複雑・ファジー小説

Re: アネモネを敷き詰めた棺桶に ( No.7 )
日時: 2015/09/13 12:44
名前: 浅葱 游 ◆jRIrZoOLik (ID: R6.ghtp2)
参照: 第一章 紫煙


「ねー、さっちゃん。酒、まだある?」

 キッチンへ向かった竹光は、ソファに座りパソコンをいじる五月雨の背中に話しかける。「ちょっと待ってください」と控えめに言う五月雨は、キーボードを先ほどよりも速く押していた。
 食器棚から自身のタンブラーを取り出し、五月雨が来るまでの間に軽く水洗いをする。竹光だけが使うタンブラーは、七種類ほどあった。

「多分、此処にあります」

 普段のベスト姿ではなく、ゆるいシルエットが特徴的なTシャツを着る五月雨に、思わず竹光は口元を手で覆う。暑い日が続くとはいえ、五月雨が薄着をするとは思っても見なかった。
 後ろから見て気がつかなかったのは、ベスト柄だったから。

「どうぞ」

 悶絶する竹光を気にする素振りの一つもなく、普段通り竹光が飲むカクテルを慣れた手つきで作り上げる。差し出されたタンブラーを受け取り、竹光はお礼もいい加減にしてそそくさとその場を去った。
 残された五月雨が一人首をかしげ、服のチョイスを間違えたのかと思い少し気を落としたことを、竹光は知らない。




「杲」

 部屋の隅に置かれたベッドの上、杲は三角座りをしていた。数ヶ月前に染め直した金色の髪が、自分の名前を呼ぶ声に反応し優しく揺れる。長い前髪から覗く、二つの眦の下がった瞳が、声の主を捕らえた。

「……漆原さん?」

 頷いた漆原が杲の部屋へと入る。杲は特別驚いた様子も無く、一歩も動かずに視線だけで漆原を追った。
 杲の部屋は漆原に負けないくらい殺風景だった。実用的な家具は杲が座るベッド、使われた形跡の無いテレビ。この二つしかない。

「最近、どうだ」

 横に腰掛けた漆原の言葉に一瞬戸惑うも、すぐに合点がいった様に「普通」とか細く呟く。漆原が杲を気に掛けていたのは、数日前にこなした依頼に関係していた。膝に視線を投げたまま、答えたっきり口を閉ざす杲の横顔を見て、漆原は一度上下させてから言葉を発する。

「今晩か明朝——きっと今晩になるだろうが、テル=ベラへ行くことになった」

 指を組み、告げた声色は、遠慮が混じりこんでいた。そのまま漆原は言葉を続ける。

「今回は竹光と自分を含めた二人に加えて、外部の協力者と四人で行うつもりだ。杲、お前のことは今回置いていく。五月雨達と一緒にシンで待っていてほしい」
「——やだ」
「……は?」

 驚き杲を見ると、膝においていただけの手はしっかりと膝を掴み、小刻みに震えていた。杲が何処に焦点を合わせているのかは分からない。けれど、少なからず杲の気持ちが分かっていた。
 残される怖さを今まで何度も想像してはパニックに陥っていたこと、テル=ベラという名前を拒絶するようになっていたこと。幼い頃この組織に連れてきてからの数年もの間、癒されることの無かった傷。

「杲、貧困街は」
「嫌だ」
「杲」
「また会えなくなるのは、もう、やだ」

 幼き日をともに過ごした金髪の少年の姿が、杲の目には映っていた。膝をさらに強く握る。その様子を申し訳無さそうに漆原は見た。

「ね、出てって。……お願い」

 震える声はそれ以上誰も寄せ付けない。
 触れれば儚く散る淡いシャボン玉が如く、その心は弱かった。
 深くまで刻みついた孤独の恐怖を、未だに飼いならすことが出来ないほど。

「ああ。すまない」

 優しく杲の髪に触れれば過剰に肩をビクつかせる。静かに立ち、そっと部屋を後にした。心には幾許かのやるせなさと、罪悪感とが争いあう。煙草を求めてポケットを探るが、一式竹光の部屋に置いてきた事を思い出し、乾いた笑みが思わずこぼれた。

「ん?」

 竹光の部屋に戻るため廊下を歩いていると、遠くから大きな足音を立てて歩く男が近づいてくる。口元を手で押さえ、視線は下を向いていた。

「花」

 驚いたように顔を上げたのは、トマトかそれ以上に頬を赤く染めた竹光。良く見れば耳まで赤くなっている。手に持っているタンブラーから、キッチンへ向かったことは容易に分かった。
 部屋を出たときからキッチンへ向かったことは分かっていたが、赤くなって帰ってくるとは思いもしていなかったのだ。

「……すよ」

 漆原の目の前に来て立ち止まった竹光が、小さく口を開く。よく聞き取れないくらい小さな声に、漆原が聞き耳を立てると、きっと顔を上げた竹光が再度声を発した。真っ赤な顔が漆原の両の目に映る。

「あんなの反則っすよ!! もうさっちゃん……おっぱい大きいのにあんな胸元開いただるっだるのTシャツ着て……! 俺が恥ずかしくなったじゃないすか! うああああああもおおおおおおおお!!」

