複雑・ファジー小説

Re: アネモネを敷き詰めた棺桶に ( No.4 )
日時: 2015/05/17 18:34
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: vnwOaJ75)
参照: 第一章 紫煙




第一章 紫煙




 様々な文字が印刷された紙が、壁一面余すところなく貼られている。幾重にも重ねられた部分もあるが、それらは全て十年前に起きた事件のものだった。殺人から、新聞にも載らないような小さな事件まで様々。
 夕日が差し込むだけの薄暗い部屋には、煌々とパソコンの明かりが照っている。薄いまろ眉を人差し指で掻き、くあ、と猫のように大きな欠伸をした。ディスプレイの電源を消し、男は目じりを掻きながら部屋を出る。

 古都メリア=アスティックは、十余年前都市としての機能を停止した。新都となったユースレティアが、古都を捨てたハルティエン地区に吸収されることとなったのが八年前のことだ。
 古都に住んでいた人々の殆どはハルティエン地区のほかの都市に移住し、少数の残留者は独自の生活を形成している。そこ、メリア=アスティックに“メリア・シン”と名の付いた組織が生まれた。

 メリア・シンは古都では親しみを込められ、シンと呼ばれる組織。構成員は一切非公開で活動し、公衆の面前に出るのは決まった人だけだ。古都は現在秘密結社集合禁止令が発布され、メリア・シンも観察対象となっている。
 しかし都市としての機能を失った古都に秩序はなく、警察が介入してどうにかなる事態ではなくなっていた。そのため、禁止令が発布されたところで、それが正常に機能しているかどうかは確かめようが無いのが現状である。

 メリア・シンと呼ばれる組織は、古都が正常に機能しているころから裏で作られた秘密結社だった。詳しい構成員については何も語られていないが、風の噂で、新たに一人が加えられたという。
 それも、年端も満たない子どもだという噂だった。

「竹光さん、もう調べごと終わったの?」

 考え事をしたまま冷蔵庫を開け放していた竹光に、マッシュで目の隠れた女が離しかける。豊満な胸を漆黒のベストにしまい、何処か怯えているように腕を抱えていた。

「終わったよーさっちゃーん、漆原さん帰ってきた? ちょっと話したいことあったんだけど。あと、杲に」
「さっちゃんって呼び方じゃなくて、ちゃんと、その……五月雨と呼んでください」

 控えめな口調で伝えられ、竹光は思わず苦笑いをこぼす。出会った当初から、この五月雨という女性は引っ込み思案というか、融通が利かない面があった。
 呼び名のことも。未だに愛称で呼ぶことを、竹光は許されていなかった。

「ごめんごめん、ところで漆原さんは?」

 いつものようにへらへらと笑い、漆原の所在を尋ねる。五月雨は考える素振りをしたあと「多分、もう少しで帰ってきます」と告げた。竹光はそれに笑顔で返し、また、パソコンの光だけが照る部屋へと戻った。
 冷蔵庫からだした、レモンサワー入りのタンブラーを片手に、またパソコンの前に座る。電子メールが届いてるのに気付き、カーソルを動かした。一度酒を嚥下する。
 
 パソコンのモーター音に加え、ダブルクリックの無機質な音が室内の闇に吸収された。宛名は見たことのないアドレス、加えて匿名希望という名で届いていた。
 匿名でくることは特に気にすることでもないが、このときだけ、竹光の疑心をかきたてた。内容を見て、タンブラーに口をつけたまま竹光は固まる。
 静かにタンブラーをデスクに置く。口元に宛がわれた手には、驚きと焦燥が含まれていた。

「急がないと駄目、っかなー」

 そういい竹光は着ていた服をベッドに投げ捨て、クローゼットにしまわれた喪服のようなスーツを身に纏う。ホルダーには一丁の銃がしまわれた。
 まろ眉をいずそうに指で掻いて、タンブラーの中身を一気に飲み干す。レモンの酸味と、アルコール独特の苦味とが、喉奥に流れ込んだ。

 部屋の戸を開け放しにしたまま、先ほど五月雨と話したキッチンへ向かう。もうそろそろ漆原が戻っている頃だろうと期待しながら。
 ちょうどあたりを見渡したあたりで、嗅ぎ慣れた煙草のにおいがした。それは窓の外から漂ってくるもので、竹光は蜜に吸い寄せられる虫の如く、その匂いに釣られ外へと出る。

「漆原さん、今戻ったんですか?」

 バルコニーの手すりに腕をおき煙草を吸う、初老の男——漆原——に竹光は笑顔で話しかけた。オールバックに固めた髪は部屋の白熱灯に照らされ、淡く光る。
 
「ああ、竹光か。今さっき戻って、今は二本目が吸い終わる頃だ。五月雨から聞いたが、何かあったのか?」

 言葉通り漆原の持つ煙草は持ち手ギリギリまで、減っていた。相変わらずのスモーカー具合だと、内心で苦笑し、先ほど届いたメールの内容を告げる。
 打って変わった真剣な竹光の様子に、漆原は煙草を消し、同じように真剣な眼差しで竹光を見た。
竹光の口から紡がれる一言一句を聞き漏らすまいと、漆原は真剣に話しを聞き、時折相槌をうつ。

「——ってわけなんですよ。どうします? つっても、行かないことにはなんも分からないよなーとか思ってるんすけど」

 頭を掻きながらへらっと口元を緩ませた竹光。漆原はにっと口角を上げ、室内へと戻った。竹光は「へ?」と素っ頓狂な声を上げ、室内で五月雨に話しかける漆原の背中を見る。
 そうして直ぐに後を追い、漆原の部屋へと進んだ。こじんまりとして、必要最低限の家具以外何も置いていない部屋。 
 漆原の吸う煙草のにおいが、部屋には充満していた。

「で。どうするつもりだ?」

 部屋の中央に置かれた、木で作られた簡素な椅子に漆原は腰掛ける。その正面に竹光も座った。二人の間には、同じく木の簡素な机が置かれていた。

「んー。でも殺人猫なんていうもん、聞いたこと無いっすよ? 此処に住んでる人たちも、きっと知らないと思うんですよねー」

 先ほどの会話の続きが、自然に始まる。
 メールの内容はテル=ベラ地区に殺人猫なるものが現れた、というものだった。メリア・シンに寄せられるメールには裏ルートでの密売に関するものや、街の便利屋代わりなど様々。
 悪戯も少なからず送られてくるが、今回の殺人猫という内容は竹光の興味をひきつけた。

「場所、テル=ベラなんですよ」

 そう告げた竹光の顔は真剣味を帯びていた。テル=ベラ、という言葉に漆原も反応を示す。二人にとってテル=ベラ地区は、多数ある地区の一つ、のような括りではないからだ。
 漆原も竹光も、互いに真剣な表情のまま視線を交える。

「杲、どうする」
「やっぱそこっすよねー……」

 煙草に火をつけた漆原の言葉に、竹光は頭を抱えた。杲——十年前二人が連れ帰った少年——にとって、テル=ベラ地区は思い出が集まるところであると同時に、最大のトラウマが眠る場所でもある。
 
「どうします? 杲連れて行くのは、ちょっとあれですよね」

 難しい顔をする竹光の気持ちは、漆原にも分かっていた。だからこそ、二人は同じタイミングでため息を吐く。

「悩みどころっすね」

 そういって笑う竹光は、困り顔だ。