複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.18 )
日時: 2016/10/30 23:11
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)

 秘密の坑道を抜け出し、何度も曲がりくねり分岐する禿泣きの隧道を通り抜け、段々辛くなってきた首の痛みに顔をしかめなどしながら、休憩と水分補給を挟み挟み歩き続けることしばし。
 隧道のもう一端、東側へ抜け出る出口に至った時、空の太陽は南中より少し傾いていた。

「やっとか……長かったなぁ、ホント」
「エシラさん、ちゃんと出られたかなぁ?」
「地図作ってるし大丈夫だろーよ。それより自分のこと心配しとけ」

 ここから、俺達は更に山を下らなければならない。隧道の出口は山の中腹より更に上、下に広がる陰鬱な樹海を避けるように穿たれているからだ。
 しかしながら、龍の頸は比較的低い山だとは言え、それでも山頂は高い位置にあるおぼろ雲を貫いてしまう。中腹のここでさえ、条件が揃えば雲海が見えるほどに高い。
 今は幸いにして、一片の雲もないほどの快晴。空気も澄みに澄んでいて、目下に広がる平野や森が驚くほど明瞭に見渡せる。この分だと天気が変わることもしばらくなさそうだから、ゆっくり歩いても問題はないんだろう。だが、やっぱり山の七合目の空気はかなり薄いし、何より秋口だからすごく寒い。さっさと降りるのが吉だ。

「ラミー、大丈夫か?」
「おっけーよー!」

 まだまだ元気そうな人魚姫の返事は、山を下りる合図。
 等間隔で岩肌に突き立てられた鉄の杭、その先の穴に通された頑丈な鎖を命綱の代わりに、俺がギリギリ一人通れるほどだけ作られた狭路に一歩足を踏み出した。
 と、同時。

「エディ、この音」
「……アエロー?」

 微かに聞こえる、咆え声のような音。クジラが口ずさむ歌にも似た、変化なく続く重低音は、遠くで聞いても間違えようがない。数時間前に海岸から飛び立った、あの冷たい鳥のものだ。
 しかし——いくらアエローの声が凄まじく、天候条件が良いとは言っても——これは聞こえすぎる。禿泣き隧道の東端は、龍の頸に幾つか穿たれた坑道の中でも階海から一番遠く、よく通るサンカノゴイの声だって流石に聞こえない。仮にあれがクジラの声を持っていたとしても、こんなところまで聞こえるワケがないのだ。
 まさか、あのジジイ翠龍線を越えてきたのか。だが俺が見たときには確かに海から発ったはずだ。
 疑問が疑問を呼ぶ中で、音は次第に近づいてきた。
 思わず目を向けた先で、視界の半分以上を占拠したのは、純白の翼。次に見えたのは、ぴかぴかと陽に照り映えながら、物凄い速さで近づいてくる、素っ気ないほどに真っ白な鼻先。

 ——見間違えようがない。アエローだ。

「エド、あれ、あれっ……!」
「言われなくても分かって——ああもうバカッ!」

 何で、こんな所をアエローが飛んでいるのか。そう疑問に思う暇も、何かあったのかと勘繰る暇もない。慌てるラミーには叱咤を一つ、俺は彼女の腕を掴んで傍に引き寄せ、鎖を伝手に身体を目一杯壁にくっ付けて、その場に伏せた。
 その瞬間を待っていたのように、伏せた俺達を地面から引っ剥がす勢いで、アエローの側へ引き寄せようとする向きの風が殴りつける。巨鳥はその風に逆行し、翼の先が岩肌に掠めるほど近付いてきたかと思うと、俺達の鼻先ギリギリで急旋回した。脳みそが爆発しそうなほどの低く重たい咆哮を奏でて、激突をスレスレで避けた鳥は再び広い空に飛び去っていく。
 その余韻だろうか、今度は空から壁に向かって颶風(ぐふう)が走り抜け、数秒も掛かって何処かに消えた。
 いきなりのことで飛び上がった心の臓は、それから何秒経ってもまだ、早鐘を打っていた。

「あ……だっ、大丈夫か? ラミー?」
「ぅうぅぅ〜。いきなり引っ張るなんてエディ酷いよぅ」
「うん! 生きてるなら大丈夫だな!」
「酷いエディ!」

 生存確認。うん、生きてる。
 しかしながら、アエローに滅茶苦茶近くまで迫られて完全に腰が抜けてしまった。声は空元気を出せても足はふにゃふにゃで、まだしばらく立ち上がれそうにない。ラミーの方も、元気と言えば元気だが、俺に引っ張られたとき目が回ったらしい。地面にぺたんと腰を下ろして涙目になっている。
 バクバクと音が聞こえそうなほど飛び上がっている心臓を宥め賺しつつ、俺はぼんやりと、飛び去って行くアエローの背を見つめた。

「なあ、ラミー。聞いたか?」
「んーぅー、多分」

 鼓膜が爆裂しそうなほどの爆音の中、それでも俺は、確かに聞いたのだ。
 それが、俺の聞き間違いでなければ、アエローの操り手は——

「めっちゃ笑ってたな、あいつ等」
「そだね……」

 笑い転げていたのだ。しかも、それがロレンゾだけならまだ分かるが、ベルダンまでも。
 俺達を馬鹿にしているのか何なのか。よく分からないが、とにかくヒーヒー言いながら哄笑するその声は、何故だか耳から離れなかった。