複雑・ファジー小説
- Re: アネモネを敷き詰めた棺桶に ( No.1 )
- 日時: 2015/05/17 18:27
- 名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: vnwOaJ75)
- 参照: 序章 アネモネの棺
「今日こそは、あいつ倒そうぜ!」
物陰からひっそりと、立ち入り禁止と看板にかかれたところに立つ中年の男を見る。男の服は全体的に黄ばみ、裾や袖は茶色く汚れていた。あごと首の区別がつかないその男は暇そうに、手作りとも思える煙草を吸いながら腹を掻く。
周りは少し薄暗く、道端には糞尿や動物の死骸、襤褸布で作られた簡素な家などが乱立している。二人の少年はその家の影から、男の行動を監視していた。
「なあ、あいつってあそこから動くことあったっけ?」
金髪が伸びたままの一人が、もう一人のほうを向きながらたずねる。黒髪の、金髪の少年よりもやや背が低い少年は、小首をかしげた。男が定位置から離れるときは、近くで何か面倒ごとが起こったときだけしか知らない。
「アキ、強行突破するか!」
嬉々とした笑顔で金髪の少年は言う。アキと呼ばれた黒髪の少年は「えっ」と声を出したが、金髪の少年には聞こえなかったのかアキの手を掴み駆け出す。土と砂で汚れた裸足で、男のほうへ二人は駆け出した。
二人が男との距離をつめる度、砂埃が舞う。男が二人に気付くのは、意外にも早かった。
「おい餓鬼ども、何走ってんだ?」
煙草の煙をふう、とはきながら男は面倒くさそうに、突っ込んでくる二人の少年をじろりと睨む。アキはぎゅっと目を瞑り、金髪の少年に手を引かれるまま足だけを動かしていた。
「どりゃああああああああああああ!!」
「エド!?」
叫んだ瞬間離れた金髪の少年の手に驚き、アキは大きく声をあげエド——金髪の少年——を呼んだ。真っ直ぐ男に突っ込んでいったエドは、思い切り地を蹴り飛び上がる。その次に、エドの片足は男の鳩尾付近にめり込んだ。
着地はバランスを崩したエドだが、急いで戻り呆気に取られるアキの手を取るとまた駆け出す。苦悶の表情を浮かべむせる男を横目に見て、立ち入り禁止のその先へと二人は吸い込まれていった。
痛みと苦しみが引いた後、男は少年達が入っていった立ち入り禁止の先をじっと見つめる。けれど、中に入ってまで追いかけようとする素振りは一つも見せない。ただ小さな声で「生き急いだな」と、哀れむように呟いた。
テル=ベラ地区三番街、通称『貧困街』は他の地区では生活が出来なくなった者ばかり集まっている。ギャンブルに溺れ借金まみれになり破綻した者、罪を犯した者。貧困街にくる経緯はそれぞれ違ったが、それぞれが干渉せずに生活していた。
相手を詮索することは暗黙の了解でタブーとされている。
この街で生まれる子どもは、総じて娼婦が産んだ父無し子であった。アキとエドも例外ではなく、父の顔も母の顔もよく分からないまま生活をしていた。物心付く頃からは、盗みをすることで日々食べ物にありついていた。
貧困街には昔から語り継がれる悪い噂が存在していた。そのため大人達はこの地区の中央部に通じる細道に、立ち入り禁止の看板をつけ、人が入らないように見張り番をつくっていた。
それでもあらゆる手を使って立ち入り禁止の先へと進もうとする若者達がいる。そういう輩の内、ほんの一握りはその先へと進んでいく。見張り番をする男たちは止めようとはせず、ただ哀れむ目でその背中を見送る。
「な、アキ。この辺の道、俺たちが住んでるところでは見ないような変なのばっかあるな」
二人は手を繋いだまま、木漏れ日程度にしか日光が差し込まない道を進んでいた。エドは普段見ない植物やアスファルトに興味をしめす。今まで見たことのある植物は、道端に生えた名前の分からない草だけだった。
「なんか、あっち広くない?」
アキが指差した先には、拓けた空間があった。貧困街に暮らして十年近くなる二人だったが、このような場所があることは知らなかった。角ばった太い柱が規則的にたっている。その根元や片面にはツル植物などが生えているところもある。
この場所には二人が通ってきた道以外にも、無数の道があった。大きさは分からないが、正面に見える道らしき部分がとても小さく見えるため、それなりの距離があることは分かる。
右を見ると薄汚れた布がかけられた材木置き場のような場所があった。そこは結構な広さがある。二人は入ってきた道からは確認されないように、あえて正面の柱の裏に腰を下ろした。
慣れない硬い道を歩いたからか、二人の足裏は所々赤くなっていた。エドは長い前髪を右でわけ、アキを見る。そんなエドをアキは不思議そうに見返し、ふにゃりと笑顔を見せた。
「こーんないい所があったんなら、教えてくれればいーのにな。あのおっさんけちんぼだな」
「ね。あそこより空気綺麗」
三番街とは同じ地区にあるとは思えないほど、二人が今居る場所は吸いやすい空気。実状、三番街は大気汚染がひどく進んでいた。原因は低賃金の労働者が集まる工場は、乱立しているから。
廃液などの投棄が国の問題になるほどだ。加えて糞尿や死体などを放置するため、必然的に異臭が立ち込める。
そんなことを思い出しながら、二人は疲労が溜まった足を休めながら、他愛も無い話をした。
それから何分、何十分と話していたかは分からないが、何かに気付いたのかエドが遠くを指差した。その方をアキも同じように見る。けれど、何も見えない。エドはすっと立ち上がり、アキの手を掴み強く握った。
アキはつられる様に立ち上がりエドが手を引くまま、歩いていく。憑かれたかのように歩いていく先には、廃材置き場があった。隠したいものがあるかのように高く積まれ、大きな壁にも見える。
「エド、何があったの?」
不安げに聞くアキへの返事はなかった。ずんずんと進んでいくエドの小さな背中を、弱弱しく見る。ぴたりと足を止めたエドの後ろで、アキもとまった。すっとエドが指をさす。
「あれ」
指の先を見ると、ずるずると引っ張られる黒い物体があった。廃材置き場のかげに吸い込まれるようにして、黒い物体は消えていく。エドはそれをじっと見つめ、アキは驚いたように目を丸くした。
黒い物体が完全に陰に隠れてから数秒ほど経った後、がたんという物音が二人の鼓膜を震わす。思わず肩がびくつき、二人で顔を見合わせて恥ずかしそうに笑った。
「……いくぞ」
「……いこう?」
同じタイミングで発した言葉に、また二人は驚いたように笑いあう。一度手を離しお互いの手汗を汚れた服で拭き、もう一度ぎゅっと手を握る。何が起こるか分からない恐怖と、好奇心で、二人の足は小刻みに震えていた。
視線を合わせエドがニヤッと笑ったのが合図になった。
二人は極力足音をたてないようにしながら、黒い物体が入っていった物陰へと歩を進める。静かに慎重に。それでいて、思い切りの良さは欠けていなかった。
物陰のぎりぎりまで体を寄せたところで、二人は息を整えた。たった数メートルであったが、二人の緊張は限界近くまで達していた。二人の首筋には汗が光り、前髪は額に張り付いている。
二の腕あたりまでしかない袖で汗を拭き、エドは大きく深呼吸をした。
「アキ、ちゃんと手握ってろよ」
「うん」
アキはエドの手を握る。エドもぎゅっと握り返し、意を決したように物陰の先にある小さな空間に二人足を踏み入れた。