複雑・ファジー小説
- Re: 妖王の戴冠式【1/25更新】 ( No.17 )
- 日時: 2015/01/26 19:24
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: Ru7e1uoX)
胸の奥から、熱い何かが沸き上がってくるのを雪姫は感じた。今までに感じた事のない力が、体の芯から立ち上る。火口から溶岩が流れるような、前兆のまるでない妖気の胎動。これはまるで、一体何だと言うのだろうか。
そしてその初めて感じる力は、夜行の憤りと同時に沸き立っていた。彼が雪姫の頬を叩いて正気に戻ったその瞬間、自分の中の殻が向けて、剥き出しの自分がさらけ出された。体が軽く、心地よい拍動が全身を震わせる。
この力は一体、何だと言うのだろうか。
「さっきまで這いつくばってたのに、大きく出たなぁ」
「ははっ、内心焦りまくりのくせに余裕こくなよ変態サディスト」
男のこめかみがピクリと反応する。今の夜行の言葉は、明らかな挑発。それなのに変だと彼女は感じた。戦闘前のやり取りから分かる通り、礼節も落ち着きもない短気なあの人間は、今に至っては怒りではなく動揺を見せた。
もしや、彼は今本当に焦っているのだろうか。
ただし夜行は慌てない。その反応は折り込み済みだと言わんばかりに口角を上げて頷く。墓石に叩きつけられた瞬間から僅かに彼が感じていた違和感。虚飾に紛れた、彼らの弱点。ただしその弱点を虚飾で隠していたのは本人ではなく雪姫の方だった。
「つまり、お前たちの弱点は弱い事だ」
得意気にそう宣言した夜行に対して、彼女は顔色を奇妙に変えた。驚くべきなのか冷静に正すべきなのだろうか。何とも言えず表情筋がコロコロとその形を変える。ただし、彼女の心に染み付いた性格は夜行にキツい物言いで当たり始めた。
「何を馬鹿な事をいってんのよ、弱いところを弱点というのに弱点が弱い事だって日本語不自由なの?」
「五月蝿いな、説明し辛いんだよ」
最初におかしいと感じるべきだったのは石に身を隠すようにして逃げ始めた時だったと夜行は語る。雪姫が警戒するほどの妖怪の契約者の行動にしては些か消極的、慎重すぎる。特に相手は雪女をいたぶろうと躍起になっていたため、血走って正面から来てもおかしくなかった。それなのに最初は安全策に走った。
その理由は、彼がまだ弱いままだから。突き詰めると、耐性も鎧も何もない生身の身体だったからだ。心を読む能力は確かに協力で、相手の行動を先に読む以上有利に戦局を動かせる。だが、貧弱な体が足を引っ張った。
方や夜行はナイフであろうと冷気の衣で凍結させ無力化させたのに、男は夜行の攻撃を逐一回避する逃げ腰の姿勢。それは、人間ならば当然の話で体が凍れば、もう何もできない。気絶はもちろん、凍死もあり得る。なぜなら何度も語る通り彼の体は貧弱な人間のまま、夜行のように身を守る術もない、単純だ。
「もし俺たちがここで、逃げられないほど早く、広範囲でなおかつ防げないほど強力な全体攻撃をすればそれでお前らの敗けだ」
得意気に夜行は狼狽する男は指差した。さっきまで得意気にしていたはずの、ふんぞり返っていたはずの男は攻められる立場に慣れていないのか、途端に慌て始める。きっと今までずっと人を攻める立場であり続けたのだろう。人を傷つけるために刃を研いで、磨いていった挙げ句、自分自身も薄っぺらく脆くなってしまった。
しきりに彼は夜行の顔とサトリの顔を交互に見ながら、少しずつ後ずさる。地面をする靴の音を、夜行は聞き逃さない。動くな、冷徹な声で端的に指示する。蛇に睨まれた蛙とはこういう姿を言うのだろうか、まだ夜行は能力を用いていないのに、男は全身が凍ったかのように動かない。
「さ、さと、ソトリッ、じゃなくてサトリさん……」
「だ、だまれ黙れぇっ! お、お前は俺の契約者だろうが! 俺は王になるんだ、こんな所で負けたら許さん、貴様の血筋、末代まで呪ってくれよう!」
それだけは勘弁してくれと、男はサトリにしがみつく。哀れだ、そう思った夜行はせめてさっさと気絶させてやろうと決める。何よりも、あんな下衆を本当に王にする訳にはいかない。
