複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.1 )
- 日時: 2015/12/04 21:45
- 名前: 月白鳥 (ID: kkPVc8iM)
Book 1:鍛冶と細工の守神
Page 1:翠龍線上の機銃
「お、らっしゃい。——久方振りだな」
「嗚呼、大体一年だ」
ネフラ山麓駅。
プレシャ大陸のど真ん中を南北に横切る大山脈、ネフラ山系——通称『翠龍線』——の山麓、その西側に広がる、鍛冶と細工の一大拠点。同時に、旅人と根無し草のための宿場町。
冬の寒さが一足先に山から下りてくるこの街では、晩夏の辺りから翠龍線を越えて東側へ行こうとする旅人が増えてくる。かく言う俺も、同じ目的を抱えて此処へ来た。
此処には俺の知り合いが数人居る。その内の一人がこの、街外れの雑貨屋を営むトカゲの店主。その名も、ロレンゾだ。
「手前が此処に来たってこた、今日は山登りの装備でも探しに来たか?」
「いや……まあ、それもあるけど。ベルトの替えが欲しい」
「ベルト? 何でェ、一年前頑丈なのに取り換えてやっただろがい。俺ァ手前に一年で壊れる不良品をやった覚えはねェぞ」
ロレンゾの雑貨屋は、家と家の間に挟まるように建っている。
店の中は窮屈で狭い。決して小さな店ではないのだが、品揃えがちょっと豊富に過ぎるのだ。布製品、陶磁器、金物に宝飾品と、おおよそ思いつく限りのジャンルと量の商品に対して、店の面積は圧倒的に足りていなかった。店主たるロレンゾとその奥方、それに客が五人入ればもうぎゅうぎゅう詰めだ。
物干し竿を蹴倒さないように注意して客とすれ違いながら、ロレンゾの居るカウンターの前に立つ。はめ込んだモノクルの奥、金貨の色にも似た、左だけしかない瞳が、俺を睨むように見つめていた。
——今でこそ場末の一雑貨商だが、四十年前のロレンゾと言えば、巷を騒がせた一角の軍人。もしそんなことを知らない子供でも、隻眼に隻腕で傷痕だらけの彼の姿を見れば、凄絶な修羅場を潜ってきたことくらいは伺い知れるだろう。
そして彼自身、そうした戦場の臭いには敏感な性質だ。首を傾げ、じぃっと俺の眼を覗き込んでいたかと思うと、彼は平生でも険しい表情に一層深い影を落とした。
「血生臭ぇぞ、手前。何してやがった」
「ちょいと手違いでね、紛争地帯に行ってた。ベルトもその時に流れ弾の盾になっちまったよ」
「はっ! 最初からそう言いな」
ロレンゾに嘘は付けない。素直に事情を話すと、彼は面白くなさそうに吐き捨てて椅子に体重を掛けた。ぎぃっと古い木が軋んでもお構いなし、軍靴を履いた足を組んで、カウンターに肘をつく。はぁー、と店中に聞こえるほどの大きな溜息で、品物を見ていた別の客数人がこっちを見てきた。
客の前でその態度はどうよ……と、言った所で多分聞かないだろう。
「よく生きて帰ってこれたな。手前みたいなトーシロが潜れる場所じゃねェぞ、普通は」
「ん……ラミーの力を借りたよ。土砂降りにして火薬が湿気てる内に抜け出してきた」
そこまで言って、湿気たはないなと思わず苦笑いした。
ラミーは俺達のような知性ある動物——学問的に定義されるところの『智獣(ちじゅう)』とは一線を画した、特別な存在。幻獣とか守神とか言って崇め称えられている中の、人魚(メロウ)と呼ばれているものだ。
けれども、人魚だと言う以前に彼女は俺の従者。ラミー自身も自分が特別凄い存在と思っているわけではない……のだが、本来なら神様のように称えられてしかるべき力を持っているのは間違いないだろう。
一度火のついた火薬が水浸しになるほど雨を塹壕に降らせ、三時間だけとは言え戦争を雨で止めてみせたのは、他ならぬ彼女なのだから。
「ほーん、相変わらず人魚ッコは器用だな。んで、その人魚ッコは?」
「里帰りさせてるよ」
そんな人魚のラミーだが、今此処には居ない。
根無し草の俺と違って、彼女には帰る家がある。泉や池や湖と言った、とかく水が一所に留まっている場所がその玄関口だ。このネフラ山麓駅へ来る前、彼女には街外れの泉から家に帰ってもらっていた。
それにも理由がある。そしてそれを、ロレンゾは見透かしていた。
「スカした顔しやがって。手前等みたいな小僧に何が出来る?」
「約束しちまったもんはしょーがないだろ。破るのは俺の流儀じゃない」
「ジジィみたいなこと抜かすんじゃねぇ青二才。約束を必ず果たすのは俺達老境の役目だ、二十歳の鼻垂れがした約束なんざ破るもんだろがい」
「あのな。何の為に翠龍線の根元まで来たと思ってるんだ」
ばしっ、と歯切れのいい音。きっとロレンゾが尻尾を床に叩き付けたせいだろう。
呆れたように息を吐き出して、彼はやおら席を立った。乾いた木の床と椅子の足が擦れ合ってがたがたと大きな音が鳴る。その音に客の数名がこっちへ顔を向けたものの、俺がその方へ目を向けると、慌てたように商品選びへ戻っていった。
別に睨んだつもりはないんだけど……なんて思う隙に、ロレンゾはガラス玉を繋げて作った暖簾をかき分け、ずかずか店の奥へ入っていく。何にも言わないから何がしたいかよく分からない。突っ立つばかりの俺に、もう一度暖簾の向こうから顔を出したロレンゾは、黙って手招きした。
「会計の前で突っ立ってるのもアレだ。委細は書斎で聞く」
「その会計はどうすんだよ。俺達が話し終わるまでほっぽらかすつもりか?」
「ローザが代わる。三時間だ、さっさとせんかい」
言うだけ言ってロレンゾは顔を引っ込めた。そして、そのタイミングを計っていたかのように、アルビノのトカゲ——彼があだ名するところのローザが店の奥から出てくる。色黒でやたら筋肉質な旦那とは対照的に、掴めば折れてしまいそうなほど線が細い。
そんなローザ夫人は、当たり前のように今までロレンゾが座っていた椅子に腰かけて、静かに店の奥を手で指した。そして、アルト調の声が後から付いてくる。
「私のことはお気になさらず。話して来て下さい」
「ん、ありがとう。三時間だけロレンゾ借りるよ」
「ええ、夫の返却を御待ちしておりますわ」
「おっけ」
ミスティックな雰囲気の女性なのだが、案外冗談も通じるのが不思議なところだ。
くすくすと小さく笑うローザ夫人に短く返して、ロレンゾの後を追った。