複雑・ファジー小説
- Re: CHAIN ( No.17 )
- 日時: 2015/03/24 00:14
- 名前: えみりあ (ID: 1SUNyTaV)
+ + +
「はい……はい……そうですか。分かりました。では、失礼します」
ある研究機関の事務室。職員の男は、深刻な面持ちで電話を切った。
「リリーさんの搬送された病院からですか?それで、彼女の容体は……?」
隣から、女性職員が慎重に尋ねる。男性職員は、深いため息をつき、首を振った。
「……このこと、マーガレットちゃんには……」
「言えるわけないだろ!唯一の肉親である、母親が死んだなんて……」
男性職員の声は、偶然事務室の横を通りかかった、その少女の耳に届いてしまった。
+ + +
上陸前の談話室。シドニーは重大なことを口走った。
「アイツには……奪われるものがない……だと?」
ユリアンが聞き返す。シドニーは、困ったような顔をして、続けた。
「マーガレットの母親は、彼女を生んだ時、経済的に厳しい状況だった。そこでマーガレットは、アルビオンのある軍事施設に預けられた。莫大な資金と引き換えにね」
ユリアンは悲痛そうに顔を歪めた。金でやり取りされる、命。
「その施設には、マーガレットと似たような境遇の子が何人もいた。そこの子たちは、みんな、ある希望を頼りに生きていた。それは、いつか自分が立派な海兵になった時、本当の母親が迎えに来てくれること」
シドニーはそこでいったん話を切り、さんざん迷った挙句、やはり、意を決して続けた。
「ユリアン、グラスゴー事件って知ってる?」
「ああ」
グラスゴー事件は、アルビオンの造船所が『アダーラ』の構成員によって爆破された事件だ。職員も民間人も巻き込まれ、多くの命が奪われた。ユリアンはその時12歳だったので、そのニュースをよく覚えている。
「……マーガレットの母親はね、その当時、その造船所で働いていたんだよ」
ユリアンは、あまりの衝撃に言葉が出なかった。
結末を言うまでもない。マーガレットの母親は、あの『アダーラ』に殺されたのだ。
唯一の家族を失った悲しみ。そんなものが、あの笑顔の裏に隠されていたなんて……
『親を奪われても』
それでも彼女は言っていた。許す、と。
「……加えて言うとね、彼女の育っていた施設は、危険度の高い任務遂行のために子供を育てる施設だった」
シドニーはさらに続けた。ユリアンは、これ以上聞きたくない心地がした。
「あの子の仲間はね……みんな死んだよ。たくさんの困難を乗り越えて、彼女だけが生き残った」
とうとう、一筋の涙が、ユリアンの頬を伝った。
『友達を奪われても』
それでも彼女は……
リストとユリアンの言い争いで、核心に近かったのは、ユリアンの方だった。マーガレットの信念は、弱い妥協心から来るのではない。失った者だからわかる、相手に同じ思いをさせまいとする、強い愛情。
「……ひとつ、聞いてもいいか?」
シドニーは鼻をすすり、呼吸を整えてから返した。
「なんだい?」
ユリアンは、涙をぬぐい、喉から声を絞り出す。
「なぜ……お前は、そんな重要機密を、俺に教えたんだ」
シドニーは、いつものように、ふにゃりと顔を緩めて、しかしその目は物悲しく、答えた。
「ひとつは、さっきも言った通り、君がマーガレットのことを理解してくれているようだったから」
「……もうひとつは?」
ユリアンにせかされ、シドニーは考え込む素振りを見せる。そして、ユリアンの顔を覗き込んでから、うなずき、口を開いた。
「こっちは俺のカンだけど……君の表情が、一人の女性を愛する、男の顔だったから」
ユリアンの脳裏に、ヴィトルトの顔がよぎる。しかし今度は……
「そう……か」
不思議とその言葉が呑み込めた。
+ + +
マーガレットは、降りしきる雨の中を、傘もささず、行くあてもなく、ただ走っていた。
———ウソだ……ウソだ……ウソだっ!
ついさっき聞いてしまった、職員の会話。その事実を、この世とすべての関わりが絶たれたという事実を、認めたくなくてただ走る。
アスファルトは濡れていて、滑りやすくなっていた。
「あ……っ!」
足が滑り、水しぶきを上げて転んだ。膝が擦れて、血が雨ににじむ。
「ふ……うぇ……っ」
それが、痛みから来るものなのか、それとも別のどこかから来るものなのか、マーガレットにそれは分からなかったが、嗚咽を漏らした。雨が、彼女の涙をかき消してゆく。
「こんなところで、どうしたの?」
突然、雨がやんだ。正確には、マーガレットの周りだけだが。
青年は傘をさしだし、瑠璃色の美しい瞳で、マーガレットの顔を覗き込んだ。どうやら政府の高官のようで、上等そうなスーツを着ている。
マーガレットは、一瞬言葉を失う。そして、思い出したように泣き出した。
「お母さん……お母さんが……」
青年は、悲痛そうに表情を歪め、押し黙る。考え込んだ挙句、紳士らしく少女の手をとり、そっと立たせる。
そして、少女の冷たい体を抱きしめた。
その温もりに、少女はまた言葉を失う。
どうして彼は、自分に傘を差し出してくれるのか。どうして彼は、自分を抱きしめてくれるのか。どうして彼は、自分を慰めてくれるのか。いや、それよりもお礼を言わなくてはならないか。しかし……
「……お召し物が……汚れてしまいます」
さんざん頭の中で語彙を絞り出し、やっとのことで出た言葉が、それだった。これにはその青年も苦笑を隠せず
「いいんだよ、気にしなくて。今は泣きたいだけ、お泣きなさい」
といって、マーガレットの頭を優しくなでた。
せきを切ったように、マーガレットは声をあげて泣いた。そんな彼女をしっかりと抱きしめ、青年は耳元で言う。
「強く、おなりなさい。今度こそ、その手で大切な人を守れるように」