「こうなったら、無理矢理にでも憑依して」
「もう手遅れだよ」
夜行は両手を重ねて二人に向ける。それを見て焦ったサトリはなおさら無理矢理に男に憑依してやろうと自らの契約者に襲いかかる。異形の化け物が飛びかかってくる様子に心底怯えた男はというと契約者だというのに、膝が笑って立つこともままならなくなる。
「夜行、呪文は……」
「白霜天寒冷氷河大瀑布」
「……! 何よその呪文?」
次の瞬間、世界は白に染まった。墓地全体が、瞬時に真っ白な氷に覆われる。春先、柔らかな夕焼けが射し込む墓地、寂れて幽霊でも出そうなその土地は、真っ白な雪化粧で飾り付けられた。冷気に当てられた水蒸気は空中で凍てつく。キラキラと舞い散る氷の結晶と水分とがその場の空気を彩り、虹をかける。
さっきの二人は……雪姫がそう思って目をやると、そこには綺麗に氷に浸けられた二人の姿。今にもその爪を食い込ませようとしているサトリと、それから必死に逃げようとする男の姿がまるで彫刻のように固まっていた。
周りの霜とは違い、その氷は雪姫のものと同様に透き通っていた。それにしても、これは尋常ではない事態だ。雪姫はすぐさまそれを感じ取った。自分の能力よりも、遥かに強い。それが何よりもおかしいのだ。
夜行には、確かに力を全て貸し与えてある。それは、人間が使う方が、妖怪が使うよりも出力を抑えられるからだ。しかし、この様子は一体何だ、出力を抑えるどころの話ではない。
雪女と同等の力、それだけでも可笑しいのに何よりも異常であるのは、この威力が雪姫の全力よりもさらに高いことだ。妖気を譲渡しただけである以上、雪姫の全力が契約者の使える限界の力のはず。だというのに、その当然の前提が崩壊している。
そして最後に、先程の呪文。あんな術は、雪姫ですら知らなかった。
「おい冷凍庫、どうしたらこれを融かせるんだ?」
「だから、愉快な呼び名を使うのは止めなさい! ひっぱたくわよ」
「凍らせるわよ! じゃないのかしら雪姫ちゃん」
「あなたねぇ、いい加減に……」
その瞬間だった。薄暗くなりつつある夕暮れの景色が、突然真昼のように明るくなったのは。先程まで訪れていた、寒冷地の真冬のような冷気を全て吹き飛ばすほどの熱気がその場を満たした。それは氷の力とは対照的な、南国のような気候だ。
目も眩む凄まじい閃光と、湿った空気を瞬時に乾かすような熱風。急激な熱気に、目など敏感な部位を守るように夜行は周囲に冷気を展開する。特に雪女だと体調に重大な異変が起きてもおかしくはない。
その熱気が収まった頃に、今までの戦いの爪痕を吹き消すように季節相応の風が吹く。目を開けると、夜行が氷漬けにしたはずの景色が吹き飛び、元の何事もない墓地へと姿を戻していた。まるで、派手な争いなど何も無かったかのように。
ただし何もかも戦いの痕跡が消えた訳ではなく、消えかけのサトリと意識を失った男の体は残っている。
「今の風って……」
「ラッキー、融けてるじゃん。このままほっとこうか。助けてやる義理無いしな」
「ちょっと待ちなさいよ!」
疑問は残るが仕方ない。今の熱風の持ち主が現れたらいくら今の力でも勝てるかはかなり怪しい。
「まさか四神がこんな近くにいるなんて……」
果たして、いつか彼らと邂逅したとして、王の座を奪い取る事ができるのだろうか。果たしてそれは、彼女にもまだ予想できない。けれども、さっきの言葉を思い出すと、不思議と心が軽くなる。足取りだって軽くなる。背中を支えてもらうのは、これほどまでに心強いことだったのだろうか。
俺がお前を王にする。
たった一言で、彼は彼女の不安を振り払った。まずは歩いていこう、前だけを見て。雪姫は、夜行の後を追って歩き出す。
いやぁ、長かったねぇ。ここまでかかるとはわっちも思っちゃいなかったよ。でもまぁ、ここらでこいつらの話は一段落ついたし、今度からは九尾の話さね。
と、行きたい所なんだけど、ちょいとあの熱風の主のネタも入ったところなんだよねぇ、これが。九尾の話も長くなるしさ、今度は奴らの話をさしてもらうよ。
んじゃあ、これにて今日は店じまい。また来て頂戴な、たっぷりお話聞かせちゃうから、さ。