複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.16 )
日時: 2016/10/30 14:36
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)
参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=48.jpg

 立ちはだかる石の壁は、瞼。
 夜闇の星にも似た玉は、瞳。

 この坑道を作っている石と鉱石に埋もれ、それでも“それ”は生きていた。蛍の光より尚青く、陽に透かした新緑より尚鮮やかに、緑色の目は爛々と輝いている。その真ん中に細長く見える黒目の洞々さは、まるで緑の紗幕(しゃまく)を縦に引き裂いたかのようだ。
 特定の意志や意図を含まず、ただ焦点だけを定めてくるその目に、直感する。
 ——この“眼”はラミーと同じだ。
 ヒトでも、獣でもない、より上位の存在なのだと。

「も、守神……」

 エシラの呟きは、ほとんど息のようだった。
 そしてその呟きと、少し後に零れたラミーの静かな声が、俺の直感を確信に変える。

「——お詫び申し上げます、『鍛冶と細工の守神(トバルカイン)』。此処にて不要に騒ぎ立て、眠りを妨げてしまいましたのは、貴方の此処に御座しますことを知らぬ者です故」
「? 人魚よ、貴様……」
「『泡沫の歌うたい(メロウ)』の名に免じて、どうか御赦しを」
「!!」

 狼狽えるエシラには敢えて目を向けず。
 深々と頭を垂れ、いつもの無邪気で朗々とした声を静々としたものに変えて、淡々と謝罪の文言を述べるラミー。それに対し、“眼”は何の意志を語りかけてくるわけでもない。だが、見定めるように俺達三人を順繰りに見たかと思うと、何処か楽しそうに少し目を細めた。
 引き続いて、瞬きを一つ。一旦大きく瞳を見開き、黒々と冴える瞳孔を針のように細めて、それはゆっくりと瞼を半分降ろす。
 瞬きをして、見開いて、半目になる。意識してすることもない、あまりにも些細な一挙一動にさえ、全身を縛り付けるほどの重圧と威圧がまとわりついていた。守神のお姫様と接し続けている俺がこうなのだから、エシラなどは魂が半分抜けちまっているだろう。
 ちらり、と横目に見ると、エシラは指をさした体勢のまま、石のように固まっていた。

「エシラ、おい。戻ってこい」
「……ダメだよエディ、すっかり石になっちゃってるよ」

 耳をもしゃもしゃとくすぐったり、鼻をつんつん突いたり、軽く往復ビンタしてみたり。ラミーが努力と言う名の悪気ない意地悪を繰り返しても、エシラは固まったきりだ。多分、興奮しすぎて色々と振り切れてしまったのだろう。こうなったらもう、放置して戻ってくるのを待つしかない。
 零れ出る溜息に声を乗せて、まだぺちぺちエシラの頬を叩いているラミーに問いかけた。

「たまにゃ自分用に石拾うか? ラミー」
「良いの!? ほんと!?」
「まあ、此処に来るまでに雨降らせたり何たりしたしな。ちょっと持って行っても怒られたりしないだろ」

 戦場で何かと水を呼んだり退けたりしてくれたご褒美。お小遣いって奴だ。
 とは言っても、彼女は拾った宝石を全部自分用のアクセサリーにしてしまうから、此処で何十個石を拾っても金にはならない。現物支給のお小遣いって言うのも何だか変な気がするけど、当人はそれで満足そうだから、好きにさせておけばいいと思う。
 ラミーが拾う石の大きさなんてたかが知れてるし、坑道の奥に埋もれた“眼”も、俺達を妨害する意志はなさそうだし。俺が口出しするようなことはないだろう。

「ほれ、このバケツ一杯。それ以上は持って帰るなよ」
「分かってるよぅ、ありがとー!」

 釣り人がよく後片付けに使っている、折り畳み式の小さいバケツを貸してやると、ラミーは大喜びで洞窟の天井高くまで飛び上がって行った。興奮して無意識の内に魔力でも発散しているのだろうか、今まで周囲をぼんやりと照らすだけだった魔燈鉱が、足元に影を落とせるほどの強さで輝いている。
 こんなんで十六歳の女の子、しかも王位継承権を持っているお姫様だって言うんだから、人魚の世界はよく分からない。

「おーい、あんま飛び回るなー。また迷うぞー」
「はぁい」

 調子に乗って何処までも飛んでいきそうなラミーを眼で追いかけ、たまの声でそれとなく制しつつ。ぼんやりと頭の片隅で考え事をしていた俺の耳に、奇妙な奴等だ、と掠れた声が届く。目と意識をそちらに向けてみれば、エシラは相変わらず身体を“眼”に向けて立ち尽くしつつ、口の端に引きつった笑みを浮かべていた。
 今の今まで腕にぶら下げていたステッキを突き、ややぎこちない動きで顎を擦り擦り。彼の興奮はいくらか収まったようだ。ずっと忘れていた瞬きを一つ、じっと見つめてくる“眼”を真正面から見つめ返しながら、芯のある声で問うてきた。

「守神の一員、それも王族の係累と旅が出来るのか?」
「当人もそれが良いっつってるしね。王族だからって崇めてもしゃーないだろ」
「阿呆め、そんなことは聞いとらん。あれが『泡沫の歌うたい』だと言うのなら、彼女は深海の底にしか居られないのではないか? 守神は支配圏より外に出られる存在ではないはずだぞ」
「あぁ……それか」

 エシラの言うことは至極尤もだ。
 守神とは、端的に言えば管理人みたいなもの。色んな所に沢山いて、場所や事象の秩序を構築・維持する。そして、その為の特別な力と権限を持った、俺達知性ある獣とは共存しながらも一線を画した存在だ。何しろ物事の根っこを管理する存在、その力は絶大だが、それだけに制限も多い。
 その一つが、エシラの指摘した行動範囲——支配圏の話。彼等、それも場所や地形を掌る守神は、一度そこの管理を始めたらもう、その役目を終えて命尽きるまで、二度とその場所を離れることが出来ないのだ。もし無理やり外へ出ようとすれば、守神は存在する意味を失って消えてしまう。
 ——俺は、見たことがある。子供らしい好奇心の強さのあまり、俺の頭にへばり付いたまま花畑の外へ出ようとして、笑いながら散華した花の妖精を。ラミーが俺の旅に同行する二年前のことだった。
 ふっ、と頭から重みの消えた、あの時の怖気と虚無感。
 思い出すと背筋に悪寒が走る。
 けれど、そんな様子は見せないようにしながら、エシラの問いに適当な言葉を返した。

「……水は何処にでもあるからな」
「それはそうだが、それは関係あるのか?」
「俺にもよく分からん。聞いていいことかもよく分かんないし、ラミーが自分から言うまで聞かないことにしてるんだ」

 本当は、聞いたことがある。けれど、ラミーは茶を濁し、最後まで明確なことは一言も口に出さなかった。ただ分かるのは、『泡沫の歌うたい』を含め、多くの人魚は地上でも活動出来る権限があると言うことだけだ。それでも彼女ほど自由に動けて、その力まで行使できるのはかなり珍しいのだが。
 きゃらきゃらと楽しそうな人魚の笑声が、広い坑道に響く。
 その声に、いつの日にか消えてしまった妖精の面影を聞いた気がした。

「…………」

 ぞっ、とした。