複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.33 )
日時: 2016/11/04 03:19
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)

「ぅ……」
「よお、起きたかい」

 それから、少し時を経て。
 一帯の火勢が衰え始める頃になって、彼は目を覚ました。

「此処は」
「アエローの翼の上だよ」

 あの後、ロレンゾとベルダンは気を失ったニーベルを俺に押し付け、途中から完全に気配の消えていたルディカと若い方の犬も引きずってきて、アエローの上に俺達を放り投げたのだった。
 どうやらあの二人、この巨鳥ごと猫族の陣営に行くつもりらしい。それは別に構わない、と言うか歩く手間が省けるからむしろ歓迎したいことではあるが、どうやって行くんだと言う俺達の質問には何も答えてくれない。代わりに二人から返されたのは、「ここから降りるな」との警告だけ。
 そんなことをかいつまんで話しても、彼は表情一つ変えず、何か反応することもなかった。ただ、どこか遠くをぼんやり眺めるだけだ。
 ようやく放たれた話の内容からしても、多分話半分だったのだろう。

「“撃墜王”か……幼い頃憧れた英雄が、まさか我々の前に敵として現れるとはな」
「運が悪かったな、そりゃあ」

 本当は俺や老猫の魔法使いが意図して呼び寄せたにも等しいが、その辺りの真実は隠した。言えばそれはそれで争いの種になる。台風や通り雨と今の“疾風”は、同列に語るくらいがきっとちょうどいいのだ。
 だが、ニーベルはどうも、俺のこうした考えを見透かしたらしい。若草色の目をすっと鋭く細めて、お前か、と短く脅迫してくる。

「変な目で見ないでくれ。俺が呼び寄せたって言いたいのかよ」
「むしろ確信しているが。猛禽が敬称を付けるほどの英雄を蹴り上げるような奴が行きずりの旅鳥などと、一体どこの誰が思うものか。老雄の決断が自発的なものであったにせよ何にせよ、お前が何らかの形で引き金を引いたとは予想できる」
「……一つ弁解させてもらうなら、俺はただ猫の魔法使いが死んだと言伝しただけだ。戦場に行ってくれなんて一言も言ってない」

 ロレンゾ達は四十年も前に同じ約束をしていたのだ。俺がわざわざ言うまでもない。
 そう続けかけて、言葉を飲み込んだ。
 代わりの返事は、短く。

「たとえ恣意的なものだったとしても、予想できないなら災厄だろ」
「確かにな」

 存外ニーベルはあっさりと肯定した。
 それは俺の言葉と主張が一致したからか、それとももう反論する気力すら失せたからか。翼から足をぶらぶらさせ、尻尾も振らず遠くを見つめる横顔から、その真意は読み取れない。とりあえず前者だと信じておこう。
 それ以上は紡ぐ話題もなく、辺りに重たい沈黙が漂う。けれど、それはすぐに上翼からの声が破った。

「ロレンゾ。言っておくが、他の犬族まで助ける余裕はないぞ」

 ベルダンだ。さっきから上下翼の間を行ったり来たり、上手くいかないのかたまに舌打ちなどして、とにもかくにも忙しない様子だが、それでも周囲の状況はきちんと確認していたらしい。上から振ってくる声は険しさに満ちている。
 ロレンゾはと言えば、アエローの鼻先近く、衰えたとはいえ消える気配のない灼熱の壁を眺めていた。ベルダンの声には気づいているのかいないのか、尻尾を地面に軽く打ち付けながら、ゆっくりと背後の空を仰ぐ。
 そんなことは分かっている、とは問いへの返答。ベルダンの声はより厳めしさを増した。

「どうせアエローに余裕が無いだけだとでもほざく気だろうが。もっとましな言い訳を考えろ」
「ならマシな意見を言ってやろうか? そこな魔法使いの手を借りるつもりでいる」

 これでどうだとロレンゾが胸を張った瞬間、その脳天にごついレンチが飛んできた。ごちんっ、と中々鈍い音が一つ、何すんだとばかり口を開いたロレンゾを突っぱねるように、低く低く言葉は滴る。

