複雑・ファジー小説

Re: CHAIN ( No.8 )
日時: 2015/03/23 23:01
名前: えみりあ (ID: 1SUNyTaV)

 ユリアンはその様子を、ただ黙って見つめていた。マーガレットの後ろ姿は、よどみがなく、美しい。

 しかし、その美しさは、彼女が子供だから持てるものだ。ユリアンはマーガレットとたった2歳しか違わないが、すでに知っていた。奪われた方の心の痛みを。

「……さてと」

 ハサンの最期を見届けたマーガレットは、ユリアンの方を振り向く。

「今までほったらかして、ごめんね?足、痛かったでしょ?すぐ治療するね」

 さきほどまでの堂々たる姿は、どこに行ったのだ。一変して子供のような表情で笑う。

 マーガレットは、壁際で休んでいたユリアンに駆け寄り、ブーツを脱がせ、ズボンの裾をそっとめくった。ユリアンがずっと、自分で傷口を抑えていたため、血はほとんど止まっていた。しかし、ナイフは思っていたより深く刺さっていて、この足を少しでも動かせば、また血があふれてきそうだった。

 縫合が必要だ。

 マーガレットは、軍服の上着をぬぎ、簡単にたたんで脇に置いた。ユリアンは、ベスト姿のマーガレットを見て驚いた。

———こんなに動きにくい格好で闘っていたのか。

 マーガレットは軍服の下に、いくつものポーチをベルトで固定していた。その中の一つから脱脂綿を取り出す。すでに湿らせてある。匂いから察するに、消毒アルコールだ。ユリアンは不快そうに顔をゆがめた。

「ちょっとしみるからね?」

 マーガレットは傷口にそっと脱脂綿を当てた。声こそ上げたりはしないが、瞬間、激痛が走る。

 あらかた傷口をきれいにした後、マーガレットは別のポーチから注射器を2本取り出した。一本は黄色。一本は白。おそらくは、麻酔薬と解毒薬だ。丁寧にガーゼの上に置き、新たにもう一枚取り出した脱脂綿で傷口の周りを消毒しようとする。

 すると、ユリアンが青い顔をしてその手をつかんだ。

「だ……大丈夫だよ?私、こう見えても医学士で……」

 マーガレットはユリアンを説得しようとするが、彼の様子は明らかに異常だった。肩で息をして、震えている。

「違う……違うんだ……お前があんまりにもどんくさいからって、そんなの嘘だろって疑ってるんじゃない……」

「(はっきり言うなあ)……じゃ、どうしたの?」

 今度は、わずかに頬が紅潮している。そして、意を決したように口を開いた。

「俺は……注射が……怖い……」

 瞬間、マーガレットの手が止まった。ユリアンはうつむいたまま、顔を上げようとしない。というか、恥ずかしくて顔が上げられない。20歳にもなって、未だに注射が怖いなどと……

 ややあって、マーガレットは、ユリアンの手に自分の手を重ねた。そして、ユリアンが顔を上げると

 彼女は嘲笑せず、ただ、優しく微笑んでいた。

「おかしく……ないのか?」

「笑ったりしないよ」

———だって、見た感じ、子供みたいに怯えてる訳じゃない……

 そして、掴まれていた手をそっと振りほどく。

 それから……

「っ!?」

 ユリアンの頭を両腕で抱きしめた。

———精神的な何かが、きっとあったんだ……かわいそうに……

 ユリアンはそれを拒まなかった。マーガレットの腕の中は温かく、心地よい感じがして、先ほどの怯えが引いていくようだった。先の闘いの間際、彼女の言った言葉が頭の中で反響する。

「必ず、護るから」