複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.28 )
- 日時: 2017/01/15 05:30
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: bEtNn09J)
空気のように土煙がもうもうと浮かぶ下、深く掘られた塹壕の一角に、頑丈な鉄の棒と分厚い布を張り。曰く野戦病院だと言うそこには、傷病者と死者が溢れ返っている。敵陣営の様子は分からないが、少なくともこちら側には、こうした死臭の漂うテントがあちこちに設営されていた。
ルディカはそうした場所を一つ一つ見て回っては、手が足らず放置された亡骸を一人一人、傍に掘られた横穴へ運び出していく。猫族の葬儀は火葬だと聞いているから、多分あの場所で火を点けて燃やしているのだろう。前線の魔法使いがやる仕事じゃない気がしてならないのだけど、誰もやらないなら彼がやるしかないのだ。
運動神経抜群の魔法使いは勘弁、と言っておきながら、ルディカは想像以上に力持ちだ。諸々の装備が外されているとは言え、重たいはずの死体を軽々と一人で抱え上げ、運んでいる。手伝おうかと提案したら、無言で首を横に振られた。
自分の仕事だから、と後から付いてきた言葉に、思わず言い返す。
「気遣ってるなら要らないぞ。初めて見た光景じゃないしさ」
「そうじゃなくて……僕にしか出来ないことなんです」
「力仕事はあんたより得意な自信あるけどな」
すぅっと、ルディカの目が細まる。なんて言い方するんだ、と言外に責めてくるその眼光を、真正面から睨み返した。
もちろん俺だって、無粋な言い草だとは分かっている。だが、彼一人働かせておいて俺は突っ立っているだけ、と言うのは俺も負担だ。それに、凄惨な遺体の一つ二つを見たことがあるとは言っても見慣れているわけではなし、何かして気を紛らわせたい心持でもある。
そんな俺の心の声を知ってか知らずか、彼は少し戸惑ったように目を伏せて考え込んでいたかと思うと、頭の代わりと言わんばかりに三角耳をぱたりと倒した。
「……お願いできますか」
「勿論。ラミーはどうするよ?」
「私、力仕事苦手。別のお手伝い探してくるね」
ラミーの声は呟くようで、普段の明朗闊達な調子はなりを潜めている。気を付けろよ、と送り出せば、彼女は言葉もなくただ頷いて、ふよふよと大分元気なく尾で空を掻いた。その向く先は、重傷者ばかりが横たえられた区画だ。見る者見る者生死の境を彷徨っている連中ばかりで、そう言った者を見たことの少ない彼女には刺激が強そうだが、大丈夫なのだろうか。
なんて、そんな俺の心配をよそに、ラミーは手近な怪我人の元に近づいていく。まあ、自分で選んだなら負担とは思っても後悔はするまい。彼女が彼女なりの仕事を始めたなら、俺もそれに倣うだけだ。
「……早く終わるといいけどな」
「終わらせますよ」
何が、とは言っていない。
けれど、同じことを思っていただろう。
運び込みにそれほど時間は掛からなかった。
それは二人でやったってこともあるし、元々数がそう多くなかったと言うのもある。何より、ルディカが異様に手慣れていたと言うのが一番大きい。それに、ラミーの手伝いも奏功したようで、新たな死猫なんてものも出なかった。
——そうだ。誰も死なないならそれに越したことはない。しかし、俺の眼前には、二十弱ほどの亡骸が整然と横たえられている。他のテントでは五十を超えることもあったから、まだ少ないと言えば少ないだろう。それでも、気が滅入りそうな数だ。
