複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.26 )
- 日時: 2015/12/21 01:42
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: 4xHshXk8)
一回り程度面積が小さくなるように布を折り、スツールの座面で軽く癖を付け、癖をつけた部分から多めに布地を残してざっくりと切り取り。残した布の部分から横糸を取り除き、残った縦糸を数本ずつ取りまとめて、軽く頑丈な樫のビーズを通して結ぶ。
長辺の一つを残し、三辺に洒落た房が沢山出来たところで、ズボンのポケットから針と糸が出てきた。布団を縫うような太い針に、ストールのものと同じ太さと色の糸を通して、ペトロの手はすいすいと残した一片をまつり縫いしていく。
最後に少し細めの赤い糸で細かいステッチを入れ、ペトロはチョキリと糸を切った。
「お嬢ちゃん、出来たよー」
「待ってましたー! わわわっ、可愛くなってるー!」
「ふふーん、こーのくらいならおいさん朝飯前さ」
この間、一刻。ラミーとペトロで手の大きさが違うことを考慮したとしても、彼女が最後のまつり縫いだけで二刻掛かることを考えると、凄まじい速さだ。目の前であまりにも簡単そうにスイスイ縫われて、俺もラミーも無意識のうちに口をあんぐり開けていた。
凄い凄いと何度も聞いてはいたが、まさかこんなに凄いなんて、それこそ夢にも思わなかった。流石は『技工士』、と言うことなのだろうか。
俺が貰ったときより随分可愛らしく詰めなおされたストールを手に、ラミーは上機嫌だ。早速ばさりと羽織って大きさを確かめ、そしてまたきゃあきゃあと歓声を上げるラミーを、ペトロは生暖かい目で見つめるばかり。
正直、此処までされてタダは俺の気が落ち着かない。ペトロがこうした仕立て直しでどれくらい費用を取るのかは知らないが、とにかく財布をあらためて、金貨一枚——世間で言う「高級な仕立て屋」の相場だが——を引っ張り出した。
「ほんと助かるよ、ペトロ。それでこれ、少なくて悪いけど」
「ん? 嗚呼、良いよ良いよ、お代はタダで」
「えっ」
「え?」
ペトロは至極不思議そう。いや、俺の方が不思議なんだが。
こんなに良くしてもらったのに、と言い返すと、彼はそんなに大層なことはやっていない、とやや大仰に手を上下に振った。
「この程度の直しなら簡単なものさ、わざわざお金を取るほど大変な仕事じゃないよ」
「それでもさ……」
「いーやいや、おいさんが毛刈りに飽きて暇つぶししたってくらいに思ってくれれば良いって。この金貨はまたいつか、おいさんのとこの布が入用になったとき——」
「あっ、俺の分!」
「へぃ!?」
ペトロの手にお代を押し付けたところで、思い出す。
あれ、元々俺のだったんだ。あんまりにもラミーに馴染みすぎて、当の俺まですっかり忘れていた。
ペトロはあれがラミーのものだとしか思っていなかったようで、俺の分が無いと聞いて面食らうばかり。だが、すぐににっこりと楽しそうに口角を上げて、俺が押し付けた金貨をぎゅっと握り締める。
で、ちょっと待ってな、と一言。トコトコと蹄の音をさせながら宿の中に引っ込んだ彼は、すぐにまたトコトコと小気味いい足音を響かせ、巻物のように丸められた布を腕に抱えて戻ってきた。
「ペトロ、それは?」
「兄さんの分だよ。金貨一枚分と言うと、こんな感じだね」
ほれ、とばかり投げ渡されたそれを受け取り、広げてみる。
鮮やかな柿色の地に朱色と茶と黄の格子柄、掛け布団ほどとまではいかないが、ラミーのストールより更に一回り大きいブランケットだ。元々掛け布団か膝掛けが用途なのだろう、糸も織りもストールよりがっちりしている。重さも大きさ相応にずっしりしているが、その辺の高級な店で売られているものよりも更に軽い。
……ペトロはこれを俺に金貨一枚で買わせたいらしいのだが、いくらなんでも金貨一枚でこれは上等すぎじゃなかろうか。タグは付いてないから売る気はないんだろうけど、市場に出回ればきっと、俺の出した五十倍以上の値が付くはずだ。
本当にこれで良いのか、と怖くなって尋ねたら、ペトロは当然とでも言いたげに首肯した。
「何だい、おいさんが金貨百枚も二百枚も取ると思ったかい?」
「思うよそりゃあ……あんたの作品店で金貨三百枚だとか値札付いてんだぜ」
「あんなのは金儲けしたい奴が勝手に値を釣り上げてるだけさ。金にがめつい以外は良い奴なんだけどねぇ、あれも」
こっちは金貨三枚でも良いのに、とペトロは不満げ。
しこたま儲けてるのにその言い草はないだろ、と俺も複雑な気分だが、とりあえず残った疑問をぶつけておく。
「いや、まあ、そうだけど。それにしたってこんな上等な布、金貨一枚で元取れるのか?」
「確かに高くついたけど、それを織ったのは余りものの糸だ。元は別のお客から既に取ってあるよ」
——金貨一枚がそれの正当な値段で、それ以上取る気はサラサラない。だから安心しなさい。
作った張本人にそう言われると、最早俺は何も言い返せない。
騙してしまったような、逆に騙されたような、何とも表し難い変なもやもやを心の底に抱えつつも、礼を述べて無理やり腑に落とす。どういたしまして、と少し気取ったようなペトロのお辞儀で、とりあえず正当な対価は支払ったのだと納得は出来た。
「でだ、兄サン達。そろそろ行くかい?」
「嗚呼、血の気の多いジジイ共と合流しなきゃ。宿と布団、助かったよ」
「お安い御用さ。またおいでな、今度はその血の気の多いジジイも連れてさ」
「おっけ、引き摺ってでも連れてくるよ」
今度はちゃんとした個室で頼むぞ、と軽口を叩けば、料金は倍頂くよ、とペトロは悪い笑顔。大きな銀の鋏を指に引っ掛けてぷらぷら揺らしながら、彼は眼を細める。
「疲れたら、また此処においで。いつでも待ってるよ」
「……また逢いに来るよ、絶対に。ラミーも連れて」
それがいつになるかは分からない。それこそすぐにでも血の気の多いトカゲを引き摺って来るかもしれないし、何年も経って疲れ切った時にふらっと立ち寄るのかもしれない。
けれどまた逢うことだけは確信して、俺達は紡ぎ家の元を後にする。