「それをましな意見とは認めん。他者の手を煩わせることがまともな意見か?」
「ちったぁ話を聞かんか頑固ジジイ。そこなお若い魔法使い二人がやりたいっつってんだ」
「二人?」

 突っ込むのはそこかい、と言うロレンゾの突っ込みは、無視。鈍い足音が少しして、今度はベルダン本体が上から降ってくる。
 上翼から地面まではざっと見てもベルダンの倍以上高さがあるのだが、彼はそれをものともしない。身を屈めて衝撃を殺し、足音一つ立てずに着地して、彼は地面に手をついた体勢のまま、俺達と反対の側の翼にいた魔法使い二人を見た。
 当の犬猫はと言えば、オオカミも射殺せそうな視線の鋭さをものともせず、さっき犬の方が杖にしていた樫の枝を小刀で削っている。何をしているんだと怪訝そうにベルダンが問えば、答えはあまりに素っ気なく。

「人魚姫の真似事を」
「人魚姫の真似事……って、ラミーよろしく雨でも降らすのか? あんた炎使いだろ」
「炎使いでも炎を遠ざけることは出来ますし、エレインさんは水使いですよ」

 俺を含め、その場の全員の目が、若い魔法使いに集中した。
 エレイン、そう紹介された、立ち耳犬の魔法使い。だが、恰好は他の兵士と何も変わらない。杖があまりにシンプルなことも相まって、第一印象はどうあがいても足の悪い一兵卒だ。傍で杖を削るルディカと並べると、全体的な雰囲気も何だか泥臭い。
 降り注ぐ疑惑の視線。エレインは何も言わず、燃え盛る炎の向こうを睨んで顔をしかめている。そこに何があるのかは知らないが、何とかしたいと言う心意気だけは汲めた。
 ベルダンも主張は読み取ったようだ。苦々しい表情を顔一杯に浮かべながらも、勝手にしろと吐き捨てる。
 言われなくてもと、ひどく掠れた声は一体誰に届いたか。螺旋状の掘り込みが入った杖をぐっと握りしめ、アエローの翼から飛び降りながら、エレインはアエローの上のルディカを振り返った。
 彼は、その場でニワトコの杖を火の方へ向けていた。


<<焔接ぐ木を依代に、星抱く珠を羅針として、『溶岩竜(サラマンデル)』と『飛天精(プロキオン)』より障りを掃おう>>

 杖を掲げた途端、吹き抜けるは一際熱い突風。撫ぜられた頬さえ焼け焦げんばかりの熱が、全身をちりりと焦がして渦を巻く。
 熱い、と反射的に飛び上がってしまったが、周囲の変なものを見るような顔から察する限り、どうもこんな目に遭ったのは俺だけのようだ。まさかと思ってルディカの方を見てみれば、杖先の小さな竜がクェックェと嘲笑うように二度甲高い声を上げて俺を見ている。
 ……さっきジロジロ見られたお返しとでも言う気か、畜生。
 焼き鳥にしたって美味しくないぞ、とこっそり呟いてみたら、『溶岩竜』はケケケケケと随分金属質な笑声を返して、ふいっと鼻先を背けた。

<<響け星の歌、緋を喰らい朗らかに。鳴らせ鎮火の鐘、焦土の風を打ち払え>>
<<翔けよ空高く、夜の闇を尚鋭く早く。飾れ眩く、仰ぎ見る者の導のように>>

 杖の先に掴まっていた小さな竜が、翼を広げた。
 もう一度、今度は全員が思わず体勢を崩すほどの風が真正面からぶつかって、あっという間に通り過ぎていく。それが杖から離れたドラゴンの飛んだ後に巻き起こったものだと理解するのに、俺は多少時間を使った。
 けれども、こんなノロマな理解ではとても追いつかない。『溶岩竜』は自分の体よりも長い尾をくねらせながら、瞬く間に俺たちの周りをぐるりと一周したかと思うと、何のためらいもなく業火の壁へ突っ込んでいく。
 火が一瞬怯んで揺らぐほどの速度で戦火に飛び込んだ竜、その背から目を離さないまま、ルディカが話を振ったのは傍のエレイン。

