「こいつらが手始めだ。見せてやろうじゃんか、俺らの力」