複雑・ファジー小説

Re: タビドリ ( No.34 )
日時: 2016/11/04 03:21
名前: 月白鳥 ◆8LxakMYDtc (ID: HccOitOw)

「ダチョーだ」
「磯の匂いだ」
「グミの実沢山採ってったダチョーだ」
「泡沫の姫君と一緒にいたダチョーだ」

 透き通るような白い髪、ガラス玉のような碧眼、カエルみたいな質感の白い肌。丈の長いひらひらのワンピースに、トンボの翅によく似た四枚のひれ。
 ——『泉底の乙女(ネイアド)』。淡水域に棲み、地上や地下の水一般を掌る、小さな身体の守神。
 彼女達の無邪気さと好奇心の旺盛さは、実に見た目相応だ。さっきから俺の回りをうろちょろと飛び回り、ふんふんと鼻をひくつかせては、海の臭いがするだの焦げ臭いだのと好き勝手に品評してくれやがる。これがあの水禍の主、火の壁を燻り一つ残さず消し去り、あまつさえ戦場を浸水させた守神とは思えない。
 ぎゅう、と頭の飾り羽を引っ張られたところで、流石に守神の手を払った。

「痛ェだろーが。引っ張んな馬鹿」
「むっ、失礼だゾ。ワタシは偉ーい守神様だゾ」
「姫君と違ってちゃんと泉を管理してるのだゾ」
「何だと?」

 旅の従者を悪く言われて黙っている俺ではない。その言いぐさは何だ、と語調を強めると、二人の守神はちょっと面食らったように顔を見合わせ、視線をあらぬ所に泳がせて、それから口のへの字にひん曲げた。
 嫉妬が入ったのは確かだ、でも本当のことだ、とはネイアドの主張。

「姫君がエラい守神なのはワタシだって知ってる」
「でも、姫君が何もしていないことも知っている」
「歌うたいは誰もがそうだ」
「管理するのはほんの一部」

 まるで説得するかのように、或いは懐柔するかのように、ネイアドは交互に畳みかけてくる。だが俺は、真面目に聞くふりをしながら、全部聞き流した。
 ラミーが守神らしいことを何一つしていないことくらい俺だって察しているし、いつまでも呑気に旅なんてやってていいのか心配もしている。
 だが。それでも、俺は。

「彼女が自分の将来を考えないほど馬鹿だとは思わない。俺は彼女の自由意志を尊重するよ」
「……分からないゾ?」
「守神にも馬鹿は——」
「いい加減にしろ。あんまり侮辱すると本気で許さんぞ」

 言葉を遮る声は無意識のうちに怒気を孕んだ。
 大人げないかもしれないけど、この場にいない者の悪口を黙って聞いていられるほど、俺は幸せな性格じゃない。言っていいことと悪いことの区別くらい——外見年齢十歳の女の子に求めることじゃないとは思うが——偉い守神と名乗るくらいなら付けて欲しかった。
 そんな俺の苛立ちを感じ取ったのか、ネイアド達は押し黙る。
 そうして漂った沈黙の間に、割り込むのは別所からの声。

「そろそろお転婆ちゃんも再始動できる頃でねぇかい」
「嗚呼……急冷した影響がなければ良いが」
「ちょっと水浴びしたくらいで壊れるモンじゃねぇだろ」
「俺達だけならそう言うが、今回は翼にものを載せる。心配するに越したことはなかろう」

 しわがれた、けれど良く通る声の主——ロレンゾとベルダンは、先程から沈黙している巨鳥の具合を気にしているらしい。勿論俺はアエローの調子の診方なんて分からないが、良し悪しで言えば恐らく悪いだろうと言うことは、軽薄なのに暗いロレンゾの声と真剣な横顔から察するに余りあった。
 しかし、彼等は洞々たる夜を見据えて不敵に笑う。暗きの先に苦難などないとでも言いたげに。
 何を根拠に笑うのか。俺には分からない。
 だが、理解できない根拠など必要でない。

「隊長は生け捕り、火は消した。俺達が此処に残したものはもう何もない」
「さあ、帰ろう」

 ——待ち人の下へ!

 高らかなロレンゾの声。
 アエローの咆哮が、応えるように冷たい空を震わせる。