複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.27 )
- 日時: 2015/12/22 14:37
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: XNP8xyMx)
「にゃーっ、すっぱい! すっぱいよエディ! 何これー!?」
「秋グミ。この辺りのは一等酸っぱいぞ」
「ぅうう、先に言ってよぅ。口がしぶしぶするよぅ」
「勝手に採って勝手に齧ったのが悪いんだろが」
街を出て、グミの木の群生にぴったり沿いながら、太陽の上る方へ。途中で少し森に入り込み、湧き水の泉で水筒一杯に水を汲んで、更に東へと平地を抜ける。秋グミの実を生で齧って騒ぐついでに、そこら中で赤く熟している実をちょっと失敬。
昼過ぎからペンタフォイル山麓駅を出て、今は昼と黄昏の境界線。
大分橙色がかった陽光の下、森を背に空を仰げば、高く組まれた櫓が映る。頑丈な鉄で組み上げられたそれには、耳をぴょんと立たせた猫が一人。櫓から身を乗り出して何かを見つめ、下に居る誰かと侃々諤々言い合っては、カンカンと傍の鐘を叩いて何かを知らせていた。
耳を澄ませば、聞こえるのは銃声と爆音、怒号に悲鳴。あの咆哮が聞こえないかと探したが、距離が遠いのか何処かに不時着したのか、此処からでは聞こえない。ただ、何処かに居るのは確かだろう。鳥だ、鳥がいる、そんな声が、そこかしこから微かに上がっている。
漂う鉄の臭い。むせ返るほどの火薬の臭いに、思わず一つ咳き込んだ。
「エディ」
「嗚呼、分かってる。やっぱりとんでもないトコだ」
——此処は、戦場。
数えきれないほどの『遺物』が発見され、それのために何百年と戦争の繰り返されてきた、発見と惨劇の地だ。
「ロレンゾさんたち、何処かな?」
「ラミーにも聞こえないのか? だったらかなり遠くまで行ってると思うぞ」
まずはあのジジイ共を探さねば何も始まらない。鉄製の櫓にとりあえず足の先を向けつつ、その辺を見回してアエローの姿を探すも、それらしい姿どころか鳥一匹、雲の一片さえ見つからなかった。
やはり、何処か遠くへ飛んで行っているのだろう。ともすれば敵陣営の真上まで飛んでいるかもしれない。そうなると、櫓の上で鐘を叩いている、あのやたら耳をピコピコ動かしている猫にでも話を聞いた方が早いだろう。
思い立ったが吉日だ。魔燈鉱のランタンを再びラミーに持たせ、櫓の猫が戦況を伝え終わるのを待つ。そして、戦場とは違う方角を偵察し始めたのを見計らって、ラミーに全力でランタンを照らしてもらった。
「それっ!」
気合いの一声と共に、発散される強光。
直視すれば目が潰れかねないほどの強さは、ラミー自身が激烈なまでの魔力を発散していることも相俟って、否が応にも意識をそちらに引き付ける。事実、櫓の猫もこちらにバッとばかり目を向けて、ギョッとしたように手すりを掴んで身を乗り出した。
パタパタと耳を上下させながら、八割れ猫が何やら叫んでいる。が、直後に銃撃戦めいたものが向こうで始まったせいで、言っていることがさっぱり分からない。とりあえず聞き取れる位置まで近づこうとすると、止めろ、とでも言いたげに何かを押し留めるような身振りを此方に投げてきた。
聞き取れないんだけど、と目一杯叫んで手振りしても、良いから良いからみたいな感じで近づけさせてくれない。
「何か俺達、近づいちゃダメな感じになってんぞ」
「どしてだろ? ちょっと前まで普通に歩いて近づけてたのに」
「そりゃ、前は俺達完全に闖入者だったしな……」
戦場に俺みたいな一般人がホイホイ立ち入っていいはずがないのは確かだろう。だからと言って、ロレンゾと合流しないままハイサヨウナラとか、そんなとんでもない真似も出来やしない。
立往生するしかない俺を尻目に、櫓の猫は再び戦場の方に顔を向けると、尻尾をブンブンと滅多やたらに振り回しながら下に何かを叫んで、カランカランと忙しなく鐘を叩いた。
……何とも早死にしそうな役目だ。主に高血圧的な意味で。
けれども、そんな血圧の上がりそうに叫んでいる猫のお陰で、近づけない俺達の元に、向こうから事情を聞きにやってきた。相変わらず櫓の猫とぎゃあぎゃあ言いあいをしながら、しかし遠くから姿を見つけて走ってくる。