ルディカは驚くほど冷静に、けれども瑠璃色の目に寂しそうな色を湛えて、ニワトコの杖を携えその方を見つめていた。杖の先に据えられた、両手でやっと持てるくらいの大きな赤い石が、ちらちらと炎のように揺れる光を湛えている。
暗い洞の中で、その光は嫌でも目を引くものだ。何とはなしにじっと見ていると、ルディカが視線だけ向けてきた。ぎょっとして思わず足を一歩引いた俺に、彼は表情一つ変えずに訪ねてくる。
「エドガーさんは、猫族の火葬を御存じで?」
「いや、あんまり……葬儀なんて行きずりの旅人が立ち入れるもんじゃないし」
「では、一度ご覧になりますか。僕達の死は不吉なものでも恥ずかしいものでもありませんから」
もごもごとした俺の返答を遮るように、ルディカは断じた。
彼の父親は、猫族は死に際しても誇り高い生き物なのだ、と。そう胸を張っていたが……今、一片の迷いも曇りもなく言い返した彼にも、同じ空気を読み取れるのは、きっと俺の勘違いではないだろう。ルディカは間違いなく、あの魔法使いの血と思想を継いでいる。むしろそうでなければ、無数と言っていいほどの死者を前に、これほど堂々と胸を張ってはいられまい。
——より強く、杖の柄を握りしめ。眼光は、寂しさを湛えつつも鋭く。
赤い光が炎のように一層揺れて、続くように声が響く。
<<焔接ぐ木を依代に、燃ゆる珠を羅針として、『溶岩竜(サラマンデル)』より弔いを贈ろう>>
詩句を吟ずる詩人にも似た、よく通る声。
ラミーが発するそれと似た、しかしまるで雰囲気を異とした呪文の余韻が、宝珠の中に揺れる火を掻き消さんばかりの強さで揺らす。しかし火は消えず、むしろその大きさを増して、珠の周りへ螺旋状に噴き出した。
生き物のように杖を取り巻く、夕陽色の炎。その最中に、俺の目は見る。
紅い宝玉にしがみ付き、長くしなやかな尾を鞭のように揺らす、真っ赤な炎の竜の姿を。
<<響け竜の歌、嘆く者の声を彼等に伝えよ。鳴らせ葬送の鐘、彼等の魂が迷わぬように>>
無意識のうちに、眼が竜へ向いてしまう。ルディカの声も遠くなるほどに。
サラマンデル。火山活動の激しいプレシャ大陸では割にありふれた存在だが、火山に住んでいる守神を、俺達のような魔法使いでない者が見る機会はほとんどない。事実俺も、姿を見るのは初めてだ。思わずじろじろ見ていたら、それは爛々と光る眼をこちらにギラリと向けて、くわっと口を開いた。
続けて投げつけられるのは、焼けた鉄の棒を近づけられたような殺気と、金属の糸をこすり合わせるような甲高い声。思いっきり威嚇しにきている。このままだと俺が焼き殺されそうな勢いだ。慌てて目を逸らすと、竜は再び亡骸の方へと意識を戻した。
後に残るのは、耳にこびりついた威嚇の余韻。
しかしそれも、ルディカの声が掻き消していく。
<<飾れ美しく、彼等の死出の旅路を。散らせ儚く、現に遺した淡い夢を>>
気付けば、それは杖の先からいなくなっていた。
その代りに、並べられた亡骸を、炎が円形に取り囲んでいる。細長い紐のような形に伸びるそれこそは、守神の長い尾。波間を揺蕩うようなゆるゆるとした動きで、しかし確実に遺体の周りをぐるりと二周し、それは再びくわっと口を開いた。瞬間。
眼前が、極彩色に彩られた。
「!」
赤、橙、黄、緑、青、紺に紫。
磨き上げた宝石のように、園に咲き狂う百花のように。あらゆる色の、あらゆる輝きの炎と、砂粒のように細かく鋭い光が、広い洞を瞬く間に埋め尽くす。
長く長く、眼前に広がり続ける火と光の様は、虹のようだと言ってもまだ足りない。火滴石(オパール)のようだと言っても、まだ形容しきれない。
ただただ、美しく——
寂しい、光景だった。