複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.23 )
日時: 2015/12/18 00:18
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: 4xHshXk8)

「ほい終わり、よく頑張ったな。んじゃ次ー」
「はいはーい」

 真昼間から盛況の宿屋、その裏手に併設された庭の片隅で、店主とラミーは毛の山と羊の仔に埋もれていた。
 横幅が庭からはみ出さんばかりに大きい緋色の絨毯を敷き、その上に頑丈そうなスツールを出して、十も二十も集まった羊の仔の毛を銀色の裁ち鋏で切っている。既に何十かの子羊の毛を刈り終わった後のようで、絨毯の上に積み上がったモコモコの白い毛の高さは、実に俺の背の高さ以上だ。
 しかしまあ、思い切り飛び込んで寝転がりたいこのボリューム。事実、毛が狩り終わってサッパリした様子の子羊達は、毛の山を枕にして日向ぼっこを満喫している。ラミーに至っては、頭から突っ込んで尻尾しか見えていない。楽しそうで何よりだが、中で髪飾りや腕飾りが絡まって大変なことになりゃしないだろうか。
 むごむご言いながらぴちぴち跳ねる尻尾を横目に、小山の影から顔を出す。店主はすぐに気付いて、此方に首だけ向けてきた。

「やぁ、兄サン。よく眠れたかい?」
「お陰様で。久しぶりだよ、こんなに寝るのは」
「だろうや。おいさんの特別製のを貸したんだから、悪夢なんて見るはずがない。どんな奴でも朝から昼までぐっすりさ」

 よほど自前の布団に自信があったのだろう、俺の返答に対して自慢げに胸を張りながら、店主は顔を前に戻す。
 でも凄く恥ずかしい夢を見たぞ、と思わず反論すれば、彼から返ってくるのは更なる笑声だ。

「兄サン、夢の中で誰に逢った。それは何処だい?」
「? 育ての親だったよ。場所もまんま俺の家だ」
「おっ、そりゃあ良いね。“叶えられる夢”だ」

 溜息のような声で呟いて、しゃきん、と鋏を一度空切り。伸び放題の毛を櫛で粗く梳かし、綺麗に整ったところへ鋏を入れていきながら、店主は自分の言葉に続きを紡ぎ足す。
 ——それが今、一番逢いたい者であり行きたい場所なのだ。
 店主の言葉は清々しいほど断定的で、迷いの一欠けらもない。あんまりにも自信満々に言うもんだから、思わず二の句に迷って、結局黙り込んでしまった。
 鋏の音が、少し。足元に出来た毛溜りを蹄でその辺に押しやりつつ、店主は沈黙を破っていく。

「おいさんの布団は特別でね。逢いたいと願う誰か、行きたい何処か、やりたい何か——そう言った、心の中の願い事を良い夢にして見せるんだ」
「願い事……俺の?」
「そう。しかも、叶えたくても叶え難い、けれど一番強い願い事」

 詩的と言うか、婉曲した言い回しだが、要するに俺は家に帰りたがってるってことなんだろうか。
 そう言われるとそうかもしれないのだが、どうもはっきりした実感が湧かない。今の時点だとやっぱり戦場の空を飛び回ってるであろうロレンゾ達の方が気になるし、白猫魔導師の斃れた今、戦場がどうなってるかが一番気掛かりだ。もっと言えば、さっきから羊毛の山の中から尻尾だけ出しているラミーが今すごく気になる。
 それに、育ての親と親交を経って十年だ。この十年で手紙の一通すら寄越してこなかった薄情者と、薄暗く陰鬱としていたあの裏通りに、俺が郷愁を抱いていると言うのか。
 あの夢を見た後でも、その答えに応と首を縦に振ることは出来ない。
 恐らく俺は微妙な雰囲気を発していただろう。ぱたぱたと耳を上下させて、店主は少し声のトーンを落とす。

「兄サンはまだまだ目的が沢山あるから、気付きにくいかもしれないね。でも、いつか暇が出来た時によく考えてごらん。終点とはいかないまでも、目的地はきっと、この日夢で見た場所になる」
「……良く分かんねぇ」
「今はそうだろうね。それでも、おいさんの布団が見せる夢はそこら辺の魔法使いよりよっぽど当たるよ。何しろおいさん、『技工士』だからねぇ」

 ふふん、と誇らしげに胸を張りつつ、子羊の毛をざっと切り終わった彼は、鋏を小さいものに持ち替えた。櫛もより目の細かいものに変えて、大雑把に刈られてざんばらになった毛を綺麗に切り揃えていく。
 俺はと言えば、先程店主から告げられた技工士の単語に引っ掛かって、上手く言葉が出てこない。単語自体は聞いたことがあるし、そう名乗っている職人に会ったこともあるのだが、この引っ掛かりは——いや待て。
 羊の、技工士?

