複雑・ファジー小説
- Re: CHAIN ( No.22 )
- 日時: 2015/03/24 00:20
- 名前: えみりあ (ID: 1SUNyTaV)
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ユリアンが目を覚ました時、そこは見慣れぬ部屋だった。
四方をコンクリート製の壁に囲まれ、そのところどころには、黒い染みが見られた。窓はなく、出口は扉が一つだけ。そのほかにあるのは、空調機器、何も置かれていない台、そして床に固定された椅子。
いわゆる、拷問用の椅子らしかった。ユリアンは、それに座らされ、両手足を革製のかたいベルトに拘束され、ほとんど身動きが取れない。
今から、何が起こるのか。前に、真夜中に父が見ていたマフィアの映画を思い出し、身震いをする。
ギィィ……
耳障りな音を立てて、重たい扉が開いた。
入ってきたのは、トルコ系の男。年齢は30代半ばだろう。ぎょろっとした眼をしていて、顔色はあまり良くない。いかにも研究員らしい格好で、白衣を着用している。舌なめずりをして、にやりと笑い、持っていた大きな革製のバッグを台の上に置いた。
「ここはね、あの研究所の地下室なんですよ」
聞かれてもいないのに、男はバッグの口を開きながら話し始めた。バッグの中から怪しげな薬品を次々取り出し、台上に並べる。
ユリアンは3年間も研究所に出入りしていたが、地下室があることは聞かされていなかった。疑り深く、その男を見つめる。
「この施設は昔、特別刑務所だったのを、10年前に改装して建てたんです。だから、こうしてその名残が残っている」
特別刑務所は、捕虜となった『アダーラ』の戦闘員を収容する施設だ。拷問部屋があっても何ら不思議ではない。ユリアンは、そんな施設がドレスデンにあること自体初耳だった。しかし考えてみれば、納得のいく話だ。要塞都市ならば、閉じ込めることに向いているからだ。
「何人もの同志がね、この部屋で殺されたんですよ。それはそれは、悲惨な死に方で」
うすうす気が付いてはいたが、この男は『アダーラ』の構成員のようである。
男は注射器を取り出し、薬品を吸い上げる。
「いったい……何を……」
全身の血液が逆流するような恐怖を感じた。ユリアンは目に涙を浮かべ、手足を必死に動かし、精いっぱいの抵抗をする。アルコールの匂いが、鼻をツンと刺激した。
「大丈夫。よい夢が見れる、おまじないさ……」
そして悪夢が始まる……
+ + +
ユリアンは、スーパーマーケットから出てきたところのビアンカを見つけた。すでに、食材調達は終わった模様。
———やっぱり入れるのか……シナモン……
ちょっと泣きそうな顔で、その姿を見守る。
不意にビアンカは、近くにいた老婆に話しかけた。腰をかがめていて、荷物を持ちにくそうにしている。
ユリアンは、老婆の姿に妙な違和感を感じた。やけに背が高いのだ。
しかし、ビアンカに対し、丁寧にお礼を言って笑顔を向ける姿を見て、すぐに思い過ごしだと自分に言い聞かせた。
———それにしても、ずいぶん、大人になったな……
妹の成長を感じ、思わず顔がほころぶ。そしてあわてて表情を戻す。はたから見れば、明らかに変質者だろう。
「あら……ユリアン君……?」
唐突に後ろから声をかけられた。どこかで聞いた声だ。振り向き、その顔を見て
「あ……」
ユリアンは、申し訳なさそうに顔を伏せた。イザベルの母親だった。12年前の記憶が蘇る。
「その……」
言葉が出てこない。とりとめのない普通の会話がしたいのだが、記憶に邪魔されて、何も言えない。
「……すみません、俺、帰ります」
一言そう言って、ユリアンは踵を返した。この人に、合わせる顔がない。ただ、そう思って。
イザベルの母親は、一瞬、悲しそうな表情を浮かべ、そしてユリアンの気持ちを察したように、優しく微笑みかける。そして、ユリアンの背中に向かって、言った。
「ユリアン君……お帰りなさい」
そんな言葉を、かけられると思っていなかった。
イザベルの母親の言葉は、ユリアンの心の奥にまで沁み渡り、そして悲しくも、その心を深くえぐった。
たまらなくなって振り返ると、彼女の姿は逆光を受けて、顔が暗くて見えなかった。そしてそれは、いつかのイザベルの姿と重なって、ユリアンの中に、あの日の記憶を呼び起こした。