複雑・ファジー小説

Re: 妖王の戴冠式 ( No.3 )
日時: 2015/01/11 17:16
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: lv59jgSm)

 いやぁ、怖いもの知らずの生意気娘ってのは見てるこっちがハラハラして仕方がないもんだね。こりゃああの子がぶちギレるのも当たり前だね。怖いものどころか、あの娘はずっと山に籠ってたから世間知らずとも来たもんだ。そのくせ人間相手に盛大な人間批判、馬鹿だねぇ。
 まあ彼女の境遇としちゃあそれも仕方ないか。調べて分かったんだけど、あの二人には相当に濃い因果があってね、あの二人がつがいになったのもそれが原因じゃあないのかねえ。

 今度の話はちぃと長いよ。途中で休憩を挟みながら進めるとしようか。
 時は、夜行と雪女が出会ったその瞬間へと移る。温かな日差しが射し込んだかと思ったが、夜行の肌にはまだまだ刺すような寒波が感じられていた。

「早く答えなさい。ここはどこなの?」
「え」

 あまりに横柄な彼女の態度に唖然とした夜行は何も言い返すことができない。目を丸くして目の前の女性がさらに険しい表情になるのを見届けるだけだ。彼女の鋭い目付きがよりいっそう尖りだす。口をへの字にしてこれ以上ない不愉快を示している。
 しかし、そのような表情すらも、まるで人形や絵画のように思えるほど美しく整った顔立ちだった。どことなく母と似ている。彼はふと、そう思った。彼の母も、年齢が信じられないほど若々しく、美しい。

「良いから答えなさい。早く!」
「東京だけど……」

 初めからそう言えば良いのだと、彼女は夜行の足を踏みつけた。履いていたのがヒールでなく草履だったのでそれほど痛くはなかったが、予想外の不意打ちに反応できず、なされるがまま右足を踏まれる。
 草履を履いている違和感よりもいきなり足を踏まれた苛立ちが上回る。呆気に取られっぱなしの彼だったが、これでやっと我を取り戻す。目の前の真っ白な女性の不機嫌が伝播したかのようにたちまち不機嫌になる。

「いってぇな、何すんだよ」
「さっさと答えないのが悪いんでしょ。生きてるだけましだと感謝しなさい」
「何寝ぼけた事言ってんだ。何様だよお前」

 二人して自分の主張をぶつけ合い、騒ぎ立てる。お互いの第一印象は最悪だ。言い争いが発展するにつれて剣呑な雰囲気は次第に募っていく。そして女性のあまりにもな横暴な態度の相手をするのも疲れたのか、夜行は一つ溜め息をついた。

「人間風情がよくも私相手に溜め息なんてできるわね、凍らすわよ」
「おーおー格好いいねえ、やれるもんならやってみろよ。あれかお前、歩く冷蔵庫様ですかー?」
「失礼な、私はどこからどう見ても雪女でしょう」
「ちょっと頭の弱い方のようですね、この現代社会で自称妖怪とは。いや、とんでもない夢遊病患者に捕まっちゃって大変だなぁ、俺も」

 どうやら売り言葉に買い言葉の不毛な言い争いよりも、こんな風にのらりくらりと嫌味を差し込んだ方が効果的に挑発できると気付いたため、夜行はそのように接し始める。当初は二人とも余裕が全くなかったが、今や余裕綽々の夜行が相手の女を軽々とあしらっている程である。真っ白だった彼女の頬はあまりの怒りと興奮のために真っ赤になっていた。

「ふざけないで! 本当にぶっ殺すわよ」
「そんな事したらお前もただじゃ済まねえよ、法治国家嘗めんな」

 あまりの悔しさと怒りに我を忘れることのないよう、彼女は唇を噛み締める。俯いて、肩をわなわなと震わせながら怒気を露にする。さすがに言い過ぎたかと夜行は一瞬後悔したが、それもこれも全てこの女が自分から挑発してきたのだからとすぐさま後悔を打ち消した。
 だが、ずっとこの女の相手をする訳にもいかないので、そろそろ立ち去ろうと彼女の横を素通りする。頑張れよと言葉を残し、去ろうとしたのだが不意に肩を掴まれる。ふりほどこうとしたが、思いの外に強い力で握りしめられる。伸びた彼女の爪が肩の辺りの布に食い込んだ。