「エレインさん、もう始めて下さい」
「早すぎないか? いくら呪文が長いとは言っても——」
「いいから。プレシャ大陸の『溶岩竜』はせっかちなんです」

 言葉のチョイスが何か変な気がしたが、エレインがものすごく真面目な顔をしているから、きっとこれでよかったんだろう。ほのかに感じた違和感と脱力感はその辺に投げ捨てた。
 実際、目の前に広がる砲火の壁は、『溶岩竜』が飛び込む前に比べて明らかにその勢いが落ちている。よくよく目を凝らせば、火の海の中で忙しなく飛び回り、しきりに獲物へ喰らいつくような動きを見せる小竜の姿も伺えた。
 果たしてエレインはそれを見たものか。杖をぐっと強く握りしめ、その先を地面にぐりりと食い込ませて、栗色の目の焦点を地面に合わせた。

<<三の導。堅牢なる火避け木の杭、水底に溶ける碧玉の楔、泉底(みぞこ)に満てる鉄の槍。『泉底の乙女(ネイアド)』の子、集い来たれ>>

 織り上げる魔法の呪文は、低く、重く。ルディカのように高らかではないが、その分しっかと腰を据えている。真面目な犬らしいと言えばそうらしい堅牢な響きだ。
 しかし、肝心の姿は何処なのだろうか。『泉底の乙女』自体ラミーより更にミニサイズだし、単に俺の目が捉えきれていないだけなのかとも思ったが、気配一つしないのは流石に妙だ。守神と言っても姿と性格は子供そのもの、気配を隠せるほど器用だとは思えない。
 大丈夫なのだろうか。じわりと不安のにじむ心中を見透かしたかのように、エレインは顔を上げ、暴れまわる『溶岩竜』を見据えながら呪文の続きを放つ。

<<災を除け難を覆う紗と共に、地の底の淡海(あわみ)より来たれ。鉄を焦がし民を焼く炎を掃え>>

 びしり。

 何かの割れる音。
 そして地の底遥か深く、何かが超速で噴き上がる、鈍く重たい足音。
 その正体をあれこれ考えるより早く、叫ぶ。

「ヤバいロレンゾ、間欠泉だっ!」

 瞬間、ロレンゾは傍に立っていたベルダンの襟首を引っ掴み、投げ飛ばしていた。
 予備動作もなしに、自分より背の高いものを、まるで路傍の石のごとく投げられる腕力に驚く暇もない。あっという間にベルダンは俺の横までぶっ飛ばされ、しかし空中で姿勢を整えて翼に足から降り立つ。そしてロレンゾに視線を戻した時には、膝を曲げ跳躍の姿勢に入っていた。
 視線の先は曲面の多いアエローの鼻先。無茶なと思う間に、彼は強く地面を蹴って鋲留めの僅かな凹凸に指先を掛け、つるつるとした白い金属板をしっかりと軍靴の底で掴んで、一息にその身体を鼻先に乗り上げる。……指先だけで自重を持ち上げるなんて、相変わらずめちゃくちゃな力だ。
 けれど、そうして感心したり呆れたりする余裕さえ、俺達には与えられない。

<<翔け去れ『溶岩竜』、『飛天精』が先に立つ!>>
<<『泉底の乙女』の子等よ、残り火を全て掃え!>>

 二人の魔法使いの声が、同時に空を震わせる。
 その余韻さえも掻き消して、轟きは低く低く。

「久々にワタシ達を呼び出すのに逢ったなァ」
「ヨーシネイアドさん本気出しちゃうゾー」

 聞き慣れない声が一瞬、重々しい地響きに紛れて、
 地を割り吹き上げる波濤(はとう)の音に、全て押し流された。