複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.17 )
- 日時: 2016/10/30 14:41
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)
- 参照: http://www.kakiko.info/upload_bbs3/index.php?mode=image&file=178.jpg
「エディ、どうしたの? 顔色悪いよ」
「ん、嗚呼……疲れてるのかもな」
本当にバケツ目一杯の魔燈鉱入りエメラルドを拾い集め、ほくほく顔で戻ってきたラミーに、なるべく平静を装えたと思ったら顔が引きつっていたらしい。首を傾げ、心配そうに近寄ってきた彼女に、今度こそは自然体で笑いかけた。
好奇心猫をも殺す。そんな過去の格言通り、好奇心に身を滅ぼした妖精のことは彼女に伝えていない。あの恐ろしい思いを誰かと共有するに、俺はまだ、整理が付けられていないのだ。心の中で言葉を選ぶだけでも支離滅裂になるのだから、口に出せば真実が不当に捻じ曲がるだろう。
ちゃんとした言葉に出来るまで、俺は隠すしかなかった。
「確かに、最近色々あったもんねー。大丈夫、エディ?」
「大丈夫じゃねぇよ全然。でも、多少無茶してても今は進むしかない」
「んぅー……私、危なくなっても今度は雨呼べないよ」
眉尻を下げ、何故か不満そうに尻尾をぱたぱたさせながら、ラミーは口を尖らせる。
分かっている。いくらラミーが例外的に権限が広い守神だとは言え、此処は海ではないのだ。地上で行使できる力には限界があるし、おまけに彼女は子供で、その上この間火薬が水浸しになるほどの豪雨を呼んだばかり。魔法を使うのはかなりの負担だと聞いているし、今回ばかりはどんなに不味い状況でも頼るわけにはいかない。
だが、俺だって十歳の時から旅をしている身の上だ。危機をどうやって切り抜けるか、その方策はいくつだって考えてある。
「とにかく、翠龍線越えだ。そろそろ太陽が南中するし」
「ん、おっけー。でもエシラさんは?」
「吾輩は山麓駅に戻る。端から道を知りたかっただけに過ぎんしな」
散々驚いたり怯えたり興奮したり、老体に堪えることをして疲れたのだろうか、エシラの返事は随分と素っ気ない。目深に被った中折れ帽の奥、広げた地図をぼんやりと眺める碧眼にも、疲弊の色が濃く出ていた。その様子を更に心配してか、傍に寄ったラミーがちょっと下から覗き込んで、止せとばかり視線をそらしたエシラに、何処か楽しそうな笑みを向ける。
そして、その場で手にぶら下げたバケツを抱え込み、ウズラの卵みたいな大きさの石を漁り始めた。がらがらごとごとと忙しい音をさせ始めた彼女に、エシラは一体何だと少し苛立たし気だ。
エシラのイライラが叫び声になる直前になって、ラミーは目的のものを探し当てた。
「はい、これ!」
「おう?……おぉ!?」
まるで誕生日プレゼントのような気軽さで取り出されるのは、深い青緑色の光を強く放つ、曇りの一点もない、魔燈鉱入りエメラルドの結晶。バケツの中に放り込まれた石の中でも特に上質な、普段なら絶対に自分の手元に秘めておくであろう代物だ。しかも大きさはニワトリの卵くらいある。
多分、宝石商に売り払ったら荷馬車に山盛りの金貨に化けるだろう。そのくらい価値のあるものだってことは、その道の専門家でない俺にだって分かる。ましてやエシラなどは、畏怖めいた感情さえ顔に浮かべながら、おずおずとそれを両手に押し頂くばかりだ。
「な、何故これを」
「やっぱり迷惑かなぁ」
「そうではない! そうではないが、本当に良いのか?」
「勿論っ! 私居なくても光るから便利だと思うよー!」
「は?」
「え?」
硬直。沈黙。理解。
どうやら彼女、これをランタンの代わりに出来れば良い、と思ったらしい。夜になったり洞窟を抜けたりする時に俺が魔燈鉱の結晶を使っているから、魔力の補助なしで光るこれなら灯りに出来ると思ったんだろう。
だが、魔燈鉱入りエメラルドの最上級品を「光るから」ってだけでランタンに使うとか、どんなに馬鹿な貴族だってそんなアホなことするまいて。そりゃまあ確かに光るけど、主立った用途は魔力から魔法への変換用の触媒であって、灯りとしての用途は二の次だ。そもそも、これは純粋な魔燈鉱に比べると鈍くしか光らない。
エシラの方も俺と大体同意見だったようだ。はぁあ、と力の抜けた溜息を一つ、両手に握り込んだごつい結晶を、彼女の下げたバケツに戻した。
「猫の目に明り取りは要らん。それに、こんな高価で使い勝手の悪いランタン恐ろしゅうて持っておられんわ。貴様が好きに使え」
「でも——」
「よく考えろ阿呆、光らなくなった後の用途が吾輩にはないのだ、これは。加工するにも原石のまま売り払うにも、これは高価すぎて誰も手を付けん。吾輩は魔法を使えんから、魔法の媒体として再利用も出来ん」
宝の持ち腐れになるから要らない。そうきっぱりと言い切って、しかし老商は少し考え込んだかと思うと、バケツの中から小指の先ほどの小さな結晶を抓み取った。ほぇ、と素っ頓狂な声を上げて首を傾げる人魚姫をよそに、彼はベストのポケットから薄べったい財布を出して、金貨を一枚バケツの中に落とす。
ちゃりん、と涼やかな金属の音。洞窟の中でそれは良く響いた。
「エシラさん?」
「……狸への手土産代と案内料だ。受け取れ」
老猫の声は低く、余計な詮索を許さない。思わずラミーと顔を見合わせた隙に、彼はふいっと禿泣き隧道に続く出入り口へ足の先を向けた。そのまま、一言の挨拶もなく、ステッキをついて出ていこうとする背に、声を投げつける。
「価値はあったかい、此処は」
「——“ありすぎる”。我々商人やその係累が、金儲けの為に掘り返して良い場所ではなかった。だがな旅鳥、吾輩は此処へ来たことを後悔はしておらん。……聖地が聖地としてまだ残っていた。それを知れただけでも十分だ」
先程までの大騒ぎが嘘のように、エシラはあくまで静かに呟いた。
そして今度こそ、小さな後ろ姿は暗闇に溶けていった。