複雑・ファジー小説

Re: 【夜明けに沈む:更新】カタテマ【短編集】 ( No.23 )
日時: 2015/05/23 23:17
名前: R ◆0UYtC6THMk (ID: J9PmynZN)

「どうぞ、こちらへ」

そう言って私はお客さんをカウンターに座らせた。

「いい日本酒が入ってるんですよ。辛口でキリッとした飲み口で。酒の肴の方は何を作りましょう?」

残っている食材を確認してみる。ちら、とお客さんの方を見てみるとニコニコと微笑みながらこちらを見ている。

「大将のお任せで。いやぁ、それにしても愉快だ。愉快愉快」

お客さんが浮かべる笑顔はまるでこれから消えてしまうような人間のものとは思えなかった。
これからの人生に幸せそのものが待っているかのような。

「お客さん、もう幾つばかりか時針が進めば消えてしまうというのに、まるで幸せそうじゃないですか」

人の心からの笑顔を見ていると自分にもそれが伝染するというものだ。
私も理由こそないが自然と口角が上がっていた。
たとえ酔いどれの戯言といえど馬鹿にはできないものだ。

「いやね、大将。人というものは新しいモノを見ると少なからず心は踊るというもんですよ。本能には逆らえませんね。消えてしまうというのも同じです。消えたあとは僕はどこに行くんでしょうか?誰にもわかりませんよね。誰にもわからないものを想像するから、その機会を得ているから僕はこんなにも清々しく笑えるんですよ」

お客さんはそう言ったあと少し照れたように頭をポリポリと掻いた。
私は単純にこの人が素敵な人だと思ったし、羨ましいとも思った。

「そうですか。出来る事なら私も行ってみたいです。消えたあとの世界。しかしながらこの世に嫁と子供たちを残していくこともできませんから。それとは違う方法で探してみようと思います」

私は簡単なツマミを作りながらそう答えた。
相変わらずお客さんは暖かい眼差しで私を見守ってくれている。

「それこそ人それぞれというやつですね。世界はいつも広がり続けてるんですよ」

あぁ確かにそうだ。もっと言えば広がるなんて言葉じゃ足りないのかもしれない。

「これ、オツマミです。それと、隣いいですか?」

私は酒の瓶片手にお客さんの隣の席に座った。

「是非、どうぞ」

こうして私たちは潰れるまで持論をぶつけ合った。
気づけばお客さんは寝て、私も眠りについていた。



目が覚めたのは窓から差し込む日差しのせいだろうか。
外からは小鳥のさえずりが聞こえ暖かい春の匂いが感じられる。
隣の席を見てみれば残されていたのは飲みきった酒の瓶と一枚の紙切れ。
お客さんの姿は微塵もなくなっていた。
あぁ、もう行ってしまったんだ、と机の上にある紙切れを拾い上げてみた。

そこに書いてあったことは、私の記憶に刻むだけにしておきます。



           おしまい