複雑・ファジー小説
- Re: タビドリ ( No.31 )
- 日時: 2016/01/08 13:31
- 名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: XNP8xyMx)
本当に人の手が操っているのかと疑ってしまいたくなるほどに、アエローは自由に空を翔けていた。
渡り鳥の飛ぶような高みから、雨の日の燕のような低空まで。直進、急降下、急旋回に、錐揉み落下。時折思い出したように自身を傷つけようと飛んでくる銃弾を避けながら、巨鳥は俺の前で自在にその位置を変えていく。
ハヤブサも、アマツバメも、器用なトンボだって、あれがあんな風に飛ぶなんて想像もしないだろう。むしろ、あんな巨体抱えて飛ぶなんて想像しただけでも卒倒しちまうに違いない。
……なんて、焦げ付きそうなほどの熱気で支離滅裂になりかけた思考をぶった切るように、巨鳥は一際大きな唸り声を上げて急降下。バリバリバリ、と何やら破裂音を炸裂させ、業火の壁を一蹴りする。後を追うように、火薬の弾ける音が耳をつんざいた。
だが、アエローの巨体には当たらない。ハヤブサだって大砲の弾を避けるのに、それよりも速く飛ぶような化け物を、単なる鉄砲で落とせるわけがない。
だが、それに銃撃の主は気づいていないようだった。
ついでに、俺達のことにも。
「くそっ! 何故だ、何故我等が猛禽なぞに愚弄されねばならんのだ!?」
「た、隊長、最早無駄撃ちにしかならないのでは——」
「黙れ! 若造風情が出、ぇ……!?」
俺達と鉢合わせした瞬間の、犬どもの素っ頓狂な声ときたら。不謹慎だがちょっと笑ってしまった。
だが、笑いごとではない。彼等は俺などよりよほどこの戦場に慣れた闘いの玄人で、その上物騒なものを手に持っている。脳天に穴開けられてお陀仏はまっぴらだし、殴り殺されるのも噛み殺されるのも絶対に御免だ。
ならば、こっちが早く動くしかない。
俺は犬達が我に返るより早く、その懐に飛び込んだ。
「ぐわっ!? こ、このっ、ぐぅッ!」
「悪ィなおっさん!」
隊長と思しき年かさの犬に飛び掛かり、こちらに向かって向けられかけた鉄砲を強引に奪って、火中に投棄。逆上して殴り掛かろうとしてきた所をカウンター、向こう脛に会心の蹴りなぞお見舞いして、思いっきり張り倒す。何かちょっとかなりエグい音が聞こえたけど、大丈夫だ。たぶん。
で、隊長がシバき倒されたので呆然としたらしい若手の犬には、ちょっと手加減して鳩尾に蹴りを入れておいた——はずなのだが、どうも当たり所が悪かったようだ。身体をくの字に曲げ、泡まで吹いて悶絶してしまった。
……やばい、やりすぎたかこれ。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「構うな駝鳥!」
とりあえず隊長の方に声を掛けたが、物凄い剣幕で怒鳴られてしまった。けれども、片膝をついたまま立ち上がろうとしない。態度的にボッキリ圧し折ったわけではなかろうが、音のエグさからして、ヒビの一つ二つは入れちまったようだ。
ならばと若手の方を見てみると、あれで意外と根性のある奴だったらしい、樫の杖を伝手にして立ち上がろうとしているところだった。尤も、膝はガタガタだし今にも色々溢れてきそうな涙目だが、それでもダチョウの全力の蹴りを喰らって立っていられるのだから、まあ中々のド根性だろう。
感心しながら見ていると、視界の端にゆらりと動く影。
——さっきの年かさが、立ち上がっていた。
「立てるのかあんた。脚ぶち折れたはずだろ?」
「それがどうした。頭上の災厄に比すれば、この程度のもの怪我ですらない」
無茶苦茶な理論、いや、最早理論ですらない屁理屈だ。
けれど、巨鳥からこの拠点を護らねばならない彼等は、脚のヒビさえも切り傷や打ち身と同値になるのだろう。洞穴が崩れ落ちたあの時、翼が折れたことよりも、ラミーを庇うことを優先した俺のように。
思い返すと急に痛くなってきた。足先で強く地面をにじりつつ、いつの間にやら早くなっていた呼吸を務めて普段の調子に戻しながら、頭を殴りつけてくるような鈍い痛みを散らしていく。
これだけでも平気と言えば平気だが、気を散らさなければ無意味だ。チカチカとした疼痛に途切れる思考を繋げて、話題を引っ張り出した。
「猫が目の前に居るってのに、何にも反応しないんだな」
「他に構う余裕などあるものか。主要な拠点と武器庫はあの飛空艇に叩き潰され、我々に残された武器は投げ捨てられ……徒手空拳で鳥にも敵わぬ我等が、どう猫と戦えと言うのだ」
「だってあんた等いきなり——いや、俺が悪かったよ」
練度の高い軍人が相手で、突然の出来事だったということを加味しても、武器を奪った上に怪我までさせたら流石に過剰防衛だ。頭を下げると、年かさの犬は左耳を少し倒して、それから黙って首を横に振った。
あの状況ではやむなし。俺の言うべき言葉を呟いて、彼は空を仰ぐ。ひとしきり激情を吐き出し、そして時を少し経て、その横顔は憑物が落ちたようにすっきりとしていた。
同時に浮かぶ色は、諦念と、寂寥。
「終わりだ……」
我等の戦いは終わった。
疲れ切った声が、熱い空に冷たく溶けていく。いきなりどうした、と俺が尋ねる暇も与えず、年かさはしっかりと着込んだつなぎのポケットから白い布きれを一枚引っ張り出して、空に向けて気だるそうに振り上げた。土と泥で薄汚れた布は、紅い空にそれでも白く映える。
白旗の代わり、と言いたいのか。ハンカチと言うにはやや大きいそれを、彼は三、四回振って、不意に握り締めた。
先程まで空虚さが支配していた若草色の目に、鋭い光が戻っている。何事かと空を見上げれば、星も見えないほど明るい夜空のど真ん中、炎に紅く染め上げられた飛空艇が一機。それは頭上で大きく旋回しながら、少しずつ地面に近づいてきている。
——降り立つつもりなのだ。
だが。
「アエローって、地面に降りるのか……?」
ベルダンの曰く、アエローは“飛空艇”——つまりは空を飛ぶ船なのだ。船は水の上を走るものであって、点検でもない限り地面の上に降りるものではない。一応地面に降りるための脚らしきものも付いているが、あんな小さな脚で巨体が支えられるとも思えなかった。
しかし、俺の心配をよそに、水鳥は緩やかに螺旋を描いて地面へと降りてくる。そんな馬鹿な、と年かさの犬が切羽詰まったような声で呟いていても、聞こえないものなど知らないと言った体だ。
俺達は結局、見守ることしかできない。