複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.2 )
- 日時: 2015/10/25 22:32
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: kkPVc8iM)
店の奥に併設されたロレンゾ夫妻の自宅、その一室で、ロレンゾはがちゃがちゃと机の上に広げ散らかしていたものを片付けていた。あまり詳しく検分する気はないが、ペンチだのドライバーだのと言った工具類がどうしても目につく。
大方、翠龍線で掘り起こされた『遺物』を弄っていたのだろう。街外れの泉の底に沈んでいた『遺物』——どうやら、大昔にこの星を闊歩していた種族が残した技術の痕らしい——空飛ぶ金属の船を引き揚げ、修理し、あまつさえそれを乗りこなして、空の覇者たる猛禽から制空権の半分を強奪した“伝説の馬鹿”は今も健在と言うわけだ。
「また機械でも弄ってたのか?」
「まあ、そんな所だ」
俺の質問には上の空、子供がおもちゃを片付けるかのように、工具箱へ工具を流し込んでいく。乱暴に扱って壊れたらどうするんだと思うが、当人がそれで顔色を変えないから多分大丈夫なんだろう。
とりあえず本が二冊広げられる程度の小さな空きスペースを机の上に作って、近くの古い椅子に腰かけたロレンゾは、ドンッと音さえ立てて頬杖をついた。鈍い金色の瞳が鋭く睨みつけてくる。ただでさえ表情が読みにくいのに、彼はただの一言も喋らない。僅かに細められた眼だけが感情を語る。
世間話も茶番も要らないからさっさと話せ——と、多分彼はそう言いたいのだろう。
「前提の話になるが、ロレンゾ。翠龍線の向こう側がどんな状況かは大体知ってるよな? 立ち耳の犬と猫が戦争起こしてるってこと」
「嗚呼、緩衝地帯のど真ん中で『遺物』が掘り起こされたってんで大騒ぎしてやがるな。随分ド派手に戦争やらかしてるようだが、そいつがどうかしたかい」
「その最前線でな、ド級の魔法使いを見た。結構年取った白猫だ」
ギロリとロレンゾが俺を睨んだ。
何しろ長いこと此処で雑貨屋を営んでいるのだ、彼にはすぐ分かっただろう。その年老いた猫の魔法使いが、自分の店へよく訪れる上客だと言うことは。
けれども、彼は俺を睨む以上のリアクションはせずに、ただ疲れたような声で問いを投げかけた。
「その魔法使いが、どうしたってんだい」
「死んだよ。魔法の使い過ぎで、心臓が止まった」
なるべく情感の響きは籠めずに言い放った。
戦場とはいつでも紙一重だ。俺だって誰だって、自分の命を護ることで手一杯になってしまう。誰かの命を護ろうとするのなら、それはもう自分の生命を削って盾にするしかない。そして白猫の魔導師は、そうするしかなかったのだ。彼は自分の命と自分に下された命令を天秤にかけて、後者を取ってしまった。
くどくどと事情を語りはしない。幾らロレンゾが六十年の時を重ねていても、古い客の訃報なんて突然聞かされるのは大変な衝撃のはずだ。そこに情報を上塗りして、思考回路を無闇と混乱させることは、恐らく愚かしいことに違いない。
「……何で、それを俺に伝えた」
長い、長い沈黙の後。
紡がれたロレンゾの声は、掠れていた。頬杖をつき、じっと虚空の一点を眺めるその表情は無表情で、俺の目に感情は読み取れない。だが、酷く苦しげなことだけは、雰囲気からひしひしと伝わってくる。
問いへの返答の言葉を選ぶのに、俺はたっぷり時間を使った。
「約束は守るもんだよ、ロレンゾ」
「——そうか」
絞り出すように呟いて、彼の手が一瞬虚空を彷徨った。そして、何かを振り切るようにぐっと拳を握って、机に叩きつける。ドン、と鈍い音がして、山積みになった本が微かに揺れた。
そうか、とまた一言。握り締めた手を解いて、ロレンゾは引き出しの取っ手に指を引っ掛けたかと思うと、のろのろと緩慢にそれを引っ張った。がらがらがら、と、部屋に響く音はやけに虚しい。
「…………」
開け広げた引き出しを、しばし凝視。ごつい手で中身をぐしゃっと一回引っ掻きまわし、彼は銀色に光る鍵を抓み上げた。俺達が普段使う、錠前用のそれとは形が違う。細長いのは一緒だが、薄べったく、出っ張った部分のところはずっと複雑だ。
これも、『遺物』。遥か昔、食物連鎖の頂点に立っていた種が残した技術の欠片。貴重なものであるはずのそれは、ロレンゾの身辺には造作もなく転がっていた。
「エド」
名前を呼ばれて我に返る。
何だ、と手短に問い返せば、金貨の色の目が、見たこともないほど鋭い光を湛えて俺を見ていた。その鋭さの中に、往時の彼を一瞬見た気がして、自然と身が竦む。
半ば呆然として立ち尽くしていると、ロレンゾはふっと表情を緩めた。ニッと口の端を楽しそうに釣り上げて、俺の方に鍵を放り投げてくる。貴重品だって言うのに、全く扱いがぞんざいだ。
投げ渡された鍵をしっかと受け止めて、じろりと睨んでやる。ロレンゾの表情は、変わらない。
「約束を果たすのはいつだって老境の役目だ。お前はジジイのお使いを果たすんだな」
「カッコつけやがって。何すりゃいいんだ?」
「ベルダンの所に行ってこい」
「ぅえ゛……」
当たり前のような返答に、変な声しか出てこなかった。
ベルダンの所に行く。そのお使い内容が、魔法使いと交わした約束より難易度高いってこと、分かってるんだろうか。
「中々スリリングなお使いだろ? さー行ってこい、青二才!」
嗚呼、確信犯だこいつ。
後で絶対蹴り上げてやると、心の底で固く誓った。