重たそうなマントの裾をひらひらさせながら、背の高い白猫は俺達の傍まで辿り着くのにすっかり息を切らせていた。
「運動神経の悪い猫なんて、そんな冗談止せやい」
「運動神経抜群の魔法使いなんて、そう言う冗談も勘弁してください……」
暗色系のローブやマントを重ね着し、手に身の丈より長い杖を携えた、如何にも魔法使い然とした——事実、魔法使いと称している——白猫。魔法使いの白猫、と言うだけでもピンとくるが、容姿や声の調子、佇まいの端々にも、あの老猫の面影が伺える。そう言った話はこれっぽっちも聞かなかったのだが、彼は老猫の親類らしい。
あんたの御親類には随分助けられたよ、とカマを掛けてみると、白猫は少しびっくりしたように目を数回ぱちくりして、それから深々と頭を下げた。大仰だから頭を上げてくれ、と言っても聞かず、そのまま彼は言葉を紡ぐ。
「父の今際を看取った方だと聞いています。息子のルディカです」
「俺はエドガー。えーっと……あんたの後ろにいるのが、ラミー」
「エディのお供でーす!」
いつの間にそんな所へ移動したのか、元気一杯の声をあげて、ルディカの肩口からラミーがにょっきり生えてきた。フヒャァ、と下手な流しが吹いた笛みたいな悲鳴を上げ、その場を飛びのいた若い白猫に、ラミーはちょっと悪戯っぽく口角を釣り上げる。
しゃらん、と涼しい音。尻尾で虚空を叩きながら、人魚は品定めをするように、びくつく魔法使いの回りをくるりと泳いだ。
「そんなに怖がらなくたって、取って食べたり齧って味見したりなんかしないよ?」
「いえ、その……ラミーさん、『碧海の姉妹(ネレイド)』の係累ですか?」
「ぶーっ、私は『泡沫の歌うたい(メロウ)』、もっと深いところの守神だよぅ」
よろしくね、と小さい手を差し出すラミーを、ルディカはただただ目を真ん丸にして眺めるばかり。
地上に人魚がいるだけでも珍しいし、ましてや『泡沫の歌うたい』は海の中でも一番深い所を支配する、クジラかイルカでもないとお目にかかれないような守神だ。猫族のルディカなんて、多分文献でしか見たことないだろう。驚くのも疑うのも自然の反応だと思う。
けれども、ラミーは自分の出自が疑われていることが気に入らないらしい。虚空に突き出した右手をぶんぶん振りたくったかと思うと、ぶぅ、と不貞腐れたような唸り声を一つ上げて頬っぺたを膨らませ、本当だもん、と文句を投げつけた。
「僕だって信じたいですが、何で人魚が……」
「お父様が行っていいって言うから付いてきたんだもん。細かいことはお父様に聞いてよ」
「そのお父様は深い海の底でしょう? 僕が貴女のお家に行ったらぺしゃんこに潰れちゃいますよ」
困ったような、呆れたような、何とも力の抜けた声。それもそうかぁ、とラミーも何だか不満そうに眉尻を下げ、もさっとばかりストールを頭から被って、ぱちっと一つ手を叩いた。
ああそう言えば、と場の流れを変えたのは、ルディカだ。
「エドガーさんですか? “疾風”を呼び寄せたのは」
「そうだよ、あんたの親父さんと約束した。操り手はどうしたよ?」
「どうしたもこうしたも、いきなり最前線に飛び込んできて——」
戦線を滅茶苦茶にした後敵陣の方に飛んでいきました、と、語る白猫の表情は引き攣るばかり。っはぁー、と思いっきり溜息をつき、両手で顔を押さえたその雰囲気で、一体何があったのか想像出来る気がする。……後でまた向こう脛に蹴り入れてやろう。
で、今の俺にできることと言ったら、まあ元気出せよ、と慰めるくらいだった。
「悪い奴じゃないのは俺から保証するよ、あんたの親父さんに義理立てて来たんだし」
「父が、ですか」
「そういう約束だったらしい。四十年も前の約束未だに覚えてて、しかも守りに来る奴なんだよ、あいつ等はさ」
乱暴者だけどな、と言うのは喉の奥に押し込んで、事実だけを彼に伝え。
彼はやや俯き、少しだけ押し黙った。
そして、ゆっくりと戦場を見た。
「通りすがりの方に頼むことではないのですが、事態の収拾を御手伝い願えますか」
「当たり前だろ」
答えなど、短くていい。
「この先です」
「分かってる」
ニワトコの杖をひゅっと小さく振りかざし、歩き出す魔導士の背を俺達は追う。
目指すのは、鐘が響く先。