「待ちなさいよ、こんだけ私を馬鹿にして逃げる気なの?」
「離せよ、そろそろ帰りたいんだよ」
「ふざけないで、あんただけは絶対許さないから」

 なおも帰ろうとして肩を掴んだ手を振りほどこうとする夜行は彼女からひっぱたかれた。叩かれた音が小気味良く周囲に広がる。叩かれた頬を押さえて再び彼女の顔を真正面から睨み付けると、向かい合ったその顔からも自分と同じかそれ以上の怒りや憎悪を感じ取った。

「どいつも、こいつも……皆私を馬鹿にして……私が、私がどんな想いで……」

 俺じゃない、ふと夜行はそう思った。この女の怒りが向いているのは、夜行のように見えて夜行ではない。その瞳には直接写っていない、言わば目蓋の裏に、記憶の中に焼き付けられたずっと遠くにいる自分じゃない誰か。そこにこの激情は向いているのだと、彼は悟る。
 彼女の怒りを湛えた目は、夜行の方向を見ているようであったが、実のところ彼には焦点が合っていない。そのさらに奥にいる、夜行をスクリーンとして写し出された全く違う誰かに向いている、そんな目だった。

「皆、皆私が……この手でぶっ殺してやる!」

 風が吹いたかと思うと、彼女の真っ白な髪が舞い上がった。ゆらゆらと揺れるその髪は、まるで吹雪を表現しているかのようだった。その姿に、突飛な話であるはずなのに、彼女は本当に雪女なのかもしれない、ふと夜行はそう思った。
 ただし気迫はあくまでも気迫である。端から彼は雪女が実在するだなんて信じていない。結局は、この女は本気で雪女だと思い込んでいるのだろうなとしか思えなかった。

「私は……私が王になる。私が思う平和を、私の願う平穏を脅かす誰かには容赦しない。あなたも、あの女も、あいつらだって……私を馬鹿にするなら、全員揃って黄泉へ送ってやる!」

 夜行の肩におかれた手にさらに力が込められる。大の男よりも遥かに強いであろうその握力に、彼は顔をしかめた。伸びた爪が服の上から突き刺さり、鋭い痛みを訴える。
 その瞬間だった、夜行が、周囲の世界の変化に気付いたのは。正確には周囲が変わったのではなく彼が変わったのだが、自分を取り巻く世界の様子が、今までとは全く違って感じられる事に。
 周囲の至るところから、気配を感じる。土の下や空の上など、おおよそ人が居なさそうな空間から、周囲の各地に。そして、その気配の強弱すら分かるほどに。最後に、目の前の女から、探索可能な範囲内において、最も強大な気迫が放たれている事に。
 目の前の女性の暴走と自らに起こった異変に板挟みになり、何も考えられない。先程、武蔵と別れてからものの数分で突拍子もない事ばかりが起きていて、聞かされている。分からないことだらけで何をすれば良いのか分からない理性と頭脳に代わり、本能と体はとっくに答えを出したようだ。大人しく、受け入れるしかないのだと。だからただただ立ち竦む。抵抗せずに、じっと、静かに。
 次の瞬間、彼女の中で暴走していた力が弾けた。物凄い勢いで吐き出された力の固まりは一心不乱に夜行へと注ぎ込まれる。その間、夜行はずっと動くことができなかった。

 とりあえずここらでいっちょ休憩させてもらうよ。それにしても、ぬくぬく育った人間ってのは妖怪の存在を信じないものなんだね。まあ仕方ないか基本的に世の中見えない人の方が多いしさ。
 わっちの休憩は長いからね、あんまり急かさないでくれよ。