 言うが早いが顔を片手で隠しながら、竹光は廊下を走っていく。残された漆原は呆気にとられ、その背中を口が半開きのまま見つめた。台風一過と形容してもいいんじゃないかと、先の竹光を心内で揶揄する。
 きっと竹光の言葉は五月雨にも杲にも、他の住民にも聞こえているんだろう。そう考えると、少し竹光が可哀想に思えた。横目で部屋の扉を見やってから、漆原も竹光を追い部屋へと戻る。

「まろまゆ、お前うるせーぞ?」

 自室のように寛ぎ、竹光のベッドに寝転んだ久成が呆れ顔で告げた。竹光は部屋に入ったと同時に、ふらふらとデスク付近にある誰も座っていない椅子へと進んでいく。テーブルに置かれた椅子に座る久泰と、ベッドの久成は、何も言い返してこない竹光を不審がった。
 椅子に座り、真っ赤な顔で大きなため息を吐く。長い長いため息が終わると、また小さくため息を吐いて、タンブラーをぐいっとあおった。緊張で乾燥した喉を、アルコールがとくとくと流れていく。

「っああ! もうほんっとさっちゃん耐性ほしいよもう! なんであの子あんな可愛いくせにあられもない格好で……! 変な虫がよりついた、ら?」
「っ!?」

 頭を抱えて悶えている竹光が、二人の視線を感じたのか錆付いたネジを回すようにして、二人を見る。居た堪れない、複雑そうな顔をする二人とそれぞれ視線を合わすと、一気に顔を赤くした。
 
「まろ眉お前恥ずかしくねーのかよ」

 口元に苦笑いを浮かべる久成に、竹光は真っ赤な顔でにらみつけた。そして大きくタンブラーを傾け、何回かに分けて酒を呑んでいく。タンッと音をたてて、デスクにたんぶらーを置く。
 真っ赤な顔をしたまま立ち上がり、久泰と久成の二人をじっと見た。

「取り敢えず今さっきまでのことは忘れろ! あと、今はまだえーっと、三時も回ってないけど、テル=ベラに向けて出発するのは日の入りと同時だからな! 俺の部屋の隣が空き部屋だから、双子はそっち使え! 俺のことは放っとけ、ほらさっさと!!」

 言うが早いが二人の手を掴んで廊下へ出す。大きな音を立て閉められた扉を、二人は訳が分からないと言いたそうに見つめた。丁度よく戻ってきた漆原にいぶかしげに見られ事の経緯を説明すれば、困ったように笑みを見せる。
 扉は固く閉められ、開く気配はない。仕方ないと一言呟き、漆原は二人を自室へと招いた。

「殺風景なところだが、たった二人で部屋にいるよりかは安心できるだろう?」

 とても優しく聞こえる声色。けれど言外に伝えられた意味に、二人は苦笑いで返すしかなかった。

「あのまろ眉の部屋には色々あったのに、こっちの部屋はどうしたんすか?」

 遠慮も無く漆原のベッドに腰掛けながら言う久成に、漆原はコーヒーを注ぎながら「人に譲ったんだ」と笑みを零し告げる。白く塗られた壁、白い天井、家具の殆ども白で統一された空間。
 竹光の黒が基調とされていた部屋とは真逆で、出されたコーヒーに手を付けながら、久泰は興味深げに隅々まで視線を走らせる。

「まだ、夜まで時間ありますよね。どうして俺達に依頼したのか、無粋ですけど教えてもらえたりってします?」

 一口飲んだコーヒーの香りが、口の中でふくらんだ。果てにベッドに寝転んだ久成はそのままに、二人は質素な椅子に座る。部屋の中央に置かれた、申し訳程度の椅子とテーブルだ。
 二人の視界にはそれぞれのカップから立ち上る湯気が、僅かに相手をかすませる。

「テル=ベラ、もとい今回行こうとしている貧困街には俺と竹光の二人に加え、もう一人、杲を連れて行く予定だった」

 口火を切る漆原。「だった」という言葉に、久泰は簡単に片付けられない理由があったのだろうと推測する。

「だった、って言うことは今は連れて行かないって判断にしたんですか?」
「ああ」
「それは、どうして?」

 言い難そうに伏目になったが、一度コーヒーに口をつけた漆原は再度口を開いた。

「十年くらい前になるか。メリアに居つき始めた頃、竹光と貧困街へ行くことがあった。色々、では表しきれないほどの出来事が起こったが、その内の一つに関わっていたのが、アキと呼ばれていた少年とエドと呼ばれた少年だ」

 俺達はそこから、アキと呼ばれた少年だけを連れて帰り、名前に字を当てた。

「それが、今同じ組織にいる猶崎杲と呼ばれる男だ」

 大切なところはうまく隠しにかかったな、と。それがこの話を聞いた久泰の最初の印象だ。何度か依頼を共にすることはあるが、根は他人。此処まで話してくれること自体、普通ではありえないことなのだ、と自分自身納得させる。
 漆原の視線は、他に何かあるかと問うているようなもので、久泰は首を横に振った。

「俺らには、その情報だけで十分です。取り敢えず、バカ兄が寝ちゃったので、ハルティエンの下見付き合ってもらっちゃっていいですか?」
「出来れば、杲って子も一緒に」