複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.3 )
- 日時: 2016/10/30 02:12
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)
ロレンゾは俺を書斎からほっぽり出した後で部屋中のあれやこれをばったんばったんひっくり返し始めたし、ローザ夫人はアラアラウフフと言った感じでただの一回も止めてくれなかった。俺はどうやら、世界一難しいお使いを遂行するしかないらしい。
これもあの魔法使いとの約束だ。託された鍵を鞄の中に仕舞いこんで、泥沼にハマったみたいに重たい足で街路を進む。
——甲高い金槌の音、刀匠の怒号に丁稚の悲鳴。金物を売る商人たちの軽やかな口上、財布の紐を握りしめた主婦や旅人たちの値切り合戦。炭の焼ける焦げ臭さ。煙突から立ち上る白い煙が青空に溶け、注ぐ陽光に真新しい金物の輝きが眩しい。
ネフラ山麓駅は宿場町である以前に、金物の聖地だ。
それもそのはず。ネフラ山系、それもこのネフラ山麓駅の付近は、世界でも類を見ないほど良質な鉱脈が広がっている。最上の金属と鉱石が山のように採れるこの場所に、鍛冶と細工の職人が集まるのは当然と言えるだろう。
ロレンゾが俺を使いに出した、ベルダンと言う男もその一人。いや、ネフラ山麓駅どころか、世界で一番腕の良い鍛冶屋だ。
「ガーネットパス十五番地の、六……と」
一番太い大通りから一本入り込んだ、閑静な脇道。何処かうら寂しい雰囲気の漂う裏路地の隅に、ベルダンの工房はひっそりと暖簾を掲げている。
良く言えば趣のある、悪く言えば老朽化した、煉瓦造りの二階建て。広さだけはそれなりにあるが、表通りに比べると遥かに小さいし、何より客の出入りが全くない。随分と寂しい印象の工房だった。
それでも、此処で打たれる金物はどれも、ものすごい。
一度だけ「失敗作」と言って放置されていたもので試し切りをしたことがあるけど、失敗作なのにまな板が切った感覚もなく切れてしまった。出来上がった作品に至っては最早どんな切れ味かもわからないが、少なくとも、俺が全財産を絞り出しても買えないほどの高級品だ。
失敗作は手に届いても、店に並んだものを手に取る機会はないんだろうなぁ。なんてしみじみ考えながら、出入り口の戸を叩いた。
「おーい、ベルダーン」
返答なし。もう一度扉を叩いて、声も投げる。
やっぱり返答はない。留守なのかと思って耳をそばだててみると、かーんかーんと甲高い金槌の音が中から聞こえてきた。一応ベルダン本人は在宅のようだ。けれども、難易度がこれまで以上に跳ね上がった。
仕事中のベルダンほど声の掛けにくい相手は居ない。普通に声を掛けて気付くことなんて百回に一回あるかないかくらいだし、無理やりこっちに意識を向けさせたなら、集中を乱したと言って金槌をブン投げてくるような恐ろしい男なのだ。実際それで俺も何度かドア越しに殺されそうになった。
出来れば近寄らずにそのまま引き返したいところだが、多分、そうもいくまい。会えませんでしたゴメンナサイ、と言ってロレンゾが納得するとはとても思えない。
意を決して、工房の扉を蹴り上げる。
「ベルダン、客ゥ!」
半ば怒鳴り散らす勢いで声を張る。直後漂う静寂。
かーん、かーん、と、規則的に響いていた金槌の音が、止まって——
——ばごぉ!
……ドアの向こうで、何かが粉砕された。
「——何の用だ」
数分後。
愕然としていた俺がようやく正気に戻り始めた頃になって、戸がガタガタと音を立てる。
建てつけの悪い戸を半ば引きずり倒す勢いで開け広げ、不機嫌さを隠そうともしないしゃがれ声で呟くように問いかけてきたのは、見上げるほどに背の高い、真っ黒なトカゲだ。空の色を映したような、けれども空より遥かに鋭い光を湛えた目が、検分するように睨みつけてくる。
この泣く子も黙る威容の持ち主こそは、この工房の主。ロレンゾが使いに行けと指名した、ネフラ山麓駅最高の大鍛冶師(グランドスミス)——ベルダンだ。
「何の用だと聞いている。貴様が客ではないようだが?」
「嗚呼、客だなんて騙して悪かったよ。ロレンゾからの使いで来たんだ」
仕事中に邪魔されたのが相当癪に障るらしい、低い声と威圧的な佇まいから放たれる雰囲気は露骨に苛立っている。取り乱すと余計神経を逆撫でしそうだったから、努めて淡白に用件を答えた。
そして彼が顔に浮かべたのは、強い疑問の色。
「ロレンゾが? 奴がどうした」
「本当の意図は俺にもさっぱりだ。ただ、鍵を渡されたよ」
託された鍵を差し出す。
受け取り、じっくりと検めたベルダンは、無表情。はぁ、と呆れたように小さな溜息を一つついて、革製前掛けのポケットに鍵を突っ込んだ。そのままくるりと踵を返し、とりあえず用は果たしたしと後ずさりかけた俺に、ギロリと視線だけを向けてくる。
他意は無いんだろうがひたすら怖い。思わず凍りついた俺に、ベルダンは不気味なほどぶっきらぼうだ。
「貴様が発端だろう、ダチョウ野郎。見届けろ」
「ダチョウ野郎って、アンタな……俺にゃエドガーって立派な名前があるんだぜ?」
ダチョウなのも事実だし野郎なのも事実だが、くっつけてあだ名にされると結構屈辱的だ。呆れる他なかったが、ベルダンは相変わらず冷めた目をしている。語ってほしい事情も掛けてほしい言葉もない。そう目と背が語っていた。
あんたには無くても俺には山ほどあるんだが、と言ったところで、多分聞きはしないだろう。それを証明するかのようにズカズカと工房の中へ入って行ってしまったベルダンの後を、俺は黙って追いかけた。