「“紡ぎ家”のペトロか?」

 自分で声にしたのを聞いて、当の本人が「正解」とばかり満足気に頷いたことで、ようやく俺の中の閊えが取れた。
 同時に、そして今更ながら、昨晩貸してもらった枕と布団の価値に気付く。

「そりゃあんな夢見るわけだよな……ゴメン、今この瞬間まで『技工士』だなんて気づかなかったよ」
「戦場で活躍なすってるのと違って、それらしい恰好はしてないからね。おいさんが言わんと大抵の旅人さんは気付かんよ。気にしなさんな」

 “紡ぎ家”のペトロ。
 世界中に百と少ししか居ない魔法使いの中でも更に稀有な、道具に魔法を宿し、万人と魔法を共有する技能を持った魔法使い——『技工士』の一人。邪と厄を祓う糸を紡ぎ、害と災を弾く布を織る、魔法使いの中でも特に高い実力を持っている者の一人だ。
 そして彼は自身も強力な守護と癒しの魔法を行使し、彼のいる街はそれだけで戦渦を免れ得るとさえ旅人の間では言われている。今の今までその実際を見たわけではなかったし、今だってそれらしい行動は何一つ見ていないのだが、戦場の直近にありながら爆音一つ聞こえないのどかさは、遠回しな証左と言っていい。
 そして俺は、そんな彼が織った布を、何の偶然か手にしていた。

「あの、ストールは……」

 そうだ。
 “紡ぎ家”ペトロの銘は、彼以外の誰が使えるものではない。

「嗚呼、お嬢が寝るときに巻いてた奴だね。ちょっと古かったと思うけど、使い勝手はどうだい?」
「すごーくあったかいよー!」

 背後から、元気一杯のソプラノ。
 多分俺に向かって聞いたのだろうが、答えたのはラミーだ。いつの間に身体を反転させたのだろうか、羊毛の山から今度は頭をにょっきり出して、あちこちに付いた白い毛をぱっぱと忙しなく払いながら、彼女はとびきり楽しそうに声を張り上げる。
 そうかいそうかい、とペトロは嬉しそう。頷く間にも、彼は子羊の毛を綺麗に揃え終わって、三人目を傍に呼び寄せようとしていた。が、何を思い立ったか、ふっと手招きしかけた手を止めて、やおらスツールから立ち上がる。
 暗い飴色の目でラミーを眇(すが)め、やおら万歳をさせたかと思うと、ペトロは羊毛の山から人魚を引っこ抜いた。そして、きょとんとして首を傾げる彼女を更にじっと見つめ、合点が言ったとばかり深く二度頷き、いかにも満足気に腕を組む。
 そうして一秒が経ち二秒が経ち、ラミーの頭の上に浮かぶ疑問符が更に増えたところで、彼はやっと自分が何も伝えていなかったことに気付いたらしい。はっしたように眼を見開き、腕組みをパッと解いた。

「嗚呼えっと、お嬢。あのストール持っといで、キミ用に大きさを詰めるから」
「やややっ、ペトロさん。変な悪戯はヤだよ」
「おいさん誤解されちゃうからその言い方は止めなさい。大きさ変える以外は悪戯しないから、心配しないで持っておいでな」
「えぇー、ほんとかなぁ?」

 魚の尻尾を足のように折り曲げ、膝に見立てた所に頬杖をついて、ラミーの笑みは悪戯っぽく。ほんとだよ、とペトロが慌てだしたところで、くすくすと小さく笑声を零しながら彼女はその場を離れていく。後に残るのは、ほっとしたように肩を落とす羊の魔法使いと、行儀よく毛刈りの順番待ちをしている子羊、そしてさっきから突っ立つ以外に何もやってない俺ばかり。
 さやさや、さやさやと、風の音だけがのどかに響いていた。